なぜかグミになる

 花梨の果実は香りがよく、見かけもすごく美味しそうなのに、実際にはとても食えたもんじゃない。硬いわ、酸っぱいわ、渋いわ、食感が悪いわ。それが食用にされているのは、見かけと香りに騙された先人の復讐の念が花梨の罠を上回ったということなんだろう。そして俺もまた、先人同様にその美しい見栄えに魅せられた一人だった。


◇ ◇ ◇


 泥棒行為は論外だが、おいしそうに熟している目の前の果実に思わず手が伸びてしまう気持ちは分からないでもない。果物にはそうしたくなる強い引力がある。だが、そういう即席泥棒も絶対に手を伸ばさないのが花梨だ。美しいレモンイエローの大ぶりの実が重そうにぶら下がっていて、それが手が届くところにあっても、誰も盗らない。人間だけでなく、果物には目がない野生鳥獣も花梨にはほとんど手を出さない。結局たわわに実った果実の多くが、落下してそのまま腐ってしまう。

 悪食な動物ですら跨いで行き過ぎるようなものを、なぜわざわざ美味しそうな姿形に仕立てたのか。神のいたずらだとしても、花梨に対してあまりに非道な仕打ちではないか。俺は、職場の構内に何本か植えられている花梨の果実が美しく黄熟し、その後虚しく朽ちていくのを見るたびに、もやもやしていたわけだ。


 しかし花梨の実には、喉にいいというよく知られた薬効がある。生食には向かないが、加工原料としては使えるのだ。実際、飴やジャム、はちみつ漬けなどに加工されて広く市販されている。じゃあ俺も手作りにトライしてみよう。きっと、美しい果実にふさわしい上物じょうものになるに違いない。思い立って、ジャム作りに挑戦することにした。


 コンパクトな木だから、実が生ると言ってもせいぜい数個。それでも味見するくらいの量は十分作れるはずだ。もちろん、市販されているような形の整った実ではない。カメムシの刺し跡があばたになっている、ごつごつと無骨な実だ。まあ、見栄えが悪い実でも味は変わらんだろう。


 持ち帰った果実をよく水洗いし、皮なぞ剥かずにそのまま四つ割りに……。


「く……おおおっ!」


 硬い。恐ろしく硬い。これは……痛快丸かじりしたら、間違いなく歯が折れるな。味がどうのこうの以前に、この硬さだけで食欲五割減だ。どんなに薄くスライスしても、噛み砕いて飲み込むのは難行だろう。

 林檎を切り分ける時と同じように中央のタネの部分をくり抜いて捨て、汗だくになりながら実を薄い銀杏切りにしていく。持って帰った実を全て刻み終わった頃には、右手に包丁だこが出来ていた。ハードガイ花梨、恐るべし。


◇ ◇ ◇


「ふむ。少しアクを抜いた方がいいのか」


 薄い塩水を張ったボウルの中にスライスした花梨の実を漬け、二時間ほど放置する。アクがどのようなものかを知らないから、アク抜きが完了したかどうかの見当が付かない。いつものことだが、そこはアバウトで済ませる。


「よし、と」


 大きな寸胴鍋にスライスした実を移してたっぷりの水を注ぎ、加熱してエキスを抽出する。果肉ごとジャムにする方法もあるようだが、あの石のように硬い果肉は、火が通ってもあまり心地いい食感にはならんだろう。無難にエキス抽出だけにしておこう。湯が沸くと、キッチンに独特の甘い匂いが漂った。その匂いを嗅ぎつけて、女房がひょいと顔を出した。


「何作ってるの?」

「ジャム」

「ふうん、それって?」

「花梨だよ」

「ああ、のど飴の」

「そ」


 味の想像がついたところで、女房の興味の範囲から外れたんだろう。それ以上は何もコメントがなく、俺と花梨は放置された。くすん。


◇ ◇ ◇


 三十分ほど煮込んだ汁をキッチンペーパーで濾して、薄黄色の煎液を得た。火が通ってくたくたになった果肉を一応味見してみたが……。


「不味い」


 煮ようが何しようが、花梨は花梨だ。強い香りだけが鼻腔の奥にこびり付き、味と食感はやはり許容範囲外。なんともバランスが悪い。心置きなく、煮上がった果肉を捨てる。


 煎液を鍋に戻し、砂糖を加えて中火でぐつぐつ煮込んでいく。煎液は二リッター以上あったはずだが、水分が蒸発してどんどんかさが減り始めた。ジャム作りには根気が必要だ。煮詰めを焦ると、焦がして台無しになる。液量が半分以下になったところで火を弱めて、じっくりことこと。ことこと。ことこと……。


「あれえ?」


 ところがどっこい。煮詰めると粘度が上がるはずの液が、いつまで経ってもさらさらのままだ。


「うーん……」


 砂糖はけちらずたっぷり入れたはずだし、残っている液量から見てそろそろ寄ってきてもいいはず……。木べらでせわしなくかき混ぜていたが、鍋底から二センチくらいの水量になっても、まださらさらだ。


「こらあ、残るのは二百以下かもなあ」


 まあ、収量はこの際どうでもいい。でも、シロップじゃなくジャムを作ってるんだから、なんとか寄って欲しい。祈るような気持ちで木べらを動かしているうちに、液が赤くなり始めた。


「おっ! これが噂の……」


 そう。花梨の果肉や煎液の色は黄色系なんだが、ジャムは美しいルビーレッドになると聞いていた。まさにその色だ! 俺は小躍りしながら攪拌を続けた。赤色が出たということは、ジャムになる寸前だと見ていい。


 それまで全く攪拌抵抗を感じなかった液にもったり感が出て、へらを引いた筋の跡がはっきり残るようになった。ただ、液量は残り二百ミリリットルを割っているだろう。あれだけ大量の煎液からこれっぽっちかあ。大きな徒労感を感じながら、それでも木べらを動かし続けて。これ以上煮詰めると何も残らないかもというところで火を止めた。そこまでは良かったんだ。だが……。


 グラスカップに移したジャムは、粗熱が取れると同時に流動性を完全に失い、がっちり固まってしまった。それをペティナイフで切り分けて、女房に試食させる。


「へえー、おいしいグミね」


 まさにグミだ。ジャムのはずがグミになってしまった。ルビーレッドの芳しいグミ。ただし猛烈に甘い。そりゃそうだ。三百グラム近い砂糖がコップ半分の容積の中に収納されているわけで。俺のような要糖質制限の人間にとっては、間違いなく悪魔の食い物だ。それでも、まだグミにとどまっていた分ましだったんだろう。もう少し加熱を続けていれば、それは焦げ臭い飴になったはずだからな。


 パンに塗ることができなかった花梨グミは、めでたく俺と女房のおやつになったが。おやつとして食すにはあまりに時間と砂糖がもったいないという結論に達し、女房から再挑戦の許可が降りなかった。


◇ ◇ ◇


 グミを作ってしまったへまの記憶が女房の中で風化するのを待って、翌年花梨ジャム作りに再挑戦した。グミ化した原因は明らかだった。ペクチンの多いタネの部分を捨ててしまい、主に砂糖で寄せる形になってしまったこと。もう一つは、終点を見誤って煮詰め過ぎたことだ。その二点に注意することで、今度はちゃんと美しいジャムに仕上がった。


 もっとも、前年のグミで花梨そのものに辟易した女房は、上出来のジャムに全く手を出してくれなかった。俺は大瓶たっぷりの花梨ジャムを、今もせっせと一人で食べ続けている。


「えっぷ……」


 風邪を引かずに済んでいるのは花梨ジャムの効果かもしれないが、さすがに血糖値が……。



【 了 】


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オリジナル 水円 岳 @mizomer

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