みち
奄美ただみ
第1話 草原と、車両基地
そよ風が吹いている。
地平線まで続く緑の草原は、風に撫でられ緩やかに波打っていた。
そんな草原の真ん中。草がないだけの土の道の脇に、一台のベンチがあった。
そして、そのベンチに少女が一人、横たわっていた。
幾度かそよ風に頬を撫でられて、少女はゆっくりと目を開く。
ベンチに横たえられていた上体を持ち上げると、長い髪の毛先が座面を撫でた。
少女は寝ぼけたような瞳で空を見上げる。抜けるように青く、白い雲とのコントラストがまぶしい晴れの空だった。
少女は上半身にはサラシを巻き、デニムのパンツとサンダルを履いただけの軽装だった。しかし、それでも肌寒さは感じさせず、穏やかな風にじっと吹かれていた。
しばらくの間、少女はどこに焦点があるかわからない目で空を見上げていた。
それから、視線を下ろす。
少女の視線が向いた先、ベンチの正面にはまっすぐに土の道が伸び、そしてその向こうには、長い屋根と、小さな橋が見えた。それは駅に見えた。
ぼうっとその駅の方を見つめていた少女だったが、少しすると、重くてたまらないような緩慢な動作でその身体をベンチから立ち上げた。そして、一歩一歩を確かめるような足取りで、乾いた地道を踏みしめて駅の方へと歩き出した。
そこは、改札もない無人の駅だった。
入り口からは、そのまま屋根のあるプラットホームに繋がり、二本の線路を挟んで対面にあるプラットホームとは、跨線橋で通じていた。そして、それら以外に建物はなかった。
入り口を潜った少女は、俯き気味に、プラットホームに立った。
そして、右を見る。
右には、二本の線路がずうっと、草原の中を地平線までまっすぐに伸びていた。
つぎに、左を見る。
左には、二本の線路が緩やかに弧を描き、その向こうに白い建物が見えていた。
大きな長細い建屋に、いくつか小さな建物が寄り添っているようだった。
少女は、その白い建物の方をじっと見つめている。
少女に表情はない。少し瞼の落ちた目で、じいっと白い建物を見ていた。
それから、少女は視線を正面に戻した。
腰を下ろしてプラットホームの縁に座り、ずりずりと、おっかなびっくりと言った動作で慎重に線路に降りた。大げさに膝を曲げてから、プラットホームの縁を掴んで立ち上がる。その間も、少女は全く表情を変えることはなかった。
二本の線路の一方の、レールとレールの間に降り立った少女は、一歩一歩枕木を選んで踏みしめて、たまにふらつきながら、白い建物へと歩いて行った。
そよ風が吹き続いている。
そこには大きな白い建物があり、周囲にはいくつもの線路と、中小の建物が整然と並んでいた。
少女はその建物の間を、無表情に歩き回っていた。
そこには、誰もいない。
そこには、小鳥の一羽すらもいない。
建物はどれも、打ち捨てられたように空っぽだった。ひどく傷んでいるわけでもないが、長らく手入れがなされた様子もなかった。
足元には砂利が敷き詰められ、所々に雑草が覗いている。
建物の周りには、コンクリートの床と波板の屋根でできた渡り廊下が寄り添っていた。渡り廊下は、そよ風を遮らず、建物同士を繋いだり、建物に沿ったりしていた。
ふらふらと、建物に沿った渡り廊下を歩いていた少女が、不意に立ち止まった。
少女の首だけが横を向いて、すぐ側の建物を見ていた。そこには、引き違い窓があった。
少女は窓に向き直るでもなく、覗き込むでもなく、ただ窓の向こうを見る。
窓の向こうは小部屋だった。見える範囲には家具も小物もない、ただ区切られた空間だった。
唯一、部屋の対面にも、手前と同じ引き違い窓があるのが見えている。
少女は、窓の向こうの、その窓の向こうを見ていた。
そこには、地平線が見えていた。
空の青と、草原の緑のコントラストが見えていた。
少女は地平線を見つめている。
少女は、無表情だった。
しばらくそうしていて、少女は何かを思ったのか、思わなかったのか。視線を正面に戻すと、再びふらふらと、渡り廊下を歩き始めた。
幾つもの渡り廊下を歩き、幾つもの線路を跨いで、車両基地の中を歩き回っていた。
一際大きく長い建物の長辺に沿って、幾つかの線路が並走していた。その内の何本かはそのまま伸びて、中小の建物群の中を縫っていた。少女は、無表情でそれらを見て回っていた。
少女が見て回った所には、幾本もの線路があった。が、車輌は一輌も見当たらなかった。
ただ、車軸と車輪だけは、
あるものは線路脇に、あるものは線路上に、あるものは建物脇に、あるものは渡り廊下沿いに、ひとつだけで、あるいは折り重なるように転がっていた。
それらは錆びずとも、くすんで、そよ風に吹かれていた。
車両基地を一通り見回った少女は、長い大きな建物に入った。
大屋根の、長くて広々とした寂れた空間には、幾本もの線路が並び、それらは建物の内から外へと続いている。内側も全てが白く、高い所にたくさん並んだ大きな窓から、眩しい光が射し込んで線路を照らしていた。
線路の端の周りには、幾つもの車軸と車輪が転がっていた。二つ三つだけは、車軸と車輪だけで、線路に乗っかっていた。
少女はそんな建物の中をぐるりと見回す。
そして、幾本もの線路の内の一本の中に立った。
そのまま歩いて、建物の反対の端までやって来た。
開放されて、内と外で繋がった線路に従って外を見遣れば、草原を走る線路は地平線まで続いていた。
果ては、見えない。
少女は、少しの間、地平線の彼方を見つめていた。
そうしてから少女は、線路に沿って、ずうっと歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます