石を掘る

タウタ

石を掘る

 かつん、かつん。

 硬いものがぶつかる音がする。カツンではなく、かつん。何百年も川の中を転がって、角がすっかりなくなった石みたいな音。聞いていても頭が痛くならない。目を開けると辺りは暗かった。身じろぎをしたら小石を蹴った。また来てしまった、と思った。また、同じ夢を見ている。

私は岩のくぼみに座っている。高さは二メートルくらい。幅も同じくらい。奥行きもそれくらいかな。掘った人もそんな感じで掘ったのだと思う。天井がちょっと斜めになっている。

私はゆっくりと立ち上がり、くぼみから出た。広場の天井はどこにあるかわからない。頭の上でも足の下でも、青や緑の小さな光が点滅している。深呼吸をするように、暗くなったり明るくなったりする。星空の中に浮かんでいる気分だ。地面は黒い小石と砂ばかりだけど、足は全然痛くない。むしろ程よくちくちくして気持ちいいくらい。このままずっとどこまでも歩いていけそう。

 カンテラを持った小人のおじいさんがやってきて、にこにこ笑ってつるはしをくれた。つるはしは全然重くないし、とても肌触りのいい布が柄に巻いてあって、手にしっくりとなじむ。私は気の向くまま歩いて、適当なところでつるはしを振った。かつん、かつん、と音がする。くぼみで聞いたのと同じ音。

 広場には私以外にもたくさんの人がいて、それぞれにつるはしを振っている。ここではどこを掘ってもいい。壁に新しいくぼみを作ってもいいし、自分がいたくぼみを拡張してもいい。地面をどんどん掘ってもいい。

 みんなくるぶしまでの白いワンピースを着ている。素顔がわからないくらいお化粧をしたお姉さんも、つるつるの頭のおじいさんも、腰の曲がったおばあさんも、分厚いめがねのお兄さんも、赤ちゃんが入っていそうな立派なビール腹のおじさんも、みんないっしょ。

 掘っていると、時々透明な青緑色の石が見つかる。私も何度か掘り当てたことがある。持ち上げると石は光る。花が開くのを倍速で見ているようにふわっと光が広がって消えてしまうときもあるし、針の先のような光がずっと石の中心にとどまっていることもある。

誰かが石を見つけると、周りの人はいっしょになって光を眺め、きれいだね、すてきだね、と褒め合う。その声は石の周りに集まった人しか聞こえない。そういう囁きがあっちからもこっちからもさわさわと寄ってきて、広場を行ったり来たりする。私はたまにつるはしを止めて、空気といっしょに声を吸い込む。そうすると、肺の底に溜まった悪いものが全部洗い出されるみたいで気持ちがいい。

 地面を掘るのに飽きたので、私は壁を掘ることにした。かつん、かつん、つるはしを振るう。青緑色の石は出てこないけれど、砕けた岩壁が地面に落ちるまでの間にきらきら光る。きれいだなあ、とつるはしを振るう。

「あっ、大丈夫?」

 隣のくぼみから出てきた女の子が転んだから、立ち上がるのに手を貸した。

「ありがとう」

 その子はびっくりするくらいがりがりだった。骸骨に皮を張りつけて目玉を入れただけ。掌にも全然肉がない。転んだ拍子に見えた膝は皿の形がはっきりわかる。疲れ切った神様がさっき三時間くらいでやっつけました、みたいな体だった。

「待ってて。つるはしをもらってきてあげる」

 女の子は初めてここに来たみたいだった。私のお節介に素直にうなずく。カンテラを目当てに小人のおじいさんを探し、女の子のつるはしをもらった。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 つるはしを受け取った女の子はきょろきょろしている。

「どこを掘ってもいいの」

 そう言うと、ますますきょろきょろした。私も最初はそうだった。どこでもいいというのが一番困った。

「掘らなくてもいいんだよ」

 中にはつるはしを受け取らない人もいるし、受け取ってもぼうっと座っているだけの人もいる。女の子は余計に混乱しているようだった。

「じゃあ、私といっしょにここを掘る?」

 今まで掘っていた壁を指すと、女の子はほっとしたように笑った。それから、私たちはいっしょに壁を掘った。かつん、かつん、かつん、かつん。音が倍になる。女の子は笑っていた。折れそうな脚で踏ん張って、楽しそうにつるはしを振っている。

 しばらくして鈴が鳴り、私は枯れ枝みたいな女の子の手を引いて広場の中央に向かった。

「いい匂い」

 小人のおじいさんがカップに入ったスープと、丸いミルククッキーを一人ずつに配っている。女の子は背伸びをして、集まった人々の向こうを覗こうとしていた。

「みんなの分があるから大丈夫」

「わたしの分も?」

「うん、あるよ」

 女の子はぱあっと顔を明るくして、それはそれはうれしそうに笑った。きっと、とてもお腹がすいてるんだ。だって、こんなに痩せ細っているんだから。

 今日のスープはトマトとセロリと白身魚が入っていた。あったかくておいしい。コーンスープもおいしかったし、クラムチャウダーもおいしかった。私はここで食べるスープが大好きだ。

 女の子はあっという間にスープを平らげた。リスみたいに両手で持ってクッキーを食べている。それもすぐになくなった。幸せでたまらないといった様子でため息をつく。

「あげる」

 クッキーを差し出すと、女の子は目玉が転がり落ちてしまいそうなほど目を見開いた。

「いいの?」

「いいよ」

 私は特にお腹がすいているわけではないし、女の子はもっと食べたそうだった。

「ありがとう」

 女の子は両手でクッキーを受け取った。

「ありがとう」

 女の子はもう一度言って、今度は一口ずつ味わうようにゆっくりクッキーを食べ始めた。私はどこにあるかわからない天井を見上げ、青と緑の光がまたたく様子を眺めながら、のんびりと残りのスープを飲んだ。

 それからまたしばらく、私たちは二人でつるはしを振った。かつん、かつん、かつん、かつん。誰かが遠くで光る石を見つけたらしい。さわさわと喜びの言葉が流れてくる。

「きれいな音」

 女の子はうっとりと目を閉じる。睫毛が長い。こんなに痩せていなかったら、きっととびきりの美少女だっただろう。

 やがて終わりの時間がやってきた。小人のおじいさんが一人一人のところへ行って、つるはしを回収する。つるはしは、返しても返さなくてもいい。私は今までずっと返してきたけれど、返さない人も何人か見た。

 おじいさんが掌を差し出す。小さな目に壁の青い光が移り込んでいる。どうしようかな、と思った。今まで、なんとなく返していた。そうした方がいいと思っていたから。でも、今はもう返さなくてもいいんじゃないかと思っている。ここはとても居心地がいい。暑くないし、寒くないし、目に映るもの、耳に届くものすべてがやさしい。おいしいスープもある。ここでずっと地面を掘っていたい。

 私が首を振ると、おじいさんはうなずいた。ああ、よかった。これで会社に行かなくていい。上司に怒鳴られなくていい。同僚に陰口を叩かれてもひそひそ笑われても、もう聞こえない。そう思っていたら、横からものすごい勢いでつるはしを引ったくられた。女の子は形のいい目の端を吊り上げて、私のと、彼女のと、二本のつるはしを抱きしめている。

 おじいさんが掌を差し出すと、女の子は頭がはずれてしまいそうな勢いで首を振った。おじいさんはうなずき、次の人のところへぽっくりぽっくり歩いていく。

「どうして?」

 この子は自分のつるはしを持っている。二本はいらないはずだ。

「ありがとう」

 女の子は笑って言った。こけた頬に、えくぼが浮かぶ。くっきりとしたかわいい両えくぼだった。




 目覚ましより早く起きることは、私にとって宝くじが当たるくらいすごいことだ。ぐっしょりと濡れたパジャマに触って、窓の外を見て、天気予報に頼らず今日も暑いことを知る。

 せっかく早く起きたから、コーヒーを飲むことにした。テレビをつけて、電気ケトルの電源を入れる。お湯が沸くまでに顔を洗っておこう。


『次のニュースです。S市のマンションで十歳の女の子の遺体が発見されました。非常に痩せており、胃の中が空だったことから、警察では虐待と見て両親に事情を――』




Fin.

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石を掘る タウタ @tauta_y

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