最終話 発破
「雷か…」
祁注連衝太郎が不敵な笑みを浮かべて、荒れ狂う空を見上げた。法無郎からの連絡を施設の向かいのビルに待機して待っていた。
衝太郎は発破技士の国家資格こそないが、スタントマン時代に培った火薬の仕込み技術は超一級だった。爆破スタントは最も危険なもののひとつだ。撮影の仕事をしていた頃、現場で顔馴染になった国家資格を持つ技士に頼んで熱心に手解きを受けていた。
爆破は発破技士の国家資格を必要とする。日本は建物が密集しているため、発破での解体が適する地域は限られる。そのため日本では現在、爆破による解体は殆ど行われなくなった。最後の発破解体は1992年5月22日、幽霊ホテルと呼ばれた琵琶湖の湖畔にある廃墟「木の岡レイクサイドビル」と云われている。
衝太郎の手元には巴山ビルを消すスイッチがある。このスイッチを押せば、あのビルは数分後には廃墟となる。視線の先では、施設入居者の偽装避難訓練が行われていた。
法無郎からのゴーサインが来た。衝太郎はスイッチを押した。鈍い爆振が滑らかに立ち始めた。介護施設は恵みの豪雨で空舞うはずの埃も建物に叩き付けられ、破砕するコンクリートの粉塵を洗い流しながら建物中央に滑らせ、巴山のビルをゆっくりと崩していった。
棟梁たちを乗せた楠本と小次郎のワゴン車が、向かいのビルの衝太郎を拾って走り去るのと入れ違いに、駆け付けて来た貴子と獅狼は、崩れゆく施設に茫然とした。
「お姉ちゃん!」
瓦礫化する施設に近付こうとする貴子を、獅狼が押さえているところに、法無郎の車が通り掛かって急停車した。助手席の窓が開いて桜子が叫んだ。
「松橋さん!」
「出先で姉が居なくなったんです! あの中に! あの中に姉が!」
「大丈夫よ、お姉さんは保護したから、早く乗って! ここから離れましょ!」
後部座席に乗ると華子が居た。
「お姉ちゃん!」
「あらあ!」
いつもの華子の外交辞令が返って来た。貴子は号泣して華子を抱きしめた。
「あらあじゃないわよ! 何で急にいなくなるの、お姉ちゃん!」
「あんたは泣き虫ね」
「良かったね、お義姉さん! 桜子さんたちに助けてもらって!」
「あらあ!」
獅狼にも外交辞令が返ってきた…と思ったが違った。
「吉哉じゃないの! どこに行ってたのよ?」
「…お姉ちゃん、獅狼だよ」
獅狼はおやっと思った。華子の焦点は自分ではない。明らかに獅狼を通り越した先にある。通り越した先と言っても、獅狼の先は車の外だ。華子にはそこに存在するはずもない吉哉が見えている。
「やっと迎えに来てくれたのね、吉哉! あ~良かった~…」
そう言って華子は微笑み、安堵の溜息を吐いて座席に体を預け、ゆっくりと目を閉じた。
「お姉ちゃん?」
貴子は姉の異変に気付いた。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
法無郎が車を急加速した。
「病院に向かいますから!」
貴子はICUで華子の蘇生を見守りながら心乱していると、亘の妻・百合が駆け付けて来た。
「貴子おばさん!」
「亘は一緒じゃないの?」
「・・・・・」
「亘は来ないの?」
「実は…亘さんは昨夜…」
「・・・?」
「お義母さんが認知症になった時、既に癌で余命を宣告されていたんです。昨夜、救急搬送されて…病院で…」
「・・・!」
そのまま百合は嗚咽した。貴子は言葉を失った。
「そうなんだよ、ボクのほうが一足早かったもんでね」
「亘くん!」
獅狼の隣にいつの間にか亘が立っていた。
「百合さんの話ってジョーク? 駄目だよ、こんな時に!」
「やはり、あれだね、獅狼。お母ちゃんの臨終の際には、息子のボクが駆け付けないと盛り上がらないよね」
「生きてる時にめったに親に顔を見せなかったのに、死に際に悲しみの押し売りをされても、私はそんなに嬉しくはないわ」
「お義姉さん!」
獅狼は目の前に華子が立っていることに何の疑問も持たなかった。その余裕がなかった。
「お義姉さんも亘くんも、こんな時に何を言ってるんだ。ほら、亘くん! お母さんのところに行って手を握ってあげなさいよ」
「獅狼…ボクに何か違和感を覚えない?」
「違和感? ここで立ち話してるほうが違和感だよ。早くお母さんのところに行きなよ」
「やあ、獅狼さん!」
「吉哉さん!」
吉哉がにこやかに近付いて来た。
「華子の施設にちょくちょく足を運んでくれてありがとう! 華子もやっと目が覚めてくれた」
「あの様子では目は覚めてないと思いますよ?」
「現実は夢なんだよ、獅狼さん」
「は?」
「ここに居る私らは現実でいう幽霊ってやつかな」
「幽霊?」
「亘は昨日、現実で死んで目が覚めた。華子も、もうすぐ現実で死んで目が覚める」
「吉哉さん、何を訳の分からないことを…って…何で吉哉さんがここで立ち話に加わってるんですか? 確かお亡くなりになってますよね」
「生前はありがとう、獅狼くん!」
「いえいえ、何のお役にも立てませんで…って言ってる場合ではないような気がしますよ」
獅狼は混乱した。獅狼は少し冷静になって改めて聞き返した。
「皆さんは…幽霊ですか? これって、また夢?」
「さあ、そろそろ華子の目が覚めるよ」
「え、助かるんですか!」
華子は静かに息を引き取った。貴子たちは医師に華子の臨終を伝えられた。
「お姉ちゃん!」
医師と看護師は貴子と百合に一礼して病室を出て行った。
「お姉ちゃん…幸せだったよね…幸せだったよね」
貴子は華子の頬に手を添えて嗚咽した。華子の悲しむ姿に獅狼も涙が溢れて来た。肩越しの華子が聞いて来た。
「どんな感じ?」
「どんなって、何がですか?」
「死に顔よ。割といけてない?」
「ああ、きれいです。お義姉さんは、さそり女優の梶芽衣子に似てるから」
「でしょ! ねえ、吉哉はどう思う?」
「おまえはどんな時だって、きれいだよ」
こんな時に死に顔の話で死人夫婦がいちゃついてることに獅狼はムッと来た。貴子は涙一杯で獅狼を振り向いた。獅狼は貴子になんと声を掛けていいか言葉が思い浮かばなかったが、絞り出す思いで声を掛けた。
「やあ!」
「やあ…って何?」
「貴子、オレの周りに何か見える?」
「何が?」
獅狼は華子たちの全体像辺りを両手で示した。
「この辺、どんな感じ?」
「何やってんのよ、獅狼。こんな時に訳の分からない事しないでよ」
「まあ、そうなるよね。当然だよ」
獅狼は大きな溜息を吐いた。
「貴子は怖がりだから、私たちを見たら気を失うわね」
「ボクはね、気を失うタイミングを逃しちゃってるんですよ。取り敢えずお義姉さんは早く戻ってよ」
「どこに?」
「どこにって、自分の体に決まってるでしょ」
「でも、どんどん鮮度が落ちちゃってるからね」
「野菜とかじゃないんですから、早く戻って!」
獅狼の “早く戻って ” という言葉に、貴子が反応した。
「帰るの?」
獅狼は仕方なく話を合わせた。
「そうそう、一旦、戻った方がいいんじゃないかと思って…」
「そうね…百合さん、じゃ私たち、一旦戻って着替えて来る」
「分かりました。じゃ、実家の方で」
「分かったわ…あなたも大変だけど、今は歯を食い縛って…しっかりね!」
「はい!」
獅狼は吉哉に聞いた。
「亘くんも亡くなったということは、華子さんと一緒の葬儀にしたほうがいいですかね」
「そうしてやってよ、獅狼さん」
「分かりました。ではその方向で準備を手伝います」
「手伝いますって、喪主は獅狼さん、やらないの?」
「私じゃないでしょ! 喪主はやはり百合さんがいいんじゃないでしょうか?」
「でも血の繋がりで言ったら貴子じゃない?」
「お義姉さん、貴子はこういうのは苦手なんで…」
「それもそうね」
「ですから、ここは順当に百合さんでお願いします」
「そうだね」
「じゃ…」
獅狼は言葉に詰まった。こういう場合の別れ方の言葉が出てこなかった。 “またね ” とか、 “また、あとでね ” と言うのは絶対おかしいと思った。吉哉が言ってくれた。
「獅狼さん、見守ってるからね。現実から目を覚ましたら、また一緒にみんなで楽しくやりましょう!」
獅狼は吉哉の生前と同じ優しさに涙が出て来た。空振りするだろうと思ったが、握った吉哉の手は生前の時のように温かかった。
みんなと別れて獅狼と貴子は病院前でタクシーを拾って駅に向かった。あの雷を伴った豪雨が嘘のように晴れ渡っていた。いつの間にか助手席に華子が座っている。
「お義姉さんは百合さんと一緒に帰ったほうがいいよね」
「何言ってんのよ、当たり前でしょ。百合さんは葬儀屋さんにもう一人追加の連絡してたでしょ」
「追加? …だよね。だからお義姉さんは百合さんのほうだよね」
「そうよ…どうかしたの、獅狼?」
獅狼は顎で必死に助手席の華子に病院に戻るように促した。
「顎がどうかしたの、獅狼? 変よ、さっきから」
「変だよね~凄い変だよ。あっちへ行けよ!」
「何よ!」
「ほら、痛いの痛いのあっちへ行け…みたいな?」
「顎が痛いの?」
「なんか寝違えたのかな」
「顎って寝違える?」
「冗談、冗談。早くあっち行けよ!」
「顎の痛さに文句を言っても仕方ないでしょ。それに、 “あっちへ行け ” じゃなくて “飛んで行け” でしょ」
「そうだよ! 飛べるはずだよ!」
「なに、飛べるはずって?」
獅狼は助手席の華子にお願いした。
「頼むから、飛んでって!」
華子は仕方なく車から浮かび出て、雨雲が去っていく青空を気持ちよさそうに病院の方へ飛んで行った。獅狼は車窓からその姿をずーっと眺めていた。
「死んだら自由でいいな」
「嫌なこと言わないでよ」
「死んだらどうなると思う?」
「死んだらお終い。あのね、お姉ちゃんが亡くなったばかりだから…亘だって、昨日…そんなこと考えたくないの!」
貴子は必死に悲しみを堪えていた。
「だよね。なんかオレ…死というイメージが混濁してきちゃっててさ」
獅狼はこれが夢か現かと思いつつ、最寄駅から電車に乗り換えて帰途に就いた。電車に揺られながら、獅狼はその車窓に、貴子と結ばれた四国の美しい海を見ていた。あの頃は老いるということなど考えもしないほど二人は若かった。貴子だって、劣等感を持つほど美人だった姉の華子に負けないくらいの魅力に輝いていた。名前のとおり、貴婦人の面影は今だって色褪せてはいない。
その時、貴子のお腹が鳴った。彼女の悲しみと食欲は相も変わらず別腹だ。貴子を見ると既に涙は引いていた。空腹との闘いが始まっているようだ。この分なら、貴子は中々目が覚めないだろうなと、獅狼は嬉しくなった。
「貴子をよろしくね」
優しいさそり姉さんの声がした。獅狼は強く頷いた。
〈 完 〉
サソリ姉さんは認知症 伊東へいざん @Heizan
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