第82話「柿木さんとのバトル始まる?」

 くくく、乗ってきやがったな!!

 ロックに生きる俺がこの戦いを黙ってみてると思うなよ。以前紹介した柿木さんのエッセイで「☆つか」の第2話をテーマにした話題が始まったぞ。

 ぜひ見に行ってくれ。


【ゼロから】ざっくりで覚える書き方メモ【初心者】柿木マメ太https://kakuyomu.jp/works/1177354054884338791/episodes/1177354054884470590


 なんつっても俺はたぶん誰より早くこのエッセイを見に行ってる自負があるからな。もし、柿木さんがPV確認して最新話がPV1ってなってたらその1は間違いなく俺だ!(どやっ)


 というかもう第二回の話なんて忘れたよ。と思ってみなおしたら、春樹にケンカを売ってる回だった。

 でね俺も言葉不足だったと思うので、いろんな創作論を見ながらもう一回この回の主張を考え直した。

 世の中には、「物語を楽しむ人」と「文そのものを楽しむ」人の二種類がいるってことだろう。

 俺は後者の気持ちがわからないとまあこういうわけ。柿木さんのエッセイを全部見たんで、言いたいことは分かるんだけども、どうしても文を楽しむという行為の意味が分からない。

 俺が知りたいのはストーリーであって、それはどんなストーリーでもいいけど、描写はおまけに過ぎない、おまけに過ぎないなら極端な話無くても良いと、まあそういう意図が「☆つか」の第二回なわけだ。

 ああだからフランス映画とか嫌いよ、映画館で見る以上もうド派手な奴か壮大な奴しか見たくない。見たことないけど、アメリとか絶対興味ないわ。


 俺の中では小説というのはストーリーを楽しむためのエンターテイメントで、文を楽しむっていう発想がない。それなら、いっそ絵を楽しむ方がまだ理解できる、美術館に行った方が価値があると思ってしまう、意外にね俺美術館好きなので。


 さらにいえば俺は小説は、マンガの下位ランクだと思ってる。それは言い過ぎた、同等だと思ってる。ホフディランや村上春樹にノーベル賞をあげるなら、手塚治虫と鳥山明にノーベル賞あげてもいいのではないかと思う。

 マンガも小説もストーリーを楽しむツールだと俺は思う。そして描写をどんなに頑張ってもマンガに勝つことはできない、どんなに細かく主人公の容姿を描写しようがイラスト一枚に勝つことはできない。ならばそれを利用すべきであろう、なぜ無駄な努力をするのか。

 小説の方がマンガに勝つのは、ストーリーの速さである。1ページで読者に理解させるストーリーの量がマンガに比べて圧倒的に多い。俺は情報量が多ければ多いほどうれしい派である。説明チックであっても一向にかまわない。

 情報もないのに描写だけ多い作品は本当に時間を返してくれと思うのだ。


 で、たぶん世の中には俺みたいなやつが多い。

 ただただ、ストーリーを楽しみたいのだ。

 ストーリー中毒者である。よく考えればストーリでなくて主張でも説明でもいい、どちらかと言えば俺は情報中毒者ともいえる。書いてて思ったが俺が唯一求めてるのは情報である。いままでに知らなかった情報を知りたい、ただし細かい描写というのは新しい情報に値しない、いらない情報なのだ。

 

 学生時代は苦痛に耐えながら、ハイデカーだとかショーペンハウアーとかニーチェとかをかっこつけて読んだものだが、結局一番心に残ったのは福本先生の「天」の最終の2,3巻である、あれにまさる人生哲学はないと思ってる。

 つまり文の巧拙どころか、絵のうまい下手ですら関係なく、ただただ中身すとーりーと主張が大事だと思う人種なのだ。


 天の最終巻は国語の教科書に載せるべきだと俺は思うのだが、いつになったらマンガ・アニメが教養として認められるのだろうか……。

 まあというわけで、俺のような情報ジャンキー、結構カクヨムの中にも多いのではないですか? 創作論を読み漁っっちゃう様な方は間違いなくそうだ、そうそこのあなたですよ!


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