8:愚かな住人
この日、小島居にメールが届いた。
『ごめん。ライブの件なくなった。あと、もう会えない』
そこで、チェルシーの働いているメイド喫茶に訪れると、彼女は何ヵ月も前に、このメイド喫茶を辞めていた。
それでも、彼女が中央通りでチラシ配りをしていた理由……、練習をしていた理由はいったいなんだったのだろうか?
小島居にはその理由が理解できなかった。
アパートへ戻ると、棚をすべて倒した。
倒して、でてきた情報素子をすべてゴミ箱へと詰めていく。
すべて忘れれば、きっと楽になれると、部屋に在る彼女の記録を壊しては袋に詰めていく。
その行動は、別れた彼女の情報や思い出を捨てる人間に似ているななんて冷静に考えたが、それすらバカバカしい。
付き合ってもいない。彼女との関係はそのようなモノ。彼女のいた証拠は、みるも無残な形になる。
ゴミ袋3枚分の大玉が、玄関の手前に入り口に積まれた。
なにもかもなくなった部屋で大の字になった。考えることがなくなった。
冷静になって、一緒に纏めてしまったビデオカメラとパソコン、教科書ぐらいは回収しないとなと考えた。
熱くも、涼しくもない空気が部屋を何度か往復しているうちに、糸のような何かが吹っ切れた。
ただ、病気を言訳に、戦いもしなかった。その結果だけが小島居には残っている気がしたんだった。
その姿を、義妹は見ていた。ただ見ていた義妹に小島居は言うべきことがあった。
「雪乃……話したいことがある」
と、小島居が呟くと、「はい?」と小さな女の声が響く。
「雪乃は、早くこの街に出たほうが良い。
いつか、大人になったら、一緒に生きていけない。
歳になれば、誰かを好きになれる。
長生きできれば、誰を好きになって幸せになる権利だってある。ずっと一緒にいては……ダメなんだ」
「私には今、あにいさんしかいません。
わたしじゃ……ダメですか?おにいさんが死ぬまで、ずっと一緒にいますから……」
「雪乃が好きだから、こんな場所にいて欲しくない。
この街は、夢を食物にする。私みたいなならず者もいれば、隣人みたいな乞食が沢山いる。そして、使える人間は死ぬまで働かせて、要らない人間は切り捨てていく。
死ぬために生きてはいけない。病気の私は、時間がないから……走っているだけ。なんて言訳みたいだけど、そういうことなんだ」
「わたしは、この街をいつかは出るでしょう……。
でも、そのときは、おにいさんも一緒です。だから、あと少しだけ……」
そこで、雪乃は一度言葉を止めた。だが、彼女は初めて、小島居に怒ったのだ。
「少しだけしか生きれないからって、誰かを幸せにしたいっておもっちゃいけませんか? 幸せってなんですか?
好きな人と一緒にいたら、おにいさんは幸せなんじゃないですか? どこにいたって、走らないと幸せなんて逃げてしまいます。
病気を言訳にするな……。明日も、明後日も、続いているのに……。本当の気持ちを伝えてば、すべてが変わるかもしれないのに……」
少女の涙をみるのも、入院して以来。
彼女の、その手が袖に絡みついた
「私は……」
ただ嫌われるのが怖かった。病気が原因で誰かを好きになっても、ずっと傍に居てやれないのが悔しかった。それなら、自分は好きな人をただ見ているだけで良かった。
見て、見て、鑑賞して、ただ好きで堪らないそんな日々がずっと続けばと考えた。
――ずっと、続けば……?
なぜか、そこには、矛盾が存在していた。
「そうか……」
自身の考えは既に、彼女たちによって、論破されているにも関わらずに、ずっと、自身に意固地になって、幸せという概念を書き違えていたのかも知れない。
気づいたときには、小島居はこの街を走っていた。
ただ、ストーカーはもうやめた。
彼女に一言だけ。変えられない自分にどこか決別を付けたかった。
雪乃の事も、チェルシーへの事も、もっと自分さえ変われれば、違う未来がみえていたハズなのに……。そこにはいつも、みているだけの自分が存在した。
千草は騒めく街の中、あることが思考を巡らせていた。
また、逃げているだけかもしれない。
そうだ……。
自分を病人だと思うことでどうにか生きることができました。
腹に穴でも空いていれば誰かが私を特別にみてくれるのではないかと、いつも考えながら穴の空いたボロ雑巾のようなシャツを好んできていました。
――だけど、世界は青く黒い
スクランブル交差点で止まっていても、誰も私に声をかけませんでした。
見捨てられる怖さの裏には、既に見捨てられているという事実を隠す口実があった気がします。
この世界には、私はいない。
私にとって街さえ孤独が存在しない森と変わらないのです。
孤独を通り越す苦しみの果てに息さえできず、苦しさを誤魔化すように自分を自分ではないと考えるようになりました。
そんな街にいても意味がないと自殺を計らったとき、橋の上で揺れていた私の身体を暖めていくのは、三日月のような人でした。
橋の上で揺れる林檎を雨が打ち潤していく。
そのまま鳥に食べられて死んでいけたら幸せなのに。
風という存在だけが自分と自分のいた場所を繋いでくれている。
形は見えなくても匂いがなんかそんな感じがした。
それが、千草本人の匂いだなんて、本人が知る余地がない。
『きみはどうしてここにいるんだ?』
と三日月の彼が言う……
その言葉を返すように、頭がまわる。
アニメが好きなんです。歌が好きなんです。好きなままじゃいけませんか? 好きなだけでは、なにもできないのでしょうか? 足は動かないけど、でも、小島居の何気ない干渉が千草の心を温めてくれた。
やりたいことという言訳をつけて、本当にしたい事は、一体なんだろうか?
逃げようとした駅の改札前、ある男が待っていた。
「もう、この街には来ないんですか?」
それは、いつも千草を見てくれた男性。
「当分は来ないかな……。でも、バイトでは来ないです」
何も言葉を出さない二人。
小島居は、目を合わせたまま右手に持ったカメラを千草に向けた。
「仕事辞めたんじゃ、撮っても金を取られないですね」
千草は、何も言わずにカメラを見ていた。
シャッター音はホームのざわめきで消えていく。
こんな街じゃ私という存在はこんな音のようにすぐに消えていく。分かっている。
それでも、何かに挑戦したいという意思は一向に消えない。
千草の目は笑っていた。
「もう会えないとしても、元気でいてください」
この写真が小島居が撮った始めての盗撮ではない写真だった。
軽く頷く千草の手には、昔のテレビでやっていたアニメーションのグッツがあった。
この街に逃げてくる若者は多い。
すべての若者が正義のヒーローや お姫様に憧れていた時代が少なからず存在する。
そんなことを思い出しては、空を見上げて創造に耽るかもしれない。
大人になって忘れてしまったことが不意に思い出されて焦るように、一秒一秒を数えていくような……。
一方通行の電車から見える景色のように同じ景色はもうないと分かっていた。
分かっていたけど、そこに立ち止まって同じ事をいつも繰り返していたのは何故だろう。
そして、気が付いたときには、千草は乗りかけた電車から降りていた。
それから彼女は、彼を探し始めたのだ。
歩き出すこの道で 同じことばかり考えていたね?
辛いことばかりの今日だけど
君のいてくれたその温もりは (いてくれないその悲しみは)
何時まで経っても 消えることは無い。
支えてくれていたんだ 色んなこと
もう忘れないよ この悲しみで
いずれ何時か 君を無くしても
支えてずっと離さない 君のいたこの坂の途中
優しさという花が 目の前で散り行き
この切なさで何も見えなくても
君が教えてくれたんだ
このくだらない世界が素晴らしいということ
嘘じゃない本当のこと たとえ君がいなくても
出会わなきゃきっと気づかなかった
だから今も君を好きでいたい
もう会えないとしても 辛い明日としても
無駄じゃない やっと気づけたのだから
そうやって君を思い出すよ
こんな街を、わたしは愛したい。
千代田区の愚かな住人たち はやしばら @hayashibara
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