最終話 匡正

「陛下っ!? どうしてこちらに? まもなく宴が始まる頃と」

「急なお訪ね、申し訳ございません。宴の前ですが、お借りしていたこの手纏を母上にお返ししようと思い立ち急ぎ参じた次第です」

「陛下……以前にも申し上げましたが、国王が容易く頭を下げるなどないようにして頂きたく」

「この懐かしいやりとりを、また出来ればと思い立ちまして」


 宴に出る準備を整え、王宮へ向かう道へ歩を進める国妃を待ち構えるように立っていた国王は、国妃の非難の視線に晒されながら何時ぞやと同じやり取りをしてクスリと笑った。

 その手は既に国妃の左手を捉えており、腕輪が己の手首から国妃の手首へとゆっくりと返されていく。これまたいつぞやの時と同じように。


「……答えを、導かれたのですね」

「自分なりの、にはなりますが。事実を変えなければ、未来は変わらない。それでは我は、いつまでも偽りのまま。私までは変えれませんから」

「変えれないものや変えてはならないものもあれど、未来は確かに変えていけます。私達に出来るのはほんの少し、後は貴女が変えていくのです。この国のトップに君臨する者として」


 国妃は己の腕に返された手纏に目をやった。それは、国王から目を逸らす為のものだったのかもしれない。

 細く開かれたどこか寂しげな焦げ茶を国王は見逃さなかったが、音もなく傅くとありがとうございました、とその爪先に口付けを落とす。国妃の肩が小さく震えたのにも王は勿論気付いたが、何事もなかった様に気の乗らない宴に参りましょう、とまたもや音もなく国妃に背を向けるのだった。


「国王陛下には久方ぶりにお目にかかります、此度は菊望の宴へお招き頂き有り難き幸せにございます」

「皇太子殿下夫妻には遠路遥々、凰都国へお越し頂き感謝する。息災のご様子何より。皆より先に紹介しよう、我が妃の暁だ。本日、王妃となる運びとなった」

皇太子殿下あにうえさまにはお久しゅうございます。妃殿下あねさまにはこの冊立さくりゅうにご尽力賜り、心より感謝申し上げます」


 洋燈で明るくされた宮廷内にやって来た王と妃が座すると、少し遅れて国妃がやって来て最初の国賓が通された。紋波帝国の皇太子夫妻だ。

 帝国の方が国としては大きいが、ここは凰都国で、しかも国王の御前であるので夫妻は恭しく頭を下げる。


 それを片手を上げて制した王は、すっと妃の手を取って立ち上がりすまし顔でそう告げた。チューブトップになったコタルディという着心地の良さそうな絹のドレスとレースのベールを身に纏った妃が優雅に微笑んで腰を折る。


 そこまで華奢ではないけれどそれでも女性にしか見えない妃は、帝国であれば第五王子であり王位継承権第二位である。己の弟ことであればこそ皇太子が知らないはずもないが、妃の性を偽り続ける決断には眉を潜めずにいられなかった。


 当然といえば当然だ、所謂それは祖国を捨てるという決断に他ならないのだから。


「また、その、思い切ったことをされたと驚きを隠せませんが……それが我がの意思ならば兄として祝意を表するところにこざいます」


 けれど、そもそも彼を先に捨てたのは祖国の方。皇太子も、手を差し伸べることすらなかったのだ。たとえそこにどんな理由があったとしても、その事実は変わらない。そして、そんな彼を拾ったのがこの凰都国であり、現国王だ。

 故に、妃の決断を揶揄することなど到底できっこない。それどころか皇太子自身にはすることが不可能なその覚悟は、称賛に値した。


 皇太子は再び、今度は妃に向けて頭を下げる。これでもう、帝国すら認めさせたも同然。王は満足げに笑んだ。


「今宵の宴は、貴国の風潮を取り入れさせてもらった。楽しんでいかれよ」

「陛下のご厚情に深謝致します」

「では、ここに菊望の宴を開催する」


 緩やかな宣言と共に、他の来賓が続々と入ってくる。その中で、そそくさと王の御前に進み来たのは言わずもがな若き娘を連れだった呉越公国の大公。共に慇懃に頭を下げる。


「国王陛下には、お初御目にかかります。長らく自国に籠もっておりましたこと、お詫び申し上げますと共に此度の宴にお招き頂けましたこと御礼おんれい申し上げます」

「貴国には、やや強引を迫った。開国への理解、我が国への来国感謝する」

「全ては陛下のお心遣いあってのこと。今後も何卒、お力添え頂けますればそれ以上に心強いことありませぬ」

「成程? ならば娘御には、王妃に相手をさせよう。我が妃になりたいと言うのなら、都合良かろう?」


 奥歯に衣着せた大公の物言いに、王は揶揄うような笑みを返した。


 けれど射殺さんばかりの眼光を放つその碧は、武術剣術馬術ばかりか芸術にも秀でる妃に一つでも敵うことはあるのか、と問いかけている。


 大公とてダテに歳は重ねていないというのに、まだ若い王の威圧感に一度上げた顔を伏せるだけ。

 勿論、たとえ大公の娘が妃より優秀であったとしても王が妃に娶ることは無いのだが。その秘密が無くとも王妃の腕は、既に国外に知れ渡っていた。


 王に任された妃は、優美に微笑む。年端もいかぬ娘御は萎縮したまま頭を下げるのだった。


「さて、大公含めご来国頂いた皆々に一つ伝えおくことがある。周知の如く、我が国には今、後継が居らぬ。よって、我が国の存続と為に、後継の定めについて性の縛りを取り払う事が最良と判断した。驚きを隠せぬ方も居ろうが、我が母上の祖国では女王が国を納めていた時代もあったと聞く。全くの検討違いではなかろう」

「……陛下、凰都国の新たな門出に一曲お付き合い下さいませ」


 王の言う通り、王の宣言にそこに集まった多くの者が目を見開いた。いくら以前に例があるとはいえ、国王や皇帝といった男性が国を治めているのが現実だ。

 けれど、宮廷内におりた重い沈黙は皇太子妃によってすぐさま破られる。それは、凰都と紋波の繋がりがより強固なものであることを指している。


 王は皇太子妃の手を取ると中央へと移動する。タイミングよく鼓笛の音が流れてこれば帝国式の宴、その場はダンスホールへと成り代わる。さすれば各々が、立食スタイルの歓談を楽しみ始めた。


「見事なモノだな」

「えぇ、本当に」


 まだ宴の続く中、その場をこっそり抜け出た国王夫妻は王宮の屋根にいた。夜も更けた空には、見事な満月が光り輝いている。

 妃は少し王の方へ向きを変えると、器用にしゃがみ込んで臣下の礼を取った。


「……暁?」

姫、私と契りを結んで頂けますか?」


 唐突な質問ではあったがそれすらも予期していたかのような顔をして、けれど何を今更、などと言うこともなく王はただ微笑む。


 それは、そう。いつだって、未来を歩む為の約束なのだ。


               了

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王子の贖罪 箕園 のぞみ @chatnoir

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