第4話 仏像の男

 自分の目が信じられなかった。まさか仏像が動き出すなんて、心霊現象みたいなことが目の前で起こるとは。・・・もしかして、あれも敵の妖術なのだろうか。


 疑問は尽きなかったが、それよりまずわたしの頭を悩ませた問題は、三日間の空白の言い訳を、両親にどうするかだった。父も母も突然姿をくらませたわたしのことを心配し、ひどくうろたえていたらしい。わたしはさんざん叱られた。こっちは生きるか死ぬかの境をさまよったのに、それはないだろうと言いたいが、そんなことは口が裂けたって言えやしない。仕方がないので友達の家に遊びに行ってて、はめをはずすあまり電話も忘れたということにした。当然、それでもなお怒られはしたが、一応ふたりとも納得したらしい。


 それからはなんてことなく、無事に夏休みは明けた。夏が終わるころにはわたしはすっかり落ち着きを取り戻し、もしかしたらこのまま何のトラブルもなく日常にもどれるのではないかとかすかな期待を描きはじめていた。・・・・・・あとで思い返せば、そんな楽観的な自分をとばしてやりたい。そう、本当の死闘はここからはじまるのだった。


 蒸し暑い九月の朝。通学路を歩く生徒たちの顔にはどこか倦怠感がただよっている。みんな夏休みが恋しいのだ。自分のもとを去っていった恋人をふたたび求めるように、心の中で「どうか行かないで!」と叫んでいる。わたしもそのひとりだった。途中から京が追いついた。彼女だけはやたらと明るい。まるでなんの悩みもないかのように。思ったことをそのまま言うと、京はあははと笑った。「隣の芝生は青いって知ってる、朱美?」。


 本日の日程は始業式と担任との顔合わせだけだ。一〇月になるとまたテストがあるので気を抜かないように、と担任は校長先生と同じことを言って締めくくった。早めの放課後、クラスメイト達はがやがやし、遊びに行く約束をしたり、旅行のおみやげをわたしたりしていた。わたしたちもひさしぶりに顔をあわせる友達と他愛ないあいさつを交わし、別れた。


 そして、事件はそのあとに起こった。わたしと京は選択科目の課題を提出しに、生徒棟せいとれん教師棟きょうしれんとをつなぐ一階の中廊下を渡っていた。そのときだ。突然、右側の窓ガラスが甲高い音を響かせ砕けたと思うと、長い棒状のものが飛んできた。それはわたしの顔の前でぴたりと止まった。京がとっさに受け止めたのだ。びっくりして窓の外を見ると、わたしはとんでもないものを見た。小柄な女性ほどのお地蔵さんが、こちらに背を向けて立ち去ってゆくのだ。京は物も言わず飛んできた棒を投げ捨てると、割れた窓ガラスの外にひらりと身をおどらせた。棒かと思ったものは石でできた杖だった。ちょうどお地蔵さんが持っている錫杖しゃくじょうだ。わたしはわけもなくそれを拾って京を追いかけた。


 お地蔵さんは本来、教師棟の裏側のひなびたところに立っている。何代か前の校長先生が仏教徒だったため、そこに安置されたという話だ。・・・・・・そのお地蔵さんがひとりでに動き出すという根も葉もない怪談話。それは本当だったのだ。信じられないけど、わたしは以前、人形の館で同じようなものを見た。ひとりでに動き、わたしたちに襲い掛かる大きな観音さまを。


 この奇妙な現象を説明するにはひとつしかない。そう、妖術だ。あの館にいるであろう妖術師がふたたび襲ってきたのだ。緊張でもつれそうになる足を動かし、わたしたちは教師棟の裏にたどり着いた。そこの台座からはたしかにお地蔵さんが消え、かわりに大地に降り立って、わたしたちと向き合っていた。


 京の右手から赤い刀が伸びる。自分の血を凍らせた赤典太あかてんただ。一方、お地蔵さんの手には両刃の青銅の剣が握られていた。仏像がよく持っている、災いや煩悩ぼんのうをうち砕くという宝剣だ。わたしは息をのんだ。緊張ではりつめた空気がわたしを圧倒した。


 正眼に構えた、ふたりの剣がガッと打ち合い、火花を散らした。お地蔵さんは驚くほどすばやく、鈍い光を放つ剣で攻めたてる。京はその攻撃を柳のようにいなして反撃した。刃の噛みあうような目にもとまらぬ剣さばきだ。わたしはどうしていいかわからず、遠巻きに見ていることしかできない。


 ふたりは何合も互角に剣をまぜあわせた。交差する赤と鉛色。剣と刀。一方がおされたと思えばもう一方が巻き返す。そしてまた一方がおされたと思えばもう一方がおしかえす。力と力のせめぎあいだ。


 戦いがピークに達したころ、しだいに京がおされはじめた。すでに顔を真っ赤にして汗を流し、腕の動きも鈍りだしている。一太刀ひとたちを受け流すのもつらそうだ。それなのにお地蔵さんの方はまるで疲れていない。機械のように正確で、冷たい剣さばきはちっとも衰えない。そばで見ているわたしも慌てだした。このままじゃ京がやられてしまう!なにかわたしにできることはないか。後ろから不意打ちするか。いや、へんにウロチョロしても京の邪魔になるだけだ。だからといってこのまま見ていていいのか?いや、まてよ。不意打ち―――そうだ!


 戦況は京の不利になる一方だ。いまや反撃することもできず、京は防戦一方。お地蔵さんはさらに激しい攻めを加える。わたしはお地蔵さんの後ろにすこし距離をとって立った。石の錫杖を横に構えて。京は視界のすみにわたしのことをとらえたようだ。余計なことをするなとその目は語っている。だがすぐにわたしの意図を理解して、こくんと小さくうなずいた。


 わたしは肩の上にバットみたいに錫杖を構え、地面すれすれに投げた。杖は回転しながら平行に飛んでゆく。それを見て京は跳び上がった。お地蔵さんも一瞬遅れて足元に迫る杖に気づき、跳んだ。しかしそのせつなの差が命取りだ。空中でお地蔵はわずかにバランスを崩し、そのスキを京は見逃さない。水もたまらぬ赤い刀がひらめくと、お地蔵さんは縦まっぷたつに切り離れ、そのままドスンと地面に落ちた。


 京は地面に手をついた。肩で息をしている。わたしはかけよって手を貸した。


「はあっはあっ、ありがとう朱美っ、あなたがいなかったら、このまま倒されてたっ・・・」


 わたしはねぎらいの言葉をかけようとした。そのとき、奥のしげみから、寝起きの人間のあくびのような「あアぁ」という気味の悪い声が聞こえ、わたしはとびあがった。そしてざざっと葉擦はずれの音がきこえ、そこに長身の男が現れた。鼻が高く、目つきはワシのように鋭い。全身に危険なオーラが漂っているこの男を、わたしは知っている。人形の館にいた金剛坊こんごうぼうだ。彼は苦笑しながら言った。


「仏像に魂を預けて自由に動かすわが妖術『我観音われかんのん』、見事にやられたわ。今度また手合わせ願おう、いっさいの邪魔の入らぬ場所でな」


 金剛坊は背中を見せて足早に立ち去った。わたしも京もその場に立ち尽くした。追いかけても無駄なことはわかっている。ふたりがかりでも、あの男には勝てない。ぼう然と男の背中を見送った。


 あたりが騒がしくなった。騒ぎを聞いて生徒や先生たちが集まってきたのだ。


「人が集まると面倒よ、行こう」


 わたしは京の手を引いてそそくさとその場を去った。



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 次の日、断ち割られたお地蔵さんは学校中の話題となった。首がとれたとか杖が折れたというならまだしも、縦まっぷたつに裂けたという奇妙な壊れ方はあらぬ噂をよび、ますます大きく膨らんでゆく。わたしが聞いた限りでは、なんらかの大災害が起こる前兆だとか、誰かが亡くなる予兆だとか、根も葉もなく無責任な発言がこれでもかと飛び交い、みんながそれに夢中になった。わたしはとても話に興じる気にはなれず、それとなく聞き流していた。それは京も同じようで、彼女はずっとむつかしい顔をして考え込んでいた。


「何を考えてるの」


 きくまでもないことをわたしはきいた。京は簡単に答えた。


「昨日の男のことよ」


 昨日の男、金剛坊の言うには、彼は自分の魂を仏像に入れて、乗り移るということらしい。そして意のままに動きまわる。つまり屋敷で見た動く仏像は金剛坊によって動いたもので、昨日のお地蔵さんも同様だ。いくら仏像を壊したところで本体の男を傷つけることはできず、魂は金剛坊のもとへもどってしまう。仏作って魂入れずというけれど、あの金剛坊は本当に魂を入れこんでしまうのだ。本当にあの男を攻略するには金剛坊そのものをたおす必要があるのだろう。京はその方法を必死になって探しているのだ。しばらく考えて、わたしは言った。


「それじゃああの人が寝ているところを襲えばいいわ」


「寝ているところって、夜中に屋敷にでも忍び込むの?」


「そうじゃなくて、気を失っているところを襲うの。京も見たでしょう、お地蔵さんが倒されたあとにあの男が起き上がったところ。魂が仏像の中に入っているときはきっと男は無防備に寝ているはずよ」


「ああ、そうかもしれない。だけどそう簡単には・・・・・・」


 京はしばらく考えてから言った。


「・・・できるかもしれない」


「ほんとに?」


「ええ。ただ、あなたの協力が必要。それに、かなり危険な賭けになる」


「わたしにできることなら、なんだってするわ」


 わたしは京を見た。京もわたしを見た。それから小さくため息をつき、声をひそめて京は言った。


「あなたが言う通り、男は仏像に魂を乗り移らせているときは全くの無防備。だけどその間中ずっと見張りをたてているはずよ。昨日は特別だったけど、あんなことがあってからは当然警戒するはず。つまり本体を倒したければ一方が仏像をひきつけて、もう一方が見張りと戦わなければいけない。協力というのは、その仏像をひきつけてほしいということなの」


「ええっ」


 そんな。あまりのおそろしさに目がくらんだ。


「無理よそんなの。いいえ、無理とかじゃない。あの男の狙いは京じゃない。わたしがひきつけようにもどうにもならないわ。それだったら、こっそり屋敷に忍び込んで、寝ている本体を始末する方がよっぽど簡単よ!」


「朱美、声が大きい」


 クラスメイトの何人かが何事かとこっちを見ていた。京は声を落としたまま言った。


「無理じゃないわ。その作戦は、考えてある。それに、上手く忍び込めたとして、敵に見つかったらどうするの。見張りはきっと妖術者を立てておくはずよ」


「それは・・・そうだけど。でもわたしに仏像と戦えなんてどうかしてるわ」


「戦えとは言っていない。あなたには敵をひきつけてほしいの。ひきつけて、全力で逃げてちょうだい。その間にあたしは全力で敵を倒す。あなたに危険な思いはさせない」


「だけど―――」


 わたしは食い下がった。あんな人斬りのような仏像から逃げ回るなんて・・・・・・。


「いやなら無理強いはしないわ」


 京はそっけなく言った。ねた感じでもあてつけでもない。わたしは考える。本当ならそんなことしたくない。絶対にいやだ。死んでしまうかもしれない。―――でもそれは京だって同じだ。いや、京はわたしのため、すでに何度も死ぬような目にあってきた。考えなおす。・・・・・・だったら、今度はわたしが京を守る番じゃないか。いいや、京と一緒に戦う番じゃないか。


「・・・・・・ううん、やる。やられて死んじゃうのはいやだけど、もし京が負けて、わたしは友達と戦わなかったなんて一生後悔するのはもっといやだ」


 わたしは息を深く吸って、吐いた。


「仏像はわたしがひきうける!」



 放課後、わたしは京の部屋で京と向かい合った。作戦のために必要な、ある術を実行するために―――。


「いい、朱美。今からあなたはあたしに、あたしはあなたになる。あなたの中にあたしが入っていこうとする。そしてあなたの心も内側から出ていこうとする。それに逆らおうとしちゃだめ。すべてを自然に受け入れるの」


 わかったようなわからないような顔で、わたしはこくんとうなずいた。京と手を組み合わせ、お互いの額をくっつける。冷たい。京を感じる。京の鼓動、脈拍、吐息。京がわたしの意識の扉を開けて入ってきた。京の冷たい血潮がわたしの中に一気にながれこんでくる。肌からしみ込んでくる。手から、胸から、足から。同時にわたしの意識も京の身体に引っ張られていく。か弱い抵抗を振り払い、わたしは京の中に入っていった。いま、ふたりは元の身体を捨ててお互いの体の中にはいったのだ。すべては入れ替わった。過去も、未来も、記憶さえも。


 ――――まるでフラッシュバックのように京の過去が頭にあふれる。生まれた時から幼少の頃のこと、物心ついてから、中学時代まで。あふれては消え去り、消え去ってはまたあふれる。記憶の洪水が流れ去った。


 そして、わたしは覚醒した。


 目の前には、わたしがいた。鏡の前で見るわたしが鏡もないのにそこにいた。京の前にはもうひとりの京がいるはずだ。


 京の妖術「まろび魂」。それはお互いの魂をそっくりそのまま入れ替える術だ。金剛坊の「我観音」が仏像に魂を入れこむ術だとすれば、これは魂をそっくり交換する術なのだ。最初、さすがにわたしも本当かと疑ったが、目を開けてみてわかった。体はそっくりそのまま、意識だけがお互いの身体に入れ替わる。言葉通り、京がわたしに、わたしが京になる。


 奇妙な術だが、こんなことをしてどうするのかといえば、これであの仏像の男、金剛坊をだますのだ。


「朱美、動ける?ギクシャクしない?」


 わたしの声で京は言った。はじめて聞く自分の声だ。なんだか気持ち悪い。わたしは言われるまま手足を動かし、歩いてみた。大丈夫、問題なし。京の声でわたしは答えた。


「オッケー、動けるわ」


 だますというのは、まず京の姿をしたわたしが金剛坊と立ち会い、戦うふりをして逃げる。時間を稼ぎ、その隙にわたしの姿をした京が意識のない金剛坊本体をたたくというのだ。京がわたしの身体になっても妖術が使えなくなるわけではないし、反対にわたしが妖術を使えるようになるわけでもない。なので京はわたしの身体で戦うことになる。


「さあ、行きましょう。お互いの無事を祈って・・・」


「ええ」


 わたしたちは暗雲たれこめる空のもと、戦いにくり出した。



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 腰まで届く雑草の中に、その仏像は立っていた。巨大な獅子の背に乗って、おだやかな表情を浮かべている。右手に宝剣、左手には蓮の花を持っていた。厚い雲の隙間からもれた夕陽にぬれた姿は神々こうごうしくて、まるで現世に降り立った仏のようだ。


 しかしそこから後光のように発せられる殺気、剣気けんきはすさまじく、場の空気を色濃く塗り替えていた。


「来ると思っていた」


 仏像から声がした。金剛坊の魂が喋っているのだろう。


「私の我観音を二度も破ったのはお前が初めてだ。だが、三度目はない。お前が第一号になることもない」


 仏像はわたし(の身体)を見た。


「今度は邪魔の入らぬよう、この娘はここに置いてゆく。無明坊むみょうぼうさま」


「おいよ」


「妙な手をさしはさまぬよう、ここで見張っておいてください」


 屋敷の陰からでっぷり太った黒衣の坊主が現れた。無明坊だ。金剛坊はボスの返事を待たず、京の姿のわたしを伴って森の茂みへと消えた。最後にわたしは京に目で合図を送り、京の無事を祈った。


 ・・・まず、金剛坊を屋敷から引き離すことには成功した。しかし、京は無明坊に見張られている。こうなっては上手く不意をつかない限りは戦うよりない。最初に倒された坊主は、無明坊の妖術を「すさまじい熱の妖術」と言った。だとすれば京にとってかなり不利な戦いを強いられるのではないか・・・・・・。



 金剛坊は先を歩いている間、ずっと無言だった。わたしの心臓は相手に聞こえそうなほど高まり、全身にいやな汗がじっとり流れた。やがて、すこし開けたところに出た。金剛坊は向き直り、宝剣を構えた。


 きた。きてしまった、この瞬間が。正直言うとここに来るまでに仏像がぐらりと揺らぎ、そのままドスンと倒れてしまうという間抜けな光景をわたしは期待していた。だが現実はそこまで甘くない。わたしを京だと思い込んでいる敵は容赦なく襲いかかり、ぼやぼやすればわたしは昨日のお地蔵さんのようになってしまうだろう。


「どうした、早く術をかけろ」


 赤典太のことを言っているのだろう。しかしわたしは妖術を使えない。


「ここだと西日がさして眩しいわ。位置を変えるわね」


 あえて余裕そうなそぶりを見せてわたしは九十度立ち位置を変えた。


 眩しいというのは半分本当で半分嘘だ。山の下に続くけもの道は金剛坊の背後にあった。敵と向かい合うこの位置からではダッシュして仏像の脇をすり抜けなくてはならないが、とてもそんな自信はない。しかしこうして逃げ道を横手に確保しておけば、少なくとも正面をすり抜けるよりは楽に逃げられるだろう。


 ふたたび対峙して、金剛坊は剣先に殺気を込めた。寒気のするような気迫にわたしはすくみあがった。深く息を吸い、吐く。気分を落ち着かせる。そして京がやるようにカッターナイフをつかみ、右手を傷つけようとして――――――投げた。ポーンと高い弧を描き、それは金剛坊の背後に落ちた。あっけにとられる金剛坊をよそに、わたしは走り出した。足が勝手に動く。まるで両脚に「ここにいたくない」という意思があるかのように。呼吸が乱れる。後ろから金剛坊の怒号と、おそろしい足音が聞こえてきた。


「臆したか卑怯者!返せ!」


 ―――いやだ、いやだ。恐ろしい速さでわたしはかける。逃げ足には自信があった。木の根につまづいたり、足がもつれたりしなければ追いつかれることはないだろう。木の葉が顔や肩にぶつかり、後ろにふっ飛んでゆく。だというのに、馬のひづめのような音はどんどん迫ってくる。ああ、捕まる!


 その瞬間、そでをつかまれそうになる気配に、わたしは思わず身をひるがえした。仏像は空をつかみ、勢い余って木にぶつかった。細い木は折れてしまったが、男はひるまない。すぐにまた走り出す。開いた距離はまたたくまに縮められてしまった。しかし、向こうの方に学校の裏門が見えてきた。森の出口だ。やった、学校に入ればなんとか逃げ切れるかもしれない!


 わたしは勢いを増した。しかし敵はわたしの狙いを察し、大きくジャンプした。わたしを飛び越え、目の前に着地する。わたしは焦って止まろうとし、かえって足がもつれてすっころんだ。血と泥の鉄のような味が口に広がる。吐き出す間もなく顔を上げると、喉笛に宝剣の切っ先が突きつけられていた。


「なぜだ・・・・・・なぜお前は・・・」


 金剛坊の声は怒りに震えていた。


「私はお前を好敵手だと思っていた。妖術師としても剣士としても年齢以上の実力があり、立場が違えばさぞやよき友になれるであろうと思った。お前を斬ることに懊悩おうのうもした。だというのに、なぜ逃げる!なぜ私と剣を交えぬ!今になって臆病風にふかれたか。答えろ!」


 わたしの頭は意外なほど冷静で、冴えていた。この場を切り抜けるにはどうしたらいい?様々な選択肢が挙がっては消えた。わたしは機械のように一瞬で吟味ぎんみした。ひとつの選択肢を選び出す。


「わたしは京じゃない」


「なに?」


 それは、正直に話すことだった。すべてを話し、金剛坊を帰すことだった。それ以外に道はない。これで作戦は破綻し、敵は京と一戦交えることになるが、上手くいけばこの金剛坊のことだ、身体が元に戻るまで待ってくれるかもしれない。


「たわけたことを・・・」


「ま、待って!これにはわけがあるの!」


 その一言で振り上げた宝剣を止めたのは、彼が京に入れこんでいたためだろう。わたしは妖術「まろび魂」のことを話した。お互いの魂を入れ替え、いまや京がわたしで、わたしが京だということを。あわよくば時間稼ぎのつもりだったが、金剛坊は一向に力尽きる気配はない。それどころか、おろしかけた宝剣をふたたびかかげた。


「見損なったぞ娘。臆するあまり、そんな詭弁きべんをろうしてまでこの私をたばかろうとするとは・・・!もうよい、死ねっ」


 わたしは目の前が真っ暗になってゆくのを感じた。今度こそだめだろう。わたしは京の身体を失う。わたしの魂がどうなるかは知らないが、京の身体は間違いなく死ぬ。―――ごめんなさい、京。わたし、あなたの身体を守れなかった・・・・・・。


 しかし、喉の真上にかかげられた宝剣はいつまでたっても振りおろされない。恐る恐る目を開けると、金剛坊は何かに気を取られた様子で遠くを見つめている。


「な、なにをしているのです無明様!」


 そしてわたしには目もくれず、今来た道を一目散にかけ去った。なにが起こったかわからないが、とにかく助かったらしい。信じられなかった。高鳴る心臓はまだ落ち着かないし、手の震えもおさまらない。


 ふと金剛坊のかけ去ったほうを見ると、これまた信じられない光景が目に飛び込んできた。ちょうど館のある方から、メラメラと火の手が上がっているのだ。金剛坊はこれを見て慌てたのだろう。館の中には彼の本体が眠っていて、無明坊が見張りをしているはずなのだから。


 なにやら恐ろしくなり、わたしも同じ方向に、そろそろと歩き出した。



                   4



 京―――の姿をした朱美―――が去ったころ、不意に無明坊が言った。


「さてと、こちらもそろそろ始めようか」


「え。な、何をですか・・・?」


「とぼけたって無駄だ。お前のように恐ろしく隙のない素人がどこにいる。おそらく何らかの術を使い、あちらの娘と意識を入れ替えたのだろう。金剛坊の無防備な身体を狙ってな」


 そのとき、京は一気に二メートルも跳び下がった。


「さすがね。あなたの部下もそれくらい察しがよかったらいいんだろうけど」


「はっはっは、やつもまだまだ修行が足りぬな」


 無明坊は黒衣の懐から一本の巻物のようなものを取り出した。それをとんと軽く突くと、たちまち一メートル弱の鉄杖になった。先端を相手の喉元に向け、槍を構えるようにゆったりと構えた。


「ゆくぞ」


「いつでも」


 京の右手から血の刀が伸びる。いまは、朱美の身体だが。同時に赤熱した鉄杖が彼女の顔を立て続けに襲う。京は顔を焦がすような連撃をギリギリでかわした。あるいは刀ではねのけ、あるいは身体をのけぞらせて。


 京が態勢を立て直すと、今度は一投足いっとうそくの間合いのまま、剣先での機先の制しあいが始まった。どちらも無言のまま殺気をぶつけ合い、タイミングを計る。―――先に動いたのは無明坊だった。杖を京の喉元に突き出すと見せて、杖の根元で赤典太を絡めとり、宙高く跳ね上げた。そして頭上に襲い掛かる鉄杖を、京は白刃取りの要領でとらえた。常人なら皮膚がただれて肉も焼けるところだが、彼女の妖術「氷獄ひょうごく」は無明坊の「赤熱掌せきねっしょう」を中和するようだ。そしてとらえられた杖は万力に挟まれたかのように動かない。しかし、無明坊が杖を一振りすると、反対に京の方が屋敷の壁に、軽々と振り飛ばされてしまった。


 京はそのまま壁に激突するかに見えて、空中で態勢を立て直し、なんと黒ずんだ木製の壁にぴったりとくっついた。実はこのとき、彼女の両手両足から凍った血の刃が突き出し、壁に突き刺さったのだ。京は勢いよく壁を蹴り、空中からふたたび伸ばした赤典太で攻撃した。たんなる上からの鋭い一閃ではない。赤典太の長さが、無明坊からは見えなかった。間合いを計りかねた無明坊は頭上を守って跳び下がったが、その太刀筋は半月を描いて彼の胸部をえぐった。あと一歩でも前にでていれば、その切っ先は肺まで届いていたろう。


 ふたりはもう一度得物をかち合わせた。何合も熱と冷気を混ぜ合わせているうちに、無明坊はふと妙なことに気づいた。突然、敵の刀が長くなった気がしたのだ。いや、ではない。事実、京の赤典太はしだいに長くなってきている。今しも無明坊の体に生傷、切り傷が無数について危なっかしい。そう、実は京の赤典太は敵と自分の血を吸って徐々に刀身を伸ばしているのだ。その変化はわずかでわかりにくく、相手にしてみればいつのまにか自分の喉元まで迫っているので実に脅威きょういだ。


 京は離れた距離から大きく踏み込んだ。本来届かないはずの距離を、血で長さを増した刀はやすやすとつなぐ。無明坊はたまらずたたらをふんで、二歩、三歩と後ずさった。京はその一瞬のスキを上手くとらえた。わずかに刀の先端を振り上げると、飛び散った血液が無明坊の両目に降りかかったのだ。異物の混入に眼球が悲鳴を上げ、たまらずまぶたを閉じる。致命的な一瞬だ。京の素早い一太刀が襲い掛かる。風の気配を敏感に感じ、無明坊が巨大なまりみたいに横っ跳びに転がった。しかし立ち上がった無明坊には左手がなかった。手首から先がちょん切れて、鮮血が噴き出しているのであった。


「し、しまったっ・・・!」


 赤典太は無明坊の左手首をとらえ、切断された左手は膨大な熱を持ったまま屋敷のそばに転がった。すぐさま葦草に火が付いて、風にあおられて火の手は屋敷にまで広がった。古い、乾燥した屋敷はよく燃える。炎が丸ごと屋敷をのみ込むのにそう時間はかからなかった。


「ああっ、金剛坊・・・!」


 傷口をおさえ、急いで仲間の身体を運び出そうとする無明坊の前に、京が立ちはだかる。ものも言わず赤い刀をひらめかすと、葦草が細かくちぎれて消えた。


「どけ、お前の相手をしている暇はない!」


「そこへ行かせるわけにはいかないの」


 奇妙なことに、ここでは無明坊が屋敷に入ろうとし、京がそれを食い止めるという戦いが展開されていた。と、屋敷のはりが焼け落ち、雷鳴のような音を立てて落下した。無明坊が絶叫する。


「くっ・・・ゆ、ゆるせ金剛坊。お前の仇はこのわしが必ず討つ。娘、この借りは三日後の夕刻、この場所で返すっ。忘れるな!」


 無明坊は白い骨と、魚卵のような黄色い脂肪の見える左手首の断面を右手で焼いた。肉の焼けるいやな音とにおいがあたりに漂ったと思うと、太った坊主はどこかへ消えていた。しかしそれを追う余裕はないようだ。向こうから獅子の仏像が足音ひびかせやってきたのだ。


 金剛坊はその勢いのまま京に突進した。京はわずかに姿勢を低くしてこれをかわす。仏像は燃えゆく屋敷に突進した。彼女が態勢をたてなおす暇もない。獅子は紅蓮の炎を身にまとい、狂ったようにとびかかってきたのだ。


 京は、無理に立とうとはしなかった。獅子のとびかかる方向に身を倒しざま、地面と垂直に立てた刀を滑らせた。赤典太はわずかに溶けたが、それでも青銅の獅子を首から尻まで唐竹割からたけわりにするには十分だった。赤い炎をくすぶらせながら、仏像は地面を転がった。これで魂は金剛坊のところへ帰るが、本体は炎の中だ。今度こそ不死身の仏は力尽きた。


「京―――っ!」


 朱美が走ってきた。何があったのかは知らず、足元に転がる仏像と燃え行く屋敷を見て、すべてを察した。


「勝ったんだね、金剛坊に」


 京はうなずいた。


「ひとり、とり逃がしたけど」


 立ち上る炎を見てぼやいた。


「助けられたらよかったんだけど、あの人形たちを」


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