第2話 海と、山と、崖と

 少女は、列車に揺られていた。

 人気のない車内で長椅子の端に座る少女は、何をするでもなく、じいっと正面の長椅子を見つめていた。

 座面に落ちる陽の光が、一定の間隔で、左から右へと電柱か何かの影を転がしている。

 少女はデニムのパンツとサンダルを履いて、上半身にはサラシを巻いただけの軽装だった。しかし、肌寒さを感じさせる様子はない。

 タタン、タタン。と、心地の良いリズムで列車は走っていた。

 しばらくすると、そのリズムは徐々に遅くなっていく。

 少しずつ速度を落とした列車は、いつしかすうっと陰へと入り、停まった。プシュー、という空気の音がして、ガコガコン、とさっきまで陽の当たっていた側の扉がひとりでに開いた。

 扉が開いてからしばらくの間、正面の長椅子を見つめ続けていた少女は、すっと視線を扉の方に向けると、とてもゆっくりとした動作で立ち上がり、そのまま駅のホームへと降り立った。


 無人の改札を抜け、駅舎から外に出る。

 出入口から真正面に、道がまっすぐに伸びていた。下って行くその道の向こうには、視界の端から端まで真っ青な大海原が広がっていた。

 少女は海の方を見つめて、ふらふらと数歩前に出る。と、一度そこで止まり、それからゆっくりと後ろに振り向いた。

 木造の駅舎の、その向こうには、緑に覆われた山の稜線が左右にずうっと続いていた。

 少女は駅舎と山を一瞥だけすると、またくるりと海の方に向き直る。そしてそのまま、海へとつながるまっすぐな道を歩き始めた。

 道は白く日に焼けていた。

 しかし、海から吹く風は穏やかで心地よかった。

 サンダルが地べたの砂礫を踏み締める。

 道沿いに駄菓子屋のような商店があり、少女はふらりと店先を覗き込む。人影はない。

 その斜向かいに雨戸を開け放った平屋の家があり、少女は日向を渡ってその縁側を覗き込む。やはり人影はない。

 少女は道沿いの家や、生垣や、畑のひとつひとつに、吸い寄せられるように右往左往しながら、それでもだんだんと寄り道を減らしながら道を下って行く。

 そうして、少女が余所見をせずに道を下るようになって、少しして。

 少女は立ち止まった。

 石垣と生垣に挟まれた場所だった。少女は石垣の陰から、そうっと反対側の生垣に手を伸ばし、指先が陽に照らされたところで、やめた。

 道は、変わらずまっすぐ海に向かって伸びていた。視界にはいっぱいに真っ青な大海原が広がっていた。風は止んでいた。

 少女は空を仰ぐ。空は大海原よりも広く、青く、静かだった。

 少女は来た道を戻り始める。来た時よりも足早に、坂を上っていく。

 駅前まで戻って来た少女は、少し呼吸を弾ませたまま、先へと伸びる線路を目で追った。それは線路脇の小道と線路の向こうの山の稜線と共に、緩やかに右へと曲がって見えなくなっていた。

 少女は最初と同じように、無人の改札をくぐる。

 列車は、そこに居て、扉を開けていた。ホームを通り過ぎる柔らかな風が、少女の髪を少し揺らした。

 少女が無表情のままに列車に乗り込むと、扉がひとりでに閉まる。少女が緩慢な動作でやっと席に着くと、列車は、ガコン、と動き出す。

 タタン、タタン。と心地よい音を響かせて列車は走る。

 山を背に、海を前にして、少女は座っていた。

 いくつかの建物が流れ過ぎる。いくつもの畑が流れ過ぎる。少女は俯いて、正面の長椅子を見つめていた。


 どれだけの時間が経ったのかは知れない。少女が顔を上げた時、列車はまた停まり、扉は開いていた。

 立ち上がり、少女が振り向いた車窓の向こうには、小高い岩山が見える。ホームに降り立つと、手摺の向こうには白いグラウンドに、その奥の体育館か、市民会館のような大きな建物が影が掛かっていた。

 少女は寂れた無人の改札を出て、グラウンドにつながる階段を恐る恐る下る。

 時折グラウンドの砂が風に舞い上げられて、大きな建物の方に流れて、散る。人影はない。少女は風を追いかけるように、グラウンドを囲むコンクリートの道を歩いて、たまに、風に目を細める。

 建物を右手に見る道を、建物の近くまで歩いて来ると、その道の向こうに、真っ青な海が見えた。少女がそのまま道を進むと、切り立った崖の上から、深く青い海が見下ろせた。

 足下から、波が白く砕ける音がこだましてくる。

 少女は、じいっと、無表情に海を見つめていた。

 しばらくして、ふっと少女が目をやった先には、白い崖の上に、大きな廃墟があった。

 少女は、ふらりと、建物のすぐそばまで回り込む。

 扉のない廃墟の入り口から、真っ直ぐに一本の廊下が伸びているのが見えた。一方には、窓枠のような大きな穴が等間隔に並び、廊下に陽を落としていた。他方には、窓枠のような穴と、質素な扉が、等間隔に並んでいた。

 少女は廊下を奥に進む。ときどき、サンダルが小石を踏む。

 突き当たりには、壁と窓枠のような穴があって、その横に、足下まで開いた穴があった。元は、扉があったのかも知れないが、何も残っていない。

 少女はその穴から、錆びついた非常階段のような、崖から飛び出した場所に出る。

 錆びたグレーチングの床を通して、真下で波が砕けているのが見えた。

 風が少し強い。少女が風の吹いてくる方を見る。通り過ぎて来た大きな建物と、その足下に、白い岩肌の崖が見えた。風が少し湿っていた。

 しばらくの間、風にその長い髪をなびかせていた少女は、踵を返し、来た道を再び歩く。

 寄り道もせず、余所見もせず、少女は歩く。

 駅まで戻ってきた少女は、また、そこで扉を開けていた列車に乗り込むと、深く、椅子に座って、俯いた。


 ガコン。と列車が動き出し、少女は、また、列車に揺られる。

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みち 奄美ただみ @monoamami

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