第17話 怨

 華子は起きて廊下に出た。吉哉を探して歩いていたはずだったが、歩いているうちにいつものように目的を失った目になっていた。


「華子さん、おはようございます! 今日は早起きですね!」


 華子のもうひとりの担当介護士の橘冴子が元気に声を掛けて来た。


「あらあ!」


 華子はいつものように相手の顔を見て答えた。華子の精一杯の “あなたを知ってるよ ”という体裁だった。この施設に来てから、毎日知らない人に声を掛けられて会得した華子なりの受け答え方だった。そう答えると、施設の人であれば自分から名乗り、面会に来た身内は “私が誰だか分かる? ”と、聞き返して来る。そうしたら華子は “なんか会った事があるような気がする ”と、精一杯の思い遣りで答えた。今、声を掛けて来た知らない人は、自分から名乗った。


「介護士の橘冴子ちゃんですよ!」


 と、答えて来た。そして、ここの施設の人なんだなと華子に分かった。ここの施設には、誰かに無理矢理連れて来られたという意識だけは根強く残っていたが、ここから抜け出すことは絶対に出来そうにないというあきらめが、今置かれている現実から華子を遠ざけた。その上で、とにかく吉哉の居る家に帰る出口を探すのが日課だ。帰り道が分からないなんて恥ずかしくて誰にも言えない。歩いて歩いて歩くしかなかった。歩いていると、鍵の掛かっている出口を必死に潜り抜けようと体をくねらしているお婆ちゃんを見て、前にも見掛けたような気がした。華子はその鈴の鳴るお婆ちゃんの横を通り過ぎながら、確かここからは出れないはずだと思った。

 サッシ戸の外に知らない男が、怪しげに立ってまたこちらを覗いていた。最初は誰かに教えなければと思って、会う人会う人に訴えたが、誰もが見えないよと白ばっくれた。そのうち、見えても言うのをやめた。


「吉哉に会いたい」


 何かの拍子に頻繁にその言葉が頭を掠める。その度に吉哉を探して歩く。そして介護士に声を掛けられたり、鍵の掛かっている戸を潜り抜けようとする脱出ばあちゃん二代目の軟体リンちゃんを横目に通り過ぎたり、サッシ戸の外の不審な男を見掛けたりする繰り返しが始まる。そうした一連の記憶は、車窓のように消えていく毎日だったが、華子にとっては、全てその時初めて見る風景だった。


 廊下を歩いていると知っている人が近付いて来た。華子の “知っている人 ”だ。


「あらあ!」


 いつもの単なる “あらあ! ” かと思ったが、今日は違った。そのあとにもう一言あった。


「獅狼!」


 貴子はびっくりした。今まで面会に来ても、自分たちのことはよく解っていなかった。


「お姉ちゃん、獅狼のことが分かるの!」

「当たり前でしょ」

「じゃ、わたしは? 私が誰かも分かるでしょ!」

「なんか会った事があるような気がする」


 貴子はがっかりした。獅狼はどことなく気まずくなった。貴子にとって実の妹の存在は、夫の吉哉より歴史も長く近いはずである。しかし、貴子らの亡くなった母・寿江も、面会に来た自分の息子には無関心でも、獅狼のことは最後までしっかり認知して嬉しそうにしていた。


「お義姉さんの妹の貴子だよ。オレはその夫の獅狼」

「変わってないね」


 変わってないはずだ。ひと月ほど前に面会に来ていた。しかし、華子の言う “変わってないね ” の意味が違うことは貴子にも獅狼にも分かっている。華子の会話に出て来る貴子と獅狼は、華子が認知症になる前の二人の記憶だ。その記憶も点滅している。


 三人はロビーのいつものコーナーに座り、とりとめのない話をしていたが、同時に獅狼は昨夜見てしまった嫌な夢のことを思い出していた。


「どっか痛いとことかない?」


 そう言って何気なく華子の腕を摩って確認してみた。華子の表情は特に変化がなかったが、獅狼にはどうしてあんな夢を見たのか違和感が消えなかった。


「痛いところがあったら必ず教えてね」


 華子は笑っているだけだったが、獅狼は何かが伝わればいいと思った。


「昨日の夜勤の人とか覚えてる?」

「そういうのはあまり分からない」

「そうだよね…でも、何か困った事とかあったら教えてね」

「特にないよ」

「そう」

「・・・・・」

「もうすぐ、夕食だね」

「どうなんだろう」

「・・・・・」

「私も一緒に帰ろうかな」


 貴子は驚いた。華子が初めて “一緒に帰りたい ” 意思を表した。息子の亘が面会に来ると必ず言う言葉だったが、貴子たちには今までそんなことは一度も言わなかった。亘は面会の度にそのことでごねられるので閉口するとぼやいていた。亘の足が施設から遠のくのは、自分が会うことで帰巣本能を刺激して華子の感情が不安定になるからだ。華子は亘に言っても希望が叶えられないという記録が脳にインプットされたのだろうか? 今回、自分たちに言うということは、願いが通じない亘以外の人へのSOSなのかもしれないと二人は思った。そして、この日の面会で施設に対する獅狼の違和感が更に強くなった。


「帰りたいの、お姉ちゃん? でも、亘がまだお家を片付けている途中だよ」

「・・・・・」


 “お家を片付け中だから帰れない ” というのは、華子が一緒に帰ると言った時のための言い訳にという亘の助言だった。


「お姉ちゃんがひとりだと身の回りのことが難しいから危ないでしょ」

「自分のことぐらいちゃんとできるわよ」


 姉の押しに貴子は言葉が詰まった。今までの口数の少ない華子とは何となく違った。恐らく、亘との会話の攻防で繰り返された言葉だろうと獅狼は思った。

 獅狼は義姉が施設に入った報せを受けてから、認知症について少しづつ学習していた。それがどれだけ役に立つかは分からないが、この際 “ 実践 ” で試してみようと思った。


「お義姉さん…よく忘れたりすることある?」

「・・・・・」

「あなたの弟の清のことは分かる?」

「分かるよ」


 獅狼は、華子の言葉が本当かどうかは確信を持てなかったが、それは良しとして話を続けた。


「あなたのお母さんがまだ元気だったころね。あなたの弟の清のお嫁さんと大喧嘩したの知ってる?」

「知らない」


 認知症に関係なく、華子は知らないはずである。華子には初めて話す事柄だ。清夫婦と同居する寿江が、深夜にガスの火を消し忘れて寝てしまった後、トイレに起きた清の妻・朋子が気付いた。寿江は、自分ではないと言い張ったが、子供たちは皆独立して家を出ているし、その夜は夫の清がまだ帰宅していなかった。家に居たのは嫁の朋子と二人だけである。その後も深夜のガスの消し忘れは続いた。世間話ではよく聞いていたが、自分たちの親戚で起こったことで、貴子も獅狼も危機感を覚えた一件だった。ディサービスが増えていた寿江は、その後間もなく施設に入居することになった。


「火事になるところだったんだよ」

「そうだったの…お婆ちゃん、気が強いからね。謝りたくなかったのね」


 寿江に関しては、華子に記憶が残っていた。


「お姉ちゃんは大丈夫だと思うけど…でも万が一ってこともあるでしょ」

「…そうね」

「ずっとお姉ちゃんに付いててあげる人がいればいいんだけどね」

「みんな忙しいからね」


 華子の表情に囁かにあきらめの色が浮かんだ。本当はひとりで自分の身の回りのことができないというのは、華子自身にも自覚があるのかもしれない。

 貴子は華子との会話が悲しかった。この施設は危険ではないのかと自問すれば否である。寧ろ危険なのはこの施設のほうだ。まさか、この施設で華子が虐待に遭っていようとは考えも及ばない。貴子たちがその事に気付くにはハードルが高過ぎた。


「お義姉さん、爪が伸びてるね。貴子、爪切り持ってるでしょ」

「持ってるよ」

「お姉ちゃんの爪切ってあげれば?」


 獅狼は華子の腕を摩った時、爪の先がざらざらしてるのに気付いていた。貴子に爪を切らせて、元気なうちの華子との思い出をひとつでも作らせたかった。


「獅狼のほうが切るのうまいのに…」

「オレの手は大きいから、そんな小さい爪切りなんて使えないよ」


 貴子は姉の爪を切り始めた。初めのうちは黙って爪を切らせていた華子が、盛んに質問し始めた。


「ここまで来るのに、あんたんちからどれぐらい掛かる?」

「2時間くらいかな?」

「そう…遠いね」


 しばらくすると、また同じ質問を繰り返した。爪切りが居心地悪いのかもしれないし、貴子たちが帰るのを察知しているのかもしれない。しかし、引っ掻いたりするといけないので、貴子は忍耐強く一本一本丁寧に爪を切ってヤスリを掛けた。そして仕上げに手荒れのクリームを刷り込んで、無事 “作業 ”を終えた。


「なんか、指が細くなったみたい!」


 華子は精一杯の感謝の言葉を口にした。施設への疑惑が晴れるわけでもなく、もやもやしたまま夕食の時間になったので貴子たちは帰ることにした。その時、華子がまた初めての言葉を口にした。


「また来てね!」


 二人にとっては意外な言葉だった。いや、無理もない。やはり、華子は緊急の危機感を覚えてSOSを発している。言葉とは裏腹に、華子は今まで見せなかった切ない表情で、貴子と獅狼を見送っていたからだ。


 案の定、その夜、獅狼は華子の夢を見た。


 暗い廊下の奥で鈴の音がした。音に誘われて歩いていくと、女の人が立っていた。身に着けた彼女の鈴が鳴っていたのだ。獅狼は会釈して華子の部屋に向かおうとすると、鈴の女性が呼び止めた。


「華子さんは部屋には居ません。華子さんは別のところです」

「あなたは?」


 女は答えずにスーッと廊下に消えていった。獅狼はその女性を追ったが途中で見失ってしまった。あきらめて華子の部屋に戻ろうとすると、又、あの鈴の音が聞こえて来た。獅狼は音のする方に急いだ。すると鈴の音はバスルームの前で鳴り止んだ。バスルームにはライトが点いていないので誰もいないだろうと思いながらも、獅狼はそっとドアを開けた。暗がりで何かが動いた。スイッチを手探りで辿って押すと、女が蹲っていた。


「どうしました?」

「お願い! もうやめてお母さん!」


 いきなりシャワーが出て女を直撃した。女は悲鳴を上げた。


「お願い、お母さん! もうやめてお母さん!」

「看護師の早乙女さんじゃないですか!」

「わたしを見ないで!」

「すぐにシャワーを止めますから!」

「余計なことはするな!」


 早乙女が豹変した。


「淫売ババアが悪いんだ! やめて、やめて! お願いだからやめて頂戴!」


 そう言いながら、早乙女の顔が華子に変わっていった。


「お義姉さん!」

「帰りたい、帰りたいよ! 家に帰りたいよ!」


 獅狼が華子を助け出そうとすると、華子は見る見る早乙女になり、獅狼に突進して来た。早乙女の体当たりで、獅狼は廊下に弾き飛ばされた。浴室のドアが閉まって室内灯が消えた。鈴の音の女がドアの上の欄間の隙間から体をくねらせて中に入ろうとするが、狭過ぎて入れそうもなかった。


「お義姉さん! お義姉さん!」


 すると中でけたたましい早乙女の笑い声がした。


「早乙女さん、開けてください! 早乙女さん!」

「ここはおまえたちの来るところじゃない! おとなしく帰れ!」


 獅狼は寝床から跳ね起きた。既に貴子も隣で起きて座っていた。


「見た?」

「お義姉さんが…看護師に虐待を…」

「私も…」

「また同時に同じ夢を見たのか…」

「偶然なのかな…じゃないわよね」

「お義姉さんが見せてるとしか…思えなくなってきた」


 その日の午後、獅狼は貴子と共に『任侠ゆたかな家政婦紹介所』を訪ねていた。


「その後、徳子さんと節子さんは如何ですか?」

「あれから人間ドッグで精密検査を受けさせましてね。特に異常はありませんで、ほっとしました。今は下のジムで毎日リハビリをさせています。かなり元気になりました」

「そうですか! …やはり専門のトレーナーに一所懸命やっていただかなければ、どんどん機能が落ちていくしかないんでしょうね」

「施設には専門の機能訓練指導員を一名配置する決まりでしょうが、今まで面会に行って一度もリハビリをしているところなんか見たことありません。真剣に機能回復に向けたリハビリが施されている施設は皆無なんじゃないでしょうか? 単なる歩行の補助がリハビリだと思っている介護士が殆どでしょう。職場に慣れれば余計それが当たり前のようになるでしょうから、あの施設も機能訓練指導員なんて常駐させているとは思えませんね」


 貴子と獅狼は思わず溜息を吐いた。楠本がお茶を運んで来た。


祁注連けじめくん、松橋さんたちが不安になるでしょ」

「あ、すみません!」

「その程度ならいいんですけど…」

「良くないですよ!」

「法無郎さんまで…よしなさいよ」

「あ…どうも…」

「今日、お見えになったのは?」

「姉が施設で虐待を受けているのではないかと…」


 楠本はデスクに戻らず、そのまま同席した。


「また夢を見ましたね」

「・・・!」


 貴子たちは楠本の言葉に驚いた。


「実は徳子社長も節子さんも、華子さんの夢を見ているようなんです」

「え!」

「夜中に魘されて起きるんです…華子さん、華子さんと呟くんですよ」

「…そうでしたか」

「松橋さんはどんな夢なんですか?」

「義姉の…」


 獅狼は夢での経過を話した。


「そうでしたか…」

「夫婦とも同じ夢を見るなんて…おかしいですよね」

「松橋さんたちの夢の話は信じます」


 法無郎がもっと驚く話を切り出した。


「実は施設の入居者のご家族からの依頼がありましてね。入居者の体の不自然な部位の何ヶ所かに紫斑が見られたので病院で診ていただいたんですよ」


 夢で見た華子の体にも何ヶ所かに紫斑があった。簡単に人目に触れる腕や脛にはなかったのを思い出した。


「医師の所見は、人為的なものの可能性があるということでした。その場合、警察への通報義務があるわけなんですが、どこで人為的な危害を加えられたかの証明が結構面倒なんですよ。そこで、あの施設での入居者死亡記録を入手して調べてみましたら、数日前の面会で元気だった入居者の死亡が複数確認されたんです」

「依頼者の件は警察には通報なさったんですか?」

「立件のカードにはなりますが、大方は介護士の不注意ということで示談になりそうなんです」

「そうですか…それだと、入居者全体のためにはならないですね」

「そう、施設側の運営が改善される期待はできません」

「私らも、徳子さんや節子さんのように引き取れればいいんですけど、現状ではむずかしいことなので…かといって、甥の亘だって引き取れる状況ではありませんし…どうしたらいいのか困っています」

「依頼者さんたちも同じような事情です。経営者が代わって正しい運営がなされなければ、どうにもなりません。取り敢えず、あの施設の悪行の証拠を掴みました」


 貴子たちにとっては最悪の情報だった。


「しかし、根本から解決するには警察じゃ時間が掛かり過ぎるし、解決の補償もありません。それに、どう転んでもこちらが望む、経営者が替わるだけの罪にはならないと思います」

「根が深いんです。かつては公共事業が経済を支えていたんですが、今は何処も福祉が産業の中心なんです。許認可権限を巡って力関係が複雑に絡み合い、社福に金蝿が群がってどんどん蛆が湧いているんです」

「私どもは “ 目には目を ” の結論に至りました。警察を頼る気はありません」


 意外な結論に、貴子たちは絶句した。


「どうでしょう、松橋さん。目を瞑ってもらえませんか?」

「え? …施設にですか?」

「いえ、そうではなく、私どもにです」

「・・・・・」

「私どものやり方に目を瞑ってほしいのです」

「仰ってる意味が…よく解りません…すみません」

「当然です。詳しいことを何も話してませんから…話せば松橋さんにも責任が及ぶかもしれないので、お話ししないほうがいいと…できないんです」

「私どもはどうすればいいんでしょうか?」

「お姉さんを…一日でいいので施設の外へ避難させてもらえませんか?」

「一日? 避難?」

「そうです。一日だけ避難です」

「一日ぐらいなら外泊届で何とかなると思いますが…いつですか?」

「…決まったらご連絡します。連絡は多分、前日の夜になるかと…それでもいいですか?」


 法無郎が “外泊 ” ではなく “避難 ”と言い切るにはそれなりの訳があるのだろうと獅狼は思った。


「わかりました。それと…全てに目を瞑ります」


 法無郎たちは無言で松橋に深々と頭を下げた。


「ひとつだけ教えて欲しいんですが…私には皆さんの反撃の根拠がどうしても希薄にしか思えないんです」


 法無郎たちはしばらく沈黙した。獅狼は聞いてはいけないことを聞いてしまったようで後悔した。


「申し訳ありません。今の質問は忘れてください」


 獅狼は帰ろうと思い、立ち上がった。


「松橋さん、お待ちください」


 桜子が奥のデスクから初めて口を挟んだ。


「このお話は、貴子さんのお姉さんのご主人とも所縁のあるお話なので、やはりお話ししておいたほうがいいように思います」


 桜子は席に来て座った。獅狼と貴子も座り直した。


「吉哉さんと私は中学一年の時、約束したことがあるんです」


 桜子は中学時代に起こった事件の話をした。


 かつて通学途中の川崎の川べりで、中学生による凄惨なリンチ殺人事件が起こった。犠牲となったのは中学一年生だった神村健太という転校生。加害者の主犯は同校三年の芝橋勲。得意のバレー-ボールで一躍人気者になった神村健太への嫉妬が暴発した結果だった。

 当初、芝橋は神村を配下にしようと不良仲間に誘った。神村は芝橋のしつこい誘いにも応じなかったため、いじめが始まった。芝橋自身、両親からのDVに苦しんでいたが、その捌け口が同級生の神村へのいじめへとエスカレートしていった。


 豪雨の夜、芝橋は神村のバレーボール部の先輩を脅し、川べりに呼び付けさせた。仲間三人と神村に殴る蹴るのダメージを与え、全裸にして川に投げ入れた。泳いで何度も岸に戻る神村を、結束バンドで拘束し、更に暴行を加えたが満足せず、工業用カッターナイフで顔や首などを切る・刺すの行動に出た。神村は動かなくなった。午前2時を回っていた。河川敷にある公園のトイレで芝橋は配下に命じて、神村の衣服や靴などを燃やさせて証拠隠滅を図った。


 早朝の散歩で通行人が神村の凄惨な死体を発見した。


「その時の凄惨な犠牲者になった同級生は、吉哉さんと私にとって同級生であり、親友だったんです。加害者の主犯は、同じ中学の芝橋勲という三年生でした。神村くんの葬儀の帰りに、吉哉さんと一緒に殺害現場となった川べりに行きました。そこで私たちは復讐を誓い合ったんです」


 中学一年生の吉哉と蘭丸は、川べりの事件現場に花を手向けていた。


「オレ、一生を掛けても健太の復讐をする」


 蘭丸は吉哉の言葉に強く頷いた。


「私は吉哉さんと別の人生を歩んでいましたが、社会に出てからも芝橋の足跡は追い続けていました。芝橋は少年院を出てから、苗字を変えて何食わぬ顔で社会復帰していました。現在の名前は、巴山勲です」

「巴山勲!」

「そうです。あの巴山勲です。私たちが良く知っているあの介護施設の理事長です」


 法無郎が言葉を挟んだ。


「あの男に医療の志などあるわけがない。金儲けに繋がるならどんなあくどい事だってやるクズ野郎です。認知症患者が金になると読んだ巴山にとって、社福を隠れ蓑に絶好の偽善の皮を被れる事業でもあったんだ」


 法無郎は過去を話し始めた。


「私事で申し訳ないですが…自分のボクサー生命を躓かせたのも巴山勲です。務所ではあの野郎を殺ることだけ考えていました」


 刑務所を出た法無郎が古巣のボクシングジムを訪ねると、元の経営者の金森がジムの掃除をしていた。


「金森さん」

「おう! 出たのか、法無郎!」

「はい」

「・・・・・」


 金森の顔はすぐに曇った。足に障害を受けたのか、引き摺りながら床の掃除を再開した。


「このざまだよ」

「・・・・・」

「このジムはもう、オレのジムじゃない。雇われの身だ」

「誰の経営に?」

「おまえを潰した巴山が今のオーナーだ」

「・・・!」

「オレを軽蔑したか?」

「…いえ」

「軽蔑しろ、法無郎…こんなざまにされてもオレはやつらに跪いて飯を食わしてもらってるんだ。最低のヤロウだ!」

「金森さん…」


 法無郎は再起を絶たれて落胆した。納得がいかない法無郎は巴山を殺る決心をした。その日以降、法無郎は巴山を徹底的に調べ上げて、ついに金太りした巴山の正体を突き止めた。巴山の至福のからくりは「社福」だった。社福とは社会福祉法人のことだ。地域貢献を謳える老人ホームは、行政の監視が温く、幽霊会社のファミリー企業を社福の穴に巧みに絡ませて、水増し請求で利益を貪る絶好の鴨だった。


 法無郎は巴山を知れば知るほど殺意が募った。当初はジムを見張り、巴山が現れるのを待ったが、一向に現れなかった。巴山を調べるうち、半年ほど経ってやっと今のビルを突き止めた。老夫婦が所有するビルだったが、巧みに取り入り、半ば乗っ取る形で自分の所有にしていた。法無郎はこのビルを張った初日に巴山の姿を捉えた。巴山を襲撃する準備を整えた法無郎は、ビルの入口で待った。

 ついに巴山が現れた。襲撃しようと一歩踏み出した目前に、小次郎と衝太郎が現れた。


「てめえら、巴山の用心棒か!」


 一触即発のところに楠本が現れた。


「どうしたの?」

「オレが巴山の用心棒に見えるらしい」

「人相悪いから見えなくもないけど…真逆よ。私たちは言わば巴山理事長の敵かな」

「敵?」

「今日はこの巴山ビルに入っている施設の関連企業を訴える人たちの代理で来たの。襲うのは別の日にしたら?」

「誰だ、おまえら」

「弁護士の楠本吟子です。お見掛けしたところ、何やらご事情があるようで…宜しければ私どもと一緒に来ませんか?」


 法無郎が『任侠ゆたかな家政婦紹介所』の一員になる出会いだった。楠本が懐かしそうに呟いた。


「いい出会いだったわね」


 貴子と獅狼にとって、自分たちの容量を越える事態だった。帰り道、もうすぐとんでもない何かが起ころうとしていることは分かった。とにかく、華子をこのまま施設に置いておくことは出来ないということだけは間違いなかった。しかし、不思議と胸騒ぎはしなかった。寧ろ、安堵の気持ちが強かった。しかし、華子のことをどうするか、亘に話さなければならない。そのほうが気が重かった。


 獅狼は貴子の母の介護施設での死にも疑問を抱いていた。不審死ということではない。貴子の母は翌朝の定時巡回で異常が発見され、病院から医師が来て死亡が確認された。このケースは正に「医療と介護は別もの」という現実であり、介護施設の限界を物語っている。家族も介護施設もその機能が弱体化している中で、患者は施設に居ながら難民化している。

 自宅での最期を望んでいる高齢者は7割を越えるといわれる。しかし、自宅で死を迎えられる人は1割。倒れたら殆どの人は119番頼みだ。「病院に行けば安心」という自己放棄的な迷信のせいで、家で死を看取る家族も殆どいなくなった。

ターミナルケア体制が機能しないのは、看取りは病院でという慣例があるためだ。「多職種協働」という医療と介護の一体化を謳っている建前と、「医療と介護は別もの」という現場の根強い現実がある。巴山のような営利目的で医療への志などない参入業者は、儲からなければ入所者を放ってすぐに撤退するだろう。


「オレたちが引き取るしかないのかな」

「認知症の介護は美談では治まらないのよ。私たちは誰から順番に死ぬの?」

「・・・・・」

「お姉ちゃんが一番先なら、最小限度のダメージで済む。でも私が先だったら? 獅狼は他人のお姉ちゃんを看続けなければならないし、獅狼が先だったら…」


 貴子の言葉はそこで止まった。華子を引き取った先にはどこにも明るい幸せは見えず、何かの罰を受けた修行僧のような日々の予測が、二人に重く圧し掛かって来るだけだった。


「私は獅狼との生活を守りたい。卑怯者でもいい」

「貴子は卑怯者じゃないよ。オレたちは、お義姉さんのことに目を瞑っても、自分たちの生活を守る権利はある。引き取っても、今の介護施設より良い待遇が出来るかといったら、まず無理だ。でも、目の前の危険だけはどうにかしないといけない」

「私は一時的にということで引き取ったら、そのままになってしまうのが怖いの。亘が考えることなの。私たちが手を差し伸べるのは、亘が助けを求めた時でいいんじゃない? その時に私たちに出来るかどうかなんて分からないけど…」


 貴子は黙り込んでいる獅狼を見て話を止めた。


「どうしたの? 私、間違ってる?」

「いや、法無郎さんの言葉を思い出していたんだ。一日だけ避難って…その日、介護施設で何が起こるんだろう?」

「そうよね」

「取り敢えず、外泊許可を取っておいたほうがいいのかなと思って」

「でも、今まで散歩許可しか取ってないのに、急に外泊許可で “その日” を指定したら、変に思われないかしら」

「そうなんだよね」

「もし私たちが『任侠ゆたかな家政婦紹介所』と交流があるのを施設側が知ってたら、計画に迷惑が掛かるかもしれない」

「普通に面会に行って、散歩許可を取って連れ出すのが一番自然かもね」

「その日、雨が降ってたりして天気が悪かったら?」

「連れ出し難いね…いや、車なら大丈夫か!」

「そう、施設から歩きではちょっと遠いところにあるデパートにってことにすればいいね」

「散歩だったら亘に頼まれてるくらいだし、『任侠ゆたかな家政婦紹介所』の計画の済んだ頃に施設に戻れば問題ないよね」


 その六日後に『任侠ゆたかな家政婦紹介所』の法無郎から、計画日の連絡があった。亘から華子の施設入りを聞いて早8ヶ月が経った。華子が認知症になったことで、目に映る世界観が今までと一変した。


 貴子と獅狼は、華子を連れて江ノ電に乗っていた。施設の壁ばかり見ている華子に海を見せたかった。華子の体調を思えば、東京から最も便利な近場にある江の島の海がいい。腰越海岸から江の島が見える海の風景が、獅狼は最も気に入っていた。腰越駅に降りると、海岸に向かう道すがら華子が話し出した。


「清の子供たちが小さい頃、よく親戚で団体旅行したよね」

「思い出したの、お姉ちゃん」

「忘れるわけないでしょ!」


 貴子はツンと来て目が潤んだ。姉は弟の清や親戚一同の旅行が楽しかったんだなと、貴子も当時の旅行のことを思い出していた。


「あの頃は、楽しかったね。清と獅狼と亘で2台の車を交代で運転して、宿に着いたら温泉もプールもあって…」

「美味しいものをいっぱい食べたよね」


 華子は鮮明に思い出していた。貴子たちは、華子を海に連れて来て良かったと思った。


「吉哉と一緒に来たかったな」

「…そうだね」

「吉哉は私と結婚して幸せだったのかな」

「お姉ちゃんに一目惚れだったんだから、幸せだったに決まってるでしょ」

「でも、私がこんなになっちゃって、亡くなるまで迷惑ばかり掛けてしまったから」


 華子は今、自分が認知症であることを自覚している。いつもと違って言葉にも魂がある。少しの切っ掛けで改善に向かうこともあるのかもしれないと、貴子は嬉しい期待で急に涙が溢れて来た。


「あらあ!」


 華子が感動の声を上げた。その視線の先を見ると、今釜揚げしたばかりの湯気の立ち込めたシラスの天日干し作業が行われていた。華子が小走りになった。貴子が慌てて追いかけようとして派手に転んでしまった。獅狼が急いで起こした頃には、華子は天日干し作業の前の “特等席 ” で楽しそうに作業員に話し掛けていた。


「お姉ちゃん、急に走り出したら危ないじゃない!」


 危ないのは貴子のほうだと獅狼は危うく突っ込みそうになって息を止めた。


「大丈夫よ、それより見て、貴子! シラスがまだ半分透きとおってるよ! パールみたいだよ!」

「膝打っちゃったよ」

「あんた、気を付けなさいよ。体硬くなってるんだから」

「お姉ちゃんが急に走り出すから」


 獅狼は嬉しくなって思わず “貴子の体は元々硬いよ ”と言いそうになって慌てて言葉を飲み込んだ。姉妹の口喧嘩は久し振りのことだった。貴子は華子の隣に並んで、シラスの天日干し作業を見て感動して多弁になった。そして間もなく無言になった。獅狼は貴子の次の台詞が想像付いた。


「お腹空かない?」


 獅狼の予想どおりの言葉だ。その言葉を獅狼は否定できない。


「そうだね。江の島の駅前でそろそろ食事にしようか」

「当然、シラス丼よね」


 盛り上がっている貴子とは対照的に、華子が急に表情を変えた。


「私、施設に戻らなきゃ!」

「どうして?」

「用事があるの」


 そう言って華子は駅に向かって走った。貴子が追いかけようとしてまた転んだ。獅狼が起こそうとしている間に、華子は見る見る遠くなって、その姿が人混みの中に見えなくなってしまった。


 獅狼は跳ね起きた。


「…夢か」


 計画日の早朝だった。幸運にも晴れた。獅狼は貴子も同じ夢を観たのかと思ったが、貴子は観ていなかった。急いで夢の話をすると、予定より早く施設に華子を迎えに行くことになった。


 施設に着いてみると特に変わった様子もなく、ここで何が起こるんだろうと思う気持ちを抑えながら、いつものように外出許可を取りに3階の介護管理室の窓口を訪ねた。管理室には施設長の門馬が居た。


「お世話になってます。玉村華子の妹ですが…」

「ああ、妹さん、こんにちは! またご面会に来てくれたんですね」

「いいお天気なので、今日は姉を散歩に連れて行きたいと思いまして…」

「ああ、いいですね。お姉さん、喜びますよ、きっと。その用紙に記入してください」


 貴子は窓口に備え付けの外出許可用紙に所定の事項を記入して門馬に渡した。


「あの…姉は?」

「お部屋に居ませんでした?」

「部屋には居なかったんです」

「そうですか…では、呼んでみます」


 門馬はアナウンスで業務連絡した。


「業務連絡…玉村華子さんのご面会です。担当者は至急お連れください」


 少しすると、早乙女が車椅子の華子を連れてやって来た。華子は貴子を発見すると車椅子から立ち上がった。転倒しそうになった華子を支えた早乙女の手を振り払い、貴子に走り寄って来た。


「お姉ちゃん、走ったら危ないでしょ」


 華子は貴子の腕にしがみ付き、早乙女を睨み付けた。


「良かったわね、華子さん。妹さんが来てくれて」

「いつも姉がお世話になっております。これから散歩に連れて行こうと思いまして…」

「そうですね。今日は散歩に丁度いいお天気ですもんね」


 獅狼が早乙女に注意深く話し掛けた。


「姉にリハビリの “特訓 ” 中だったんじゃありませんか?」

「いえ、特訓だなんて…」


 早乙女の表情が僅かに色を失ったのを獅狼は見逃さなかった。貴子も早乙女を睨んでしがみ付いている華子に違和感を覚えたが、敢えて平静を装ってその場を離れることに集中した。


「お姉ちゃん、今日はどこを散歩しようかね?」

「私はどこでもいいよ」

「じゃ、外に出てから考えようか。では、少しだけ姉をお借りします」

「行ってらっしゃい!」


 貴子たちは背中に早乙女の鋭い視線を感じながら、その素振りなど微塵も見せないよう真っ直ぐエレベーターに歩いた。早乙女の狂気の視線は、エレベーターの扉が閉まるまで刺さっていた。


 物の怪の追手から避けるように建物を出て、少し離れた場所に待たせてあったタクシーに乗り込んだ。車が走り出すと、三人は同時に施設の入口に振り向いた。三人とも誰かが追って来ているような気がして仕方がなかった。


 貴子たちを乗せたタクシーは、最寄駅のデパートの前で停まった。最初に華子を瀬戸物売り場に連れて行くことにしていた。華子は瀬戸物を見て歩くのが好きだった。きっと喜んでくれると思った。デパート八階の瀬戸物売り場に着くと、華子は暫く立ち尽くしていた。認知症のせいで、もう興味をなくしてしまったのかと貴子は心配になった。


「お姉ちゃんの好きな瀬戸物コーナーだよ」

「いっぱいあるね!」


 そう言うと、華子の積極的な瀬戸物鑑賞が始まった。貴子はここに連れて来て良かったと改めて安堵した。


「吉哉と瀬戸物を観に行っても趣味が合わないのよ。吉哉の好みは地味過ぎて、使ってて滅入って来るようなものばかり。結局、何も買わないで帰ることが多かったわ。あんたんとこはどう?」

「私は何でもいいんだけどね。獅狼はこだわりがあるみたい」

「獅狼は今も箸置き集めてるの?」

「お姉ちゃんよく覚えてるね!」

「覚えてるわよ。結構良いの持ってたじゃない。まだ集めてるの?」

「ええ、この間、神社巡りして見付けたのがあります」

「へえー、どんなの?」

「福禄寿の箸置きです」

「どこの神社?」

「お義姉さんも何度か行ったことあるでしょ。亀戸天神ですよ」

「まー、私も行ってみたい!」

「じゃ、次の散歩は亀戸天神にしますか!」


 貴子は二人の会話を聞きながら、華子が認知症とは思えないほど “普通 ” なのに驚いた。同時に、獅狼に備わった不思議な力をここでも感じてしまった。


 これまでにも、大人は一律に初対面の獅狼には敵対心・警戒感を持つ場合が殆どで、獅狼は人間関係に苦労してきた。ところが子どもは獅狼に無条件に寄ってくる。獅狼が近くにいると見ず知らずの赤子から幼児・小学生まで、一方的に獅狼に興味を示す。或る日のこと、獅狼がインフルエンザの予防接種で病院の待合室のソファに座っていると、3~4歳くらいの女児が書棚から絵本を取って獅狼のもとに寄って来た。 “これ、読んで ”と言うので、仕方なく獅狼は読んであげた。すると女児は途中で獅狼の顔をまじまじと覗いて聞いて来た。 “パパ? ”…すると、女児の母親が慌てて “すみません! ”と言って女児を自分の席に連れて行ったことがあった。貴子の母といい、姉といい、大人だが超高齢や認知になって、決して優等生ではない獅狼を、好意的に記憶に残しているのも不思議でならなかった。


 品数の多い瀬戸物コーナーをひととおり観終えた華子を見て、貴子は次の予定場所に連れて行こうと思った。デパ地下のジェラート売り場だ。そこは華子のためというより、貴子のお気に入りの場所だった。ジェラートは果物や野菜の素材を楽しめる冷菓で、滑らかな口当たりは、華子に食べさせても誤嚥の心配はまずないと思って決めた場所だ。


「お姉ちゃん、どれにする?」

「…分からないよ」


 華子にはわからないはずである。凡そ酒好きな吉哉の趣味には合わない分類である。一緒に出掛けても、こんなコーナーには足を伸ばすこともなかったろう。貴子は華子が認知症であることなどすっかり忘れて、ジェラートに関する薀蓄を楽しそうに語り始めた。貴子とは対照的な華子はすっかり興味をなくし、向かいにあるテレビの大画面を見ていた。その視線が次第に徒ならぬ気配に変わった。

 テレビは介護施設経営の特集番組が放映されていた。そこに、成功者として巴山勲理事長の満面の笑みが映し出されていた。


「吉哉との約束がある!」


 そう言って華子は突然走り出した。獅狼は、薀蓄を語りながらジェラートをどれにしようか選んでいる貴子に叫んだ。


「お義姉さんが走り出したぞ!」

「どうして? あ、お姉ちゃん!」


 華子は見る見る遠ざかり人混みに消えてしまった。追い駆け始めた獅狼は、夢の事があるので貴子に振り向いた。案の定、貴子は追い駆けようとして派手に転んだ。迷ったが獅狼は戻って貴子を起こした。


「獅狼が変な夢を見るから! 正夢ならもう一回転んじゃうの?」

「転ばないようにしてくれよ! とにかく追いかけよう!」

「警察に届けないと!」

「時間の無駄だ! 消極的捜査になるだけで、あてになんかならん! お義姉さんは今、頭が鮮明になってる気がする。きっと、施設に向かったんだよ! 電車が一番早い! 電車で施設に向かおう!」

「なぜ施設に向かってるって分かるの?」

「後で話すから!」


 二人は電車で施設に向かった。貴子は青褪め、移動の間、自分を責めながら終始目を潤ませていた。


「確か…走り出す前に、お義姉さんは “吉哉との約束がある ”って言ってたよね」

「ごめんなさい。私ったら…ジェラートのことで頭がいっぱいで聞いてなかったの」

「いいんだよ、そんなこと。それより、吉哉との約束って…」

「そうだわ! 桜子さんが言ってた約束よ! やはり、お姉ちゃんは施設に戻ったんだわ!」

「貴子がジェラートの話をしてた時に、お義姉さんはテレビを観てたんだよ」

「ジャラートの話聞いてなかったの?」

「そのテレビに、施設の理事長が出てたんだよ」

「なんで?」

「よく解らないけど、介護施設の特集みたいな番組だったよ」

「残虐な犯罪を犯しておいて、よくテレビに顔を出せるものよね」

「もう、罰せられたから一般の人と同じ権利があるんだよ」

「亡くなった子が可愛そうだわ」

「『任侠ゆたかな家政婦紹介所』の人たちがやろうとしていることは、法的には問題があるかもしれないけど、間違ってはいないような気がする。そう思ってしまうオレも法的には危険人物ということになるんだね」

「私も危険人物になろっと」

「完全犯罪なら罰せられない。ある意味、巴山理事長だって完全犯罪なんじゃないのかな? 法に基いた分の罪を償えば、人一人殺したことがチャラになって、介護施設運営の成功者としてテレビで称賛までされるんだから。良心が残ってる人間なら、少しは自責の念も起こるだろうが、巴山にはそんなものはないだろ。そんなやつに殺されたほうは犬死だよね。そんなやつを有利にする法律なら単なる胸糞悪い代物だよ」

「お姉ちゃんは何をするつもりなんだろ」

「…分からない」


 二人は言葉にすらできなかったが、華子が死を覚悟の上で施設に戻ったことは間違いないと思った。やっと最寄駅に着いた。貴子と獅狼は出口に向かって走った。駅前に出ると天候が一変して土砂降りになっていた。


〈第18話「川遊び」につづく〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る