少女四人は『風林火山』

 植物とは、他の生命を育む命の根源となるものだ。

 酸素を生み出し、地を潤わせ、食物を提供する、あらゆるものにおいて無駄がない純粋な生命体――。


「右手が熱い……」


 リサの右手からは蔦が生まれて、鞭のようにしなっていた。生命力に満ち満ちたその蔓が、自分は活きているのだと主張するように躍動する。

 そのチカラの熱量に、リサは驚きながらも、不思議と心は静かに、思考は綺麗に晴れ渡っている様子だった。

 リサは右手のエネルギーの発生源が、自分の指先にある小さな刺し傷だと分かった。そこから、血がぷくりと出ているが、それがとても熱く、重く、尊く感じられたのだ。


「アヤネが……」


 リサの指についた刺し傷は、アヤネが必死に思い出撃ち込んだ風の針によるものだ。

 リサは倒れているアヤネに目をやって、そして、正面でうろたえている水の龍に化けた、単なる魍魎に鋭い視線を向ける。


「笑ったな」

「な、なに?」


 右手から、いくつもの蔓が伸びていく。それらはあっという間に成長し、葉をつけ、花を咲かせて、実を作る。

 リサの凄まじいエネルギーに気圧されて、シェイドは慄いた。リサの凄味ある声に、上ずった声で訊き返してしまうほどに。


「夢を、笑ったな」

「夢だと……?」

「アタシたちの夢を、バカにした奴は……誰だろうと許さない!」


 リサは溢れかえる生命力に満ちた蔓を躍らせて、シェイドへと攻撃を開始した。無数のヘビのように蠢く蔓が、リサの右手から延ばされて、シェイドに対して鞭のように振るわれた。

 その素早さと、伸縮自在とでも言わんばかりの躍動に、シェイドは身体を捻って回避しようとしたが、まるで誘導ミサイルのように、ぐねりと軌道を変え、リサの『らしさ』が水龍のドテッパラに突き刺さる。


「グフッ……」

 水の身体に突き刺さった蔓が水流を裂き、水龍の身体を分断していくと共に、固い果実が無数に、キャノンボールの如く相手を撃ち貫いていく――!

 ドシャドシャッ、と水が破裂する音と共に、苦悶の声を上げたシェイドは、驚愕の表情を浮かべていた。


「あんたの感情は、その腹の中に浸かっていたお陰か、よく分かったよ」

「ぐ、ぐう……っ」


 気が付くと、目と鼻の位置に植物使いの異能者が立ちはだかっていた。まだ子供が、小娘が見せることのできないような凄味を携えていた。

 転生者は、はっきりと分かってしまった。相手との実力差を――。

 この、ミドルティーンの少女のほうが、自分よりも上手だと、思い知った。


「こんな人生になるはずじゃなかった……。毎日の仕事に時間を潰されて、自分のやりたいことができなくなる――。それが嫌になったんだろ」


 リサの圧力に、異世界転生者は何も言えないまま、相手の瞳を見つめていた。


「理想と現実が違い過ぎて、世の中が嫌になった。だから、異世界転生に縋りついたんだな。ゆったりとした喉かな人生を満喫するために、こんな温泉の世界を組み立てて」


 温泉は、心安らぐ場の象徴。温泉でも掘り当てて、悠々自適に暮らしたい。そんな安っぽい考えが、異世界で叶えられるとしたら。

 異世界転生者は、そこに悩むこともなく飛びついた。

 現世になんのしがらみもない。あんな世の中こっちから願い下げだ。捨ててしまって楽しく生きていける世界に移住したほうがいいに決まっている。

 そんな風に考えていた。

 安直な快楽に手を伸ばした弱い精神が、若く希望に満ちた精神を疎み、夢を笑い、潰す。こんな腐った社会で夢を見て、努力をしている者たちが猿のようにバカだと思っていた。

 だから、リサのような若者が、気に入らなかった。何も現実を知らない癖に、夢を追うことは素敵なことだと瞳を輝かせている間抜けが。


「お前みたいなバカが居るから……、世の中が狂っていくんだよッ……! 夢だ? 頑張りだ? そんなのは無駄なんだ。上を目指そうとするから、世の中は歪んでいく! 慌ただしく人を道具みたいに使い捨てていくのさ!」


 シェイドは感情を露にして、まるで用事が駄々をこねるようでもあった。それは事実、この異世界転生者が自分の世界で感じて、溜めたストレスから吐き出されたものだったからだろう。


「みんなが争わず、競わず、緩やかな時間を、のんびりと過ごしていれば世界は平和になるんだよッ」

「そいつは、ちょっぴり違うな」

「なんだとぉッ?」

「お前が語っているのは、単なる諦めだ。平和なんかとはまるで違う。みんな何もしなければ、心が荒むことはないだろうさ。でも、心が弾むこともなくなる」

「それでいいじゃないか! 何が悪い! 人の心が上下に振れて、心が摩擦を生むから人はストレスをためるんだ! だったら、常に平静に、穏やかにスローライフを生きていけばいい!」


 水龍がその身体を変化させ、女性のシルエットへと変化させていた。

 それが異世界転生者の魂の形なのだろう。その女性のシルエットは、痩せこけた棒切れみたいな女だった。瞳は狂気に染まっていて、自分の人生を投げ捨てたように、他者の命もなんとも思っていない。

 世の中が気に入らないから、暴れて騒ぐ、社会不適合者と呼ばれる人間の顔だ。


「そんなもん、動物ですらない!」


 リサは穢れた魂を殴りつけるように、頑として言い放った。


「気持ちがずっと平坦なんてアタシは嫌だ! 人間は、泣いたり、苦しんだり、笑ったり、はしゃいだりするから、人生が彩られるんだろうが!」

「何も知らないガキが! 社会はそんなに甘くないんだよ! 人間は社会のパーツになることを強制されて、矯正されるんだ! 個を潰して、歯車になるように働きかけるのが世の中だ! 泣くも笑うも封印されるんだよ!」

「だから、アタシらが世の中を変えていかなきゃならねーんだろうがッ!」


 リサのボーイッシュな声が、スローライフの世界に響き渡り、纏わりつくぬるい空気を払いのけた。

 歪みを生む、湯気が晴れ、視界が開ける。

 じっとり汗ばむ湿度も失せていく。


「世の中は、変わらない……変えられないんだよ、生っちょろい青二才が!」

「アタシらの世界は、人の世界だ。人が生きる世界なんだ! 『人でなし』に、居場所がなくなるのは、当然だ!」


 リサの右手に花が咲き誇った。そして、異世界転生者の魂には、種が植え付けられていた。

 異世界転生者を貫いていた蔓から、送り込まれた熱い種は、相手の体内でそのまま芽吹き、育ちだす。


「う、うあああッ……!」


 シェイドは内側に広がっていく強烈なチカラに、悲鳴を上げた。

 爆弾を体内に埋め込まれたようにも錯覚できるそれは、異世界転生者の魂を蒸発させていく。


「あ、熱いっ、なんだこれはッ――」

「それが、『夢』だ」

「夢だとぉ……? そんなもの、要らない……夢なんか見たって、後悔するだけなんだ……!」

 シェイドが腹の中に突っ込まれた種を引きずり出そうともがきだした。

 苦悶の表情を浮かべて、のたうち回るが、リサの種はどんどん大きく成長していく。


「お前が最初に、お母さんに憑りついた理由――。アタシのお母さんも、同じこと言ってたよ。夢なんか見てないで、堅実に生きろって」

「そ、その通りだ! それがやがて自分の人生を破滅させるぞ! 夢なんか見てる奴は、バカ丸出しなんだよ!」

「バカでいいんだ」


 リサは清々しく、言ってのけた。

 もう、異世界には清涼な風すら吹き込み、リサの生み出す花の香をのせているほどに。


「バカでも世の中を変えられるんなら、アタシはバカでいい」

「こ、後悔するぞ……絶対だ! お前は後悔して、無様な人生を送る! 絶対だぁ! ぜったいにいいいいっ――」

「もう一つ、教えてやる」


 種は育ち、茎をのばして葉をつける。シェイドの心臓に当たる場所まで伸びていき、そこで綺麗な花を咲かせた。どこにでも咲くような、たんぽぽだった。


「夢は後悔を生み出さない」


 ぱしゅうぅぅぅうう……。

 たんぽぽが、花を咲かせてそして綿毛になる。その頃には、シェイドの形は完全に消え失せていた。

 やがて、綿毛が風に吹かれて飛んでいく。哀れ過ぎた魂を、もう一度芽吹かせてもらえるように。


 異世界の結界が崩れていき……。そして、空間は温泉の風景から、リサの私室に変化していった。


「リサ……」


 背後からのカナの声に、リサはハッとした。

 様子を確認し、普段の自分の部屋で、異質な気配がないことに、ほっと息をついた。


「カナ、大丈夫? 他の二人はっ?」

「私は平気。アヤネとハルカの状態を確認してやろう……」

 先ほどまで全裸だったはずだが、結界から抜け出すと、きちんと服を着ている。リサの母親が貸してくれたシャツで、雨に濡れた制服は干されている状態だった。

 リサはハルカを、カナはアヤネを抱きかかえて、声をかけた。

 程なくして、二人とも瞼を開き、それからリサを見付けて抱き着いた。


「リサさんっ」

「よかった、よかったよぉー!」

「ちょ、ちょっと、苦しいってっ」

「我慢しろよ。お前のこと、本当に心配してたんだぞ」

「そ、それは嬉しいけど……、二人とも、ちょっと離れて~!」


 リサの悲鳴に似た声に、アヤネとハルカはやっと身体を引きはがしてくれた。


「リサちゃんも、目覚めちゃったんだね」

「ああ、そうみたい……。ちゃんとまだ分かってないけど……みんな、説明してくれるよね?」

「はい、勿論です! ね、カナさん!」

「そうだな……」

 カナが苦笑しながら、シェイドのことや、これまでにリサが知らなかったアヤネとハルカのチカラのこと、状況の説明などを行った。

 一応、記憶を消す事もできると申し出たが、リサは案の定、突っぱねた。「仲間外れにするんじゃない」と。


「でも、わたし、リサちゃんは水のチカラに目覚めると思ったけど……」

「植物を生み出すなんて、予想外ですね」

 リサの能力を確認して、アヤネとハルカが興味深そうにリサを見つめた。なぜかリサは気恥ずかしくなり、頭をぽりぽりとかいて誤魔化した。


「わたし、実は色々と妄想してたんだけどなー。土のハルカ、風のアヤネ、火のカナ、水のリサ。四人そろって異能四天王! 火は我等のなかでも最弱……とかー」


 ふわふわとそんな妄想を語るハルカに、みんなはすっかりといつもの空気を取り戻していた。ついさっきまで死闘を繰り広げていたなんてもうそんな気配はなかった。

 それがリサは嬉しかった。これこそが、『らしさ』をテーマにしているバンド『ソナティティ』だと誇らしく思ったのだ。


「なんで私が最弱なんだよ」

「植物のリサ、になっちまったな」


 からからと笑いながらリサは白い歯を見せる。

 アヤネはそんなリサを見つめて、ふと思いついたことがあった。


「確かに……植物のリサは、なんだか語呂が悪いですね」

「じゃあなんだ? 草、とか」

「なんかネットスラングみたいでやだよ……」

「あの、私、ちょっと思いついたんですけど……。風林火山、なんてどうですか?」

「ふーりんかざん?」


 アヤネのちょっとした思い付きに、リサがきょとんと首を傾げた。それがちょっと子犬みたいで可愛いなと感じて、密かにアヤネは笑顔を零す。


「私が風。林がリサさん。火はカナさんですし、山はハルカさん」

「あー、ハルカの胸はチョモランマみたいだしな」

「えぇー? ひどいよ、カナちゃん!」

「ふうん、面白いじゃん。風林火山……。語呂もいいし!」


 少女四人よれば、なんとやら、であった。

 あっという間に談笑に花が咲き、下らないことで笑いあい、怒ったり泣いたりもする。

 確かに、こんなのは若いうちにしか経験ができないのかもしれない。

 リサは、それでも、こんな関係を大人になっても続けていけるような世の中にしたいと思っていた。

 今の世界が嫌になってしまうような人間が増えてほしくない。

 なら、この世界に生きる人として、責任感をもって毎日を生きていきたいのだ。それこそが、『社会人』だとリサは思っている。

 立派な大人に憧れている。

 アイオリアのように。


 彼らは素敵だった。大人になっても、夢を歌ってくれていた。アイオリアがなければ、この四人が一緒にバンドをすることもなかったはずだ。

 彼らの夢は無駄じゃない。彼らがいたというだけで、生まれてきたというだけで、何かに影響を与えているのだから。

 リサは、そうなりたいと強く願った。

 夢は、激しく成長していく。


 この世界で、夢を追った人間が居る限り、その影響を受けた人々がまた違う夢を動かしていくことだろう。

 それがいつか世界に沢山広まれば、世の中を捨てたいなんて思う人も減ると信じている。ここは人の世だから。


「みんな、ありがと」


 四人のガールズバンド『ソナティティ』が、本当の仲間になった。

 風林火山の少女たちは、暗い曇天の空に染まる世界に、虹を生み出していけるだろう。

 光の虹彩は、雑多な色をしているのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女子高生ですが、異世界転生者に絡まれて困ってますっ! 花井有人 @ALTO

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ