アルタ群島(46)「イヴリーフ・Ⅰ」

~これまでのおはなし~


 転生する直前、どうやって死んだのか、覚えていない。





 異世界に来てからというもの、夜見る夢は、何故か、アゼルガのものばかりになった。


 理由は分からない。

 地球の記憶は、ただ薄れ、輪郭を失っていく。

 時間の矢の進むまま、戻りたい場所から俺は離れていく。


 ただそれでも、眠っている筈の最中に「あ。今、俺、夢を見てるな」と不思議と自覚することがあって、そうした時には、失われた景色の中に身を委ねている己を見つけることがあった。


 残念ながら、これは必ず目覚めると消去されてしまうのだけど、それでも、懐かしい匂いが自分の居た場所を教えてくれる。


 今日も、そうだ。

 夢を見ている。

 渦巻く夢だ。

 何が?

 言葉が。


 巨大なスープ皿があって、俺達はその中にまとめて放り込まれている。

 怒号と悲鳴とが溶け合い、哀願と恐慌とがまるで具材のように浮かんでいる。

 拾い上げる言葉はどれも凄惨にかたくずれてしまっていて、意味を為していない。

 発した人の、今際いまわの感情だけが残っている。

 そんな夢だ。


 悪夢を見ていた。

 地球の、悪夢だ。


 思うわけだ。大きいな、と。

 大きすぎるな。

 何が?

 影が。


 俺達を覆うものが。

 やって来たものが。

 呑み込むものが。


 考えてみて欲しい。

 例えば突然、自分の頭の上から燃えたぎる隕石が降ってくるとする。

 そしてどうやら、その落下地点にいる。

 走って逃げようと考える。


 でも、どれだけがんばっても隕石が迫る方が早くって、百メートルを十秒で走ったとしても、せいぜい辿り着けるのはあの曲がり角の電柱のところまでで、だけど本当は視界の果ての山の麓にまでその十秒で辿り着けなきゃ潰されて死ぬ。降るは、巨石である。

 既に、圧縮された空気が放つ熱が髪を焼き、頭上から轟く音のうねりは鼓膜に痛いほどなのに、俺の足で俺を救えるわけがない。


 よし。隕石の落下地点から逃げるのは無理だと分かった。

 なら、できることは?


 マンホールの蓋を持ち上げて中に逃げ込む?

 車に飛び乗り、突っ走る?

 誰か助けてと叫んでみる?

 走るのをやめて、諦める?


 どれを選んでも等しく俺は死ぬ。


 今この瞬間、この時間、この場所がセーブポイントだったとして、何百万回ロード機能を使いながらトライアンドエラーで虱潰しに生き残る方法を探したとしても、助かるルートはどこにも見つからない。それほど追い詰められた状態にある。可能性が広がるだけの時間的余地が無い。もっと前にセーブしておくべきだった。そういう状況。


 なら、こういう場合の「死」は「運命」って言うのかな?

 必ず死ぬから、必死なのかな?


 いずれにせよ、もうあまりない。

 何が?

 猶予が。


 俺達にとってははじめての経験だが、「奴ら」にとっては二度目のことだから。

 慈悲を求める祈りを食って、哄笑は力を増す。


 迷いなく戦え。



   ◇



 目覚めると、ベッドの中だった。


「どこだここ……?」


 見知らぬ部屋である。

 六畳程度の小さな木造きづくりの室内は古めかしいながらによく清掃されていて、日々、人の手が入っていることが分かる。


 時刻は……朝、だろうか?

 明かり取りから漏れ入る陽光に、強さがあった。


「うぇぇ……」


 起き上がると同時に頭痛がやって来た。


 これ、あれだ。

 二日酔いの時になる奴。

 ガンガンする。

 脳内で「セイヤッ! セイヤッ!」と、だんじり祭りが行われておりますよ。

 ロブ・ハルフォード(職業・メタルゴッド)が、だんじりの上から、イカれたハイトーンボイスで「セイヤァ!↑ セイヤアァーー!↑」とかけ声を上げておりまする。

 狂気の沙汰。


 胸もむかつくし、なんなの。

 かなりの悪酔いをした模様。


 昨日、酒なんか飲んだっけな。

 最後の記憶は――……。


「おはようございます。サトウさん」


 その時、不意に戸口から顔を覗かせる人影があった。

 みじかな髪がさらさらと揺れる。


「気分はどうですか?」


 カリオテだった。


「最悪……」

「だと思いました。オム茶を淹れて貰って来ましたので飲んで下さい」


 言いながら木製のマグカップを差し出してくる。

 ほんのり湯気が上がっていた。


「おむちゃ?」

「ええ。楽になりますよ。どうぞ」


 受け取って口元に近づければ、アーモンドのような独特の芳香がある。


「うま……」


 仄かに甘い。

 甘茶蔓アマチャヅル茶を彷彿とさせる味だった。

 あったかくて、落ち着くよ。


「っていうか、ここどこ?」

「カリピュアで私が泊まっている宿です」

「宿?」


 温泉から街に戻ってたのか。

 いつの間に。


「昨日、露天風呂の中で倒れたのを覚えていますか? サトウさん、湯船の中で気を失って溺死しかけたんですよ。ぷかぷか浮かんでたんです」

「えっ……」


 うつ伏せになり、臀部でんぶ丸出しで水面を漂うおっさんの姿が脳裏に浮かんだ。

 なんということでしょう。


「皆で岸に引き上げたんですけど、なんだか泥酔状態みたいで、なかなか目を覚まさなかったんですよね。それで結局、街まで運んできたのです」

「……そんなことに……」


 やっぱりあのポーションドリンク、おかしなことになってたのかな。

 この頭痛も、明らかにアルコール原因っぽいし……。

 マリーは「世紀の大発明!」「much! money!」とばかりに喜んでたけど、絶対調合失敗してたろあれ。


 とか考えていると、視界の隅で謎のアイコンマークが自己主張している。

 ん?

 なんです、これは?



【銅】『ラブコメのやつ』

(実績:人工呼吸で息を吹き返す)

(報酬:0XP)



 え。

 なにこれ。

 銅トロフィー……?

 内容からするとつまり、あの時いたメンバーの誰かが俺を助けてくれたってことです?

 だけど、えっと……人工呼吸?


「……」


 昨日、温泉に居たメンバーの顔が、順に思い起こされる。


 一番俺を介抱してくれそうなのは、褐色肌のロリータ家主だが、しかし、この内容に限ってはメムでは無い。

 人工呼吸されてたらむしろとどめを刺されてたというか、今この世にいない筈。


 じゃあ、誰?

 どなたが助けてくれましたのん……?

 Who?

 Whoなの?

 誰が、眠り姫ならぬ眠りOZSNおじさんを乙女の口づけで生き返らせてくれたの?

 NSN眠っさん、気になって仕方ないですよ。


 だってさ、そんなん、意識してしまいますやん……。

 好きになっちゃいますやん……。

 ラヴ、はじまっちゃいますやん……。


 夢見る乙女のように頬を染めていると、鼻じらんだ様子のカリオテと目が合った。


「どうしたのです、サトウさん? 心ここにあらずといった様子ですが」

「い、いや……」


 小さく咳払い。


「なんか、あれだ。色々迷惑かけたな」

「いえ。あのまま裸で放置しておくわけにもいかないですし」


 言われてみると、今はきちんと服を着ている。

 ということはつまり、またしても、誰かが着せてくれたらしいね。

 優しいね。

 助かるね。

 でも、こりゃもう愚息どころか、尻の穴までご開帳してしまったくさいね。

 恥ずかしがる気すら起こらなくなるよ、もう。

 思い切って、老後のシモの世話まで、末永くお願いしたい勢い。


「ていうか、よくここまで俺を運んで来られたな」

「それはメムさんがやってくれました。あんな見た目なのに、ものすごく力持ちですよね。軽々と運んでいましたよ」


 まあ、力を増強するマジックアイテム持ってるしな。


「サトウさんを街まで運ぶ姿は、まるで浜に打ち上げられた巨大魚の死骸をかたす漁師のようでした」


 どういう状態だったんだよ、俺……。


「で、メムはどこに?」


 室内を見回すも、いるのは俺達二人だけだった。


「サトウさんをここに預けて、昨日のうちにティムルクの自宅へ帰られましたよ」

「あれ? そうなのか?」


 俺、置いていかれちゃったの?


「はい。最初は、サトウさんが目を覚ますまでメムさんもカリピュアに留まる予定だったのですが、予想以上に人目を引きはじめまして」

「人目?」

「ええ。メムさんのあの際立った風貌のせいか、はたまた小柄な体で大の大人を軽々運ぶ姿が良くなかったのか、街の人の注目を集めてしまったのです。顔を隠すお面も無くなってしまっていたこともあり、一足先に」


 むぅ……。


「それって、町の人達にメムがヴェポだって気付かれた様子だったのか?」

「どうでしょう。確信した人はいなかったのではと思います」


 俺の手の中から空になったマグカップを取り上げながら、カリオテが首を傾ける。


「ヴェポの人は、基本いつも一人でいるものですからね。私達が隣を一緒に歩いていただけでも、カモフラージュになったのではないでしょうか。ただ、随分じろじろ見られていましたから、素性を怪しまれていたのは間違いないと思います」

「まあ、昨日は特別目立つ格好してたしな、メム」


 あんなエロくの一みたいな服装の女の子が歩いてたら、俺もつい鼻の下伸ばして見ちゃうよ。


「格好もありますが、彼女の場合、顔ですよね」

「顔?」

「ええ。ほら、メムさんとネア様、とてもよく似ておられるじゃないですか。肌の色など、ヴェポとしての特徴を除けば二人は瓜二つです」

「まあな」


 実際には同一人物だからな。

 似てて当然。


「まだ事情を知らなかったハサーシャさんなんかは、驚いた様子で、双子なのかどうかメムさんに尋ねておられましたし」

「……いや、姉妹だからな?」


 二人が同じ人間だという事実は、メムを受け入れてくれたマリーやカリオテ達に対しても未だ秘密としていることである。

 さすがにこの事実が広まると、ネアの島での立ち位置が危うくなってしまうだろう。

 人の口に戸を立てられない以上、喧伝しない方が良いのは間違いない。


「ネア様はアルタ群島においてはなかなかの有名人であるそうです。そして、ネア様の所にヴェポの妹がいるということも知られているようです。メムさんの姿自体は、知っている人はほとんどいないようですが――……」

「顔を観察されたら、素性の推測はたやすい……か」


 そうなれば、何かと厄介なことになったかもしれないな。


「結局メムさんも、そうした空気を察したようで、割とすぐ引き上げて行ってしまいましたね。もしかするとですが、過去、人里で疎まれるような経験をしているのかもしれません」

「ふむ……」


 俺もその辺のことは聞きにくくて、ちゃんと尋ねたことないんだよな。

 メムには、リムさん以外に交流のある人とかいたりするんだろうか……?



   ◇



 宿代はカリオテへの貸しとなった。


 元々、俺の所持金はリムさんから与えられていた中学生の小遣いみたいな路銀が全てだったから、朝飯抜きの素泊まり料金の支払いですら厳しいものがあり、ぶっちゃけ懐をからにして尚、些かの足が出た。


 カリオテは、ベッド脇の卓上に積み上げられた俺の全財産たる魔導帝国貨幣の物悲しい姿を前にして、「そんな情けない顔をしないでください。今回は、私が足りない分をもってあげますから」と聖母のようなことを言い、俺は(えっ?)(どうしてそんなことを言ってくれるんだ?)(何か)(裏があるんじゃないのか?)(それともまさか)(こいつ)(俺のこと好きなの?)と、筒井康隆の七瀬三部作風に考えた後、「昨日は、サトウさんにもお世話になりましたしね」と続いた穏やかな台詞で我に返り、お言葉に甘えることにした。


 むしろ、危うく俺の方が好きになるところだったYO。


(色んな人への借りばっかり増えるなあ……)


 異世界といえど、袖すり合う多生の縁、人の助けなしでは一夜を過ごすこともままならねえのが現実でございます。

 ますます俺に与えられている筈のチートとは一体何なのか考えちゃうよ。ちっとも生活の助けになってない。

 スキルポイントがどんだけあったって、腹は膨れちゃくれねえですよ。


「サトウさん、今日はどうするのですか?」

「ん? そうだな……まあ、昨日あの後どうなったのか気になるし、ウスカさんのとこに顔を出すくらいはするけど、それが終わったらおとなしく家に帰るよ。一文無しじゃ昼メシも食えないからな。お前は?」

「私もウスカさんに会いに行くつもりでした。調査の進展を聞きたいので。一緒にマリーさんのお店まで行きましょう」


 と、今日の方針を二人話していたところで、来訪者があった。


「アベルさん。ちょっといいですか?」


 宿の主人らしきおっさんが背後に男性を従えて、部屋にやって来たのである。


「こちらの方、あなたに用があって会いに来たそうですよ」


 開いた扉の向こう、おっさんの後ろに控えていた大柄な人影が、室内に足を踏み入れる。


 背の高い、がっちりした体格の老人だった。

 ぼろぼろのマントと、その下に覗く、着古した旅装束。

 両手には、軽装には不釣り合いに立派な戦棍メイスと盾とを、だらりと下げていた。

 ちょいと物騒ね。


 髪は重ねたよわいに色素を吸い取られたように真っ白ではあったものの、未だふさふさ。

 綺麗に整えられた顎髭あごひげといい、この世界の老人には珍しいほどに清潔感があった。


 顔立ちは、あれだ。ショーンコネリーにめっちゃ似てる。

 クッソ渋いお爺ちゃんですわ。

 年齢的には、地球で今も畑を耕している筈の俺のグランパより上なんじゃね、って思えるけど、眼光は鋭いね。

 若い頃はかなりのイケメンだったんだろうな。


「我が名は、イニーシェ」


 ずい、と前に出るや、そう名乗った。


「エルムス・イニーシェ。タイデルより来た。そなたが冒険者アベルか?」


 俺のことをじっと見つめていた。


 眼力すごい。

 初対面にして、既に気圧されております。

 ていうか、アベルって誰?

 あ、カリオテが名乗ってる偽名か。


「いえ、アベルは私です」


 カリオテが小さく手を挙げた。


「なに? そなたがアベル?」驚いた様子。「だが、そなたはどう見ても……子供ではないか」


 カチンときたのか、カリオテの片眉が上がった。


「確かに私は未だ一人で身を立てたとは言えぬ若輩者ではありますが、見知らぬご老人に子供と言い捨てられるほどの歳ではありません。これでも歴とした鍛造騎士ですので」

「ふむ、鍛造期間……オリシュタインの者か。そうか。それは悪かったな。では、こちらは? そなたの相棒か?」


 改めて、俺の方を見やるイニーシェ爺さん。


「こちらは、サトウさん。冒険者ではなく……ええと……冒険者志願者……でしょうか」

「志願者?」


 何か言いたそうな目で、じろじろと見てくる。

 いきなり何なんスか。


「サトウとやら。見たところ戦場いくさばに生きる者という風でもないが、そなた、何故冒険者になろうと?」

「えっ」


 唐突な質問である。


 まあ、冒険者志願、というのは間違ってはいないけど、実際には借金を返す為にいいかなと思ってただけなんだよな。

 けど、言えないか。そんな事情は。


「まあ、なんというか……“自由”ですかね。自由への憧れです」


 それっぽいことを適当に言っておく。


「冒険者達の、何にも縛られない生き方に憧れて、と言ったところでしょうか」


 老人の表情が曇った。


「君、いい歳してそんなクス=アヴァーン人のようなことを言っていないで、きちんと働きたまえ」

「え」

「冒険者など、長くは続けられぬ仕事だ。若者が、志の半ばに身を置くのであれば、そういうこともあろうかと理解できるが、君はもう十分に分別をわきまえた年頃だろう。そのように、根無し草への憧れを軽々けいけいに口にするのは感心しないな」

「……」


 いきなり説教されていた。


「体の動く頃は良いが、いずれ必ず後悔する時が来る。悪いことは言わぬから、冒険者などやめておきなさい」


 異世界無職の表情も曇った。


 と、と、と、突然やって来て何なんだよこの爺さんわぁ……。

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