知らない誰かに抱かれてもいい

@hie-run-ta-ta

第1話

「-ちゃん!修ちゃん!聞いてる?」

「ん、あぁ、悪い。何だっけ。」

「もうばか!今年の夏は楽しかったねって話。」

「あぁそうだよな、仕事のこと考えてたわ、ごめんごめん。」

「修ちゃんは仕事人間だなあ。でね…」

由芙は修司の上の空な態度を意に介す様子もなく続けた。

「旅行に行こうなんて言うから張り切りすぎちゃったよね笑」

「急な休みが入ったからね。でもまさか一泊二日の小旅行であんな大きな旅行鞄を持って来るとは思わなかったよ。」

「だって何があるかわからないもん。心配性になる気持ちわからない?」

「わかるわかる、そういうとこ好きだよ。」

「知ってるよー。」

秋口にかかる表参道は陽が隠れると少し肌寒い。

蜂蜜の入ったカフェ・オレがほっとさせる。

付き合って初めての夏を振り返り嬉々とする由芙。

普段口数は少なくない方だが、大人しい由芙がここまでテンションが上がるのは珍しい。

よほど楽しかったのだろう。

そういえばこのデートも2週間ぶりだ。

社会人として数年もするとそれなりに忙しくなる。

特に修司は商社でバリバリ働く絵にかいたような若手のエースだ。

週末にしか会えない生活も仕方ないし、由芙もまた彼氏のそれを誇りに思っていた。

「でも俺たちも1年か。結構早いな。」

「そうだよね。変な再会からだもんね笑」


-

1年に1度動くか動かないかというゼミ同期のグループトークが知らせる恩師の入院。

「先生が倒れて入院したらしい。ヤバいかも知れないって聞いたから誰か○○病院頼む!仕事終わったら駆けつける!」

その内容を見て誰より早く駆けつけたのが由芙と修司だった。

病院の廊下で3年振りの再会

「あ!岡村君!」

「おう!由芙、この部屋か?」

「そうみたい!」

修司は勢いよく扉を開き、その大きな音が事の重大さを感じさせた。

「先生!!」

「ん?おお、寺嶋と岡村か。どうしたそんなに慌てて。年寄りを驚かすもんじゃないぞ。ショックで死んだらどうするんだ。」

とても笑えるものではないジョークが返ってきた。

状況を飲み込めない二人はポツンと病室の入口に立ち尽くしていた。

「退屈していたところだ、そんなところに立っていないで話し相手になれ。」

よくよく聞けば流れてきた情報はなんてことはない誤報で

正確には「自転車に乗ろうとしてバランスを崩して『倒れて』骨を折った」とのこと。

率直に言って先生は元気だった。

むしろゼミの時よりも軽妙に話は続いた。

2時間も話をしただろうか面会時間の終了が近づく。

「もうこんな時間か。すまんな、付き合わせてしまって。」

「いえ、とんでもない。お元気そうでなによりでした。」

「しかしまあ、お前ら以外は誰一人見舞いに来なかったな、そんなもんか、はっはっは。」

少し寂しくもある事を一笑に付すことが出来るこの先生を二人はとても尊敬していた。

「おい、岡村。レディを一人で返すんじゃないぞ。送って帰れよ。」

「レディだなんて。先生、私も少しは大人っぽくなりましたか?」

「歳は取ったが幼い顔は相変わらずだな、出るとこも出とらんしな。はっはっは。」

「むー」

由芙は頬を大きく膨らませた。


「なんだよな、あいつら。仕事が終わったら来るって言ってたのに。」

修司が携帯の電源を入れると止まっていた時間が動き出した。

「倒れたの自転車らしいぞ」

「骨折だけだから今度の休みに行く」

「また高笑いしてんだろうな」などと続いていた。

「もっと早く言えよなー。こっちは2時間も長話に付き合わされたってのに。」

「でもよかったじゃない。久しぶりに先生に会えたし、怪我も大したことなかったし。」

「俺にも会えたしな?」

「それは別に?」

「さて、偉大な恩師の厳命なので送っていくは良いとして…腹減ってないか?俺昼から食ってないんだ。」

「送りはいらないけどお食事なら行こうか。」

「オッケー。じゃあ六本木に出て旨いパスタでもどうだ?それとも何か食べたい物あるか?」

「パンケーキ!」

「は?お前今は夜だぞ?あれって朝とかおやつに」

「パンケーキ!」

「マジかよ…じゃあさ広尾にガレットのおいし」

「パ ン ケ エ キ!」

「やれやれ。お前そんなキャラだったっけ…」


「あーおいしかったねえ。」

「そりゃお前は良いよ、甘いのがご飯になるタイプだから。」

「えーだってベーコンとか乗ってるしょっぱいの食べてじゃない。」

「そういうことじゃないんだよな…」

「ふーん」

「ああ口の中が甘い甘い。由芙まだ時間大丈夫だろ?付き合えよ。」

「あのねえ、岡村君。大学の頃から思ってたんだけど彼女でもないのに下の名前で呼ばないでくれる?」

「俺は女は下の名前で呼ぶ主義なの。」

「お母さんも?」

「そうね、清美って呼んで…ねえよ」

「あはは、ねえそれノリツッコミでしょねえねえ。」

「おま、本当に。いいから行くぞ。」

「親が心配するからちょっとだけね。」

「お前いくつだよ…」

「岡村君と同じ25歳でしょ、同級生」

「わかってるよ…」


「ここ、結構馴染みの店なんだわ」

「えーBARだって大人っぽいね」

「いや、もうそういう歳だぜ俺たち。」

「そうなのかなー。」

程よく照度の落ちた店内、手元の小さなランタンからの揺れる明かりが雰囲気を醸し出す。一枚板のロングカウンターは良く手入れが行き届いたこの店の名物になっている。少し年季の入った内装も古き良き時代のBARを演出していた。

「俺は、そうだなジントニック」

「私はジンジャーエール」

「え、お前酒飲めなかったっけ?」

「そりゃあ飲んで飲めないことはないけど、美味しくないし、酔って変なことされたら嫌だから。」

「おいおい、そんな男に見えるかよ。」

「見えるよー!もうー大学の時もチャラかったじゃん。いつも違う女の子連れてさ。」

「いやいやいやいやいやいやいやいや、あれは女の方からだな…」

「そういうのをチャラいって言うんです。」

「はい…すいません」

先刻病院であれほど懐古したというのに、また思い出話にふける二人。無理もない3年ぶりで会って話すことなど限られている。

「でも、こんな所にこんな雰囲気のお店があったんだね。」

「それな。俺らが遊んでた時は繁華街の方だったもんな。ちょっと路地入るだけで全然違うよな。」

「あのさあ言っておきますけどゼミは一緒だったけどチャラ男くんと遊んだことはないですからね、遠い昔の記憶で忘れちゃったかもしれないけどね!」

「あれ、そうだっけ?同じ屋根の下で一晩、いやもっと多くの夜を共にしたじゃないか。」

「それ合宿でしょう笑」

「男子はずっと飲んでて辛かったわ」

「毎日二日酔いで勉強にならなかったじゃん。」

「それは先生もだろ」

「それはそう」

「まあたしかにあんまり接点はなかったけど結構好きだったんだぜ。」

「あーはいはい。出ましたチャラみ。」

「いや、まあ正直私服とかダサかったけどな。」

「な!なんてことを!ばかっ!」

「いいじゃん笑 今はオシャレでキレイだよ。」

「む…」

思春期に人との関わりに重きを置いていた人間はその気があるのか無いのか、いちいち自然体で相手の心を揺さぶる。

「でもあの時あいつと付き合ってたろ、お前」

「中井君」

「そう中井!何であいつだったんだ?」

「何でって…そりゃ1+1が100になるのが恋だから説明できないよ」

「なんだそれ。そんなもん大体説明できるよ。」

「できないよ。感情は説明つかないもん。」

心理学を専門に勉強して来た修司の独擅場が始まった。

「あいつと研究グループで一緒だったよな?」

「うん」

「はい。それザイオンス効果ね」

「え?」

「会う回数が多いほど親しくなるってやつよ。」

「そんなの当たり前じゃん!」

「それが心理。」

「あとあいつやたらとメールの返事が来るの遅くなかったか?」

「そういえば…」

「それがツァイガルニク効果。結論が出ない物ほど気になるってやつ。」

「それはそうだけど」

「それが心理。」

「それであの時中井と彰子がくっつきそうって話あったよな」

「あったね。」

「嫉妬のストラテジー」

「もういいよ…頭痛い」

「そうやって人の心は説明が付くし、恋愛は作れるんだよ。ちなみにさっき好きだったって言ったけど、人の好意に報いなきゃいけないと思う心理が返報性。もしかしたら俺のこと好きになるかもしれないぜ」

「そういう頭でする恋愛嫌だ」

「まぁいいや。それでそのあとどうした?」

「まー私が勉強勉強だったし、就職活動でお互い忙しくて…」

「自然消滅か」

「そうだね」

「今は?」

「え?どうしてそんなこと聞くの?」

「そりゃあボディーガードさんがいたら困るからね」

「教えませんよーだ」

「ははは、それ答えてるようなもんだぞ」

「私のことはいいです。時間も遅いからもう帰るね。」

「おい、怒るなよ。また会おうな。ザイオンス効果な。あ、俺も今フリーだよ。」

「聞いてません。怒ってないよ。おやすみなさい。」

静かに扉を閉める動作に育ちの良さを感じた。

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