第2話 デブの魔法使い、痩せたい(仮)

帝国軍を追い返した俺は、王宮に招かれていた。

 よくぞこの国にお越しいただきました魔法使いさま、とたくさんの大臣たちから代わる代わる挨拶されたが、誰が誰だかまったく覚えられない。みんな似たような顔をしているし……。

 そんなことよりもだ。謁見が終わった俺は、莉緒のお見舞いに来ていた。体を壊しているらしい莉緒は、今は私室で休んでいるとか。しっかし城は広いなー。

 莉緒どこー? と城の中をさまよっていると、近くのやつに呼び止められた。

「おいお前、こんなところでなにをしている! む、その奇妙な出で立ちは召喚者か? まさかレンジョウ・ソウタ殿ではあるまいな?」

「そのまさかだけど」

「おお、おお、そなたがか。ではこちらにお越し願おう。王女さまがそなたを呼んでおる。光栄な謁見だぞ、なんせ我が国の王女さまは大変お美しくあられる」

 つっても今は莉緒を探してるんだけどな。まいったな。

 断るのも面倒そうなので、俺は黙ってその後ろをついていく。

「いやあしかし先ほどの戦いは立派であったな。帝国軍の連中の泡食った顔を、ぜひともそなたにも見せたかったぞワハッハッハ」

 迷宮のように入り組んだ廊下を行くと、王女さまの部屋に到着した。

「ではごゆっくりとな」

「あ、ああ、どうも……」

 しかし、美人で有名な王女さまが俺にいったいなんの用だ。もしかして、戦のトクベツな褒美を取らせてくれるとかか? この国を救ってくれたお礼に自分の体を好きにしていいぞよ、とかそういう……? 私の未開拓な湿地帯をめちゃくちゃにしてぇ! とか? なんてこったい。うまく開墾できるかな。緊張してしまう。

 ドアの前には侍女が立っていた。王女に呼ばれた旨を伝えると、中に話を通して部屋に入れてくれる。

 室内は広く、スイートルームのようだ。奥には天蓋付きのベッドがあり、そのそばにも侍女が立っている。ベッドには誰かが横になっていた。カーテンの中から声がする。

「ようこそ、我が国へ。お待ちしておりました、ソウタさま」

 流れる小川のせせらぎのように、聞いていると安心する声だ。しかしそれだけではなく、体の敏感な部分を指で弾かれているようなくすぐったさを感じる。

「あなた方、少し席を外していただけませんか? 私はソウタさまに『トクベツなお礼』をしなければなりませんので」

 ドキッとした。まさか、本当に? 王女さまの領土を隅々まで征服し、略奪しちゃっていいのか。今宵の蓮城蒼太はコンキスタドールの軍勢を率いて女体の神秘を解き明かす……!

 侍女たちが頭を下げて出てゆくと、部屋の中は俺たちふたりきりで外に声が漏れる心配もなさそうだ。王女さまはそのたおやかな手で俺をおいでおいでする。

 すべてがお膳立てされた状況で、それでも脳裏をよぎったのはどこかで俺を待っているであろう莉緒の心細そうな顔だった。過労で倒れた莉緒を放って自分ひとりだけ心躍る未知の冒険に旅立っていいのだろうか? 男としての探究心を満足させている場合か?

 俺は首を振った。やはりよくない。まずは莉緒が先だ。俺が愛しているのは莉緒なのだ。たとえこれが一度断れば永遠に訪れない幸運であっても!

「すみません、俺は……」

 断るべく足を進めると、彼女は俺の手をギュッと掴んで、カーテンの中に招き入れてきた。あっ、だめです姫さま、だめです困ります──。

 だがそこにあったのは、俺がよく知った顔だった。

「──お兄ちゃん~~~!」

「えっ、り、莉緒!?」

 ふにゃふにゃの声をあげながら抱きついてきた莉緒をしっかりと受け止める。俺の愛する莉緒の温もりだ。少し痩せたかもしれない。

「なんでお前……あと、この部屋は……?」

 莉緒はまるで赤子のように両手両足で抱きついてきながら、にっこりと笑った。

「あたしね、王女さまになっちゃったんだよ!」

「えええっ……?」


 この国の王様が倒れて、そして姫さまが代わりに政務をやることになったのだが、その姫様はとっくの昔に死んじゃってて、だから急いで影武者を立てることになった。

 その影武者こそが、蓮城莉緒その人である。

「姫様は生来の黒髪だったらしいんだよね。それがこの国じゃ珍しいからどうしようっていうところに、ちょうどあたしがこの世界にやってきてね。あ、これは一部の人しか知らないことみたいだから、いろんな人に言いふらしちゃったらダメだよ?」

「だからって姫の影武者って……」

「これでも、がんばって生きてきたんだよ。お兄ちゃんが絶対に助けに来てくれるって信じてたから。この世界の人たちは戦争をしてて、あたしが魔法を使えないってことがわかると途端に役立たずを見るような目になっちゃったし」

「なんだと。俺の超絶大事な目に入れても痛くない莉緒をか」

「やん♡ でも、少しでも役に立とうと思ってがんばってみたら、みんないい人で。ちゃんとあたしのことを大切にしてくれるようになったから、あたしもみんなのために努力したんだよ。今じゃ、姫さま姫さまって、敬ってくれているし。だからね、お兄ちゃん。あたし、この国の人たちに恩返ししたいんだ」

 莉緒が俺や家族以外の人のことを気にかけるなんて、初めてだ。

 成長した莉緒を、なんだか嬉しく思う。

「そうか、いい人たちだったんだな」

「うんっ。それに、いつお兄ちゃんが助けに来てくれるんだろうってワクワクしちゃったもん。あたしってば、悲劇のヒロインみたい、なんて♡」

 おどけて笑ういつもの莉緒を見て、少し安心した。

「もちろんだ、お前は俺にとってのヒロインさ。どこに行ったって、必ず見つけて助けてやるに決まってる。もう俺のそばから離れるなよ、莉緒」

「いやぁん♡ お兄ちゃん愛してる♡」

 莉緒は身悶えして喜んだ。

「しかし、疲労で倒れたって聞いたが、元気そうじゃないか」

「うん! さっきまではけっこうしんどかったんだけど、お兄ちゃんの顔をひと目見たら治った! もう元気すぎ! お兄ちゃんはあたしのきゅんきゅんハートの特効薬だね♡」

 莉緒は俺に抱きつきながらスンスンと首元の匂いを嗅いでくる。

「ああお兄ちゃんお兄ちゃん、お兄ちゃんだー。お兄ちゃんの匂いする、お兄ちゃんのお腹の弾力きもちいー……。あーお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん……♡」

「はははこいつめ。俺も莉緒に会えなくて寂しかったし下手したら死ぬかと思ったぞ」

「ねえねえお兄ちゃん、あたしお兄ちゃんに会えない間にいっぱいお兄ちゃんの絵を描いてたんだよ。ねえねえ、見る見る?」

「ああ見るともハハハ」

 渡された紙を受け取れば、そこには得体の知れないバケモノのような荒ぶった線画が描かれていた。

 これが心理テストなら精神に致命的な闇を抱えていると診断されそうなイラストだが、莉緒は今のところ健康そのものだ。

「相変わらず先鋭的というか、独創的というか、お前らしさがにじみ出た似顔絵だな……。じっと見守っていると正気を失いそうだ」

 なにをしても完璧な妹の唯一の欠点だ。俺は目の焦点を合わせないようにしてにこやかに受け取った。

「でしょでしょ? お兄ちゃんのためを思って描いたんだよ。城のみんなも『これが兄上ですか……。ずいぶんとお強そうですね……』って言ってくれたんだよ。お兄ちゃんはあたしがピンチのときには、いつでも助けに来てくれる人なんだもん!」

「これ見て俺が蓮城蒼太ってわかった連中すごすぎじゃね!?」

 莉緒は猫のように身をすり寄せてくる。

「お兄ちゃんの大活躍、ここであたしも聞いてたよ。昔からそうだったよね。お兄ちゃんはあたしのヒーローだもん……」

 しかしその莉緒の笑顔が徐々に崩れてゆく。

「お兄ちゃんの声、聞こえてたよ。絶対助けに来てくれるって思ってた。でも、どうして一ヶ月もかかっちゃったの……?」

 俺は素直に「スマン」と頭を下げた。

「お前を見つけて、すぐに渦の中に突っ込んだんだけど、わずかな時間の差が一ヶ月になっちまってたらしくてさ。もっと早く来れたらよかったんだけど……待たせてごめんな」

 頭を撫でると、莉緒はとろけるような笑みを浮かべた。

「ううん、いいの! すぐに助けに来てくれたんだったら、それでいいの。ごめんね、お兄ちゃん。変なことを言って……。あたし、お兄ちゃんのこと信じてたから♡ だから、ひとりでがんばってきたの。ね、偉い偉い?」

「ああ、偉いよ。お前はがんばりやさんだな。俺が莉緒と一ヶ月も離れ離れだったら間違いなく発狂していただろう。その強靭な精神力に頭が下がる」

「えへへー。大好きー、お兄ちゃん大好きー。もうどこにも行っちゃヤだよー」

 しばらくイチャイチャしてから、莉緒は立ち上がって気合いを入れる。

「よっし! じゃあお兄ちゃんも来たことだし、軍議を始めよっか! いつまでも寝てらんないもんね!」

 俺たちは場所を会議室に移し、これからの話を始めることになった。


 会議室にはたくさんの大臣が並んでいる。さっき莉緒の部屋に案内してくれたオッサンやら、ガーゴイル戦にもいたあの伯爵やらがいた。

 莉緒は横長のテーブルの奥に座っている。俺の前にはなぜか大量のお菓子が並べられていた。蜂蜜やクリームのかかったパイやフィナンシェ、マカロンなど。ついつい手を伸ばしてしまいそうになり、首を振る。ダメだ。今ダイエット中なんだ。

 口火を切ったのは莉緒だった。

「ではですね、現在の我が国の状況を、簡単にご説明させていただきましょう」

 よそ行きの言葉遣いに直した莉緒が口を開く。

 すごい、凛々しい。カッコイイぞ莉緒。惚れそう。へへ、あれ俺の妹なんすよ。

「では改めて名乗らせていただきます。あたしは蓮城莉緒。そこにおられる蓮城蒼太の妹でありこのヴィテッロ王国の姫、ロッセッラの影武者をさせていただいております」

 横から軽薄そうなオッサンが口を出す。

「お嬢ちゃんは、魔法使いに必要なカロリーを効率よく摂取するためのメニューを、それはもうたくさん開発されてな。それだけじゃなくて、用兵や軍略についても明るくて。俺たちの知らないことをたくさん知っていらっしゃって。お嬢ちゃんがいなかったら今頃はとっくに我々は滅んじゃっていたんじゃないかねえ、ハッハッハ」

 姫をお嬢ちゃん扱いしたことでか、その男は周囲に睨まれていた。しかし男は気にしていなそうだ。

「ありがとうございます、サーレ男爵。お兄ちゃんが来てくれるその日まで、持ちこたえる必要がありましたから。まさか一ヶ月もかかるとは思いませんでしたけどね」

「ごめんて」

 皮肉を口にする妹だが、その目は微笑んでいた。

 まあさっきネジを緩めすぎた分、ここではちゃんと姫様らしくしているんだろう。

 ちなみに、闇の渦の中は時空が歪んでおり、一瞬の遅れが大きな違いになるらしい。俺が到着したときだってギリギリだったんだから、あと数秒でも飛び込むのをためらっていたらきっと国は滅びていただろう。

 そこから莉緒は、俺にもわかるよう噛み砕いた説明を始めた。

 この世界には六つの大国があり、かつての騒乱は鳴りを潜めて各国は平和に暮らしていた。しかしその中の一国――サルスィチャ帝国が周囲の国へ侵略戦争を開始してしまったため、再び戦乱の時代が開かれた。

 帝国以外の五国は連合国を結成し帝国に対抗したものの、血肉魔法を開発した帝国の勢いを押しとどめるのが精いっぱいである。そんなところだ。

 帝国は魔物や魔造生物を操る他、最強の魔法使い集団である暴食倶楽部という組織がついているらしい。その目的はなんと世界征服だ。めちゃくちゃ悪の組織っぽい。

 帝国を支配しているのはその、第一膳から第十膳までのナンバーが振られた暴食倶楽部の魔法使いたちであり、サルスィチャ皇族も今はもはやただの傀儡に過ぎないことが明らかになった今、暴食倶楽部を打倒し、その上で帝国と和睦を結ぶことが王国の最終目的である。

「それを完了した暁に、あたしとお兄ちゃんは元の世界に帰してもらえるって寸法です」

 俺たち兄妹を召喚するために『扉』を開いたのも、この国の魔法使いだ。

 でもその代わり、彼らは肉体の脂肪をほとんど失ってしまった。また彼らが召喚魔法を使えるほどに回復するためには、世界が──少なくともこの王国が──平和になる必要がある。なるほどな。

「ま、最強の文官であるリオさまと、最強魔法使いのソウタさまのコンビなら、帝国軍なんてあっという間にドッカーンでさあ、ドッカーン。ほら、たくさんメシ食ってたくさん太ってさ、その脂肪の力で暴食倶楽部を丸ごとドッカーンしちゃってよ、ハッハッハ」

 先ほどサーレ男爵と呼ばれた男がひとり明るい笑い声を上げる。酔っ払っているんだろうか、顔が少し赤らんでいた。

 周囲は静まり返っている。明らかに空気読めてない。

 そんな中、俺はおずおずと手を挙げた。

「ええと、その話なんだけどさ」

「ソウタさま、いかがいたしました?」

 他の大臣が問いかけてくる。

 目を背けつつ……。

「俺、ダイエット中なんだよね」

 先ほどの何倍も重い沈黙が辺りを覆った。

 次第にあちこちからささやき声が漏れる。

「……ダイエット?」

「いったいなんのことだ……?」

「異世界の言葉か? こちらではどういう意味だ……?」

 察するに異世界語は自動翻訳されているはずなのだが、この世界にない概念までは伝え切れないらしい。

 視線が莉緒に集まってゆく。

 しばらく顔を両手で覆っていた莉緒は、まるで観念したみたいな声でうめいた。

「……減量のこと、です……」

『減量!?』

 その場の全員が目を剥いた。

 矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

「え、なんでですか!?」

「そりゃ、太ってっから……」

「そんなに素敵で立派な体をしていらっしゃるのに!?」

「いや、デブはただのデブだよ……」

「自ら最強の証である脂肪を手放そうだなんて、なにを考えているんですか!?」

「しいていえば健康、かな……」

「神に造られた至上の美女が自らの顔に傷をつけるような真似を……!」

「そこまで言う!?」

 その間、莉緒はずっと顔を真っ赤にしながらうつむいてぷるぷるしていた。

 まさか俺たちのダイエット計画が、異世界の存亡に関わることになるだなんて。

 唯一、サーレ男爵だけは爆笑していたが、それで空気が変わることもなく……。

 莉緒がほんの少しだけ顔をあげて俺を見やる。

 俺の様子をひと目見た莉緒はそれだけで説得が無駄だと悟ったようだ。

「えー、それでは会議を終了いたしマス。お兄ちゃんはお付きのコを呼ぶのでそのコにイロイロと案内してもらってくだサイ。あたしはもうちょっとだけ会議してくから……」

「お、おう」

 こうして俺は紛糾する会議場から追い出されるような形で外に出た。中から「姫さま!?」「姫さまあの!」「それでいいんですか!?」という声が響いてくる。ドアが閉まると声はパタリと聞こえなくなった。

「すまんな、莉緒」

 静かに両手を合わせた。

 俺は莉緒のためにダイエットをやり遂げなければならないのだ。

 その後、宿舎のほうへ案内された俺は、ことの重大さをまるで理解していなかった。

 俺の『ダイエット発言』は、王国に風雲急を告げることになる──。



 ──一方その頃。

 第283回帝国対策軍議。そう書き殴られた札が張られている会議室の中、議長である莉緒は恥じらいもなくテーブルに突っ伏していた。

 会議室に集められた王国の重鎮たちは先ほどとは顔ぶれが変わっていない。というより、こんな話を外でできるはずがない。

『異世界から来た最強の魔法使いが、減量しようとしている』

 下手したらそれは、この国の姫が影武者だという事実よりも重い問題かもしれない。

「なぜ、なぜ減量など……」

「それで喜ぶのは帝国軍だけでしょうに!」

 ひとりの男がテーブルに拳を叩きつける。それがきっかけであったかのように、みなは思い思いに口を開いた。

「なんでも異界では体に脂肪を蓄えた状態を『不健康』と呼ぶとか」

「しかしそれでは血肉魔法を使うための代償をどうやって支払うのだ?」

「ソウタさまは魔法を使うための触媒に脂肪を必要としない唯一のお方。おそらく異世界の食事はここのものより遥かに魔力濃度が濃かったからなのでしょう。だとしても、その脂肪を失うことは間違いなく魔力の減衰に他ならぬ!」

 そこでサーレ男爵が口を挟む。

「つっても本人が食いたくねえっつってんだから、無理矢理食べさせるわけにもいかないでしょーよ。あれか? 拷問でもなんでもして、口の中にメシを突っ込むとか?」

「そ、それは!」

 莉緒が顔をあげると、サーレ男爵は肩を竦めた。

「もちろん魔法使いサマにそんな真似、命がいくつあっても足りねえや。だったらどうだ? ウチのメイドを紛れ込ませて世話させて情が移った頃に、言うことを聞かないとこいつを殺すってやるのは?」

 サーレ男爵の瞳に怜悧な光が宿る。この男は傭兵の出身とされているが、詳しい経歴を知っているものはいない。賊退治で勲功を稼ぎ、王に爵位を与えられたのだとか。そのため、男爵という下級貴族ながらこの場への列席を許されている。

 莉緒は胸に手を当てて落ち着きを取り戻してから、静かに首を振る。

「それは、いけません。あたしがこの国の人に力を貸そうと決意したのは、誠意を見せてもらったからです。策謀と脅迫で仲間を増やすことはできない……と思います。それでは帝国と同じやり方じゃないですか」

「そうかい?」

 口笛を吹くサーレ男爵はどちらでも良さそうだった。莉緒の苦悩する顔を楽しんでいるようにも見える。

「だったらどうにかしてメシを食ってもらうしかねえな。ま、どんなつもりで減量しているのかは知らねえが、いつまでも食わずに生きれるわけじゃねえからな」

 その言葉に面々はうなずく。

「ふむ、一理あるか。ならばだ、あくまでもソウタさまが自ら口を開くように仕向けるしかあるまいな」

「あるいはソウタさまの弱点などが知れればいいのだが。姫さま、なにか心当たりはございませんか?」

「えっ、お兄ちゃんの弱点? な、なんだろう……。おいしいものに目がないのと、あとは……あたし、かな?」

 首をひねる莉緒に誰かが「……なるほど、『妹』か」とつぶやいた。

「ともあれ、異界より客人を招くと決めたときより、覚悟はできているとも。我らはどんな手を使ってでも、かの国の非道を阻止すると決めたはずだ」

 会議室の熱量がどんどんと高まってゆく。

「田畑を荒らし、敵国から略奪の限りを尽くし、ただ欲望のままにあらゆるものを食い散らかす暴食倶楽部を打倒するその日まで、立ち止まってなどいられません!」

「今さらソウタさま怖さでご機嫌伺いをしているだけで、召喚の儀を執り行った七名の魔法使いたちの働きに報いることができるというのか!?」

「左様」

 そこで今までずっと沈黙を保ち続けていた戦場帰りのターヴォラ伯爵が口を開いた。

「――王不在の今、我らはなんとしてでも帝国から国を死守しなければならない。これは我らが国民を、そして大切な家族を守るための、もうひとつの戦いである」

 うおおー! と諸侯たちは拳を突き上げた。

「あわわわわわわわわわわわ……」

 その様子を前に、莉緒の顔面は蒼白だった。

 大変なことになってしまった。


 ――こうして王国ぐるみでの、蒼太ダイエット阻止作戦が始まる。



     ***



 ヴィテッロ王国の王城は国が平和になった記念に建てられたものだそうで、防衛拠点というよりは居住性を重視した設計である。

 まさに白亜の王宮といった立派な佇まいは、全世界でも三本指に入る美城と呼ばれているんだとか。

 特徴的なのは高く伸びた尖塔だ。古くはそこが王の私室だったらしいが、今となってはもう使われていないそうだ。

 で、俺が暮らすのは、そんな美しい城がすぐそばに見える敷地内の別邸。

 遠くからやってきた諸侯が寝泊まりする用の住まいで、俺と莉緒が住んでいた一軒家が四つはすっぽりと入りそう。でかすぎる。

 別邸の内装もすごすぎて、ハリウッドスターが住む屋敷みたいだ。

 そんなリビングにぽつんと立っていると、自分がひどく場違いなところに来てしまったように感じる。

 莉緒が一緒ならまだいいのだろうが、あいつはお姫様だからな。ちゃんと王宮内に部屋があるらしい。

「きょうからこんなところにひとりで住めっつーのか……」

 そのつぶやきを拾ったのは、メイド服の美少女だった。

「私たちもお部屋をお借りしております。御用の際は深夜でも呼び出していただければ」

「ああ、そっか」

 まあいいや。とりあえず一部屋だけ使わせてもらおう。

 彼女の名前はルッツ。

 編み込んだショートヘアーの桃色の髪をメイドカチューシャでまとめている彼女は、見るからにメイドさんなんだろうけど、その割には腰に剣を提げていたり、ところどころに金属製の鎧を身に着けていたり。可愛いけどちょっと威圧感がある。

 そのせいでというわけではないが、妹以外の女子とふたりっきりなので緊張してしまう。

「そういえば昨夜はろくにご挨拶もできませんでしたね。改めて、ルッツです。ご主人さまのお世話をするように申しつけられました。よろしくお願いいたしますです」

 彼女は頭を下げると、そのまま部屋の隅っこに立って微動だにしなくなる。

 無表情なので、まるで人形みたいだ。

 いや、あの。

「なにをしているんすか」

「待機していますです。御用ですか? なにをします? どんなことでも命じていただければ即座にやりますです」

「どんなことでもって……え、やばない?」

 ほぼ初対面の女の子から『ご主人さま』呼ばわりされ、なんでもするとか言われるなんて、まともに生きててまずありえない事態だ。

 ドキドキする。まあ恥ずかしくて変なことなんて言えないけどな。

 でも一応言ってみよう。

「じゃあ例えばここで服を脱げーとか言ったりしたら? なんてな、ハハハ」

「あんまりおっぱいないのでつまんないと思いますけど……ご主人さまが望むなら、です」

 ルッツはこちらに意味深な流し目を送り、白タイツとむっちりとした太ももの間に親指を突き入れた。そのままスルスルとタイツを下げてゆく。スカートがめくりあがり、俺は慌てて止めた。

「強すぎる力は時として身を滅ぼすということだ!」

「よくわかりませんが、この程度のことならなんとも思いませんです。全裸に剥いて私の健康状態を確かめたかったのでは?」

「そういった意図はない。大丈夫だ。先ほどの俺は魔が差したんだ」

「でしたか。ではメイド服のままでよろしいです?」

「う、うん。もちろんいいよ」

 俺に決定権があるのってなんかやばいな。

「呼び名も、ご主人さまで構いませんです? 例えば他にも」

 ルッツが艶やかに微笑んだように思えた。

「『お兄さま』などは」

「いやいや、なに言ってんだよ。俺はお前みたいな妹をもったつもりは」

 ドクン、と心臓の鼓動が跳ね上がった。

 俺は思わず胸を押さえる。なんだ、今のは──。

「ま、まったくおかしなことを言うやつだなルッツは。だいたい俺は莉緒が大事なんであって誰かれ構わず妹と見れば愛でるような男じゃない。勘違いしないでくれ」

「それは失礼しましたです。ですが、私もずっと一番上でしたので、お兄さまと呼べる方がいてくれたらと思ったことも数知れず。もしご主人さまが不快でなければ時々お兄さまと呼んでもよろしいですか?」

「え? あ、ああ、まあ、お前がそこまで言うんだったらやぶさかではないが……。あらかじめ言っとくけど、俺の大切な愛する妹は莉緒ひとりだから。そこらへんは公私混同しないように気をつけような、いや俺は大丈夫だけど、一応な。お互いにな」

「はい、お兄さま。お兄さまの妹としてふさわしい振る舞いをいたしますです」

 ルッツは無表情でうなずいた。やばい、さっきまでの百倍ぐらいルッツが可愛く見える。これはいったいどういうことなんだろうか。媚薬でも盛られたのか? それとも……俺の脳が、彼女を妹だと認識し始めているとでも言うのか──。

「待てルッツ。いったんやめないか? そのお兄さまっていうの。なんか後戻りができなくなりそうな気配を感じるんだ。傷が浅いうちに撤退したほうがいい気がしてきた」

「お兄さま、せっかく妹にしていただいたというのに私を無残に棄てるんです?」

「やめろォ!」

 声を荒らげていると、さらにメイド服の少女たちが入ってきた。ルッツを合わせて合計三人。タイプの違う美少女たちだ。なんだこいつらは。

 コンセプト系アイドルグループのように華やかな彼女たちは、それぞれ俺に丁寧なお辞儀をする。

「初めまして、お兄さまぁ」「……これからお世話になるから兄さん」「です」

「どういうこと!?」

 妹が一気に三人も!?

 目を白黒させる俺に、ルッツは白々しく。

「お兄さまは王国の救世主さまですから、三人もお仕えするのは当然です。私たちはお兄さまの身の安全をお守りするとともに、お兄さまがなに不自由のない生活を送るために尽力いたしますです」

「ガーゴイルをブッ飛ばしただけなのに! じゃなくて、なんでみんな俺のことお兄さんとか呼んでるの!?」

「紹介しますです」

 ルッツは一番ちっこい女の子に手のひらを向ける。

「ミィルは実際、私の妹ですので、私のお兄さまをお兄さまと呼ぶのはごくごく自然な行為です。なにひとつ疑問点はございませんです」

「よろしくお願いしますですぅ、お兄さまぁ。ミィがんばりますぅ」

 たんぽぽのような素朴な笑顔を浮かべるミィル。両手でぎゅっと手のひらを握りしめられて、俺は思わず赤面してしまった。違う、こいつは妹じゃない。初対面だ。

 次の相手がなんであろうと断ろう。俺はそう決心した。妹は莉緒だけで十分なのだ。

「こちらのレァナは戦争で兄を失ってしまって」

 急に重い。

 仏頂面をしていたレァナは、腕組みをしながら俺をジロッと睨む。

「あ、アンタなんて、兄さんの代わりになんてならないんだから! ソウタで十分よ、ソウタ! 気安く頭とか撫でてきたら、ぶっ飛ばすからね!」

「なんでお前の発言が一番妹っぽいんだよ!」

「レァナ。お兄さまの前です。言葉遣いを正しなさいです」

 ルッツに叱られたレァナが急に困り顔になる。

「え、でも、うちはもともと兄さんにこういう喋り方で……」

「ソウタさまは数年前に亡くなったレァナのお兄さまではありません。王国の救世主さまです。節度をもって接すること。それができなければ辞めても構いませんですよ。ほら、謝ってくださいです」

「う~~~~……」

 レァナは思いっきり下唇を噛み締めながら、俺を見る。その目には涙が浮かんでいた。

「ご、ごめんなさい、お兄さま……。わたしが悪い子でした……。どうか、クビにはしないでください。ここを追い出されたら、行くところがないんです……」

「いや、しないけど……。それに無理して敬語使わなくてもいいよ。さっきの生意気な感じもなんか新鮮だったし」

「えっ、そ、そぅ……?」

 レァナは頬を赤らめた。目を逸らしながらごまかすように口を尖らせる。

「なによ、わたしの兄さんほどじゃないけど、アンタも優しいじゃない……。これからも、よろしくね……兄さん」

「うぐっ」

 とても深い墓穴を掘った気がする。

 一気に三人も妹ができてしまった。まさしく異世界だが仕方ない。俺はできるだけ彼女たちが妹であることを受け入れなければならない。それが兄としての使命なのだから──ってなにを言い出しているんだ俺は!

「いいか!? 呼び名だけだからな! 基本的にはただのメイドとご主人さまだ! そのラインはきっちりしよう! ただいまのチューとか、夜の添い寝とかはだめです!」

「お兄さま、リオさまとそのようなことをしているんですね」

 ルッツがなにか言いたげな目をこちらに向けてきたが、気づかないフリをした。

 しかし、毎日三人の妹に甲斐甲斐しく世話をされる生活だって? なんだそのインモラルな空間は。シャレにならないぞ。

「これだから異世界には夢があふれているんだよなあ!」

 それこそ、愛する莉緒には頼めないようなことだって。彼女たちは俺に奉仕するために遣わされた妹メイドなのだから、喜んでやるだろう。

 耳の両側から「お兄さま」「兄さん」と妹ボイスをささやかれながら、腹をたぷたぷと持ち上げられて、脂肪を燃焼させられるのだ。ふとももを揉みしだかれて、両腕に妹おっぱいを押しつけられ、妹おててが俺の敏感になった部分をなであげる。妹シェイクされた俺のお兄ちゃんは妹たちの愛によって弾けて意識は妹に包まれる。甘い蜜に覆われた妹天国は終わらない。朝とも夜とも知れず繰り返される妹饗宴に俺は溺れ浸ってゆく。

 なんだこれ。俺は自分の食欲と戦う前に、情欲と戦わなければならないのではないか。

 違う! 俺はそんなことをするために異世界に来たんじゃない!

 莉緒が人様の役に立とうとがんばっているんだ。その姿をそばで見守り、導き、時には手助けをするのが兄貴の役目だ。

 そのために普段はダイエットをがんばりつつ、莉緒が助けを求めてきたときに颯爽と現れるヒーロー的なやつになるのだ。変に目立って莉緒の邪魔をしたくないし。

 よし、つまり俺はこの世界で目立たず生きていこう。ヒーローは一般人にまぎれて生きるのだ。

「では私ともども、レァナとミィルをよろしくお願いいたしますです」

 自己紹介が済むと、ルビ:メイドたちは早速ごはんの支度を始めた。短いスカートで働く子たちを見ていると中が見えそうで、お兄ちゃん心配になっちゃうよ。

 ああそうだ、先に言っておかなければならないことがあるんだった。

「すまない、俺はダイエット中なんだ」

「お兄さまのことですから、妹の私はもちろん存じておりますです」

 ルッツはあっさりとうなずいた。

「あれ、そうだったのか。だったら話は楽でいいな、というわけで穀物とか芋は少なめにしてくれ。量もお前たちが食べるより小盛りでな」

「問題ありませんです。今から私たちが作るのは、食べても一切太らない料理です」

「そんなのあんの!? すごいな異世界!」

「ですので、存分にお味を楽しんでくださいです」

 あっという間に料理が机の上に並んだ。普段食べている質素なダイエット食に比べたら、遥かに豪勢だ。これを食べても太らないなんてマジかよ。

 俺が料理に手を伸ばそうとすると、それを静かに妹が制止した。小柄なツインテール妹メイドのミィルだ。

「お兄さまぁは指一本動かさなくても、ミィが『あーん』しますからぁ」

「お、おう。そうか」

 恥ずかしい。照れる。

「だ、だったらわたしもフーフーしてあげるんだから……こ、こんなことするの兄さんにだけなんだから、感謝してよねっ!」

 と、もうひとりのメイド、レァナも運ばれてきたスープを冷ます。

 ここが俺の妹パラダイスか。

 俺、莉緒を追って異世界に来てよかった。

 理性のどこかでこの狂った状況に警報を鳴らしている俺もいるが、別にいいじゃないか。誰が不幸になるんだ? 彼女たちは妹を求めて、俺もその役割に準じている。そうだ、お兄ちゃんになるのはある意味で人助けなのだ。

 見ているか莉緒。お前が王国を支えている間に、俺はこのかわいい三人の妹を支えていようじゃないか。お互い大変だが、がんばろう。

「なあルッツ、これホントに食っても食っても太らないんだよな? 最高じゃないか!」

「はい、もちろんです」

 ルッツはきっぱりと言い切った。

 かわいい妹たちに囲まれた俺の異世界生活が今、幕を開けた。



「ちょっと兄さん! 家の中だからってだらしない格好で歩かないでくれる!?」

「だらしない格好って……いいか? これはジャージっていう由緒正しい運動着で、だな。レァナは知らないかもしれないが、これ以上過ごしやすい格好はないんだぞ。なんといっても腹回りがキツくないのが最高だ」

「はあ? でも兄さんそれで寝てたじゃない! それって寝間着ってことでしょ? パジャマ姿で歩き回るなんてどうかしてるわよ! 恥を知りなさいよね!」

 ぬぐぐぐぐ。なんて生意気な女なんだこいつは。顔を近づけてきて怒鳴るレァナを、俺も睨み返す。

 まったく、妹じゃなかったら誰が言うことを聞くかよ。いや妹でもなんでもないんだけど。

 ルッツに着替えをもってきてもらって着替えていると、レァナが「もう!」と目を吊り上げてやってくる。

「お着替えを手伝うのも妹メイドの仕事なんだから、自分の部屋でこっそりと着替えようとしないでよね! 人から仕事を奪ったらわたしのやることなくなっちゃうでしょ!」

 制止する間もなくレァナが腰回りに手を伸ばしてくる。俺の服をめくりあげたレァナは間近でごくりと息を呑んでいた。

「あ、相変わらず、すごい体よね……。直に見ると、なおさら……」

「デブって言いたいんだろ、わかってるって! ひとりで着替えられるからあっちでルッツの手伝いでもしてろよ!」

「……う、うん、わかった」

 レァナは顔を赤らめると、妙に素直に従った。去り際も、何度も俺の着替える様子を覗いてゆく。いったいなんだってんだ。デブがそんなに珍しいのか?

 シャツとズボンに着替えて朝食をいただいた後は、ルッツがやってきて頭を下げた。

「申し訳ございませんです、お兄さま。本日はミィルが王宮の手伝いに行っておりまして。妹としてお兄さまのお世話ができないのは心苦しい限りですが、私もこの家の仕事をしなければならないため、どうぞレァナで遊んでくださいです」

「はあ!?」

 真っ先に悲鳴を上げたのは、朝食の席も俺とは一番離れた斜め前に座っていたレァナだ。バンと机を叩く。

「ちょ、ちょっと! なんでわたしが兄さんとふたりっきりで遊ばなきゃならないのよ! ゼッタイにごめんだからね! わたしが兄さんと一緒にいるのはお仕事だからだし!」

「これはそのお仕事です。嫌なら辞めたらどうです?」

「うぐっ……」

 ルッツがピシャリと言うと、レァナは反論することもできずに口をつぐんだ。

「やーいやーい怒られてやんのー」

「兄さんのバカぁ……!」

「ではそのように。私は家のことをしていますので、なにかありましたらお呼びくださいです。レァナがうるさいので縛って調教してやりたいというなら、どうぞ縛るための縄やその他もろもろの道具をお申しつけくださいです」

 レァナが途端に泣きそうな顔をしたため、俺は必要になったら頼むと告げた。

 さて、ふたりきりだ。

 メイド服の裾を握ってレァナは所在なげに立っている。視線を左右にさまよわせている姿は、まるで姉に見捨てられた妹のようだ。

「調教って……だいたい、アンタが生意気な言葉遣いのままでいいって言ったのに……だまし討ちよ、こんなの……卑怯すぎるわよ……」

「待って待って。俺はそんなことをしようなんて思ってない。ホントだ。そんな怯えた目をするな。なんだよビビリなのかお前」

「び、ビビリじゃないわよ! っていうか、そんな体してたら怖がられるのも当たり前でしょ……。魔法使いの証明みたいなもんだし……」

 そういえばこの世界は脂肪が魔力になるっていうわけで、つまり俺の体は現代だとめちゃくちゃマッチョみたいな受け取り方をされるわけか……?

「どうせアンタもよくいるヘンタイ貴族みたいに、わたしの体を弄びたいだけなんでしょ! いいわよ、やりなさいよ! 体は堕ちても心までは渡さないんだから! 兄さんって呼ばれながらしたいわけ!? この妹狂いのドヘンタイ!」

 涙目で叫ぶレァナ。その声に招かれたようにして縄を持ったルッツがやってくる。縛りますです? と目で問いかけてくるが、俺は静かに首を振った。レァナが気づかぬ間に彼女の貞操は守られた。

「わかった、じゃあとりあえずきょうは仲良くなるところから始めよう。レァナはなにかやりたいこととかないのか? ゲームとか」

 レァナは毒気を抜かれたような顔をした。

「ゲームって……わたしそんなの、したことないし」

「あれがあるじゃないですか、レァナ」

「えっ、ルッツ、いつからそこに? えっ、なんで縄もってんの?」

「これは、暴れ牛が出現したときのための護身用です。それよりも、レァナ持ってきたじゃないですか。ポンポポラン」

 ちなみに三人は住み込みで、この屋敷にそれぞれの部屋をもっていたりする。

「そっか、ポンポポラン……ポンポポランがあったわね!」

 レァナは水を得た魚のように顔を輝かせた。なんだよポンポポランって。

「いいじゃないの、兄さん。むふっ、ポンポポランで相手をしてあげるわ。もっとも、すぐに音を上げちゃうだろうけどね。わたしとポンポポランなんてやったら!」

 だからなんだよポンポポランって。


「これよ」

 レァナの部屋で、彼女は広げた盤面を見せつけてきた。全然関係ないんだけど、莉緒以外の女の子の部屋に入るのは初めてで、ちょっぴりドキドキする。実際はレァナの部屋になったのは昨日からなので、ただの空き部屋の匂いしかしないんだけど。

「いい? お互いかわりばんこにコマを動かして、最終的にこのポンポポを取ったほうが勝ちっていう遊びよ。戦略性がとても高くて、なんとコマのほとんどが違う動きをするのよ!」

「ほうほう」

「取ったコマを改めて盤上に配置することもできるから、机上演習として軍学校でも採用されている由緒正しいボードゲームなのよ!」

 なるほど。ていうかほぼ将棋だな。めっちゃ莉緒とやってたわ。

「わかった、とりあえずコマの動き方だけ教えてくれ。あとはやりながら覚える」

 ぷっとレァナが吹き出した。

「なぁに、妹の前だからってお兄ちゃんぶりたいわけ? でも残念ね、このポンポポランはそんな易しいゲームじゃないんだからねー。ま、せっかくだから軽くひねってあげるとしましょうかぁ。あ、やめたくなったらいつでも言っていいからね? わたしも弱いものいじめは趣味じゃないしー」

「お前、さっきまでの半泣きの顔が嘘みたいに調子に乗り始めたな……」

 楽しそうでなによりだけどさ。

「コマは何枚落としてあげよっかなー。やっぱり最初は四枚落としぐらいからかな」

「んじゃそれで」

 三十分後、そこには余裕のない顔で「え~~~~……?」とうめくレァナの姿が!

「へ、へー……やるじゃない、兄さん……。ま、さすがに四枚落とすのはやりすぎだったかしらね……? じゃあ今度はえっと三枚……いや、二枚、じゃなくて、一枚でいこうかしら、ね?」

「んじゃそれで」

 二十分後、やはりそこには穴のあくほど盤面を見つめながら顔を青くしているレァナの姿があった。

「うん、俺もようやく遊び方がわかってきた。取ったコマの再利用がカギだな」

 彼女は口元を引きつらせながら、俺を睨みつける。

「なるほど、いいじゃない……わたしの100%の力と対峙するだけの権利を得たってわけね、兄さん。……ひょっとして、今までポンポポランやったことある? 初めて? そ、そうよねー。……負けないからね!」

 そこから昼飯を挟んで、俺が27連勝する頃には、辺りもすっかり暗くなっていた。

「ん、もうこんな時間か。そろそろ腹減ってきたな」

「………………………………なんで」

「え?」

「なんでそんなに強いの!? どうしてなの!? わたしが勝てない! 全然勝てない! 勝てないよおおおおお! うわぁぁぁぁっぁあん!」

 まるで駄々っ子のように手足を振り回すレァナである。俺は火に油を注いでしまうだろうかと思いつつも、盤面を指差して。

「レァナはさ、攻め込まれるといっつもこっちに逃げようとするだろ? だから俺は罠を張ってるわけだよ。他にもさ、取ったコマはすぐ使おうとするだろ? そうじゃなくて、コマには使うタイミングがあってな」

 解説を始めると、思いの外レァナは黙って聞いていてくれた。女の子座りしながらも、じっと盤を見つめる彼女の目は真剣そのものだ。

「そっか、そういうのが……。うん、ありがと」

「お、おう」

 素直に微笑んだレァナを前に、俺はなんとなく照れてしまう。するとレァナも気づいたのか、頬を赤く染めながら。

「……こ、これは兄さんに教わったゲームなのよ。といっても、兄さんとの思い出なんてほとんど覚えてないんだけど……しょっちゅう負けてたから、なんか、懐かしくなっちゃった」

「俺も莉緒とよく遊んでたよ。うちは妹のほうが強かったから、俺は負け続けだったけど。でも、一緒に遊んでいるとよく笑ってくれるんだ。それが嬉しくってさ」

「……わたしも、嬉しい。ホントの兄さんができたみたい」

 顔をあげてレァナを見ると、彼女は口元をほころばせていた。

「こんな風に、構ってくれる人、ずっといなかったから……。なんか、ありがと、ソウタさま。……ね、改めて、兄さんって呼んでもいい?」

「あ、ああ、もちろんいいとも」

 レァナは気持ちを直接伝えるように、俺の手を両手でギュッと握ってきた。

「兄さんがよかったら……また、たまに遊んで、ポンポポランを教えてくれたら……その、嬉しい、です」

「なんかレァナにそう言われると、余計に照れちまうな」

「そっ、それはわたしも同じよ……。でも嬉しかったから、感謝は伝えなきゃって思っただけ……。な、なによニヤニヤして……。べ、別に兄さんのことなんて好きでもなんでもないんだから! ただ、対戦相手として、いてもらったほうがありがたいっていうか! お給料もらいながら遊べるなんてラッキーって思っただけなんだから!」

 最後のほうはいつもの調子を取り戻したレァナの頭を、俺はポンポンと撫でた。

「ま、なんだ。やっぱレァナはそのままがいいよ。ヘンにかしこまったりするなよ。時々めっちゃムカつくけど、やっぱそういうのも含めて妹だからさ。お前はそっちのほうが可愛いよ」

 かぁ~~とレァナの顔が赤くなってゆく。

「か、かわい……へ、変なこと言わないでよね! そんなこと言われたって、絶対に兄さんのこと好きになったりしないんだから! 絶対にだからね!」

「わかってるよ。お前は俺の大事な妹だからな」

「う、うん……」

 口を尖らせながらも、レァナはちょこんと裾を引っ張ってきた。

「じゃ、なんか契約書書いてよ……。わたしが生意気な言葉遣いをしても、絶対に解雇しませんって……。ルッツに叱られたとき、見せれるように」

「お前やっぱビビリだな……。俺が言っとくからいいだろ……」

「か、形でほしいのよ。目に見える保証とか、ないと不安だから……かわいい妹のために、それぐらいしてくれたっていいでしょ……?」

 上目遣いでおねだりされたら仕方ない。書いてやった。レァナもずいぶんと妹らしくなったじゃないか。

 それを受け取ったレァナはなんか嬉しそうにニマニマしていたが、俺の視線に気づくと無理やり背筋を正す。

「あ、ありがとね……兄さんっ」

 俺たちが一緒にダイニングに向かうと、ルッツは「おや」と小首を傾げる。

「おふたり、なんだか仲良くなりましたです?」

 顔を見合わせて、笑う。

「べっつに」

「兄さんなんて、どうでもいいし」

「そうですか。じゃあレァナの夕食はメニューを変えなきゃダメですね。今晩辺りそうなのかと思って、たっぷりと媚薬を混ぜ込んでしまいましたから」

「ちょっとぉ!? ルッツなにやってんのお!?」

 ミィルもお城から帰ってきて、俺たちは兄妹水入らずの夕食を過ごした。レァナがなぜか俺の隣の席に座りたがってミィルと一悶着あったが、それも悪くない気分だ。

 ルッツの料理は旨い。莉緒のものとは方向性が違う薄味だが、そもそも味のある固形物を腹いっぱい味わえる時点で、俺は幸せだ。ダイエットのためにと汗水垂らして、ひもじい思いをしていた頃が懐かしい。

「これが食べても食べても太らないなんて、最高だよ! なあ、ルッツ!」

「そうですね、まったくですね、お兄さま」

 今思えば、席についていたレァナがその言葉を聞いて目を逸らしながら尋常じゃない量の冷や汗をだらだらと流していたのは、気のせいではなかったのだ。

 しかしこのときの俺は気づかなかった。目先のご飯の美味しさに飛びついて、アホみたいな満面の笑みで茶碗を掲げていたのだ。

「おかわり!」

 だが──。


……次回は10月17日(火)更新予定です。乞うご期待ください!

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