trick and treat 〜Long version〜

@kuronekoya

trick and treat

 ここは年上の私の方から動くべきなんだろうな、とは思う。


 彼は対人不安みたいなのがあってほぼ引きこもり。在宅で絵の仕事をしている。

 私は大学1年。彼よりひとつ年上で、高校時代からアルバイトで彼のマネジメントみたいなことををしている。

 仕事上のパートナーであり、友人以上恋人未満。


 去年の秋、私がトラブルに見舞われた時、彼はそこに駆けつけてきてくれた。

 家から出るのは怖かっただろうに、一人で外に出るのは怖かっただろうに、私のために駆けつけてきてくれた。

 嬉しかった。

 きっと彼も私と同じ感情を抱いてくれている、そう確信できた。

 夕焼けの公園で初めてのキスをした。

 それなのに……。


 それからずっと今まで、驚くほど何もなかった。

 クリスマスも、お正月も、バレンタインデーもホワイトデーも、彼の誕生日も私の誕生日も。

 プレゼントを贈りあったり、メッセージを送ったりはしたけれど。

 心のふれあいは確かに深まったと思うけれど、物理的な接触は驚くほど何もなかった。


 あの日飛び出してきてくれたのは、火事場の馬鹿力。

 ここは年上の私の方から動くべきなんだろうな、と思う。



『ハロウィンの日、学校帰りに遊びに行ってもいいかな?』

 まずはLINEで都合を訊く。

 本当は声を聞きたいけれど、彼と話すためには彼の心の準備のための時間が必要だ。私に対してもいまだにそうなのは悲しいけれど、家族以外の人とはろくに口もきけない彼がいったん口を開けば明るい声で話してくれるのだから、それでも私は彼の「特別」なのだろうとは思っている。……思いたい。


『もちろんいいですけど、その日は母が外出して帰りが遅くなるそうなので、たいしてお構いはできないけどいいですか?』

『ハロウィンだもの、何かお菓子だけ用意してくれてればいいよ』


 彼のお母さんは実はもう籠絡済みだ。

 ちょっとハロウィンの雰囲気を味わいたいから、と家を空けてくれるようにあらかじめお願いしてある。そして月末はお父さんの帰りが遅いこともリサーチ済み。

 私のコミュ力なめんな。

 でも、彼がいまだに敬語口調なのは悲しい。


『別に仮装もしなくていいからね。

 午後は授業がないから、3時前にはそっちに行けると思うよ』

『はい、お菓子は何かリクエストありますか?』

『もし外に出れるようなら駅前のパン屋さん、あそこのシュークリームが食べたいな』

『そこなら大丈夫です! 待ってますね』



 約束は取り付けた。

 が、ここからの段取りが問題だ。


 アレは買った。家からも大学からも中学高校からも遠い、ぜんぜん縁のない街のドラッグストアで買った。それでも超恥ずかしかったけど。


 世の中には勝負下着というものがあるらしい。

 でもいつ着ればいいの?

 朝から? そしたら「先にシャワーしてから」ってなったらどうするの?

 先にシャワーするつもりで着替えとして持っていって、なんかそれどころじゃない流れになっちゃったらどうするの?

 いっそふた組用意する!?


 女子校育ちではあるけれど、品行方正な優等生をやってきたものだから、そういう話を聞かせてくれる友だちが私にはいない。

 大学に入ってからの友だちも、ちょっとそういう話をするような仲までは至っていない。

 実は私もけっこうネット弁慶なのかな? リアルな友人関係は広く薄くて、こんな時困る。

 箱入り娘なめんな。


 いろいろ検索しているうちに、はたと気がついた。

 相手は、あの彼なのだもの。

 そんないかにも「勝負下着」なんてエグいのを身に着けてたら、たぶん引く。

 一番かわいいのを身に着けていって、念のためシンプルなデザインのを上下ひと組買って持っていけばいいだろう。


 それよりも、あの朴念仁をその気にさせるには、どう話を持っていけばいいのだろう?

 出たとこ勝負は私の流儀じゃないんだけれど。



 玄関のチャイムを鳴らす。

 奥から足音が聞こえてきて、ドアが開いて彼が笑顔で出迎える。

 私も緊張を悟られないよう、笑顔で「trick and treat!」と挨拶する。

「トリックオアトリートじゃないの?」と彼が笑う。

「いいんだよ、これで」と私は上目遣いで口の端を上げる。

 上手く笑えたかな?


 まだ勝手知ったるとは言えない彼の家。

 彼の背中に「おじゃまします」と声をかける。

 リビングにトートバッグを置かせてもらうと台所から彼が呼びかけてきた。

「コーヒーより紅茶の方が好きなんですよね? ティーバッグしかないけどいいですか?」

「うん、ありがとう。私がやろうか?」

「その方が美味しくいれられるんでしょうけど、お客様だから」

「キミが手ずからいれてくれるお茶だもの、上手くいかなくてもありがたくいただくよ」


 トートバッグの中身をもう一度確認する。

 ふだん大学に持って行っているものの他に、ポーチがひとつ入っている。

 歯みがきセットもさっきポーチに移し替えた。

 緊張とともに、下腹部がじんわり熱くなる。


「おまたせ」

 お茶とシュークリームを持ってきた彼に声をかけられて、心臓の鼓動が跳ね上がった。

「なんか顔が赤いですよ。暑いですか?」

 イノセントな彼の言葉に私の下心がうずく。

「うん、ちょっとだけ暑いかな」

 ナイスタイミング! 心の中でそう叫んで、ジャケットを脱いでブラウスのボタンをひとつ外す。

 彼の視線が胸元に釘付けになる。

 それで逆に私は余裕が生まれる。


「本当は玄関先でお菓子をもらって次の家に行くんだよね」

「それは子どもの話でしょう」

「そっか! 大人はそもそもお菓子をねだりに行ったりしないねぇ」

「でも、今日は来てくれて嬉しいです。あ、どうぞ召し上がってください」


 彼がそう言ってシュークリームに手を伸ばす。

 彼も緊張しているのかな? ふた口でペロリと食べてしまったけれど、口の端にクリームがついている。

 彼はちっとも気づいてない。

 私はそれをチャンスと思う。


「ねえ、クリームついてるよ。子どもじゃないんだから」


 膝立ちで、彼の隣に移動して。

 人差し指を、ゆっくり彼の口元へ。

 視線は彼から外さずに。

 彼の眼が私の指先を追いかける。

 指先で拭い取ったクリームを、ペロリと自分で舐めてみせる。

 彼は真っ赤な顔をして私の唇から目が離せない。

 そんな彼の肩を押して、そっと床に押し倒す。


「まだ少し残ってる」

 彼の唇を舐めまわす。

「去年の夏、キスしたね」

 眼の動きだけで彼が頷く。

「ずっと続きをしたかったの。

 クリスマスもバレンタインも誕生日も」


 彼の腕が、私の背中にまわされる。


「好きなんだよ、キミのこと」


 背中にまわされた腕に力が込められる。

 

「trick and treat……

 お菓子はもらったけど、違うコトもしたい……

 シャワー借りてもいいかな?」


 コクリとうなずき、初めて彼の方からキスしてくれた。


 fin

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