第18話 川遊び
「会長、久しぶりだったな」
豪華なバスルームで巴山が車椅子に座らされていた。
「てめえの忖度で務所暮らしを謳歌させてもらった法無郎だ」
「・・・!」
巴山は口枷と拘束衣で一切の抵抗が出来ない状態だった。
「そのお礼に、あんたの古いお友だちを連れて来てやったぜ」
桜子が現れた。
「理事長室の書棚の奥が、こんな素敵なバスルームだなんて、安っぽいドラマみたいね…私が誰かお分かり?」
「・・・?」
「何年ぶりの再会かしらね…いや、私にとっては何年振りでもないわ。あなたの出所後からずーっとあなたを見守り続けて来たんだもの、いつ殺してやろうかとね」
「・・・・・」
「あの川べりで人を殺した巴山勲さん、いや、芝橋 勲くん! 覚えてるでしょ、あなたが殺した神村健太くんのことよ」
「・・・!」
「こちらの姐さんは、あの時のように、川遊びしたいそうだ」
「そうよ…あなたと川遊びしに来たのよ。今度はあなたが神村健太くんの役になるのよ」
「・・・!」
「私は神村健太くんの同級生の真田蘭丸…元・男よ」
桜子は自傷気味に微笑んだ。巴山の不摂生な巨体のもがきようは、網に掛かった招かれざる深海魚のようだった。
「じゃ、始めるわね」
法無郎がバスタブの蛇口ハンドルを捻ると、勢い水がバスタブを叩き付けた。
「あの日も豪雨だったわね、芝橋くん。あなたが自白した警察の調書どおりに、川べりで殺したやり方を再現させてもらうことにするよ」
「・・・!」
巴山は精一杯の抵抗でもがくうち、拘束された車椅子ごと横倒しになった。
「まあ! そんなに期待されると、こっちもやり甲斐があるわ!」
法無郎が車椅子の拘束から解くと、巴山は暴れ出した。
「自白調書によれば、神村健太くんを強引に川に投げ込んで、その度に這い上がって来る健太くんを殴る蹴るで川に戻した…となってるわね」
法無郎は暴れる拘束衣の巴山をおとなしくなるまで蹴り上げた。
「おとなしくしてよ、芝橋くん…じゃ、川に入れるね」
法無郎は巴山を乱暴に轢き摺り、浴槽の水に投げ入れた。俯せで息が出来ない巴山は、必死に暴れてやっと仰向けになった。水を飲んでしまったのか、息苦しそうに激しく咳き込んだ。構わず桜子は巴山の首を引き上げて囁いた。
「楽しいでしょ? でも健太くんのショーはこれからが本当に楽しくなるのよね。知ってるでしょ、あなたがやったんだから」
桜子は、助けを求める巴山に微笑みながら、ゆっくりと沈めた。浮かびあがろうとするその顔面を、法無郎は数発殴り、また俯せに返した。巴山はさらに暴れて仰向けになって咽ながら必死に息を吸った。
「芝橋くんってホントに楽しそう! あなたの自白調書によれば、健太くんの顎を持ち上げ、工業用カッターナイフで首を4箇所切ったそうね」
巴山の目が恐怖を剥き出しにした。法無郎がカッターナイフを出すと、巴山は必死に助けを求めて呻いた。
「おお、最高じゃねえか、会長! あんたの演技力も大したもんだ。すっかり神村健太くんに成り切ってるな」
そう言いながら法無郎は巴山の髪を鷲掴みにして、頸部の動脈を避けた四ヶ所に傷を負わせた。全身死の恐怖に悶える巴山の目は、既にあの世を見ていた。浴槽に血が解け、ピンクに広がっていった。
「えーと、何かが足りないわね。芝橋くん、何か足りなくない? そう、確か健太くんは真冬でさぞ寒かったはずだわ」
法無郎は浴槽に大量の氷を入れた。巴山は次第に小刻みに震え出した。
「傷だって沁みたろうしね」
そう言って桜子は料理でもするように、食塩を袋ごと芝橋の傷口に振り掛けた。芝橋は激痛に溺れ、何度ももんどりうった。
「そうそう、掻き混ぜてね。協力的だね。そんなに嬉しいの? じゃ、もう少しだけサービス!」
桜子は茶目っ気たっぷりに芝橋の首に袋の塩全てをドサッと掛けた。暴れる芝橋に、桜子はさらに優しく言葉を掛けた。
「神村くんもこんな感じだったの? え? 芝橋くん? 教えてよ、ずるいなーあなただけ楽しんで」
華子は施設に到着して、一人で三階の介護棟にロビーに向かった。そして、何気ない顔でいつもの窓際の椅子に座った。少しすると早乙女が華子に気付いて近付いて来た。
「あら華子さん、いつ戻ったの? びしょ濡れじゃないの? 妹さんはもう帰ったの?」
「・・・・・」
「可哀そうにね。じゃ、これからお風呂場で御着換えしましょうか」
早乙女はロビーに備え付けの車椅子を押してきた。
「華子さん…さあ、これに座りなさい」
その場から動かない華子に、早乙女の顔はきつくなった。
「ここに座るのよ」
華子は従った。早乙女の押す車椅子は “いつもの ” 居住者用の浴室に向かった。早乙女に狂気のスイッチが入った。
「お母さん…綺麗な心になりましょうね」
浴室の戸を開けると、真っ暗な室内で鈴の音がした。不審に思いながら早乙女は室内灯のスイッチを入れて驚いた。ジュリアン・鈴子が立っている。その脇には棟梁(多々良貞八)、メアリーおばさん(斎藤タツ)、車椅子の隊長(自念勘蔵)、そして小川八重が揃っていた。
「…私たちの世界にようこそ」
「私たちの世界?」
早乙女にとっては記憶が飛んだのかと思う事態が起こっていた。隊長が目の前に居てギリッギリッと首を絞めている。八重とメアリーおばさんが物凄い力で両足を押さえているので身動きが取れない、棟梁が後ろから両手で千切れんばかりに髪を掴んでいた。華子が車椅子で囁いた。
「早乙女さん…さようなら」
「・・・!」
車椅子のグリップを強く握った早乙女の手が小刻みに震え、それが止まった。早乙女の口が大きく開き、涎が垂れ、白目を剥いて果てていた。
芝橋は瀕死の視線になっていた。
「自白調書によれば、健太くんが虫の息で僅かに動いているところを、仲の良かった友達に暴行させたそうね」
法無郎は巴山の手をバスタブの縁に乗せて、拳でその指を思い切り潰した。
「自白調書によれば、健太くんを多量の出血でショック死させてから、健太くんのスマホで友達申請して、生きてるように偽装工作したそうね」
桜子は巴山のスマホを取り出し、女医の門脇ちひろを呼び出すメールを送った。
湯気の立ち込める居住用バスタブの熱湯に、白目を剥いた早乙女が浮いていた。その前に無表情の華子が立った。
「私はあなたのお母さんじゃないわ。これで、あなたもお母さんのところに行けるでしょ」
そこに楠本と小次郎が現れた。
「この人たちをお願いします!」
そう言い残して華子は勢い車椅子を走らせ、エレベーターに消えた。
「兎に角、この人たちを!」
「そうね!」
楠本と小次郎は仕方なく棟梁たちを連れて、もう一基のエレベーターに乗った。
女医の門脇はノックして理事長室に入った。理事長席に巴山が居ないのを見て、慣れたしぐさで白衣を脱ぎ、ヘアバンドを外して、書棚の奥のバスルームに入って行った。その門脇を桜子と法無狼が出迎えた。
「あなたたちは!」
「お友だちがお見えだわ、巴山理事長」
「ここで何をしているの!」
「あなたは何をするつもりでここに来たのかしら、門脇先生?」
「理事長はどこです!」
「バスタブでかくれんぼして待ってるみたいよ。私たちに遠慮することはないわよ。いつものように一緒に入ってあげたら?」
門脇はバスタブから溢れ出す真っ赤な液体に戦いた。
「・・・!」
門脇が逃げようとして胤を返すと、バスルームの入口に華子が立っていた。門脇がとっさに華子に対して悲鳴のように罵った。
「あなた、どうしてここにいるの!」
華子は無言で門脇を睨みつけて寄って来た。退けようと飛び掛かってきた門脇の喉に華子の出した手がヒットして食い込んだ。ウッとなったまま門脇は、バスタブまで一直線に押され、巴山の沈んでいる血の浴槽に叩き付けられた。
法無郎は、浴槽から出ようと暴れ出した門脇を容赦なく蹴り落とし、髪を鷲掴みにして巴山の股間に何度も顔面を叩き付けた。
「ほら、いつものようにおまえの飼い主にご奉仕をしろよ!」
顔面が血塗れになってフラフラになった門脇の腕を取り、その手にカッターナイフを持たせた。
「助かりたいならこの男をメッタ刺しにしろ。やらないならお前はここで溺死する」
門脇は迷わなかった。歯をガクガクさせながら巴山をメッタ刺しにした。カッターナイフの刃が折れても気付かずに狂ったように反芻していた。巴山は浴槽に沈んで口を開けた醜い顔のまま、既に動かなくなっていた。門脇も精根尽き果て、血のバスタブの中で放心状態となった。
「吉哉さんの奥様の華子さんね。私、吉哉さんの中学時代の同級生の真田蘭丸です。今は白鳥桜子として生きています」
「夫から伺っていました。お会いできて良かった…嬉しいです。夫の代わりにあなたとの約束を果たさなければと…もっと早くお目に掛かりたかった…」
「奥様は吉哉さんとのお約束を果たしに来られたんですね。これで約束はちゃんと果たしましたよ」
桜子の言葉を聞いて、華子の表情が変わり、視線が空を彷徨った。頽れそうになる華子の体を桜子は素早く支えた。
「華子さん、行きますよ!」
法無郎は桜子に変わって華子を抱き抱え、バスルームを出ると、桜子は隠し扉をロックして後に続いた。
〈最終話「発破」につづく〉
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