第三十六話 相応

 それはもう、あからさまだった。


 明らかに、ふらついていた。立っているのが不思議なくらい顔からは血の気がひいており、対面している鋭い紫暗を受け止めた碧眼にもいつもの覇気はない。


 それでも、そこに気丈に立っていた。理由は、必要だからの一言に尽きる。続く睨み合い。互いの言い分を、互いに理解していればこそどちらも譲れはしない。


「そのくらいにしないと、ヘーかホントに倒れちゃうんでないの?」

「……そもそも貴様が口を割ったせいだろう」

「いやぁ、ウチのヌシ様ほんと怖くって」


 そんな王と妃の間に澱む重い空気を切り裂いたのは、窓の外からひょっこりと顔を覗かせた使者だ。

 その状況を面白がっているとしか思えない呑気顔とあまりにも気の抜けた声に、王の眉間にシワが刻まれる。けれど、その苛立ちを発散するだけの力——例えば何かを投げつけるというような、そんな力さえなく同感だ、とだけ呟いて肩を落とした。


 そう、妃相手ならば王はいつだって折れるしかないのだ。


「暁、知っての通り我は気が長い方ではない」

「勿論、すぐに陛下の元に戻って参ります。それまでの間、ゆっくりとお休み下さいませ」

「まぁ、偶にはそうさせてもらうか。出雲を部屋へ、他は誰も通さぬよう」


 妃があまりに自信たっぷりに頷くものだから、少々拍子抜けしたように脱力した王は手を振って妃と使者を追い払った。誰もいなくなってから、更にダラリと机上にうなだれる。


 と、そこへ、また無茶をなさいましたねとノックもせずに薬師がずかずかと入り込んできた。視線だけを寄越す王は応えることすらできない。その露骨な態度に苦笑いを浮かべながら、王の身体を軽々と持ち上げては寝所へと移す。

 されるがままに仰向けになった王は、右腕で顔覆い隠した。めくれた着衣のその中から、朱色に染まった包帯がまかれた腕が露わになる。


「殿下の居ぬ間に動くな、とはいいませんが……」

「お前も、国王らしくない。そう言うのか?」

「さてはて、らしい、というのも某にはよく分かりませんが。それはお妃様から?」


 外されていく汚れた白の下には、うっすらと血が滲む大きな傷痕。なかなか大きくパックリ裂けたソレに眉を潜めて漏れ出た非難の音に、拗ねたような声。

 更に問えば薬師が察知した通り、それは下町を賑わせていた詐欺師を捕らえた時の代償であり、妃と睨み合う羽目になった理由だとぶっきらぼうながらに返された。


「成程、お妃様を駒として配置しながらもお妃様を抜きにして事に及んだのですね」

「まるで見ていたかのような物言いだな」

「昨夜殿下が、お妃様とお会いになられることを見越して今日決行されたのでしょうが」

「はっ、何でもお見通しか」


 降参とばかりに自嘲する王の腕の傷に消毒が施されていく。

 相当染みるはずだが、その表情が変わるどころか呻き声が立つことすら一切なかった。ただ歯を食いしばって、ひたすら耐えるのみ。それは王になるべき身であればこその、癖の一種といえる。既にそこそこ出血を起こした身で気丈を振る舞えていたのも。


 自責の姿、ともいえるかもしれないが。


「一応お伺い致しますが、ワザとではないのですね」

「自衛優先をこの身体に教え込んだのは他ならぬお前だろう。あの時は……とっさに勝手に動いた身体が間に合わなかっただけの事だ」


 片方だけ開けて向けられた琥珀を、同じく片方の碧で捉えた王は苛立ちを隠すことなく低い声で答えた。


 王が捕らえた悪徳業者。収集された情報によると奴らのリーダーの参謀が先見の占術師で、その宣告は何と七割程度が的中するらしい。

 一回あたりは少額なのだが、回を重ねる毎に額が上がっていく割に的中率はやや落ちる。その上で怪しげな品を販売し、地方の貴族庶民が共に虜になりつつあるのが問題になっていた。


 因みに本来なら、情報として耳に入れていても王自ら対処すべき事案ではない。凰都国には王都だけでなく地方にも、奉公ぶこうという治安を維持する為のシステムか整備されている。それでも王が手を出したのはいうまでもなく、占術師の先見の話があったからだ。たとえその精度がどんなものであれ、見透かされてはならない咎事ひみつを抱えている。

 脅威は、小さいうちに摘むに限る。


 王の取った手はこうだ。


 兼ねてより計画していたバザールを陽華おのれの名で開催した。学問所内とはいえ王族が開催する、しかも1日限定の市場ともなれば噂を聞きつけた王都の貴族はいいカモになるので、悪徳業者としても出店しない手はない。


 そのお膳立てをしておいて、実際客もして行くのは殆ど王の学友にする。先見の正誤に関わらず、全く当たらないと触れまわれるように。そうして大々的に騒いで商売として成り立たなくなるようにすれば、嵌められたのだとイヤでも気付く。心酔している者も多い一方で、半信半疑だがとりあえず乗っかっているという者も多いということは業者も分かっているのだから。


 王は、その場合武力行使に出る相手であろうと勿論想定していた。だからといって、学問所で行う市場に兵を配置するわけにもいかないのも理解していた。だから、自ずから剣を振るった。学友を守るべく。また、自らが傷を負っても誰にも責めがいかないように。


 とはいえ、仮に己が傷を負えばその後が面倒なことになるのも分かっているので、やはり不可抗力だったのだ。


「成程、確かに王都でお妃様に剣を振るわせるわけにはいきませんね」

「妃のスキャンダルなど、古老どもの良い餌だ。そんなものアレも分かっていること。たとえどれだけ腕に覚えがあってもな」

「それでも陛下が傷を負うのはやはり違う、というのがお妃様の言い分でございますか」

「あぁ。総ては我の差配次第だからこそ、配置を誤れば今回のようにしっぺ返しを喰らうと。結果が伴ったのは偶々だと」

「なかなか手厳しゅうごさいますね。されど気になさる必要などございません、お妃様にも陛下の動向を読み切れなかった責めはあります」


 だからこそ、睨み合われていたのでしょう?


 と、渋々ながらも最終的に口を割った王に薬師は苦笑し返す。それを受けて貴様が一番手厳しい、と王が心の中で突っ込んだかどうかは定かではないが、暁も我の密事の一つであるしな、との自身を納得させるかのように呟いた。薬師も深く頷く。


「陛下、そもそも王とは"らしく"など、型に当てはめるものでもございません。陛下はその両の手で総てを救うと、お決めになられた。勿論、取りこぼすこともあれど切り捨てる方が容易くあるのに、初めからそれはしたくないと。此度のことも、それが根底にあらば非常に陽華へいからしくあらせられたと」

「……救い導き、護る。それは王としての我の誓い、そして華月アレとの約束。それが我を王たらしめる——その分、お前達がその手で傷つけ欺く。わたしを守る為に。それは、華月も。罪滅ぼしだと言って」

臣下わたくし達は、王のために在るのです。それは内親王しんかである華月でんかも例外ではない」

「国に殺されるはずだった我だからこそ、人の命を奪うことのない王でいられる、か……」


 が、生きているだけで不幸を招く存在だと決めた。その決まりに逆らって生きるということは、その存在自体、罪咎ざいきゅうであるのと同義。


 だからこそ内親王は、国を導く為にそのトップに立った王に害を為す者を穿つべく、剣を取りその体躯を真紅に染める。命を背負うことこそが、その罪に対する償いだと言って。


 それならばと、王は命の重さを背負わぬ代わりに、総てを信じようと決めたのだ。真白な心魂のまま受け入れ、赦すと。罪である己を受け入れた者がいたように。


 月光に咲く華と、陽路に咲く華。その道が交わることなど決してなけれど、向かう先は同じ。


 貴様は何でも教示に代えるな、と王は力無く笑った。国のために迷う陛下と共に悩むことこそ、吾の務めにございますから、と今度は穏やかに頷く。


「では問おう、父上は……王に相応しくなかったのか?」

「そのようなことは決して」

「では、あくまで我を生かすためだと?」

「吾も、国妃様おははぎみも、ただ選んだだけなのでございます。そして前王もまた、お選びになり受容なされた。ただそれだけなのでございます」


 漸くいつもの鋭さが戻った碧眼と、動ずることなど常にない琥珀が交わる。その視線は国にとって必要だったのだ、と語っていた。


 その主語は前王を手にかけることが、であり、現王を即位させることが、だ。前王も望んだこと、と言われその碧に陰が落ちる。


 結局のところ前王が口を割ったのは、咎事ひみつを知った元王妃の動向を探るため。改革すべき事案として受け入れれば一歩前進する一方、受け入れられねば不穏分子として速やかに消し去る……否、選択肢など無いに等しい。ただ抹殺する口実が欲しかっただけなのだ。偽りを偽りのままにしない為に。


 やはり牽制だったか、と王は薬師にうんざりした表情かおを向けた。


「お考えの通り貴女へいかが王位につき国を統治していく、その現実が必要だった。双子は不幸を招く存在ではないと証明する紛れもない事実が」

「それでも過去の事実つみが消えるわけじゃない。国王であっても、規律は守るべきであることに変わりないのだから」

「では逆にお尋ねいたしますが、あの規律を破った王をどなたが罰せれるというのですか? 破った規定に罰則など、設けられていなかったと記憶しておりますが」

「……最高位である国王に楯突けば、それだけで不敬罪。その上、凰 華月以外に王位に就ける者は現状いない。そして戦乱の世になるのは回避したい、か……総て計算通りということか」

 

 一応一度は言い返したものの、薬師の言う通り王も己の中で結論を出していた。つまりは、そういうことなのだ。

 もし仮に前王が生きたまま改革を進めれば、王宮はすぐさま双子を法典通り葬り王に世継ぎを作らせるべく動くだろう。

 だから先に退路を断った。凰 華月を、王位に就けるべく。


 罪を負ってまで国から守ると決めた子だからこそ王位に就け、かつその子が己と同じ苦悩を味わうことのないよう改革を押し進める為に。


「では、兄上アレは……」

「そう。華月でんかの贖罪は、女性である陽華へいかに王位を継がせたことに対してではなく、自分が女性でないから貴女を王位に就かせてしまったことに対してなのですよ」


 王は改めて王宮を取り巻く思惑に溜息をつくと、少し寝ると薬師に背を向ける。いつも通り何を考えているのか分からない笑みを浮かべた薬師は、ごゆるりとと囁いて寝室を後にした。


「相変わらず、上手いこと丸め込むんスね。ちょーほんにんのクセに」

「人聞きの悪い。吾はただ、策を授けただけです」

「それにしても、元を正せば帝国もんはを揺るがしかねないというウワサの調査で派遣された人が、王とそのお子様に惚れ込んじゃって国の改革まで手伝っちゃうなんてネ」


 後宮から王宮に繋がる渡り廊下で、薬師の背後から声をかけたのは相変わらず神出鬼没な使者。

 何やらトンデモナイ事を言われた薬師だったが、正にその通りなのか動揺などやはり見せることはない。少しだけ上げた口角で、綺麗な三日月を描く。


「それこそ、ちょっとした償いのようなものですよ。凰都国にしてみれば誰が立てたか分からない噂で、疑いをかけたわけですからね。それに御子を国から守った国王夫妻の罪を洗い、吾の目的に気付いた殿下との取引、麗しき兄妹愛、涙ぐましいその努力、心も打たれるというものでしょう?」

「ふーん、そういうもんスかね。確かにウチのヌシ様も陛下にはメロメロっすもんねぇ……自分にはよく分かんないッスけど、まっヌシ様に危害がなければ別に」


 やや大袈裟に表現された薬師の胸の内にはてんで興味がないとばかりに、使者はヘラリと笑ったのだった。

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