第六章 

第9話(台詞無しの話)

 森の中で、綺麗な人を見つけた。

 男の人に綺麗という言葉を使うと怒られてしまうかも、とふと私の中でそんな言葉が脳裏によぎるけれど、他にその人の事をなんて表現すればいいのか分からない。


 でもその人は本当に綺麗な人だったのだ。

 いつもの、季節の移ろいが彩りを変えるこの、私がよく知っている森の中で、彼は木漏れ日の中で昼寝をしていた。

 都市の方には写真機という、風景をそのまま紙の上に落とし込める道具があるらしいと聞いた事があるけれど、それがあったならこの光景をずっと残しておけるのにと思う。


 けれど無いものねだりをしていても仕方がない。

 そして残念ながら私は、絵を上手く描ける自信がない。

 ここ最近綺麗な絵を描けるようになりたいと思って努力をしてみたが、残念ながら茶色のしましまの可愛い猫ちゃんは、獰猛の化け物のような姿に、紙の上に映し出されてしまった。


 ちなみにその絵はあまりに凶悪なので、魔除けとして使えそうだという事で、たまたまやってきた商人に、高く売れた。

 お金が手に入ったのは嬉しいし、そういった意味での絵の才能は私にあるのかもしれないが、それは私が欲しかった才能ではない。


 そんな理由からスケッチブックと絵具を今日はたまたま放り出して、森の中に果実を摘みに来たのだ。

 今考えるとそのスケッチブックを持ってきて、彼の美貌の片鱗を書き留めておくべきだったのではという気がしないでもない。

 けれど、私のあの才能では、その片りんすらも禍々しい何かに変質させてしまうかもしれない。


 そもそも私はこの森に、果実を摘みに来たのだ。

 今の時期、取りきれないくらいの森の果実が手に入る。

 それを砂糖と一緒に、鍋でコトコト煮て、瓶に詰めて、一年分のジャムにするのだ。


 他にも季節の果実を煮てジャムを作るけれど、私はこの果実のジャムが一番好きだ。

 パンにそのままバターと一緒に挟んでもいいし、焼いた鶏肉と野菜を一緒に挟んでサンドイッチにしてもいい。

 そこまで考えて何故食べ物の話になったと私は思う。


 目の前にはこれだけ綺麗な男の人がいるのに、何で私はそちらではなく食べ物の事に考えが行ってしまったのか。

 やはり、私は色気よりは食い気なのか。

 そう以前言いやがった、幼馴染であり親友の彼氏であるカイの顔が私の中に浮かんできて、その時の表情が思い出される。


 その日はあまりに頭に来たので、自分のベッドにある簡素な枕に何でもパンチを繰り出した。

 最近は少しは女らしくなってきたと思うのに、何だその言い草はと思う。

 髪なんて、長くなったら切れば良いといったように、あまり髪だって整えなかったこの私が、そのカイの幼馴染で親友のフローラに頼んで髪を上手く整えてもらい、試しに、都市で流行りらしいリボンを前髪を三つ網にして後ろでそのリボンを止めてみた。


 鏡を見ると、可愛らしいお嬢さんの様に見える……気がした。

 もともと素材はいいと、あのカイに言われていたので、私の贔屓目でも無いと思う。

 そうであって欲しいと思うが。


 違う違う、そうでは無くてと私は心の中で思いながら、試しにリボンに触れてみる。

 今日はたまたまこのリボンを付けていたのだけれど、こんな綺麗な人の前に私が出てしまうのだから丁度良かったのかもしれない。

 私にも女の子らしい心が結構あったらしく、こんなささやかなおしゃれだけでも気分が良くなるので、何となく付けていたのだ。


 それがまさかこんな事になろうとは。

 そう思いながら私は彼に近づいていく。


 彼がうたた寝しているのは、切り株のそばだった。

 新緑の季節であるせいか、緑色の葉を付けた枝が勢いを増して彼の天井を覆っている。

 まるでこの美しい彼の姿を覆い隠そうとしているかのようだ。


 けれど風が何処からか優しい歌声を運ぶように、その木々の葉を揺らして日差しを彼へと降り注いでいる。

 完全にその美しい人を隠せなどしないとでも言うかのように、風は穏やかに歯を揺らしてその場を去っていく。


 あたかもここにいるよ、見つけてというかのように。

 そこまで考えた私は、何でこんな詩的な感傷に浸っているんだろうと思う。

 字は読み書きできる程度の能力はあるので、本も図書館で借りて読んでいる。


 もちろん詩集や恋愛小説のような、女の子が好む様な可愛らしいもの……ではなく、未開の大陸への冒険譚や誰も知らない航路をいった船乗り達の話など、男性が好むものばかりだ。

 そんな私が今、ただただこの人を見て痛い、この綺麗な人をどう表現すればいいだろうと考えていた。


 何で、と思う。

 胸の鼓動が変に速くて、頬が熱い。

 こんなのは初めて……ではない。


 確か前にあった。


 そうそう先月の終わりに風邪をひいた時にこんな風になった記憶がある。

 頭が熱くて堪らなくて、その時にとても似ている。

 さっきまではそこまで風邪っぽい症状はなかったんだけれどなと私は思いながら、私はその人に近づいていた。


 だって綺麗な人は間近で見たくなるしと思いながら私は近づいていく。

 彼に近づいていくと、更にこの人はとても綺麗な人だという印象を受ける。

 伏せられた瞳は二重で、長いまつげが印象的。


 さらりと零れ落ちる黒曜石のようなつややかな髪は、日差しの中で存在感がある。

 しかもお肌は白くて、きめが細かい。 

 きっと私よりも魅力的な肌をしている……そう思うと、何だか悔しくなるのは何故だろう。


 そんな風な事を考えつつ、更に近づいていって私は彼の顔を覗き込む。

 そこで彼が瞳を広く。

 青空を映したような瞳。


 それがあまりにも透き通って見えて、私はじっと見つめてしまう。

 無言のまま、お互いに見つめ合う。

 そして数分の沈黙後、先に音を上げたのは私の方だった。







 彼の名前は、リフというらしい。

 何でこんな場所にいたのか私が聞いいた所、歩くと気持ちの良さそうな森があったので、散歩も兼ねて森を歩いていたらしい。

 今日この村についたばかりで、普段は都市に住んでいるらしい。


 旅行か何かかなと思いながら私は、どんな職業の人なんだろうと思って聞いた所、彼は吟遊詩人であるらしい。

 確かにこの見た目はそれっぽいと思いながら、吟遊詩人ならその歌声は人を魅了するものなのだろうと思って私は彼に歌をねだった。


 それに彼は困ったようの微笑んで、歌い出す。

 絶望的な歌声だった。

 何が、とか、そういった言葉で表現できない、意識が遠のいていく歌声だ。


 後で聞いた話では、暴漢に襲われた時には役に立つらしい。

 そんなわけで彼は吟遊詩人ではない事が分かったけれど、途中の経緯とやりとりは忘れたが、気づけば私が子守唄を歌うことになっていた。

 昔母が歌ってくれたうたを私が歌うと、リフはうつらうつらして私に寄りかかってくる。


 私はどうすればいいのか分からず歌うのをやめると彼は、不満そうだった。

 なのでこんな風に私に寄りかからないことを条件に子守唄を歌う約束をして、その日、私は彼と別れた。

 次の日もまたその場所に彼はいて、行きに摘んだ小さな赤い果実を二人で分けあいながら話をする。


 彼の素性は未だに謎だが、とても沢山の事を知っている。

 私の知らないものを沢山話してくれて、話すのがとても楽しい。

 特に数学の話が好きだと私が思っていたので彼に伝えると、彼も私に数学の才能があると褒めてくれた。

 そんな日々が何日も何日も続く。


 私は彼と一緒にいる時間がかけがえのないものになっていた。

 そしてそんな日々は唐突に終わってしまう。

 何故なら、彼が私を気に入ったかららしい。


 その日は、さて森にまた向かうかと思って家を出た途端、そばにある馬車に連れ込まれた。

 中にはリフがいて、私の親とはもう話をつけたらしい。

 そういえば昨日の夕食はやけに豪華だった気がする。

 不安が私の中で膨れ上がっていくが、気づけば何の説明もなく、正確には私が怖くて聞けずにいたら大きな屋敷に連れて来られて、そして私は、リフの妻にになった事実を知らされたのだった。






 確かに話していて淡い恋心を抱いていた気がする。

 今思い出せば私にも思い当たる節はある。

 けれど一言の相談も愛を囁く言葉もなくこうなった場合、私はどうすればいいのか。


 このまま嫁の貰い手がいなかったらどうしようと以前両親が話していたのは知っていたけれど、いきなりこの展開はないと思う。

 そしてリフに私の何処が気に入ったのか聞くと、面白そうな所であるらしい。

 もう少し私が再度惚れ直すような言葉をかけてくれてもいいのではと思っていると、リフのお母様が嬉しそうに私を迎えてくれた。


 どうしてだろうと思っていると、何でもようやくリフが嫁を見つけてくれたのが嬉しいらしい。

 この世界の貴族は、少しだけ不思議な力が使える。

 リフのお母様は、良縁を占えるらしいけれど、リフは全て駄目だったらしく、リフの母親はさじを投げたらしい。


 そしてたまたまあの村に滞在しているときに私にリフは出会い、興味をもったらしい。

 因みにリフの能力は、小鳥と話せる能力だそうだ。

 なので小鳥に聞いて、何時頃私が家を出たのか、何をしていたのか、他の男が出入りをしていないのか聞いていたらしい。

 何それ怖い。


 そういった説明をされても私は納得できず、もう少し時間が欲しいとお願いした。

 そしてそれから三日後、私はリフに襲われたのだった。





 そんなこんなで実質的な意味で花嫁にされてしまった私は、リフといちゃいちゃしながら、けれど貴族の作法や教育が必要との事で、作法もそうだが、このお屋敷で数学を学んでいる。

 何でも私には目をみはるような才能があるらしい。


 よく分からないけれど面白いのでそれを学びながら、子供用の問題集を作って売ったりして、私はこの家での地位を確立していく。

 また、世の中が狭いなと思った出来事があった。

 それは私が以前描いて、魔除けになりそうな恐ろしい絵がこの屋敷に飾られていた事だ。


 素晴らしい魔除けでしょうと言うリフのお母様に私は、私が描きましたとは一言も言えませんでした。

 むしろ、こんな恥ずかしい黒歴史のような絵を飾られては堪らないと、私はあの手この手を使いつつ、それらしい理由を言ってその絵を飾るのを止めさせようとした所……私が描いたものだとバレました。


 理由は至極簡単で、私があの絵を飾るのを止めようとあまりにも言うので、リフのお母様が新しい絵を以前頼んだ商人経由で、その魔除けの絵を書いた人物に依頼しようとしたのである。

 そんな事を知らない私は、偶然その商人がこの屋敷に来た時に遭遇し、全てがバレました。


 現在は、絵を描いてとお願いするリフのお母様から逃走する技を私は磨きつつあります。

 そんな平穏で幸せな日々が私に訪れて、そして私にも新しい家族ができて。

 リフがちょっとしつこい位に頑張ったのが、良かったのかもしれないと、私は思い出して小さく笑う。


 どんな名前にしようかと私達は二人で相談しているけれど、中々、どんな名前がいいか決まらない。

 でもまだまだ時間はあるから大丈夫。

 それまでに新しい家族に、誰よりも素敵な名前をつけましょう。

 そんな私達を祝福するかのように、私の頬を甘い花の香りのする風が、通り過ぎていったのでした。

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