第5話 灼熱の男

 周りに木がなかったことと、そのあとににわか雨が降ったこととで、幸運にも館の火がそれ以上燃え広がることはなかった。わたしは人形にされた少年少女のことを世間に広めるためにも消防を呼ぶことを提案したが、京に却下されてしまった。


「知らないほうがいいわ、自分の子供が生きたまま蝋人形にされたなんて。それに・・・・・・わたしはあそこでもうちょっとやることがあるの」


 そう言って京は山をもう一度登って行った。何をしていたのか知らないが、その日はもう戻ってこなかった。


 そしてその次の日、ようやく帰ってきたと思えば、京はわたしに打ち明けた。無明坊と最後の戦いに臨むことを。わたしはすがりつくようにして止めた。それだけは思い直すようにと頼んだ。だって、京はもう十分戦ったじゃないか。十分危ない思いをしたじゃないか。


「そういうわけにもいかないの。やつはほとんど何もかもを失った。失うものがないやつほどこわいものはないわ。あの男を生かしておけば、いつか必ずあたしの命を狙いに来る。いいえ、あたしだけじゃない。あなたや、その家族や、この町の人々までも・・・・・・」


 京はわずかにうつむいた。


「だからすべてはここで終わらせなくてはいけない。たとえ刺し違えてでもあいつは必ず地獄におとす。この町でそれができるのは、わたししかいない」


 顔をあげ、京はわたしを抱きしめた。わたしはいつの間にか泣いていた。ひどく不吉な予感がしたからだ。これが、今生こんじょうの別れになってしまうような、そんな予感が・・・・・・。


「死なないで、京。絶対に生きて帰ってきて」


「・・・・・・ええ。約束する」


 京はあっけなくわたしを離すと、行ってしまった。どんよりした鈍い夕焼けだった。



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 昼間の暑気を吹き払うような涼し気な風が、木々の間にこだました。まるで何百匹ものオオカミがいっせいに遠吠えしているようだ。オレンジ色の夕焼けは濃紺の闇に塗りつぶされて、雲のない空に砕いたガラスのような星がまたたいていた。


 京は屋敷の残骸に立ち、あたりを見回した。四方八方、どこを見ても闇。虫の声と、葦草が風になびく葉ずれの音が聞こえるだけだ。と、京がわずかな気配に顔をあげると、向こうの木立にぼんやり、太った人影が見えた。無明坊だ。やつもこちらに気づいたらしい。どちらともなく近寄って、ふたりは静かに対峙した。無明坊が重々しく口を開いた。


「不空坊、彼岸坊、金剛坊、そしてお娑婆。すべてお前の手で葬られた。すべて、お前ひとりの妖術で。信じられんことだが、このわしでさえも左手をもっていかれた。その実力は本物だが、お前の罪は重い。お前ひとりの命では償えないほどな。・・・もはや楽には殺さん。四肢をもいで血をふりまき、犬のエサにしてくれる。そしてお前を殺したら次は親友の娘だ。両親も殺す。同級生も殺す。なぶり殺しだ。この町を血で染め上げてくれる」


 無明坊の周りの空気がゆらめいた。いまや彼の怒りを体現するかのようにその全身が燃えている。彼は手前に生えた一本の木に片腕を巻き付けた。何か仕掛けがあったらしく、木は一瞬にして燃え上がった。


「赤熱掌!おおおっ」


 無明坊は気迫一声、燃えた木をもぎとって横に投げた。周囲の木に灯油でもまいていたのか、火は爆発的に燃え広がり、花びらを散らすように火の粉を振り散らした。火の手が二人を包むまで、そう時間はかからなかった。一気に気温は跳ね上がり、森は灼熱しゃくねつ地獄と化した。煙にむせ、赤い閃光に目がくらむ。京は腹ばいになり、必死に酸素を確保しようとした。そこへすかさず灼熱の鉄杖てつじょうが襲う。京の腹を打つ。血反吐を吐いて京は向こうに転がった。


「これで自慢の氷剣は使えまい!」


 無明坊の声が炎の中に響いた。そう、この一見自滅的な作戦は、実は京の妖術を無効化するためのものだったのだ。無明坊は一度痛い目を見て自分と京の実力差を思い知り、こんな破天荒はてんこうなことをしてのけた。いくら赤典太を作ろうとしても、この溶鉱炉のような温度では無理だ。


 無明坊は無力な京をさらに攻め立てる。右肩、左肩、胸、腹、喉。ところ嫌わず赤熱杖はひどいあざと火傷を残す。かろうじて喉への一撃は避けられたものの、両肩のケガはかなりひどい。京はなすすべなく後退し、屋敷の残骸にへたり込んだ。ここにはまだ火の手はないが、それも時間の問題だ。


「どうした、もう終わりか。おお、そういえばお前はいつも誰かの助けを借りてようやく我々にせり勝ってきたのだったな。誰の助けもないうえに妖術も使えない今、お前を殺すのに虫をつぶすほどの苦労もないわ」


 ―――ふふふ、ふふ。


 京は笑った。この期におよんで不敵な笑いだ。


「どうした。何がおかしい」


「あたしは・・・・・・ひとりじゃない。この場所に来た時点で、お前は―――!」


 ―――ずぼ。ずぼずぼ。


 地面から白い手が伸びた。ひとつではない。巨大なつくしのように次々と、無数の白くて小さな手が生えてくる。その不気味な光景にさすがの無明坊もぎょっとして身を引いた。その太い足首を、地面からの手はつかんだ。


 謎の手の正体が、地面から姿を現した。それは、人形にされた少年少女たちだった。外道(げどう)坊主どものいけにえにされたあわれな子供たちだった。火に焼かれてその顔や体はみにくくただれ、焦げている。目がポロリと抜け落ちたり、腕や脚が欠けているのもいた。それでも彼・彼女らは、地獄から蘇った亡者のように声もなく、無明坊に向かってゆく。―――先日、京はこの日のために「死人返し」で人形たちを復活させていたのだ。そう、無明坊をとらえるための罠として。


「失せろ!亡者ども!」


 無明坊が子供たちを振り払う。燃え、もろくもばらばらと崩れていく者もあった。それでも数知れない亡骸たちはわらわらと集まり、ついに無明坊の全身をとらえた。彼らは言っている、この男を討てと。自分たちの仇をとってくれと。その期待に応えるように京は身動きとれない無明坊の首に手を当てた。


「おのれ―――この屈辱、忘れぬぞ。たとえ七度生まれ変わろうとも、貴様をこの手で殺してやる」


 みなまで聞かず、京の右手から凄まじい冷気が解き放たれた。一瞬のうちに無明坊は凍りついた。彼をとらえた子供たちとともに。


 ―――終わった。戦いは、京の勝利である。京は静かに手を下ろし、その場にへたり込んだ。


 と、めきめきと音を立て、燃え盛る大木が倒れてきて、無明坊と子供たちを押しつぶした。ボオオと燃える炎の音は、人形たちの奏でる鬼哭きこくにも聞こえた。京はあわれみの目でその光景を眺めていた。遠くこだまする消防車のサイレンも聞こえないままで。




 火事は一晩で消し止められた。火の手は山の中腹から頂上付近をまるはだかにしたが、幸いふもとの民家にまで燃え移ることはなかった。人形にされた少年少女たちも結局、見つからずじまいだったという。


 わたしはどこかぼうっとした気持ちでそのニュースを聞いていた。火事の原因は不審火で、消防は原因の特定を急いでいるという。それならひょっとしてあの人形たちがみつかることもあるのかもしれないと、ひとごとのようにわたしは思った。


 ・・・・・・あれから一週間。京が無事戻ってきたときは狂ったように喜んだが、そのあとすぐに京は倒れた。病院に搬送はんそうされ、手当てを受けて全治三週間の診断を下された。何か所かの打撲と、肋骨に軽いヒビがはいった他に異常は見られなかったという。とにかく、生きて帰ってこれてよかった。


 それにしても、奇妙な出来事だった。妖術なんて意味不明な非日常に振り回され、命まで狙われて・・・・・・。いま思い返してみても、悪い夢でも見ていたようだ。現実感がなくふわふわしている。だから学校のテレビで山火事のニュースを観ているこのときも、なんだかぼーっとしてしまう。



 放課後、わたしはアイスと漫画を下げて駅の近くの大学病院に寄った。言うまでもなく、京のお見舞いである。


 病室に入ると、京は読んでいた本をおいて、ほころんだ。近くの椅子に腰かけて、わたしたちはしばらく他愛のない話をする。こうしてふたりでのんびり過ごすのはいつぶりだろう。・・・ひとしきり話し終えたら、しばしの沈黙がおりる。


「・・・・・・おつかれさま」


 京が言った。


「本当に、おつかれさま。そして、ありがとう。一緒に戦ってくれて」


「別にいいよ、お礼なんて。照れくさいし」


 京はわたしの目をじっと見つめた。本当に照れくさくて、顔がのぼせてきて、わたしは大げさなそぶりで持ってきた手さげ袋を漁った。


「それよりアイス食べようよ、ほら・・・」


 差し出したアイスは、見事に溶けてしまっていた。


「・・・・・・」


「あーあ。かしてみて」


 京が袋ごとアイスをとる。瞬間、冷蔵庫を開けたように周囲の温度が下がった。わたしがもう一度袋を漁ると、アイスは元通りになっていた。


 パッケージを破り、食べる。


「・・・・・・京の味がする」


「ばか、気持ち悪いって!」


 わたしたちは笑った。無邪気に笑った。戦いの中で見た壮絶な笑いでも悲壮な笑いでもない、純粋な笑いだった。実感する、日常を取り戻したことを。


 わたしたちの声に驚いて、ベランダに止まったカラスが、大声で鳴きながらどこかへ飛んでいった。それは夕焼けの前でひとつの点になり、すぐに見えなくなった。



   (完)

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氷の妖術少女 羽虫這左衛門 @mekades2000

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