6:器の矜持
フォイユの人生において、自分が必要だと思われた事は、ただの一度もない。そう断言してもいい。
だから、やっぱり理解出来ないでいた。自分が何故、狙われているのか。
そして何故、彼女たちはそれを阻止しようとしているのかが。
「……邪魔しないで。どうせ、あなた達に彼は必要ないでしょう」
「さあ、それはどうかな?」
「あんな王に侍ってる時点で、器を満たす者としての素質なんか、たかが知れてるよね! とっとと彼を解放してよ!」
「そう簡単に渡せるなら、こちらも苦労はない」
腰に巻き付けられたロープが、リュイによって引っ張られる度に内臓に負担がかかる。力加減は一応してくれているらしいが、衝撃に「ぐえ」とか「うぐ」とか声が出る度に睨むのは勘弁して欲しい。
そしてそれには気付いているらしい敵側のレクシオが、気の毒そうにこちらを見て言う。
「人間、それもエレジーをそんな扱い方で制御しているレクシオに、任せられるわけがない。手を離すべきよ」
「そーだそーだ! 顔色も悪いし、こんな危険な場所に連れて来たって事は、盾にして殺すつもりだったんだ! きっとそうだよ!」
「ち、違うもん! フォイユはお仕事で……」
「役立たずなのは認めるがな。肉盾にすらなるかどうかだ」
「エレジーであるフォイユがそっちに行く事を拒否しただろう? それで十分じゃないかな」
裏切る必要を感じなかっただけであって、彼女たちが喜んで差し出せばそれに従っただろう。フォイユの意思とは少しばかり違っているが、彼女たちの認識がそうであるなら、否定はしない。
何より、フォイユ自身は死ななければそれでいいのだ。
「おい、無能。貴公も何か言う事はないのか」
「無いよ。俺に選択肢は無いから」
「…………一応でも意思確認をした僕が愚かだった。じゃあ何か? 僕が貴公をこいつらに放り投げてもいいと?」
「それが俺への君達の答えなら、従うしかないからね」
リュイの質問はよく分からない。だから、フォイユは自分の出来る範囲の答えを出す。だが、それはリュイを苛立たせているのは間違いないようだった。
「誰にでも尻尾を振る駄犬か、貴公は!! 昨日といい、貴公の意思はどこにもないのか!!」
「えぇー? 今ののどこが意思確認なの? どう聞いても逆らえないし、彼の答えは至極当然だと思うんだけどー!」
「同感。彼は命を握られているから、そう答えるしかないでしょう。それを勝手に怒って、何様のつもりかしら」
「っ……!」
ロープを握るリュイの手がきつくなって震えているのが見えて、フォイユはどうしたものかと首をひねる。ここで自分が彼女を庇ったところで、彼女は嬉しくないだろう。だが、放置しても無言の肯定と取られれば、下手をすると八つ当たり気味に殺されかねない。打つ手が全然見えてこないのだ。
死にたくはないが、だからこそ下手な手は打ちたくない、というのがフォイユの考えでもある。
「大体さぁ、彼だって別に来たくて来たわけじゃないでしょ? 大方、王に目を付けられて彼女たちのご機嫌取りをさせられている……そんな所じゃない? あの王ならやりかねないもんねー」
「どう見ても、あなた達を慕っている顔ではない事は明らか。あなた達だって、人間が嫌いでしょう? 殺す前に手放しなさい。その方が有益よ。お互いに」
ラピとアガットというレクシオの言葉に、フォイユは首をまた傾げた。人間嫌い、と聞こえた気がするが。
「人間嫌いなのは、リュイだけじゃなかったのか?」
「! フォイユ……っ」
びくっとしたティフを見ると、怯えた顔をしていた。知られたくなかった、というのがありありと見て取れる。
となると、懐いて見せていたあれは、フォイユを試していた可能性があったようだ。
そしてラピという少女がくすくすと笑い出す。
「そこの三体は全て、人間を憎んでいる側だよ。戦争のきっかけを作った責任を取らされた、風のエルフ族長、その戦争において、同盟を結んでいたはずの人間の組織から蹂躙された、水のドワーフ族の次期族長、そして……中立を保っていたはずなのに、一方的に人間側の怖れによって住処を奪われた、サラマンダー族、その族長の一人娘。人間が悪いのは確かでもあるけど、人間を憎むあまり女王の座に目が眩んだレクシオ達なんだから!」
最後は高らかに嘲笑いながらの中身に、なるほど、とフォイユは頷いた。それなら仕方ない。
「つまり、彼女たちが女王になったら、人間は殲滅されるのか」
「そうよ。だからあなたも殺される」
結果は何一つとして変わらないらしい。しかし、シャルまで人間嫌いとは驚いた。中立のように見えていたからだろうか。
「人間を殲滅する事は、可能なのか?」
「出来る。女王は全てのレクシオの母でもあるから、レクシオを動かして人間を全てたちどころに殺戮していくことなんて、造作もない事」
「レクシオの味方になるエレジーさえも殺したら、今度はレクシオ同士の戦争が始まるねっ?」
そうだろうな、と何となくだがフォイユは納得した。女王に逆らえているレクシオが居る現状、女王の意思に反してこうして敵対しているのだから、争わないわけがない。
だが、このままは良くないだろう。これまでもそうだったが、フォイユは自分にとってもはや安全でないと分かれば、居座るつもりはなかった。
「……あの、俺は居ない方がいいか? やっぱり」
「は?」
相変わらず苛立たしげなリュイは、威圧的な声だ。
「裏切ったのは俺じゃないけど、俺も裏切った人間と同種の存在なんだろ。だったら、この先お互いに警戒して過ごすのは、あんまりいい方法じゃないと思うんだ」
「ち、ちが……フォイユは……」
「一人だけいい子ぶらないで。仲間とその伴侶を匿ったのはいい。でもそれを理由にレクシオに人間達への疑心の風を吹かせて、争いに発展させた張本人でしょう。同じエルフ族として恥ずかしい」
「っ!!」
あ、エルフだったのか、とアガットというレクシオを見てフォイユは思った。確かに耳が少し尖っている。
「さっ、おいで。フォイユ君って言うんでしょ? 綺麗な名前だね。ラピ達は仲間を殺したりなんかしない。一緒に、レクシオと人間の共存世界の為に、頑張ろう?」
するっとラピの手がフォイユの腕に絡められる。瞬間、周囲が一気に暗くなった。
「!?」
「ラピはね、闇の夢魔族なの。聞き分けの悪い子は、悪夢に落としちゃうんだから」
それは自分も悪夢を見るのではないか。そう思ったが、一向に眠気の訪れる気配がしない。
「大丈夫。もうあんなレクシオ達と、一緒に居なくていいの。この邪魔なロープも、切っちゃお」
「あ……」
長く伸びた爪の先は、刃物のようにさっくりとロープをフォイユから切り落とす。闇の靄の中では、リュイがどんな顔をしているかも分からないままだ。
「ほら、こっち。……アガット。あとはお願いね」
「了解」
何をするつもりなのか。そしてラピという少女は、いつまでこの霧を出し続けるつもりなのだろう。
「もう少しで、解放してあげるから。ラピ達と一緒に、新しい仲間に会いに行けるよ」
「……本当に、俺が居てもいいのか?」
「もちろん! だってフォイユ君もエレジーだから! ただの人間と違って、レクシオと一緒に居る資格があるんだからね!」
「…………」
ただの人間は、レクシオと共存出来ないのだろうか。そうだとしたら、やはり最初に彼女たちから聞いた話が正しい可能性は十分にある。
「じゃあ、ただの人間は……やっぱり、殲滅するのか?」
「するに決まってるよ。奴らは自分より強い者を認めないんだから、居ても邪魔なだけだし」
「……エレジー同士を掛け合わせても、エレジーが生まれるとは限らない。……それでも?」
「何言ってるの? エレジー同士なんて無駄な事しないよ。エレジーとレクシオを掛け合わせれば確実に生まれるんだから、そうするに決まってるじゃん」
「!?」
ちょっと待て、とフォイユは歩みを止めた。恐らく、青年が待っているところまでもう少しだったのだろうが、今のを聞き逃す事はさすがに出来ない。
「……待ってくれ。俺は、君達の仲間になったら、何をさせられるんだ」
「まずはレクシオと顔合わせ。気が合うようならすぐにでも契約。そして――子供を作ってもらう。正真正銘、エレジーとレクシオ、両方の素質を持った子供をね」
「それは、どうして?」
「もちろん、この世界をレクシオとエレジーだけにする為に決まってるさ。大丈夫、皆が幸せになる一番の方法だよ! ほら、まずはご主人様のところに……」
腕を引かれても、フォイユの足は動かないままだった。死にたくないと思って生きてはいるが、死んだ方がマシな人生も望んではいない。
ラピの言葉はまるで、エレジーもレクシオも道具のような扱いだ。今は良くても、いつか破綻するだろう。
「どうしたの!? 何で今になって躊躇うの!?」
「……俺は……それが正しいとは、思えない」
言いながら、心の奥が竦むような感覚になる。自分の意見を言うと「エレジーのくせに生意気な」とすぐさま叩かれていた記憶のせいだろうか。
「何で!?」
「契約は婚姻だって、リュイが言ってた。失ったら辛い事になるって。だから、一生に一人がせいぜい……それを簡単にさせるのは、おかしいと思うんだ」
「そんなの、時代が変わったんだから、感覚も変わるものだよ! ドワーフ族は頭が古いから、マリアージュの事もそうやってお堅く見てるだけ!」
「……でも俺は……そのお堅い方が、安心する。何度も悩んで決めて、それを貫く方がいい」
「うわぁ、相当な変わり者じゃん! っていうか、ちょっ……何で、びくともしない、のぉっ……!?」
そういえば、とふと気づいた。かなり強い力で腕をぎりぎり引っ張るラピに対し、フォイユはそれほど力を込めていないにも関わらず、根が張ったように動かない。
「本当だ。何でだろう」
「そろそろ現実を見てくれないと困るな。キミはボク達との約束を破るつもりかい? フォイユ・エトワール」
シャルの声がすぐ近くでした。同時に、全ての感覚が一気に鮮明になる。
「っ痛……!?」
足元が刺すように痛い。よく見れば、フォイユの足は氷の中にあった。
「足を切り落とす事になる前に、一度だけ問おうか。フォイユ、ボク達の元へ戻るかい?」
歩けなくなったらここで死ぬしかない。であれば、答えは一つきりだ。
「分かった。戻っていいのなら」
「なぁっ!!? ここまで来て!?」
驚愕するラピには悪いが、残念ながらこのままでは死ぬのでそれを避けたい結果である。
「なるほど、死にたくないと豪語するだけはあるね。切り替えが早い」
「……それで戻ったら死ぬなんて事は?」
「あるかもしれないね。何しろボク達は人間嫌いだ」
死ぬか否かの瀬戸際なんて今更である。だったら、今のところ生存確率が高い方を選ぶ。
「ミロワールとしての役割を果たす前に殺されるのは、何となく嫌だな」
「心配要らないよ。キミが心底役立たずだと思ったら殺すから」
「……その基準だと、既に十回くらいは殺されてそうなんだけど」
「大丈夫。キミがボク達を拒まない限りは」
どういう意味だろう、と思っていると、肩を掴まれた。シャルが囁いてくる。
「もっとも、昨日の時点でキミがそうする事はないと思ってるけどね。だから、そのままボクに触れられているだけでいい」
足元の氷が溶けて、代わりに爆ぜるような熱が体内から湧き上がるのを感じた。
「っ……あ……」
息さえも熱い。焼けそうな感覚が全身に広がっていく。
(このままじゃ、死ぬ――――)
そう思った次の瞬間、その熱は一気に前方へと放出された。
「きゃあああああああ!!」
ラピの悲鳴が響き渡る。何が起こったのかと思ったフォイユが見たのは、火に巻かれて床を転げまわるラピの姿だった。
「!?」
「ラピ!!」
飛んできたアガットが、ラピの火を魔力で減少させていく。それでもラピはかなりのダメージを負っているようだ。
「おい、貴公の相手は僕のはずだが? 火のエルフ女」
「くっ……!」
リュイがやってきて、その手に水を渦巻かせている。機嫌が悪いので八つ当たりも兼ねているようだ。
だが、フォイユを見て彼女はにやりと笑う。
「ちょうどいい。穴開きの水がめでも使いようだからな」
「……え」
何をするつもりかと思ったフォイユの頭をわしづかみにして、リュイは言った。
「そら、水だ。火傷にはよく効くぞ!」
体の周囲を渦巻く水のエネルギーは、どう見ても放水器レベルの勢いで噴射され、アガットとラピ、両方に直撃し、壁際まで吹き飛ばした。
「……し、死ぬんじゃないか……今のは」
「殺すつもりでかかってきたんだ。同じくらい殺すつもりで返して何が悪い」
そういえばそうだったな、と思ったが、フォイユも善人というわけではないのでそれ以上は言わない。
「あの……ティフは……?」
「何だ? 裏切られたとでも思ってるのか?」
「いや、別に。姿が見えないなと思って」
壁で静かになったラピとアガットに、青年が駆け寄る。
「二人共、大丈夫ですか?」
「……ご主人、様ぁ……申し訳、ありません……」
「不覚……です。あの青年、器が……エレジーじゃない……!」
アガットの言葉に、え、とフォイユは一瞬思考が止まった。
「…………そうですか。まさか、お目に掛かれるとは思っていませんでしたが……彼こそが、我々の求めている存在……そうですね?」
「間違い、ありません……。ああ、でも……アガット達には、もう……」
「いいのです。良い事を聞きました。もう帰りましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺はエレジーじゃないってどういうことだ!?」
さすがに動揺したフォイユは青年へ問う。二人を軽々と抱えた青年は、笑みを浮かべたままフォイユを見て言った。
「ええ、あなたのような方がエレジーと混同されるくらい、今の人間は無知なのですね。嘆かわしい、呆れて物も言えない。フォイユ殿、またお会いしましょう。あなたはこちらで上に立つべき存在なのですから」
「……い、いや、それより、俺は……」
「知りたければ、こちら側へいらして下さい。……返事はいつでもお待ちしておりますよ」
答えるつもりはない、ということらしい。そして彼らをうっかり見送った後、はたと気付いた。
「あれ、追わなくていいのか……?」
「そうか、逃げられてしまったね」
「……穴の開いた水がめにしか見えなかったが……ちっ、あの男、余計なものを……」
彼女たちも様子がおかしい。フォイユは自分の正体がいきなりぼやけてしまったせいもあって、何だか居心地が悪かった。
そこに、ティフが戻ってくる。
「地下通路を見つけたの! 塞いでおいたからもう誰も入って来れないわ! ……あれ? どうしたの、二人共?」
「ああ、うん。ありがとう、ティフ」
「……ここを潰してさっさと帰るぞ。それからロープが無くなってる以上、運ぶ方法が無いんだが」
「……歩いて帰れる場所かな」
「フォイユ……戻ってくれたの?」
「成り行きで。……でも、無理に俺と仲良くしようとしなくていいよ。一人には慣れてるから」
無理をして懐いた風を装わせるくらいなら、あからさまに無視してくれていい。フォイユにとって、そういった社交辞令はあまり意味がないのだ。
しかしティフは、首を横に振る。
「ううん。良かったら……だけど、これからも……仲良くして欲しいの。フォイユは、今までの人間と違う……そんな気がしてるから」
「そうだね。ちょっと戻ったら緊急会議を開こうか。そうだ、フォイユ。ボクにもパンケーキちょうだい」
「いいけど……パンケーキ好きなんだ?」
「人間は嫌いだよ。でも、人間が作ったものにまで罪はないからね」
シャルの提案に他の二人も否やは無いらしい。そのまま館を潰して帰る事になった。
外に出て、シャルがフォイユに手を差し出す。
「はい、ボクの手握って」
「ああ」
「着火、と」
元々廃墟同然の館は、よく燃えた。そしてあっという間に崩れ落ちた。
「リュイ、消火」
「分かった」
リュイも仕事だからか、フォイユの腕を掴んでさっさと水をかける。
「ティフ、煙を払って」
「うん! フォイユ、手!」
「ああ」
ティフの手を握ると、風が上空へと煙を払う。そして後に残ったのは、黒焦げになった廃墟跡だった。
そしてその中央には、ぽっかりとした大きな穴。
「あれは……?」
「地下に続く道だよ。入りたい?」
建物が燃え尽きたせいで、そこだけ残ってしまったのだろう。特に興味はない。
「そのままそこに住んでればいいじゃないか」
「駄目だよ。……今、彼を置いてはいけない」
どのみち、連れて帰ってはもらえるようだ。ロープが無いという以上、方法が他にあるのかは謎だが。
「……ああ、いい方法があるぞ?」
「えっ、ホント?」
「僕は水に入ったものなら運べる。……僕が作った水球の中に溺れないように入ってろ、無能」
「…………それしかないのなら、頑張るよ……」
そこかしこで未必の故意を起こそうとするリュイに、フォイユも言い返す言葉が無い。ここまであからさまだといっそ清々しいものがある。
「決まりだな。とっとと帰るぞ」
「か、帰ったら、フォイユはお風呂に入れてあげるの……頑張ってね……」
「次からはもう少し、まともな方法を考えてあげるよ」
さすがに同情をおぼえたらしい二人の励ましを受けつつ、フォイユはリュイの宣言通り、半分くらいまでそこそこ冷たい水がたっぷり詰まった謎球体にスーツのまま入り、大人しく運搬される事になった。
そして、ゆらゆら揺れる水球の中で水に溺れないようバランスを取りながらの空の旅は、船酔いという概念をフォイユに新たに与える事となったのである。
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