エスパーエトナの大出産!

れなれな(水木レナ)

第1話

 配属された特別救助隊、通称エスパーレスキュー隊で、ほんのわずか、エトナは遅れをとった。レンジャーになる夢が断たれて、しょせんエスパー能力だけをあてにされたレスキュー隊だと、侮っていた――都内を徘徊し、破壊し、破損しまくっていた「異種亜人種」グールに!

 悲鳴も出なかった。もとより彼女は声を出し、言葉に表して意識を発散することがめったにない。それを知って肩入れし――彼女がレンジャー候補から外れてさえ――味方であるといってなつき、慕い、従ってこようなどという者は、黒井 百合(くろい ゆり)<名前の通り、黒い。あらゆる意味で>くらいなもので。そうでいてさえも、そのとき「彼」がグールの前に飛び出すのを止められるものはなかった。

 グールの攻撃! 一瞬エトナの視界は暗くなり、あろうことか、地面に片膝をついて背後をふりかえろうという試みは全くの誤算に終わり――起き上がったとき、グールに襲われ、救援を待つばかりと思われた要救助者が――グールの牙の前に立ちふさがっていた。そのときもエトナの声は出なくて、いつもの相棒が「助けくらい呼んでください」と、それと察して駆けつけてきたとき、うかつにもその時の己を顧みて、まるでどこかのお姫様のようだと――「彼」をかっこいいとすら「錯覚」――そう、錯覚。恋などというものは、誰しもが胸を焦がし、相手の存在を希い、動悸、息切れ、めまいなどという生理現象に身をまかせるものと思いがちだが、エトナにはわかっていた――これは「錯覚」だ。自分がこんなふうになるなんて。オカシイのだ、と。だから彼女は開口一番、「彼」をどやしつけた。

「なんで要救助者がエスパーレスキュー隊をかばおうとか、しちゃってんの!?」

 あたりまえの感性である。が、相手はなまなかでなかった。

「こんなおっかねえ女だって知っていたら、助けなんかしなかったぜ」

 エトナは規律にしたがい、急所を狙って敵を仕留めた。それにケチをつけられたようで、カチンときていた。

「たく! この無能力者のうぬぼれや!」

 彼女にしたら、普段以上に頭を使い、言葉を発していた。しかし「彼」――レノは言う。

「ちがう! うぬぼれなんかじゃないんだ!」

 何が違う? 超能力皆無でエスパーレスキュー隊を頼んだくせに、それをかばうだなんて――多分、レノは彼女の制服を見て初めて知ったのだろう。彼女が無敵を誇るエスパーレスキュー隊一の「切り込み隊長」であることを。だが、彼はたどたどしくも語る。

「俺は、誰かを助けるために生まれてきたんだ。おばあちゃんが言っていた」

「ハア!?」

 彼女は、唯一活用できる反論を――反論である。いろんな感情をひとまとめにした一言を――口にした。正直思っていた。あんた馬鹿じゃないのと。


 その後恋とやらは数年かけて育まれ、いくつかの出会いと別れを繰り返し、まるで予定調和のように二人は結婚した。都心がグールに滅ぼし尽くされて、立ち入り禁止区域になった今、初めての出逢いから十年が経っていた。もう彼女は十代の小娘ではなかったし、相手もよくわからないのに熱を上げるほどの無謀さ、軽率さは持ち合わせていなかった。

 ただ、今は「彼」のことを見そこなっているかもしれないなとは思っていた。

 エトナは結婚して「冬馬(とうま)」姓になっていた。相手のレノは前妻がいて、結婚してすぐに生まれた子が驚異のエスパーだったため、その出自を疑ったため怒らせてしまい、子供を抱くことも一回もなく結局離婚届に判を押さざるを得なかった。今も妊娠中の彼女を置いて仕事に行くと言ってきかない。お産は病ではないのだからと非協力的なのだ。せめてもと赤ん坊が生まれたときには世話を頼むと頭を下げたのだが、彼は不愉快そうに顔をゆがめ、苦手意識を隠さなかった。

 まずは仕事帰りに買い物を、掃除洗濯、物の上げ下ろしから、電球の取り換えまでを頼んだところ――あからさまに嫌そうにしてエトナを難じた。しかしお産は――レノの子供を産むことは彼女にしかできない。エトナは辛抱強く、繰り返し説得して――ときには涙をこらえ、家事一般をしつけたのだが……。レノは仕事に専念させてくれと繰り返すのみで――いやいやでしか協力してはくれなかった。


 予定日まであとひと月。

 こんなときだというのにレノは酒に酔って階段から落ちてしまった。無能力者であるので、個人ガードもクッションもきかなかった。

 あまりの惨事に動転したエトナまで――要はカルシウムが不足していた――足首骨折。ギブスをはめられ動こうにも動きがとれない。物が食べられないのと――食欲がないわけではない。決してない――部屋から一歩も出られないので大いに困った。その頃から一軒家に家鳴りが激しくなっていた。原因は一つ。エトナの超能力の暴走だ。ピリピリとその「とき」がき始めている。

 仕方なくエスパーレスキュー隊でコンビを組んでいた百合を呼び出すこととなった。さて、百合はというと、自分の生活で手いっぱいだからと断ってきた。薄情者めと怒鳴ったらどんなにかすっきりしたかわからない。だが目的はすっきりすることではないのだ。頭を下げて頼みこむ。

 エトナが動けないというと、それならレスキューを呼べとあべこべなことを言われた。なんのために連絡していると思っているのか。エトナは情けなくなった。

 あれやこれやと気に病むのはレノの仕事で、結局、そうしているうちやはり百合の手を煩わせることとなった。

 レノにとってはしばらく気晴らしをし、エトナと距離を持つことが必要だ、というのが百合の主張だったが、初産のエトナは不安でたまらなくなり、結局一緒に出かけてしまった二人に連絡を取ったと思った一回きりで産気づき入院。初めての陣痛と、孤独に耐えられず発した超能力が壁に亀裂を走らせ、戸棚や花瓶も割ってしまった。

 こわい。それがエトナだけの感情によるものかは別として、こんなときだが、することもない男はどうしようもない、と心の傷口をさらすレノに百合が元気づける。

 二人はいい雰囲気になってしまった。

 その時二人がいたのはプライベートとパブリックを兼ね備えた――気やすいけれど談話する場にもできる居心地のいいカフェ。随所に手作り感のある2000年代ふうで、なにかと言いつけられて気の滅入っていたレノにとっては安らぎを。事情がまだのみこめていない百合には安心を提供していた。エトナからの連絡を受けて病院に向かったのは、二人息があってからなのである。どうおかしいかはわからないけれど、落ち着かないのでエトナは陣痛に苦しみながらも問うてみることにした。

「レノ、荷物は?」

 あまりに無難な話題であった。

「ああ、持ってきたよ」

 まるで君のことが心配でしんぱいでならないよ、というムードをまとっている。エトナは百合が何かしたのだと思った。

「そ、そう」

 そう言った彼女の隣の部屋で、パリンと不可逆的破壊音がした。

 分娩室はまだ空かない。隣の控えのベッドの上で、エトナはイチゴの練乳がけを食べていた。

「昔から、エトナ姐さん、これ好きでしたからねえ」

 百合が言った。確かにこれは癒される。さすがもと相棒の機転とエトナは涙ぐんだ。

「陣痛が……五分おきに、なっています」

 歯を食いしばって看護師に告げたエトナに、レノが言う。

「最初の勢いはどうした。おまえらしくないぞ」

 とたんに水差しがひっくりかえった。

 あまりの能天気さにカチンときたエトナだったけれど、そうだ、この良きにつけ悪しきにつけスコンと抜けた明るさがいつにおいても自分を救ってくれた。エトナは出逢った頃を思い出した。

『俺はだれかを助けるために生まれてきた』

 言い切った彼は輝いていた。レノは一緒にいてくれる。

「あのレノさんでよく我慢できますね」

「ほんと、あてになるのは百合だけだよ。昔も今もね」

 ひそひそ言い合っていたが、レノには聞こえていた。

「俺だって分娩室に入る勇気くらい、ある!」

 その声は震えていたけれども、言い切った! 花壇の花が勝手に咲き乱れた。

 百合は黙って退室した。

 子宮口が五センチ開いたといって、エトナは医者からゴーサインをもらい、分娩台へ上がった。レノは宣言通りついて行って、けれどショックで立ちすくんでいた。

「いきんで! 方向違うよー! よし、頭が見えてきた。できるだけ長くいきんでー!」

「ううあああー」

 エトナの明確な悲鳴と共に、器具の全てが飛び散った。

「明かり!」

 落ち着き払った施術師の声がした。

「予備電源、まだか」

「無理です、先生」

「じゃあ、ライターをもって来い」

 遠くでごちゃごちゃという声が聞こえた。

「一番苦しいのは赤ちゃんよ。次の波で産んじゃおう!」

「はい、もういきまない! 生まれたよー。短息呼吸よ、ヒッヒッフー」

 真っ暗な中に一つの命が息づいていた。

「おぎゃあああ」

「あかちゃん、無事です!」

 その声に、こんどは産院じゅうの花が咲き乱れた。

「あかちゃん……私の」

「おかあさん、お子さんはその……エスパーでした」


 レノはこのとき「俺が二人を守る!」と強く心に思った……らしい。実際は「頑張れー、頑張れー」と言うのが精いっぱいであったのだけれども。産まれた赤子は性別を確認する前に宙へ浮遊した。へその緒でつながっているというのに、もうすでにエトナの思うようにならない。そのときのレノの一言が、

「ナイッシュー!」

 だったというのはお慰み。


「ねえ、お願い知恵を貸して! 百合」

「ええー、私は部外者だしー」

「そんなこと言わないで、お願い。そこをなんとか!」

「姐さんにそこまで言われちゃあ、しかたないなあ」

 エトナはなんとかして、レノにあかちゃんを抱いてほしかったのだ。それには赤ん坊に否が応でも思い入れを持たせるしかない。

「レノ、この娘に名前をつけて」

 エトナは言った。百合もせっせと後押しする。

「すごーい、レノさん似の女の子よお。きっと幸せになるぞ。にくいわああ!」

「そ、そうか。……女の子か。俺に似て幸せになれるかな?」

 エトナはここぞとばかりに目に力をこめて言い放つ。

「なれる。私がそうだったように。レノ、この娘を守ってくれる?」

 あれほど盛り上がった癖に、返事ははかばかしくない。どうして? とうつむくエトナに百合が言う。こっそり。

「もうちょっとですよ」

「え?」

「お父さん、とても自信がありません。でも、落ち着いている今なら……なんとか」

 とかなんとか、百合はぱっとあかちゃんを腕に抱き、おむつを替える動作をした。あ、それはなんだか知ってるぞ、という顔のレノに、エトナはすかさず超能力でベビーバスにお湯を用意して、さあ入れてと指示した。

「俺が? 壊しちゃうよ……」

 どれだけ神経が細い男かとエトナは考えた。百合なら何とかしてくれる。さ、百合。と思うや百合が言う。

「駄目。ここはお母さんが、お願いしないと」

 お願いなら何度もしたのだ。産まれる前からずっと。でもレノは勘弁してくれと逃げ回るだけで全然覚悟を決めてくれなかった。おぎゃあとレノ命名「エリカ」が泣く。余計に怖がって近づこうとしないレノ。もうどうしてあんたはそうなのと怒鳴りたいのを我慢するがお腹に力が入らない。ここはどうでもレノをたよりにするしかないのだ。

「お願い……あなた」

「うー……ん」

 生まれたての子は首がふにゃふにゃしていて据わらないから、後頭部を手のひらの大きいところで抱えるようにして、と抱き方を教え直すと、ぶるっていたレノも恐る恐る手を出す。

「こ、こうか……?」

 適正温度に調節した湯にそっとつけると、エリカはふにゃあっと笑った。

「笑った……?」

「あ、お父さんの手が気持ちいいんですよ」

「俺を見て笑ったのか?」

「男の人の手って大きいから。入浴にはやっぱりお父さんの力がないと」

「エリカが笑った」

 そんな、まだ目も開かないというのにおかしな話ではあったが、なにかのはずみで顔の筋肉が笑ったように動いたのだと思うことにしたエトナだった。そうしてエリカの入浴を任されるようになって、レノは我が子に聞かせようと歌を作り始めた。作曲は百合。ララバイ――子守唄ということだったが、それにレノの詩をのせて仕上げたという。

「軍歌みたい」

 レノが声を張って腹から歌うのでそう聞こえてしまうのだ。だが、レノは聞かない。

「われらのーふるさとーわれらのーこきょうよー」

 必死の形相で歌い続けるレノ。情操教育としてはどうなのか? ――悪くない。エトナは思う。親が作った歌で育ったエリカは、きっとオリジナルの人生を歩むだろう。たとえ、無能力者の血をひいていようとそれだけは間違いない。

「俺はやっぱり、エトナとエリカを守るために生まれてきたんだな」

 レノはそんなことを言うようになった。 

 もう百合は家を空けていられないと、ガチガチにスケジュールを決めて、横浜から静岡に帰ろうとしている。

「もうちょっと、頼めない……?」

 そんな気弱な台詞を聞き流して百合は言う。

「寂しいだけでしょ姐さん。レノさんがいるじゃないですか。もうお二人は大丈夫、いえ、お三方でしたね」

 百合は微笑んで帰った。

 昼間はエリカと二人きり。相棒は懐かしむ暇さえなく帰ってしまった。ひびの入った部屋でエトナが泣いて過ごしていると、帰宅したレノがまた脅えた。でも今度は抑え込むことはしないで直接ぶつける。

「レノ、仕事終えるの早かったのね」

 無難な挨拶にほっとして、にこっと微笑むレノ。

「ああ、この頃出張ばかりだったしな。ちゃっちゃと片付けてきた」

 もう、ルンルン気分なのである。こんなことは新婚のときでさえなかった。エリカサマサマといったところだ。

「そう」

「泣いてたんだな……目、腫れてる」

 そう言って、レノは百合作曲のララバイを歌ってくれた。ささやくようなやさしい声音で。

「親もない俺だけど、故郷はおまえ。同じ場所で同じ気持ちできっと歌おう……だから、俺にできることは何でも言って」

 確証のない誓いの歌だった。だけど変わらぬ想いをこれからもずっと聞かせようというレノの気持ちは嬉しかった。

「そんな……みんなあなたのこと、素敵なパパだって言ってるわ」

 姫抱きにするレノの腕の中で、心だけが立ちすくみ、おだやかな愛の歌に泣いたエトナだった。


   了

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