ごほうび

はやぶさ

ごほうび

私がチョコレートを初めて食べたのは、小学2年の時だった。それは母が週に何日か働きに行くことになって、学校から帰ってきた私は一人でお留守番をしないといけなくなったのだ。そのお留守番のごほうびとして母が、板チョコを買ってくるようになったのだ。


初めての板チョコは、私の中では不思議なものだった。すべすべとしていて、光を受けると、ぴかりと反射し、本当に板のようだ。その板を威勢よく割ると、パリッと気持ちのいい音をたてる。恐る恐る食べてみると、じわーっと甘い味が心地よく広がっていく。さわやかな甘さではなく、じっくりと煮込まれたようなまったりとした甘さが口の中でとけていく。とけていくうちに、どんどん甘さは広がり、最後の一かけらがなくなった時にはもう一口食べたくなる魔法の味がした。


私はすぐにチョコレートの虜になった。しかし小学2年生にとって、家の中に誰もいない空間ほど寂しくつまらないものはない。がらんとしていて、時計の音しか響いてないその時間帯、私は寂しさを紛らすかのように自分のやりたいことをした。お絵かきをしたり、本を読んだり、ゲームをしたり、お人形さん遊びをしたりと、とにかく思いつくことをしたけれども、なんとなくつまらないのだ。そんな時はおとなびた言葉を自分の中でつぶやいていた。お母さんは働いているんだから、ちゃんとお留守番してないといけない。私ももうお姉さんなんだから、お留守番ぐらいできなくてどうするのと、自分を鼓舞していた。


けれども、しばらくするとそんな気持ちも失せていって、時計の音がやたら耳につき、ぼんやりとしてしまうのだ。それこそ永遠に時は続いていく一方で、ずっと止まっているのではないかと思うことがあった。そしてこのまま母は家に帰ってこないのではないだろうかという、なんともいえない時間こそが、小学生の時のお留守番だった。


そしてその長いお留守番が終わった時、母が「ただいま」といって、帰って来た時の安堵感と喜びはまたとないものあった。そうして渡されたチョコレートはまさに魔法の味だった。


この間実家に久々に帰った時、母は茶菓子に板チョコを出してきた。その時、子供の頃のお留守番のごほうびが、板チョコであったことを思いだすと、母に言った。

「これって、お留守番用のごほうびだよね。今出すのって変じゃない」

板チョコは私の中では大事な思い出である。その板チョコを母が安易に

出すというのは、ちょっとそれは私にたいして失礼じゃないかと思ったのだ。すると母は

「私の中では、ごほうびなのよ。あんたが仕事でがんばってきてるの知ってるからね、だからそれに対するごほうびよ。この板チョコは」

そう言って私の肩を叩いた。


それを聞いて思った。母は見えないところでもしっかりと私のことを見ていてくれているんだなあと。それは昔も今も変わらないことを私は知った。(完)

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ごほうび はやぶさ @markbeet

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