第15話

              十五


「あれから、どうなったんだい。あの死にたがり女は」

「ああ、高坂さん?」

「死んだのか?」

「勝手に殺すな」

 高坂さんは退学にも停学にもなっていない。男女のもつれ、という理由で先生方が察してくれたらしい。

あれは事故だ。

「聞いたところによれば、なーんか家族で教会に行ったんだってさ。日曜日の礼拝? みたいなのに」

 夜、八時。千寿の家のダイニングルームにて。オレと千寿は宿題をしたり、テレビを見ながら駄弁っていた。

「チッ。水たまりで溺れて死んだと思っていたのに」

 あれから高坂さんとは一度も顔を会わしていない。なんか罪悪感はやっぱりある。支援してあげたいとも思う。でも彼女がそれを拒んでいるのなら、決して無理じいすることは出来ない、のだろう。

「そーいえば、陣内先輩の方はどうなったんだよ。結果としてお前は先輩の獲物を横からかっさらったわけだろう。意地悪とかされてないだろうな?」

 自分で「獲物」と言うのもなんだが。

「そんなわけないでしょ。あの人はそこまで弱くないよ。最近は合コンに精を出している」

「マジか」

 イメージ合わねぇな。

「冗談だ。『やはり私にはこちらの方が合っている』と言って益々剣道に精を出しているよ。もうすぐお祭りで奉納演武するから張り切ってる」

「そっちの方が納得できるな」

「先輩、吹っ切れたみたいだよ」

「強いな、女は」

 オレはしみじみそう思った。

 千寿に告白してから三週間たった。二人の関係性があれから劇的に変化したかと問われれば、否と解答するほかない。なんとなーく駄弁って、お菓子食って、一緒に勉強して。全くと言っていいほど変わってなかった。

 キスとかハグもない。

 いざ、やろうとすると何か妙にこそばゆくなるのだ。

 今まで幼馴染として接してきたわけで、急に恋人の関係性に変われなんて、どだい無理な話だ。

 意識してしまう。子供の頃の面影を残した千寿にそういう行為をしようとすることに、背徳感すら感じてしまう。

「……ところで大根は今も嫌いか、湊?」

「ん? いきなりなんだよ」

「幼稚園生のとき、嫌いでお弁当に入ってた大根、ボクに押し付けただろ」

 良く覚えてるな。

「今は好きだよ。なんだろうな。味云々前に形がカッコイイっていうか」

「……そうか。じゃあ湊、今流行っている『おそ松さん』っていうアニメを知ってるか?」

「『お粗末さん』? 何それ、知らない」

 というか何故だろう、あまり興味がわかないな……。アニメは好きなのに。

「はぁ。君は人の悩みは解決したがる癖に、自分の悩みには無頓着だな」

「え?」

 ああ、下の方な。ようやく分かった。理解してからオレは眉をしかめた。


「……湊の悩み、今夜ボクが解決してあげる」


「ん、え? あ、ええええぇ!」

 ちょっと待てよ。それってつまり……。

「ガチで? 本当に。いきなり?」

 陣内先輩と言い千寿と言い性急過ぎやしないか。

 千寿はむすっとした不機嫌な顔――でも顔は真っ赤――で答える。

「今日は親、帰ってこない。……お風呂、お先入っていい」

「でもでも、まずいだろ。本当に――」

「ボクとそういうこと、したくないのか?」

 千寿が怖い顔してオレを睨みつける。

 オレは黙って、首を振った。



 りぃりぃりぃりぃ。

 ころころころ、ころころころ。

 千寿の部屋。女の子の部屋って感じがしない、本と竹刀がいっぱいある質素な部屋。

 そこに布団が一枚、敷いてある。生々しい。

「なあ、いくら夏だと言っても窓を開けながら……あれというのは、いさかか恥ずかしいんだけど千寿さん」

「ボクが虫好きなの知ってるだろ?」

より正確に言えば虫の鳴き声だ。千寿はコオロギの鳴き声が大好きなのだ。

「リラックスできる。初めてなんだからムードが欲しいんだ。良いでしょ、湊」

「悪くはないけど……」

お互い、お風呂にはいってサッパリした。開けた窓から夜風が吹き込んできて火照った体に気持ちいい。

「…………」

「…………」

お互いに押し黙る。超絶気まずい。

「じゃ、じゃあ……」

「うん、優しくね」

「お、おう」

ゴクリ。どきどきどき。

だが、しかし自分の下を考えてしまって、少しうなだれてしまった。いや、うなだれたのは頭だよ?

「あのさ……オレ、言っとくけど、本当小さいぞ。小学生のころから全く伸びてないし、正直、お前が失望するかもしれないっつーか、なんだこれって呆れちまうって言うか、マジ期待すんな――」

 千寿がオレの手を両手で包み込んだ。

「良いよ? 言わなくて。男は度量、だよ」

 優し気な顔。

「……それにボクにも、ある種トラウマがあるんだ」

 声を絞り出すようにして千寿が言う。

「あのさ……ボクが振られた理由、知っているか?」

オレは黙って首を振った。

昔、中二の時、付き合っていた千寿の元彼氏か。あまり知りたくないな。

すると千寿はおもむろに自分が来ていた長袖の薄い上着を脱いだ。その下は柔らかい生地の半そでTシャツ。緩やかな体のラインが見て取れた。

だけどオレが目を向けたのはそこじゃなかった。

千寿の肘窩、肘の内側。そこに赤いポツポツが散っていた。

「……肌が弱いんだ、ボクは。『肌が綺麗じゃない奴とは付き合えない』って振られてしまった」

千寿の顔は辛そうだった。千寿のそんな悩み、全然気づいていなかった。

「……そっか、だからいつも長袖着て、プールも休んでたのか」

 千寿がこくっ、と頷いた。

「うん。他の人に見られたくなかった。正直、あれから男の子に腕見せたのは湊が初めて」

光栄だな、それは。

「肌が綺麗じゃない女の子はダメ……なのかな? 湊……」

千寿が上目遣いで聞いてくる。

ちっくしょう。

「いつ……んな可愛……なっ……んだよ……」

「え?」

「問題ないよ、全然。男が度量なら女は器量だよ。顔が良い『器量』もあるけど、どっちかっていうと性格の『器量』だ。そして千寿はどっちの器量も良いよ」

「そっか……」

千寿のほおがちょっとニヤけた。

なんか千寿の顔が幼馴染の顔じゃなかった。初めて垣間見る、女の顔だった。

「ありがとう、湊」

千寿と、キスを、した。


りぃりぃりぃりぃ。

ころころころ、ころころころ。

二人を祝福するかのような虫の清らかな斉唱が二人を包み込んだ。


ワイングラスに白ワインは注がれた。

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マグナムボトルになりたいオレ 志田 新平 @shida-mutunokami-sinnpei

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