第4話 デブの魔法使い、戦う(仮)

第三章 デブの魔法使い、戦う


 似合わないオーダーメイド(ただしデブ用)のタキシードに袖を通し、俺は会食会の会場にいた。

 場違い感が半端ない。シャンデリアに照らされた会場には美男美女がひしめいていて、当然テーブルには所狭しと食べ物が並べられている。ローストビーフやら、お寿司やら、パスタやら天ぷらやら、いったいどこの世界だとツッコミたくなるような見慣れた料理ばかりだ。なまじ味が想像できるだけつらい。

 俺は会場の端っこでグラスに入ったおいしい水をすすっている。ああおいしい。この水おいしい。飢えると味覚が鋭敏になると言われるが、今の俺がまさにそうだ。このスッキリとした口当たり、うん、硬水だな。虚しい。

 アリーチェ・ビスチェ侯爵。その名はヴィテッロ王国に知らぬものはいないほどに響き渡る、凄腕の魔法使いらしい。(ルッツに教えてもらった)

 齢16歳にして家督を継ぎ、暴食倶楽部にも負けずとも劣らない魔力を持ち合わせた王国防衛の要。俺が帝国軍のガーゴイル部隊を追い払っていた頃、また違う防衛線をたったひとりで守り抜いていた女傑。

 また、神に与えられし美を体現した至高の女性であり、その美しさは大陸を駆け巡る。

 そんなやつが、俺に一体なんの用なんだ……。俺はしょせん莉緒のサポートであり、この世界では野に咲くごんぶとの花でしかないはず。

 メイドの列席は許されていないから、知っている人が誰ひとりいないパーティー会場で、俺は巨体を縮こまらせて時が過ぎるのを待っていた。

「あれが王国に迫っていた帝国軍をわずか一戦で半年前の戦線にまで後退させたという魔法使い、ソウタさまか……。なんという重量感だ……」

「噂には聞いていたが、あの魔力に満ちた姿を見ると、思わずひれ伏してしまいそうになるな……あれが味方で心からよかったと思うさ……」

 なんかコソコソと噂されているのは、あまりいい気分ではない。

 やがて会場内の明かりが落とされ、パッパッとスポットライトのように光が点った。

 その下には、華美なドレスをまとったひとりの女性が立っている。

「よくぞ参ったの、皆々。いまだ戦いの途中じゃが、しかして日々を生きる上で生の喜びを忘れては本末転倒じゃ。本日のために東西から旨いものを集めてきたでな。わらわ主催の会食会、心ゆくまで愉しむがよかろう」

 俺は思いっきり目を細めた。

 なにかの間違いだと思ったのだ。

 真っ赤な綺麗なドレスに包まれた、ドラム缶みたいなデブがそこにいた。

 手も足もはちきれんばかりに肉が詰まっている。腰のくびれも一切ない。まるまると肥えた女だ。俺だって人のことは言えないが、それにしたって五十歩百歩の体型である。

 神に与えられし美? 贅肉の間違いでは……。

「さて、この中にレンジョウ・ソウタは居るかの?」

「はっ、はい!?」

 よく通る声で急に名前を呼ばれてびっくりした。

 アリーチェは人を見下すことに慣れたような目で、俺を見据える。

「そなたが異界より現れし魔人か。わらわがアリーチェ・ビスチェ。ビスチェ侯爵でもアリーチェ侯爵でも、好きなように呼ぶがよかろう」

「どうも。蓮城蒼太だ──ぬぐあ!?」

 つかつかと歩み寄ってきたアリーチェは、いきなり俺の腹肉を掴んだ。なにするんだてめえ!

「ふん、なかなかの脂肪じゃの。わらわほどではないが、よく食らい、魔力を溜め込んでおるではないか。わらわほどではないがな。わらわほどではないにしろ、その実力を認めてやらんこともない。わらわは強い者が好きなのじゃ」

 こいつ、めっちゃわらわって言うやん……。

 自分大好きそうなアゴのないデブは、上から目線でものを言う。その手に握っているのは、チキンレッグだ。がぶりと噛みつき、肉を食らう。おいおいプロレスラーかよ。

 アリーチェがふくよかな高飛車系お嬢さまだっていうのはわかった。あんまり関わり合いになりたくない人種だというのも。

 それにしても、解せないのは周囲の声だ。

「アリーチェ侯爵、相変わらずの美貌だな。完成された芸術品のようだ」

「ああ、よく食べよく飲みよく太る。まさに魔法使いの理想を体現したお方だ。無論、極めつけはあの美しさ。神に愛された才能というのは、あのような方を言うのだろうな」

 そうか……。

 さすが俺のようなデブがもてはやされる世界だ。他のデブも例外ではないようだ。

 いや、いいじゃないか。莉緒のような美少女も、アリーチェのようなふくよかな女性も等しくモテるんだ。可能性って素晴らしい。

 肉を噛みちぎりながら、アリーチェは口の端を吊り上げて笑う。

「ではしばし失礼するぞ。今宵は存分に楽しんでゆくがいい」

 ひらひらと手を振って、アリーチェはどすんどすんと……もとい、しゃなりしゃなりと会場を横切ってゆく。彼女が歩くたびに人垣が割れ、それはまるでブルドーザーのようで……。

 いや、うん。悪いやつじゃなさそうだ。進んでお近づきにはなりたくないけど。

 しかし、こういうとこってメシ食えないとマジでやることないな。

 妹メイドたちから逃れるためにやってきたけど、知り合いはいないし……。

「あ、お兄さん! やほーっ!」

「おわっ!」

 たぷんたぷんと胸を揺らしながら元気よく俺に抱きついてきたのは、周囲の視線を一身に集める、ミニのドレスを着た美少女だ。

 え、こんなにかわいい子なんて知らないんだけど。

 も、もしかして俺の隠れファンとかか?

「あれ~? あっ、ひょっとしてこの格好だとわからないかなっ? ボクだよボク」

 少女は髪を後ろにまとめるような仕草をする。

「あー、食堂の?」

「そうそうココノっ。24時間どこでもおなかが減っている人の元には駆けつけちゃうボクだよっ! よくわかったねお兄ちゃんイエーイ百点満点ーっ」

 ぴょこんと飛び上がってハイタッチをしてくるココノと手を合わせる。

 ココノは微笑みながら、胸の前で手をこすり合わせ、俺の顔を下から覗き込んできた。なんだか恋する乙女のような眼差しだ。

「ねーねー、ここの料理はもう食べてくれたっ? ほとんどボクひとりで作ったんだよっ! 腕によりをかけたから、よかったら感想を聞かせてくれると嬉しいな~? あはは」

「いや一口も食べてないけど」

「ふぁぁぁぁぁぁぁ~~~!」

 ココノはよろめき、たぷんと揺れる胸を押さえた。

「さ、さすがだね、お兄さん……一筋縄ではいかないっ……そうまでして、そこまでしてボクの料理を食べてくれない人、初めて見たよっ……つらい、苦しい……でもこれがなんだか、気持ちよくなってきちゃう……っ」

 ダイエット中なんで……。

 つか、言っとくけど、俺だって食えるもんなら食いたいんだからな。

 さっきから舌鼓を打っているやつら、マジで羨ましいからな。

 くっそう、他の魔法使いみたいに魔法を使えば痩せられるなら、今頃は好物の肉を冬眠明けのヒグマのように貪り食っていたのに……。

 そんなことはつゆ知らず、瞳に淫靡な光を宿したココノは俺のたるんだ腹をたぷたぷと叩く。

「そんなにボクを焦らしてっ……お兄さんってば、ほんっといやらしいんだからっ……はぁ、はぁ……興奮してきちゃう……」

「なんでだよ!? いやらしいのはお前だろ!?」

「年下の女の子相手に容赦ないなあ! いいんだよいいんだよっ! いつか絶対ボクの料理を胃袋が破裂するまで食べさせてあげるからねっ! 負けないからねぇ!」

「なんの勝負だよ……お前が素直にブッコロリー料理作ってくれるんだったら、いくらでも食べるぞ」

「ううう~……それだとなんかすごく負けた気になるぅ……」

「前に『お客さんの注文に応えるのが自分の使命』とか言ってたよな!?」

「いつの話をしているのさっ! もうボクとお兄さんの勝負は、そんな次元じゃないんだよっ! ボクにとってお兄さんは超えなければならない壁なんだよっ! だからボクの料理人人生をかけて、ただ全力でぶつかるのみなんだからっ!」

 ひとり勝手に興奮したり燃えたりするココノをあしらっていると、アリーチェが取り巻きを引き連れながら山盛りのピザが載った皿を持ってこちらにやってきた。

 思わずギクッとしてしまう。

 だが、彼女は不思議そうに首を傾げて。

「のう、そなた。先ほどから一皿も口にしていないようじゃが、いったいどうかしたかの? よもやわらわの用意した食材が口に合わぬとは思えぬが」

 口調は穏やかだが、人を獲って食うことに躊躇なさそうな目をした女である。

 俺はビビリながらも、両手を振る。

「えっと、こ、ここに来る前に家で食べてきちまってさ。腹一杯なんだよ」

 適当にごまかすと、隣のココノが「が~~~~~ん」とすごいショックを受けていた。すまん。

 アリーチェは眉をひそめる。

「わらわの開いた会食会前に食事じゃと……? ふうむ、一分一秒も我慢できなかったというのか。なるほどのう。それはそれで魔法使いとしての資質じゃな。喰いたいときに喰らい、眠りたいときに眠り、欲しいものは力で奪い取る。まさに真理よ。なかなか見どころがある男じゃな、そなたは」

 ねえよ、なんだよその獣みたいな生き方……。

 上品な口ぶりで話しながらも、アリーチェは片時も休まずにガツガツとピザを食らっている。みるみるうちに皿の上の料理が消えていった。

 給仕が差し出してきた皿を掴み、さらに食う。食う。胃袋の中に料理が消えるマジックのようだ。

 デブとピザの鮮やかなコントラストを前にしていると、莉緒が俺にどうしてダイエットをしてほしかったのか、よくわかる気がする。まさに反面教師というか、他人のふり見て我がふり直せというか……。

 うん、ちゃんと痩せよう。ダイエットがんばろ。

 改めて決意を固めていると、四皿目を片付けたアリーチェはいったん食べるのをやめた。手と口を拭くと長い髪をかきあげて、俺をジロジロと眺める。

 カマキリのメスに値踏みされているような気分だ。

「では、そろそろ本題に入るとしようかの。そなた、わらわについてまいれ。ココノ料理長、こやつを借りるぞ」

「えっ、あっ、はい、わかりましたっ!」

 ココノが勢い良く頭を下げる。俺は嫌な予感がしてならない。

「え、なに、俺どこに連れてかれるの」

「フフ、好いところに決まっておろう」

 いいところ。どんなに食べても太らないかつ丼が生っている南の島とかだろうか。

 どうやら違うようだ。俺は二階の個室へと連れてゆかれるのだった。


 部屋の半分を占めるほどに大きなベッドが、中央に置かれている。

 俺は他に座るところもなかったのでベッドの縁に腰掛けていた。待っているように言われたのだ。なんなんだよいったい。

「待たせたの」

「いえいえ……って、え!?」

 思わず吹き出すところだった。

 アリーチェはさらに大胆なボンテージのようなドレスに着替えていた。

 背中が丸見えで、前もうっすらと肌が透けて見えるような薄い生地のドレスだ。だ、大胆―。

 アリーチェは好物を前にしたスモウレスラーのような顔で俺ににじり寄る。

「どうじゃ、わらわの格好は」

「そうですね……とても美味しそうだと思います……」

 ボンレスハムみたいで……。

 思わず敬語になってしまった俺の言葉を聞いて、アリーチェは満足げにうなずく。

「旨そう、か。フフ、よもやそれほどの賛辞を贈られるとは、悪い気はせん。そなたも少しは美の真髄というものがわかるようじゃの。好いぞ」

 アリーチェが俺の頬を撫でた。

 デブふたりがこんな密室で顔を寄せ合っているのに、背筋が寒くなる。

「えと……話っていうのはなんでしょーか……」

「ふむ。どこから話すとするかの……。そうじゃの、わらわは言うまでもなくこの国最強無敗の魔法使いとして今日までの三年間、君臨しているわけじゃが」

 三年間ってことは、13才からってことか。

「国家の戦力差は歴然だと言うのに暴食倶楽部がおいそれとヴィテッロ王国を滅ぼすことができずにいたのも、ひとえにわらわが居たからである」

 とにかくすごい自信だ。

 しかし「じゃが」とアリーチェは首を振った。

「さすがに、ひとりで戦い続けるにも限度というものがあろう。我ら魔法使いはどんなに飲み喰らったところで、身体に溜め込んでおける魔力は限界があるのじゃ。このままではいずれ押し切られてしまうかもしれん。ここ最近とみに思うようになっての」

 なるほど。事情がわかってきた。

 パーティー会場で威風堂々としていたアリーチェとは違い、今の彼女は毒々しい色の液体が入ったグラスを傾けながら、ほんの少しだけ暗い顔を見せていた。

 アリーチェはアリーチェなりに、この国の行く末を憂えているのだ。だから俺と協力して帝国をやっつけようだとか、ふたりきりでそういう相談をしたかったのだろう。

 服を着替えたのはちょっと意味がわからないけど……まあ、彼女なりのサービスだと思えば。

「そこでじゃな」

 膝に手を置かれる。俺は一瞬ゾッとしてしまった。

 なぜ鳥肌が立ったのか。──その理由はすぐに明らかとなる。

「この王国を存続させるために、わらわは優秀な魔法使いの血統を作ろうと思っての」

「はい。……はい?」

「そなたはわらわほどではないにしても、それなりに腕が立つようじゃからな。フフ、悦ぶが好いぞ。わらわの目に適った初めての男よ」

「いや、あの」

 それって。

「わらわは強い男が好きじゃ。心から楽しみじゃの。そなたとわらわの子が、どれほどの力をもって生まれてくるのか……。そのときこそ、わらわが侯爵家も最盛を迎えるじゃろうて。フフ、くくく」

 やっぱりそうだ! マジかよ!

 こいつそういうつもりで俺を部屋に呼んだのか!

「いやでも俺たちまだお互いのこともよく知らないし!」

「そなたは異世界から来た魔法使いで、わらわはアリーチェ侯爵じゃぞ。それ以上なにを知ることがあるというのじゃ?」

 俺を逃さないようにか、アリーチェはぐいと手を引いてくる。その体重からくりだされるパワーはゴリラのようだった。

「いやちょっと強引すぎるっつーか、ちゃんと段階を踏んでいきたいなっつーか!」

「この会食も、わらわがそなたと婚約を交わしたことをお披露目するために開いたものなのじゃからの。そなたがよほど礼儀知らずで醜く不潔であれば、無論取り止めるつもりであったが……ま、見た目は及第点をくれてやっても好いじゃろう」

 俺もお前もただのデブだよ!

 隅に追い詰められる。逃げ場がない。

 アリーチェは舌なめずりをした。その目は完全に捕食者のそれであり──。

 俺は直感した。喰われる。

「まってまってまって!」

 俺は首を振って必死の抵抗をする。

「なんじゃ、男のくせに往生際の悪い……。わらわと結婚できるということは、この柔肌に触れさせてやっても構わぬと言っておるのじゃぞ。まさしく男冥利に尽きるであろうが。これ以上の幸せがあるとでもいうのか?」

 死ぬほどたくさんある。莉緒とじゃんけんして遊ぶとか。

 アリーチェはスッと目を細める。

「それともなんじゃ? あの女──ロッセッラに懸想しているという噂じゃが、まさかわらわの目の前でそのようなことを認めたりはすまいな?」

「え」

 俺はドキッとした。

 莉緒の名前が出るとともに、その顔がまぶたの裏に浮かぶ。

 もし今みたいに頬を上気させた莉緒にベッドに押し倒されたら……なんて妄想が浮かんできて、俺は思わず頭を振った。

 確かにそうなったらめちゃくちゃ嬉しいけれど、いや、しかし、俺たちは血が繋がっていないけれど、兄弟なんだ。

 肉欲とかそういうのに目覚めちゃうのは、なんか違うんじゃないだろうか!

 俺の莉緒への愛は、もっとプラトニックで、高次元なものなんだ!

 ひとりでそんな葛藤をしていると。

「ま、あのような痩せっぽちの童に欲情するような男が居るとは思えぬがの」

 鼻で笑うアリーチェに、なんだかちょっとイラッとしてしまった。

 なに言ってんだよお前、莉緒は世界で一番かわいいだろ。

「だいたいにしてじゃな、異世界からやってきたばかりの女が姫の代わりになったからといって、うまくいくはずがあるまいて」

 公爵家であるアリーチェは莉緒が姫の影武者になっていることを知っていた。そして、快く思っていないようだ。

「それなのにいまだ国が瓦解せず、あまつさえ信頼を築いているということは、おそらくなにか汚い手段を使っているに違いあるまい。女の武器を使うなど、下衆なやり方での。魔法の実力だけで成り上がったわらわとは大違いじゃな」

「……」

 こいつ……。

 莉緒がどれだけ苦労しているかを知らずに。

「もっとも、あのままではもって一ヶ月といったところじゃの。ひとりでなんでもできると思っておる辺りが、小娘の度量の狭さよ。己の限界も知らず、飛べない羽を必死で羽ばたかせる雌鳥ルビ:めんどりのようで、とても見てられんわ。無論、手を貸す気もありはせんがの」

 アリーチェはやれやれと肩をすくめる。

「所詮はわらわと比べるのもおこがましい、取るに足らん女じゃ。さあ、ソウタ、今すぐ契を結ぶのがわらわに恐れ多いというのなら、今はただわらわの手を取るが好い。といっても、アリーチェ・ビスチェの求婚を断る男がこの世界に居るはずもないがの」

 俺に向かってまっすぐに伸ばされたその指先。

 それを見つめながら、俺は告げる。

「断る」

「当然じゃの。わかっておる。それでは下で飲み喰らいしておる参加者にも伝えにゆこうぞ──って、は?」

 アリーチェは目を見開いてこちらを見た。

 俺はもう一度しっかりと言い切った。

「断る」


「なぜじゃ! なぜなのじゃ!」

「性格の不一致だ」

「そ、そのようなふざけた理由でわらわの、このわらわの求婚を断るというのか!? そなた正気か!? このような機会はもう二度とあらんぞ!」

「そうか。ま、二度目があってもごめんだな」

 アリーチェは先ほどのきわどいドレスのまま、部屋を出た俺を追いかけてきた。

 騒ぎを聞いて、会食中の人々がこちらを見上げる。

「まさか、求婚を断るって……ソウタさまが、アリーチェさまをフッたのか!」

「侯爵でさえ異界の魔人のハートを仕留めることはできなかったか」

 人々の注目を浴びたアリーチェの顔は真っ赤だ。

 ぷるぷると震える彼女は、俺に向けて思いっきり怒鳴ってきた。

「こ、このわらわに屈辱を味わわせるとは……レンジョウ・ソウタ! ただではすまさぬぞ! ええい決闘じゃ! そなたに決闘を申し込む!」

 俺は立ち止まって振り返る。

 決闘?

「……それって、俺とお前が戦うってことか?」

「無論! まさか王国の切り札として喚び出された魔法使いが逃げるなどと言うつもりか? フン、今さら土下座したところでわらわの気は収まらぬ。そなたを我が魔力で屈服させ、その上でそなたを娶ってやろうではないか」

「ええー……?」

 もちろんこんなもん受ける義理はない。なんでも思い通りになると思っているお嬢様に付き合っていられんからな。

 しかし……。

 少し考えた後、アリーチェに問う。

「俺が負けたらお前と結婚するのはわかったが、もしお前が負けたらどうする?」

「これは大愚なることを。戦う前から負けることを考えるはずがなかろうて。そんな心持ちでは戦場から生きて帰ることなどできぬわ」

 もっともだ。

「なら、俺が勝った場合はなんでもひとつ命令を聞いてもらおうか」

 アリーチェのまん丸い顔から汗が一筋流れ落ちた。

「なんでもひとつ……じゃと?」

「どうした? 負ける気はないんだろ?」

 その挑発に、鼻息荒くうなずくアリーチェ。

「無論じゃ! やってやろうではないか! 魔法使いが負けるときは、死ぬときのみじゃ! そなたは殺さず済ませてやるが、うまく手加減ができるかどうかはわからぬ。最悪、手足の二本や三本は覚悟してもらおうか」

 ひどく凄みのある脅しだったが、今の俺も頭に血が上っているので、怯むことはなかった。

「決まったな。承認はこの会食会に集ったみんなだ。日にちは?」

「三日後、町外れの闘技場跡にて」

 アリーチェは大きく息を吸い込むと、こちらに指を突きつけながら叫んだ。

「せいぜい腹を肥やして待っておるがいい!」

 それは『首を洗って』的な意味なんだろうか。



 ということを聞きつけた莉緒が俺の家に慌てて駆け込んできたのは、翌日の早朝だった。

「ちょっとお兄ちゃん、決闘ってどういうこと!? どういうつもりなの!?」

「おお、莉緒、励ましに来てくれたのか。妹の応援さえあれば、百人力だな」

「違いますー! すっごく心配してやってきたんですー! だいたいわかってるの!? 決闘だよ、決闘! しかも相手は暴食倶楽部に勝るとも劣らないと言われるヴィテッロ一の魔法使い、アリーチェ侯爵って! このままじゃお兄ちゃん死んじゃうよ!?」

 ぎゅーっと胸にすがりついてくる莉緒の頭をよしよしと撫でる。

 一晩経って冷静になった俺は、今さらになってまずいことをしたかな……という気分だったりもするんだが、しかしだからって莉緒の前で弱音をはくことはできない。

「大丈夫だ。あっちも命は取らないっつってたしな。見た目も物言いもすげえ傲慢っぽかったけど、そこまで極悪人ってわけじゃないだろ」

「でもでも、決闘だよ!? 魔法使い同士がばーんどごーんって戦うんだよ! 破片は飛び散るし、モノだってすごく壊れちゃうだろうし、どんな事故が起きるかわかんないよ! もしお兄ちゃんになにかあったらって考えると、あたし……あたしぃ……」

 めそめそと洟をすする莉緒を前に、俺は咳払いをする。

 俺の身を案じてくれる妹の愛情は嬉しいが、けれども言っておかなければいけないことがある。

 ルッツの傷だらけの体を見た上で、俺にも思うことがあったのだ。

「あのな、莉緒」

 俺は莉緒の手を握り、子どもに言い聞かせるように。

「王国を守るんだったら、どうせその暴食倶楽部ってやつとも戦わないといけないんだ。だったらここで逃げてもしょうがないだろ。むしろ殺さないというルールの上で実戦経験を積めるんだ。願ったり叶ったりじゃないか」

「うっ……そ、それはそうかもしれないけど……でも、でも……」

 理屈の上では納得するしかないはずの莉緒は、感情を持て余しているようだった。

「でもそんな、急に決闘なんて……しかも、三日後……いくらお兄ちゃんでも、三日でアリーチェ侯爵に勝てるようになるなんて」

「まあ、やるだけのことはやってみるさ。ここ最近はあまりにもサボりすぎちまってたしな。いい機会だ。ちゃんとこれからを考えて、戦いのことを勉強しないといけないって思ってたんだ」

「うー、うー」

 莉緒は俺の腹に顔を埋めてイヤイヤする。しばらく続けていたものの、いつまでもそうするわけにはいかないと思ったのか、抱きついたまま俺を上目づかいに見上げ。

「アリーチェ侯爵は、やると言ったら必ずやるよ。あたしが執務をしてても、いきなり入ってきて文句を言ってくような人なんだから。すごく自分に自信をもっていて、ポッと出で新米王女のあたしが目障りみたい。だから、お兄ちゃんがぴしゃりとしてくれたら嬉しい……けど……絶対、無理はしないでね……?」

「ああ、わかってる。なんたって負けたら結婚しなきゃならないからな。莉緒がお嫁に行くより先に、身を固めるつもりはない」

 えへへ、と莉緒が笑う。

「……ずっとお兄ちゃんがそばにいてくれるなら、あたしはどこにもいかないよ……? ずっとずっと、いつまでもお兄ちゃんと一緒にいたいんだもん……」

 甘えるように頬をこすりつけてくる莉緒は、大変に可愛らしい。

「そうか。じゃあ一生一緒に暮らそう、莉緒。俺もお前さえいれば他に誰もいらないからな。誰も、誰も……?」

 俺は口ごもる。

 まあ、今俺に仕えてくれている三人の妹メイドぐらいはいてくれてもいいだろう。うん。四人の妹に囲まれた生活。彼女たちは俺を愛してくれて、俺も彼女たちに別け隔てのない愛を捧げる。

 ワクワクお兄ちゃんランドの開園だ。

 そんなことを考えていると、頭の中を読んだみたいに莉緒がジト目を向けてきていた。

「こんなことを聞くあたしもどうかしてると思うけど、まさかお兄ちゃん、メイドの子たちにお兄ちゃんって呼ばれてその気になっているんじゃないよね……? お兄ちゃんは優しいから、あの子たちに付き合ってあげてるだけだよね……?」

 俺は、はっはっはと声を上げて笑う。

「なにを言っているんだ、莉緒。あいつらが俺を兄と呼ぶ以上、それは妹も同然じゃないか。莉緒は一番上のお姉さんなんだから、しっかり面倒見てやらないといけないぞ?」

「本気じゃないよね!? 本気で言ってるわけじゃないよね!?」

 さっきとは違った意味で心配そうな莉緒の頭をわしゃわしゃと撫で回す。

「ともあれ、俺たちで世界一幸せな家庭を築こうじゃないか」

「う、うん……うん♡」

 なんだかんだ莉緒の機嫌も直ってくれたようだ。

「というわけでお願いがあるんだが、莉緒」

「なぁに? お兄ちゃんのためなら大抵のことはしちゃうよ? 健気な妹、かわいい? あたしが一番かわいい?」

「ああ、莉緒が世界で一番かわいいよ。それでな、魔法使いを紹介してほしいんだ。付け焼き刃かもしれないけどほら、なにもしないよりはマシだろ?」

「わあすごい! 努力するお兄ちゃんかっこいい! あっ、かっこいいお兄ちゃんを見てインスピレーションが湧いてきちゃったあたしはサラサラとペンを走らせて……」

「さあいこうすぐいこう今すぐいこう、時間がないからな!」


 莉緒が紹介してくれたのは、あの塔で出会った魔法使いだった。

 今になって思えば、あの場の魔法使いたちがみんな痩せていたのは、召喚魔法で魔力を使い切ったからだったんだな。

 外の訓練場に招かれた魔法使いのおっさんは、少し気難しそうな顔で、ふむ、と顎をさする。

「魔法を教えることはできますが、しかし猶予が三日とは……」

「高望みはしない。アリーチェを倒せるぐらいでいいんだ」

 おっさんはクソデカいため息をついた。

「ビスチェ侯爵を倒すなど……それは魔導を極めることと同義です。いくらあの軍勢を追い払ったソウタさまと言えど、少し魔導の叡智を侮っているのではないですか?」

「はあ」

 別に舐めているわけじゃないんだけど、そう言われても仕方ないかもしれないな。

「一生懸命がんばるよ」

「それは当然です。であれば、一分一秒が惜しい。早速始めましょう。魔法を自らの手足のように使いこなすためには、何十年という研鑽が必要なのですから」

 何十年もかかるようじゃ、三日後は棄権だな。

 だが──。

「ふおおおおお! まさか攻撃魔法をこれほど早く習得するとは! さすがソウタさま! 百年に一度の天才! 魔法の偉才! 魔法の申し子! なんという、なんということでしょうか!」

 魔法を自らの手足のように使いこなす俺を前に、おっさんは涙を流さんばかりに震え、悶えていた。

 ダイエットはできないくせに、魔法を覚える素質はものすごくあるらしい。

 そもそも通常の魔法使いに比べて、俺の脂肪ルビ:まりょくは無制限だ。何度も何度も練習ができれば、それだけ修得が早いのもうなずける。

 翌日は防御魔法の修行になった。

「おお、おお……またもやこれほど早く……。まさにソウタさまは千年にひとりの天才……。ソウタさまなら必ずや、この国を覆う暗雲を晴らしてくださることでしょう……」

 さめざめと涙を流すおっさんに多少引きつつも、俺は新たなふたつの魔法を手に入れた。盾の魔法と、鎧の魔法だ。

 前者は目の前に盾のような壁を張る魔法で、後者は全身を覆うドーム状のバリアを展開する魔法。どちらも防御用だ。

 俺は攻撃魔法に加え、二種類の防御魔法を手に入れた。とりあえずの準備は整ったと言ってもいいだろう。

 三日目はそれらの練度をあげることに尽力した。そんな風に三日間は過ぎて──。

 決闘の日は、あっという間にやってきた。



 町外れの闘技場。おそらく普段は閑散としているのだろうが、きょうは満員御礼だ。入場料を取ったらさぞかし儲かるだろうに、どうやらロハでやっているらしい。

 控室にいる俺は、試合前のボクサーのように緊張した顔をしていた。三日間修行したとはいえ、相手は百戦錬磨の凄腕。俺なんて実戦はほぼ初めてだというのに。

 そばにつくセコンドのココノが「さ、試合前だからね! 24時間どこでもおなかが減っている人の以下略っ! とにかく食べて食べて! はち切れるまで食べて!」と叫んでいる。

 本日のテーマは試合前のカロリー補給なのだろう。バナナやご飯、豚肉の生姜焼きやねぎ焼き、わかめと豆腐の味噌汁などなど、ビタミンB1が豊富に入っている食事が並んでいた。量も十人前ぐらいある。

 どれもこれもおいしそうだけど、口をつけるわけにはいかない……。

「ありがとうココノ。気持ちだけでも受け取っておくよ」

「はぁぁぁぁん! まさか決闘前なのに!? ボクが作った料理をなにも食べてくれないなんてぇ……! ダメ、もうダメ……! 昂っちゃうぅぅ……!」

 地面を転がって悶えるココノを横目に、俺は空腹に痛む胃を押さえる。

 アリーチェ戦のために、魔法の使い方はいくらか習った。しかし俺は対魔法使い経験がない。使えば脂肪が減るというこの世界の掟により、模擬戦の相手もいない。

 いきなりの実戦で、相手は王国最強の魔法使い。しかも負けたら即結婚だ。ちょっとハードモード過ぎないだろうか。だいたい俺はまだ17歳なんだ。結婚なんて早すぎる。

 くそ、やるしかないか。

 俺は両手で顔を叩き、闘技場の舞台へと向かう。

 アリーチェは先に来ていた。

 戦闘着なのか、丈の長いドレスを着ている。深いスリットが入っていて、丸太のような足を晒していた。金色の杖を手にした彼女は、俺を油断なく睨みつけている。

「来おったな、レンジョウ・ソウタ」

「逃げも隠れもしないよ、アリーチェ」

「よく言った。わらわに歯向かうその度胸だけは褒めてやろうではないか」

 アリーチェは首の見えないアゴを持ち上げて、トドのような巨体で俺を見下ろす。

「そなた、聞いたぞ。戦場に出たのはただの一度きりじゃとな。呆れたわ。その程度の経験でわらわの決闘を受けるとは、いったいどのような暴挙か」

「暴挙だなんてとんでもないな。十分に勝算があると確信したから舞台にあがっただけさ」

 そう言い放つと、アリーチェは爬虫類のように目を細める。こええよ……。

 とりあえず平静を装うのには成功したようだ。

「いいじゃろう。そなたには血まみれのタキシードを着せてやろうではないか。特注のものをな。指輪交換をするための腕は、残してやろうぞ」

 アリーチェは髪を揺らめかせながら距離を取る。

 どうやら相手を本気にさせてしまったようだ。

 噂のすべてが真実ってわけじゃないだろうが、火のない所に煙は立たない。アリーチェはいくつもの戦場を潜り抜けている猛者だ。俺の小手先のテクニックがどれだけ通じるか……。

 ちなみにルッツがこっそり教えてくれた下馬評では、アリーチェの勝率が98%で、俺が2%だという話だ。人気の差すごくないかな。

「それでは、決闘を始めます。両者前に!」

 立会人の男の声とともに、俺とアリーチェが前に歩み出る。

 アリーチェは胸に手を当てて名乗りを上げた。

「アリーチェ・ビスチェ侯爵! こたびは我が名誉を取り戻すため、レンジョウ・ソウタに決闘を申し込む! この決闘受けられよ!」

 闘技場にビリビリと響き渡るような勇ましい声だ。

 威嚇するような彼女を前に、俺はいつもの調子でうなずく。

「蓮城蒼太だ。この決闘を受ける。ただし命のやり取りはなし。それでいいな?」

「無論じゃ。しかし、相手の生死に配慮が必要なのは、絶対的強者であるわらわのみであるがな」

「──ではここに決闘の約定は締結された!」

 立会人が腕を掲げると、俺たちは離れたところに立つ。

 10メートルほどの間合いを取ったところで、俺を見るアリーチェの唇が歪む。

「覚悟するがいい、レンジョウ・ソウタ。古来より我らビスチェ家の女は、戦いで男を奪い取るものじゃ。そなたの人生もわらわが略奪してやろうぞ」

「途絶えたほうがいいんじゃないかその一族」

「それでは決闘――始めっ!」

 立会人の声が響き渡ると同時に、アリーチェは杖を掲げる。

 杖の先端に紅い光が灯り、中空にこぶし大の魔法陣が描かれた。

「帝国軍を退けたそなたの、まずはお手並み拝見といこうかの!」

 ここで魔法についてほんの少しだけおさらいだ。

 この世界にはずっと昔から『魔法』がある。

 しかしその魔法は大したことができなかった。人間には生来、魔力が足りなかったのだ。せいぜい小さな火を起こしたり、明かりを灯したり、水中で多少長く呼吸ができるようになったり。その程度のものだ。

 しかし近年、革命が起きた。帝国軍が開発した『血肉魔法』と呼ばれる魔法だ。

 それは自らの熱量ルビ:カロリーを費やすことによって、今までからは考えられないほど大量の魔力を錬成する技術だった。

 血肉魔法は人間によく馴染んだ。古来の魔法は淘汰され、今はほとんどの魔法使いが血肉魔法を操る。

 もっとも、血肉魔法は人間の手に余るほどの魔力を扱うだけあって、昔の魔法ほど細かい操作はできない。大雑把な攻撃と防御、あとは回復に応用するのが関の山だ。

 だが、威力は絶大。

 よって魔法使いは軍事利用され、帝国軍には『暴食倶楽部』が誕生した。魔法使いが戦争の覇権を握る時代の幕開けである。

 若い魔法使いが多いのは、古くからの魔法を捨てて血肉魔法に適応できた者が、若人に多いかららしい。あるいは年を取った魔法使いがカロリーを大量摂取したために成人病で亡くなる率が高かったからとか。世知辛ぇ。

『爆撃姫』の異名をもつアリーチェはエネルギーを爆発に変換する魔法が得意だ。彼女ほど有名な魔法使いなら戦法は世界中に知れ渡っている。だが破壊力はそれを補って余りあるほどだ。

 すなわち、この決闘における勝敗の行方は単純。

 俺があいつの魔法を防げるかどうか──。

「我が爆槍! その身で受けるがいいわ!」

 杖の先に浮かんでいた魔法陣が、爆発的にその大きさを増した。半径3メートルほどに広がった魔法陣の中心から光が漏れる。

 俺も奥歯を噛み締めながら、右手を突き出す。

 眼前に輝く障壁。覚えたてのただ込めた魔力に応じて強固とになるだけの『盾』の低級魔法。

「っ、来い! アリーチェ──!」

「──ルビィガルド!」

 紅い閃光が走った。

 魔法陣から飛び出した光は俺の創り出した障壁に命中し、炎とともに弾け飛んだ。

 遅れて熱波と衝撃。そして凄まじいほどの大爆発。アリーチェの放った魔法は闘技場の気温を一瞬にして上昇させた。

 こんなものが直撃したら、骨すらもバラバラに吹き飛んでしまうだろう。

 だが、障壁に包まれた俺の体は無事だった。

「……ほう」

 片眉をあげるアリーチェの顔は、極悪なセイウチそのものである。

「少しは心得があるようじゃの。安心したぞ。それでこそわらわの伴侶にふさわしい力と言えるじゃろう」

「お前、本当に殺さないつもりでやってんだよな……?」

「さての? そなた次第じゃろうて。わらわは火を操ることに長けており、加減も極めておるが、それでも受ける相手が藁では限度があるというものじゃろう?」

 アリーチェはこともなげにそう言い放つ。デブのくせに汗ひとつかいていない。

 くそっ、本当に小手調べだったのかよ。

 ビビる俺に、アリーチェは再び杖を掲げた。

「次はもう少し──気合の入った一発を浴びせてやろうではないか!」

「ああもう固定砲台かよ!」

 そのどっしりとしたフォルムも含めての叫びは、しかしキュイイイインという魔法陣が巨大化する音にかき消された。

「フレアガルド!」

 慌てて障壁を張る。俺を包み込むようなドーム型のバリアーだ。

「芸のない戦い方じゃな!」

 四方八方から降り注ぐ火球は、しかしすべてが障壁に防がれる。

「大口を叩いたくせにそなたは亀のように引きこもるしかできぬのか! ほらほら、どうじゃ! ルビィパラム・エクス!」

 真紅の槍が障壁に突き刺さり、爆散する。

 しかしやはり俺は無傷。

「……どうだ、お前もこんなところで蓄えた脂肪をすべて使い切っちまうわけにはいかないだろ? ここらで手打ちにするってのはさ」

 アリーチェは盛大に舌打ちをした。

「好いじゃろう……そなたがその気なら、わらわも史上最高の魔法を最大出力、最強威力、本気の本気で叩きつけてやろうではないか!」

「だめだこいつ話聞いてねえ!」

 アリーチェの周囲にいくつもの魔法陣が現れる。あちこちが少しずつ揺れ始めた。闘技場の観客たちが避難を始める。嫌な予感しかしねえ。

 凄惨な笑みを浮かべながら、アリーチェは俺に杖を突き出す。

「きょうがそなたの命日となるか、はたまた結婚記念日となるか、ふたつにひとつ。さて、未来の旦那様よ! 自らの逝く先をどうぞ選ぶが好い!」

 死刑宣告にも等しいその言葉を聞いて俺は──

「どっちもごめんだな! 俺の道は俺自身がウマイと思う直感を信じて決めていきたいんでね!」

「それは残念じゃな……まことに! ああ、心から! 残念じゃ!」

 すべての魔法陣に紅蓮の輝きが宿る。

「ルビィゼノラ・グロンド! その魂をも燃え尽きるまで!」

 集中砲火が俺を襲った。

 爆発と火炎に巻かれて、なにも見えなくなる。俺は熱を感じることすらできず、この体はドロドロに溶けて──ゆくかと思ったのだが。

「……あれ?」

 俺は薄目を開く。

 どこもなんともなっていない。最初に魔力を注いだだけの障壁は、その役目をバッチリと果たしてくれていた。地面は俺の周りだけえぐれているが、障壁に守られた部分はきれいなものだ。

 つまり。

「……無傷、じゃと……?」

 愕然としたアリーチェの声は、この闘技場に詰めかけていた観客も含めての総意であるように聞こえた。

 俺はぽりぽりと頬をかく。

「……そうみたいだな」

「いったい、どうなっておる……?」

「それはわからないけど」

 脂汗を流すアリーチェに向かって、俺は右手を向けた。

 さんざんビビらされちまったし。

 やられた分は、やり返さないとな。

「今度はこっちの番だな」

「なっ、ちょっ、ま──」

 炎の魔法か。アリーチェみたいに複雑なことはできないが、ただ炎を発生させるだけなら俺にもできるようになった。とにかくたくさん魔力を注げばいいんだ。

「ファイアー」

 視界を覆い尽くすほどの爆炎が、彼女の巨体をかき消し、アリーチェの姿は一瞬で見えなくなった。


 やべっ、と思った。

 俺の繰り出した炎はアリーチェのそれに比べて、あまりにも強大だった。

 まさか自分がここまで強い一撃を放つことができるとは思わなかったのだ。

 アリーチェ相手だからといって、いつも練習でやるより魔力の量を多くしたのが、裏目に出た。

 もしかして自分はアリーチェを殺してしまったのではないだろうか。そんな恐ろしい想像が脳裏をよぎる。

 幸い、アリーチェの後ろにいた観客たちは避難していたから無事だったが、そうでなければ巻き込んでしまっていたところだ。

 とにかく、俺は人を殺す気なんてない。

「アリーチェ!」

 立ち込める炎の熱気ともやで視界の悪い闘技場を、叫びながら駆ける。

 ぷすぷすと煙をあげる地面は、焼けた鉄板のように熱い。

 アリーチェは確かに気に入らないやつだった。莉緒と折り合いが悪いし、勝手に人を結婚相手にしようとするし。それにあの体型も鏡を見ているようでつらかった。

 だが、それでも、できれば──そりゃ、無事でいてほしい。

 俺は先ほどまでアリーチェが立っていた場所に到着し、辺りを見回す。

 一応、障壁を張る姿は確認できたから、消し飛んだというわけではないと思うが……。

「おい、アリーチェ! どこだ! どこにいる!?」

「う、うぅん……」

 人影だ。俺は慌てて近寄る。

「アリーチェ、大丈夫か、アリーチェ!」

 倒れていたのは……しかし、俺の知っているアリーチェとは似ても似つかない女性だった。

 長い髪。すらりと伸びた手足。細いウェスト。白い肌。スレンダーな美少女である。目を奪われるほどに美しい。

 人は自分にないものを伴侶に求めると言うが、このときの俺がまさにそうだった。あまりにも細い彼女は俺のタイプど真ん中であったのだ。

 観客席から降りてきたんだろうか。俺はショックを与えぬよう注意して揺り動かす。あまりにも華奢な肩はガラス細工のようにつついただけで壊れてしまいそうだった。

「なあ、大丈夫か、お前……」

 何度かまばたきをしてから、彼女は目を開いた。それだけで辺りの空気感が変わったような気がする。凄まじい美少女だ。

「む……わらわは……」

 なぜか聞いたことがあるような声だった。

 いやしかしこんな美少女、俺の知り合いには。

「……そうか、わらわはそなたに負けてしまったのか……」

 いったい誰なんだこの子はー! わからないぞー!

 美少女は乾いた地面にぺたんと女の子座りをしたまま、うつむく。その瞳からぽたりと涙がこぼれ落ちた。

「負けてしまったわらわは、すべてそなたの言うことに従うとしよう……。それが約定であったな……。くっ、このようなみっともない貧相な姿を晒してしまうとは……ええい、これは泣いているのではない! ホコリが目に入っただけじゃ!」

 よく見ればなぜか服はだぼだぼで、まるでさっきまではジャストの服を着ていたのに体が縮んでしまったかのようだ。

 いや、うん、いい加減認めよう。

 彼女はアリーチェだった。

 魔力のすべてを障壁に注ぎ込んだため、サイズ《ルビ:よこはば》が縮んだのだ。

 なんてこったい。

「それにしても、なんという男じゃ……。わらわが手も足も出なかった相手など、初めてのことじゃ……。その上、わらわの安否を心配して、駆けつけてくるなど……!」

「うん、まあ」

 殺しちまったら寝覚めが悪いしな。

「途方もなく強いだけではなく、優しさまで持ち合わせているじゃと……? そなたのような完全無欠の超人がおるなど、知らんかったわ……。ええい、ええい、悔しいのう、悔しいのう……。完膚なきまでに力の差を見せつけられるなど……」

 アリーチェは力なく地面にうなだれた。

 負けてここまで悔しがられるとは思わなかった。

 彼女は負けても、もっと涼しい顔をしているものとばかり。

「これで、ヴィテッロ王国で最強無敗の看板は下ろすことになってしまうの……しがみついていたわけではないが、こうまであっさりと負けてしまうとはな……」

 涙が頬を伝い、土に染み込む。

「……アリーチェ」

 いまだ晴れぬ熱波に包まれてたったふたり。

 アリーチェはごしごし目をこすると、俺を見上げて歯噛みする、

「さあ、なんなりと命じるがいい、そなたの願いを……。どんなものでも、わらわは受け止めるぞ。それが敗者に残された最後の矜持じゃからの」

「どんなものでも、か」

「……うむ」

 静かに目をつむるアリーチェだが、その手は震えていた。

 そのとき俺は、彼女が無理して背伸びをして、いたのだと知って、なんだか今までの傲慢な態度も虚勢だったのではないかと思ってしまった、

 彼女は俺より年下の16歳なのだ。それでヴィテッロ王国を支えてきたのだから、相当な心労を抱えていたはずだ。

 もしかしたら、俺と無理矢理結婚しようとしていたのも、誰かにそばにいてほしかったからなのかもしれない。というのは、いい風に解釈しすぎだろうか。

 ともあれ、今の細い体で沙汰を待つ彼女の姿が、がんばって王女を勤め上げようとしている莉緒に重なって見えてしまった以上、もう冷たくすることはできなかった。

 俺は目を合わせないようにして、告げる。

「あのさ、頼みたいことがあるんだ」

「……何なりと言うがいい。そなたは勝者じゃ、わらわに配慮する必要はあるまいて」

「莉緒のことだ」

「……ロッセッラ姫じゃと?」

 俺の言葉を聞いて、アリーチェは眉をひそめた。

「ああ、あいつの手助けをしてほしいんだ。王宮で色々と苦労しているだろうから、相談に乗ったりさ。どうだ? ダメか?」

 アリーチェは驚いたような顔で。

「……そなたは、自らの望みはないのか?」

「あるさ。莉緒の苦労が少しでも軽くなってくれればいい。それが俺の望みだ」

「それほどの力をもちながら、自分自身のためではなく、他者のために生きるというのか……? わからぬぞ、そなたの考えが……。そなたはいったい……? よもや異界では、聖人や神霊の類であったか……?」

「ンなわけねーだろ! 大袈裟すぎるぞ! ……ったく、おかしくねえだろ、妹に兄が尽くすのはさ。大切な家族なんだから」

 とかなんとか言ってると真顔で見つめられていたので、俺は思わず照れて目を逸らす。

「ていう感じで。どうなんだよ、莉緒のために力を貸してくれるのか?」

「成る程……。そなたは、そうなのじゃな……。わかった。元よりわらわに選ぶ権利などはあるまいて。そなたの力に屈服したわらわは、言う通りにしようではないか」

 嫌い合っているみたいだし、もうちょっと反発されるかと思っていたんだが、アリーチェは素直に従ってくれた。

 ここから約束を反故にするようなやつではないだろう。

 うまくいって、よかった。

「……妹のためにか。まったくもって、奇々怪々なご仁よ」

 アリーチェはふっと頬から力を抜いた。

 そのかすかな微笑みは、今までの彼女のどの表情よりも魅力的だったように思える。いや、痩せて美少女になったからってわけじゃなくてな?


 煙が晴れたその後、決闘は俺の勝ちだと発表され、締めくくられた。

 アリーチェに勝利した俺を大歓声が包み込む。大番狂わせの決着だった。

 だが──本当に大変なのは、その後だった。



「お兄さまぁ、あのぉ」

「言うな」

 俺は静かに首を振る。

 だがミィルはそちらが気になるようで、先ほどから何度も掃除をする手が止まっていた。よそ見をするたびにすねを机の脚にぶつけて「いたぁ!」と叫んでは「な、なんでもないですぅ、てへへ……」と涙目で首を振るので、だんだん可哀想になってきた。

 仕方ない……。ため息をついて俺は玄関に向かった。

「なにやってんだお前……」

「知れたことよ。そなたの力の秘密を探っておるのじゃ。ふむ、日がな一日ソファーに座ってゴロゴロとしておる……。そなたの上質な脂肪は、徹底した怠惰な生活により磨かれたものなのじゃな。さすがの魔法使いっぷりよ」

「違えし! むしろ逆だ! 俺はダイエットしてるんだよ!」

 三日連続で玄関のドアの隙間から妖怪みたいにこちらを覗いていたアリーチェは、ふむふむと感心したようにうなずく。

「つか、お前がそこにいると、うちの妹メイドたちがビビって仕事にならないから、一刻も早く自分ちに帰ってほしいんだけど……」

「み、ミィは大丈夫ですからぁ!」

 と言うけれど、ヴィテッロ王国最強と名高い『爆撃姫』がずっと自分たちを(というか俺をなんだが)監視しているのだ。そんなの緊張して当たり前に決まってる。

 俺の半眼を浴びたアリーチェは、さらに得心して。

「わかっておるぞ。わらわを追い出してから秘中の秘なる修行を始めるのであろう。じゃが、そうはさせぬ。無敗ではなくなったが、せめて最強の座だけは返してもらおうぞ」

「そんなもんいくらでも持って帰ってくれよ……。むしろトロフィー作って送り届けてやるからさ……。そいつを家に飾って毎日眺めてろよ……」

 ふうむ、とアリーチェはまったくたるみのない細い腕を組む。

 その目が悪戯っぽく艶やかな色を帯びた。見覚えがある。ベッドで俺を誘ったときと同種のものだ。

 だが、あのときと違うものがあるとすれば──それは、アリーチェが俺のことをもうある程度理解しているということである。

 本能が察知した。こいつはなにかやばい隠し玉をもっている、と。

「そうつれないことを言うでない、言ったであろう、わらわは強い男が好きなのじゃ。その強者を我が物にするのはやはりビスチェ家の悲願。いや、女の冥利に尽きようぞ。わらわはいまだ諦めておらぬでな。これからもよろしく頼むぞ──。あにうえよ」

 スレンダーな美少女のその言葉に。

「……え?」

 俺は思わず聞き返す。

 すでに女郎蜘蛛の巣に絡め取られているとも知らず。

「どうかしたかの? あにうえ」

「いや、その呼び名……おかしくない?」

 手応えに満足したかのように、腰のくびれに手を当ててアリーチェは笑う。

「せっかくじゃからの。もう一度、魔法の勉学をやり直そうと思って、ボイルド翁に師事することにしてな」

 ボイルド翁。誰だ。

「無論、そなたも知っておろう。魔法塔のボイルド翁といえば、召喚魔法の理論構築を果たした人物として、ヴィテッロ王国では随一の魔法制御力をもつ使い手だ」

「あ、ああー、俺を三日間、修行してくれたあのオッサンのことか」

 ……ん?

 ということは?

「わらわはそなたの、いもうと弟子、ということになるのう」

 いもうと弟子。

 ──妹。

 いやいや、俺は首を振る。平静を保て。言葉の響きに惑わされるな。

「へ、へえー、そうなのかー」

「うむ。じゃからの。わらわがあにうえをそう呼ぶのは、なにも不思議なことではあるまいて。……のう、あにうえよ?」

 最後の鼻にかかった色っぽい声は耳元で囁かれた。さらに細い指先で、す~~っと耳たぶを撫でられ、重い体がはねる。ひゃん!

「やめろ! つか、妹弟子とか言われても、俺はなんとも思わないからな。そんなのただの言葉遊びみたいなもんだろ? そもそも、なにかを勘違いしているようだから言ってやるが、俺にとっての大切な妹は莉緒ただひとりだ。それが終わったらさっさと帰って」

「いけずなことを言うでない、あにうえ。いもうとは悲しいぞぉ?」

「ウオオオオやめろおおおおおおおおお!」

 俺は耳を塞いで叫ぶ。

 洗濯物を抱えて通りがかったレァナが「めちゃめちゃ効いてるじゃん……」とうめく。

 しかもアリーチェひとりならまだ良かったのに。

 俺が及び腰で身を引くと、そこには肉の壁があった。ついでにむぎゅと抱きしめられる。な、なんだ?

 振り返ると、メイド服を着た豊満な胸をもつひとりの少女がいた。

 ルッツでもミィルでも、もちろんレァナでもない。

 嘘だろ。

 満面の笑みを浮かべたココノであった。

「お兄さん! ボクもお兄さんに本気でご飯を食べてほしいから、メイドさんになることにしたんだ! これからもよろしくね!」

「マジかよ」

 いつの間にか近くに立っていたルッツが、見た目だけはうやうやしく頭を下げる。

「これからは王宮料理長であるココノさまが我が家のスペシャルアドバイザーメイドとして、お兄さまの食事を全面的に手がけてくださるそうです。しかもご厚意ですので、ボーナスもいらず……私は炊事の手間が省け……。まるで夢の様な話ではありませんです?」

「お前にとってはな!?」

「というわけで、ご主人さまお兄さん、本日のお夕食は油たっぷりのラーメンにチャーハン添えと、揚げたカツとエビフライとハンバーグを乗せたミックスフライ大盛りカレー、どっちにする!? どっちがご主人さまお兄さんご主人さまの好み!?」

「どっちも不要だ! 夜はサラダだけでいいんだよ!」

「サラダだけじゃと? 糖も脂肪も摂取せずにその体を維持し続けておるのか……? ふむ、どういうことなのかますます興味深い話じゃの……。あにうえの秘中の秘、いもうとであるわらわが必ずや、暴かせてみせようぞ」

「お前らもうめんどくせえよ! 俺を放っておいてくれ! 頼むからダイエットさせろ!」

 厄介な妹どもに囲まれた俺の異世界生活は、まだまだ始まったばかりである──。


……次回は最終回! 10月31日(火)更新予定です。乞うご期待ください!

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