第2話見ない世界

夏の健康診断で始めて、コレステロール値に異常と出た。祭りの際に尋ねた、母の実家では、従姉にも「太った?」と問われた。昨年の春に、退職した職場の大先輩が繁忙期に訪ねて来た時も同じことを言われた。体重は、増加していないにも関わらず、どうやら太ったらしい。

スマートフォンで、「体重  増加していない  太った」とグーグル検索をしたところ、「脂肪が増加していて、筋肉が減っている状態」であると示された。

私は。食生活の改善と、軽い運動によるダイエットを試みることにした。

走るという行為は、学生の時分から好んでいたため、精神的な苦にはならなかった。初めの2週間ほどは、体力がなく、700m走ることも辛かったが、少しずつ楽になって行った。


この日課を始めてから、1か月ほどたった日のこと。

私はひどい近視で、コンタクトレンズか眼鏡のない状態では、30cm先にすらピントが合わない。しかし、その日は、なんとなく裸眼でランニングへ行くことにした。

ランニングコースは、住宅の目の前の市民公園の外周である。距離は一周が、約750mほどで、私と同じように、ジョギングをしているものがいつも、ちらほらといる。

白の、バスケットシューズのひもを結び、立ちあがる。黄緑色の重いドアを少し開き、体をすべり込ませて、閉める。最近、建てつけが悪いのか、勢いをつけてしめないとドアが10cmほど開いたままになってしまう。私は、一度半開きになったドアを、ノブを掴み、近所の迷惑にならない程度に、力をこめて閉めた。団地によく有る形の外階段を下りて行き、車庫にもなっている、砂利のひかれた共有スペースにでる。空は、ほぼ黒に近い濃い赤茶色をしていて星は、まったく見えない。ぼんやりとした、蛍光灯の強い白い光の下に、赤い自転車が二台置いてある。あの自転車は、私がこの住宅に越して来た時から、あそこに置いてある。その前には、一台の白の軽自動車が止まっている。


屈伸を3回ほど、回旋を往復で4回ほど行う。歩くたびに、じゃりじゃりと、靴の向こうで小石が滑る感覚がする。右足の下に有ったはずの地面が急に、低くなり足が浮く感覚がした。私は、思わず声を出して左足に力を込めて、右足が地面につくことを避けた。靴底が水を撫ぜた。右目をつむると、地面はそこの部分だけ真っ黒に光っており、住宅の白い壁がゆらゆらと揺れていた。私は、なるべく砂利が高く積まれている場所を通って、自転車置き場のコンクリートの上を歩き、住宅の門へ向かった。

コンクリートで出来た、白い門をくぐり右に曲がると隣の家の倉庫のシャッターが閉まっている。二階の明かりはついてはいるが、室内まで見ることはできない。なんとなく、襖の白とその上の壁の茶色が見えていた。そのまま、まっすぐ歩くと公園の外周を覆う木々が見える。ぼんやりと、白い光をこもらせている公衆電話が見えてきた。


私は、腕に付けた時計をストップウォッチモードに変えて、スタートを押すと同時に、右向け右をして、走り出した。すぐに、自分の住む住宅が右手に見える。そのまま、走って行くと自分の住む場所よりも遥かに後にできたであろう、大きなマンションが見えてくる。外壁は、茶色でレンガ風のつくりになっている。そのマンションの生垣に、丸い街燈が置いてある。街燈は、オレンジ色の光を放っており、それが私の眼には何倍にも膨れ上がってぼんやりとした輪郭に見える。丸いことはわかるが、その丸が三重ほどにぶれて見えるのだ。目を凝らして見ようとすれば、するほどにオレンジの光は姿を揺らした。

マンションを越えると、足元がタイル張りになる。暗がりにも、赤と白のタイルがあることがわかる。この通りは右手に小学校があり、左手に公園の入口がある。公園の入り口付近で、何か黒い影が右へ行っては頭を上げ、左に行っては頭を上げた。自転車に乗っている男のようだった。頭の様に見えたのは、自転車の前輪で、それが上がる度に、後輪がゴム毬のように、ぽよんぽよんと跳ねていた。右に行っては、ぽよんぽよんと揺れ、左に行ってはぽよんぽよんと揺れる姿は、面白い。しかし、すぐに路上駐車されている、黒いタクシーの陰に隠れてしまった。黒いタクシーの室内は、緑色の光がちかちかと光っているということしか、わからなかった。

顔を上げると、信号が赤であった。この信号は、私がここに来るタイミングで必ず赤になる。だから、きっと二週目も、三週目も赤であろう。左に曲がると2車線の道路の歩道になる。頭上には、木の葉が揺れていて、街燈の明かりがところどころに微か、足ものとコンクリートを照らしている。向こうから、人が二人歩いてくる。水色のトレーナーのようなものを着ている、背の高そうな男と、ピンク色のジャージをはおった背の低い人だった。その人たちと、丁度すれ違う時に、ピンク色の服を着た方の人の声が聞こえて、ようやくその人が女性であるとわかった。次に、すれ違った人は、真っ黒い塊のようで、3m先にまで、私はその存在にも気がつかなかった。

ちょうど、木の屋根が途切れるところにまた信号がある。こちらは、必ず青色である。ここを再び左に曲がると、うっそうとした、木の下にベンチが見える。今日は誰もいないようだ。

そのまま、走ると電話ボックスのかすんだ、ケースの中から漏れ出す白い光がぼんやりと見えた。左手をちらりと見ると、4分30秒を指している。この記録は、一昨日のものと寸分の変化もない。私は、住宅の白い壁を見ながら左へ曲がった。

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随筆集め もなか @ionhco3

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