第19話 旅立ち

 目が覚めると吸い込まれそうな青。雲一つない日本晴れがぽっかりと空いていた。背骨が固い感触を直に受けて、不満そうに関節を鳴らす。両腕を上げて伸びをすると、固まった筋がほぐれて頭がはっきりしてきた。


 跳ね起きようとしたが、その反動で横になっていた寝台が崩壊し地面に転がり落ちる。辛うじて受け身はとったものの、肘やあばらが痛い。

 土ぼこりを吐き出して袖で顔をぬぐう。手足に異常はないようだ。胸を見る。大穴が通ったはずだが、痛みも違和感もない。ただ黒い紐のようなものが伸びていた。聖の太刀についていたものと同じ。


 そうだ。聖が勝った。最後は意識を失ったが、回復した聖ならあの程度の敵など軽く撃砕できる。ということは聖に治療してもらったのか。服も替えてある。装甲化されているとはいえ、美少女に看病してもらえる日が来るとは。頑張ってよかったかもしれない。

 そう思って彼女の姿を探すと、三又の爪で器用に服をたたむ機械馬の作業風景が視界にかすめる。

 見なかったことにするとして。


 聖は黒い紐の先に立っていた。風雨に叩かれてなおも輝くローマの建築のように傲然と佇む彼女は、静かに一点を見つめている。神塞は見るも無残な有様だった。黄金に輝いていた肌は何らかの魔力を失ったのか、馬屋の藁のようにしなびた色合いを投げかけるだけ。整然と並んでいた骨組みは根元から傾いて、ほとんどの竹は中ほどから折れている。修復は素人目にも不可能と分かった。

 聖は泣きも笑いもしない。永年守り続けた土地の滅亡に打ちひしがれることも無く。ただ次の務めを思案しているように見えた。

 

 しかし彼女は動けない。もう命令を下す国家は滅び去ったのだから。拠り所を失い、無意味な思考を強力に推進し続ける。


「聖」


 声に気づいて振り向いた。何も言わない。声が無い世界は寂しいものだ。それが僕だけの主観だったとしても、この世界は救われるべきだと思う。


「この紐って君が、治療したってこと?」


 頷く。どうやったのか分からないが、機械馬の修復を受けるには聖のような体が必要だったのだろう。いわゆるニコイチというやつだ。動いても緩みもしないし切れることも無い。これって僕もサイボーグになるのだろうか。

 飛んで回ってみるおどけたような動きは興味を惹かなかったのか、また廃墟の監視を続ける。僕も勝手にその背に話しかけた。


「部屋が壊れちゃったからね。僕はもう行くよ。あいつらをどうにかして世界の外に吹っ飛ばさなきゃならない。帰る方法もどこかで見つかるかもしれないし」


 背を向けて山の方角へ歩いていく。どこにたどり着くかは分からない。だけど歩いて行けばその分近づくことは、なんとなく感じられた。

 聖は動かない。もう連れ戻すべき檻は壊れてしまったから。どうするのだろう。どうにもならない。このまま川を渡り、砂州を後にする。孤独な戦士は延々次の指令を待って美しい季節の中気を付けの姿勢で苔むしていくのだろう。


「一緒に行こう」


 振り向いて叫ぶ。彼女も振り返って、また静かに僕を見た。


「僕の足だと山を越えるだけで冬が来てしまうよ。君の馬なら、僕だと乗れないし、どんなところでもあっという間に走っていける。手伝ってくれないかい?よければ次の命令があるまで。ほら、何故か紐で繋がってるしさ。このままだとまずいかも」



 誘いの言葉がだんだんわき道にそれてしまう。人生彼女いない歴の僕の長話を止めるように聖の手が閃き、光の文字が映えた。


「うん?」


 機械馬を指さす。


「ああ、さざなみ、漣ね。名前あったんだ」


 そんなことも知らなかった。いや、考えてみれば知り合ってまだひと月も経ってはいない。話し相手がいれば、旅も楽しくなるだろう。もっと知ることが出来る。この世界も、こうなるまでの歴史も、聖のことも。


 聖が歩き出した。姿勢が良いので歩くだけでもすいすいと進む。機械馬、漣のほうも主人の心を汲み取ってか、ぱっかぱっかと並足で近づく。

 180度開脚して柔らかく鞍に飛び乗ると、こちらに手を差し伸べる。その手を握ると起重機のような腕力で軽々座席へ運ばれた。


 上を見る。刷毛でひとなでしたように僅かに白い空。後ろまで首を傾けると、輝きがあせてなお美しい箱庭の廃墟。横を向けば、落ち着きを取り戻し、地上が擦り切れるその日まで水を運ぶ川。崩れた跡が生々しい戦いを記憶する紅葉の山並み。

 視線を前に戻す。いぶし銀の甲冑。どこか生物的な装甲の内側には、不器用で理不尽で無口な少女がいる。


 馬体が川につかり、旅の初めの境界を超える。長い、長い旅行になりそうだ。


 川のせせらぎだけが音を知らす。秋の旅立ちの日の事であった。

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HIZIRI @aiba_todome

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