マジメな妹萌えブタが英雄でモテて神対応されるファンタジア

角川スニーカー文庫

第1話 デブの魔法使い、爆誕(仮)

第一章 デブの魔法使い、爆誕


 きょうの朝ごはんはサバの塩焼きに丸麩の味噌汁。ささみとゆで卵のごまドレ和えがあり、冷ややっこと生姜炊き込みご飯だ。お盆の上に色とりどりに乗せられた木椀は、見ているだけでも心がぽかぽかしてくる。

 これ全部うちの妹が作ったんだぜ。へへへ。

「はーウマイ! ウマイ! ウマすぎるー!」

 サバの塩気は丁度良く、ご飯が進む進む。ぴりりと風味が広がる生姜ご飯との相性もバッチリ。胃が刺激されて無限に食べられそうだ。すぐに目の前でニコニコと俺の食べる姿を見物していた妹に、お代わりを注文した。

「ご飯って何合炊いたんだ? 四合? 足りないな! あと二合炊いてくれよ!」

「うん♡ お兄ちゃんがそう言うなら、そうするね♡」

 中学二年生の美少女、蓮城莉緒はうっとりと俺を見て。

「たくさん食べるお兄ちゃん、きょうもかっこいい♡」

「もちろんさ、この体いっぱいにお前の愛を溜め込んでいるんだからな」

「きゃっ♡ 嬉し恥ずかしっ♡」

 こんなにも料理上手で性格もいい完璧な妹が、俺のために毎日愛情を込めたご飯を作ってくれているのだ。これ以上の幸せは他にない。

 俺──蓮城蒼太は、17歳にしてすべてを手に入れてしまった。

 体重120キロを超える体も、妹の愛情を余すところなく受け入れるためのものだ。学校ではおいデブとかおい豚野郎とか言われるけれど、そんなのまったく気にならない。妹は俺のことを愛していて、俺も妹のことを愛しているのだから──。

「ねえ、お兄ちゃん♡ 今夜もお兄ちゃんの好きなものを作るね♡」

「お、なんだろうな。俺の好きなもの、俺の好きなもの。あ、莉緒かな?」

「やだもぅ、……でもお兄ちゃんが望むなら(チラチラ)」

 バカップル丸出しかもしれないが、俺は妹さえいればいいのだ。

 ──俺の人生ハッピーエンド! 完!

 だが最高のはずだった俺の人生には、途端に暗雲が垂れ込めることになった。その日、帰ってきた俺を迎えたのは妹の悲しげな瞳だった。

「どうした、莉緒! 誰かに虐められたのか!?」

「ううん、そうじゃないの……お兄ちゃん、これ見て……」

 メソメソとダイニングテーブルの席に座る莉緒は、一冊の雑誌を見せてくる。

「え? なになに……月刊ダイエット『デブは早死する』特集記事……?」

「学校でね、休日に腕を組んでラブラブデート♡していたところが見られちゃって、あれ彼氏? とか聞かれて、ちょっと趣味悪くない? とか、デブ専? とか聞かれたから、ううんあれはお兄ちゃんだよって説明したの。お兄ちゃんは世界一かっこよくて、お兄ちゃんのこと大好きすぎて夜も一緒にイチャイチャしながら寝てるんだ♡って話をして、そうしたらみんなごちゃごちゃ言うからみんなには最愛のお兄ちゃんがいないんだ、かわいそう……って思ってたら、友達が見せてくれて」

「あんまり外で俺のことをそういう風に言わないほうがいいぞ莉緒。世間一般的にはその友達たちのほうが正しいんだ。俺は120キロのデブだからな」

「そうだよ、デブだから! お兄ちゃん、このままじゃデブで死んじゃうんだって!」

「マジかよ……」

 莉緒は俺の腕にすがりついて、ポロポロと涙をこぼし始める。

「ごめんね、ごめんね、あたしがいつもお兄ちゃんのご飯作り過ぎちゃうから……お兄ちゃんは優しいから、あたしのご飯を残さずに食べてくれるのが嬉しくて、調子に乗って作りすぎて……悪循環だよね、お兄ちゃんを太らせちゃったのはあたしだもん……」

 間接的には確かにそうだ。

 だけどそんなのはありえない。ありえるはずがない。

 莉緒はなんにも悪いことなんてしていない。ただ俺に喜んでもらいたくて、料理の腕を磨いただけだったのに。俺が調子に乗って食べ過ぎてしまったのがすべて悪いんだ。

 俺は莉緒の優しさに甘えていたのだ。

「お兄ちゃんのいなくなったこの家で、あたしはお兄ちゃんの面影を探しながら、ひとり生きていくことになっちゃうんだ……。ずっと毎日泣きながら、お兄ちゃんのことだけを思い出して……。ああ、そんなのダメ……あたし可哀想すぎ……♡」

 頬に手を当てて悶える妹の目がハートマークになった。こいつは時々なんでだか自分を悲劇のヒロインに据えたがる節がある。

「でもね、お兄ちゃんが死なないようにするために、いいこと考えたんだ、あたし」

 莉緒はリビングからホワイトボードを引っ張ってきた。きゅぽっと抜いたマジックペンで、グラフを書き始める。

「見て、お兄ちゃん。お兄ちゃんが今ここでしょ? ほら、わかる? この三年間で50キロ近く増えているんだよ。このままだと20歳の誕生日を迎えていつもみたいにお祝いドーナツとか食べる頃にはお兄ちゃん170キロになっちゃうんだ。マツコ・デラックスでも140キロなのに!」

 いや、170キロて。

 笑い飛ばそうとして、しかし押し黙る。あながちありえないことでもないのかもしれない。その間もグラフのラインは伸び続けた。

「23歳には220キロに! 26歳には270キロに! 29歳になったら320キロで、日本人最高記録を更新しちゃうよ!」

「雑な計算かよ」

 莉緒はグラフの行き着くところに大きく『死』と書いた。そこが俺のゴールらしい。

「だからね、どこかで歯止めをかけなきゃいけないんだ! お兄ちゃん、320キロになってからダイエットするのと、今ダイエットするのどっちがいい!? 320キロなんて、もう、大変だよ! 補助なしじゃ歩くこともままならないってテレビでやってたんだからね!? 長いブラシで体を洗うんだよ! 動物園のゾウみたいに! そんなお兄ちゃんもきっとカッコイイと思うけど、心臓麻痺とかでぽっくりいっちゃったらヤだよ!」

 話しているうちにヒートアップしてきた莉緒が俺の腹に抱きついてきた。その小さな体を抱きしめて、俺は宣言する。

「俺も、家族を残して死ねるものか! というわけで、ダイエットしよう! 任せてくれ、妹! お前のためなら、食事を抜くことだって構わない!」

「きゃあ、お兄ちゃんかっこいいっ! 大好き! 愛してる!」

 莉緒が両手でぱちぱちと俺に拍手する。

「なんてったって俺はダイエットが得意だからな。今までに99回も挑戦している。残念ながら99回も最愛の妹の妨害にあって一度も成功できていないが」

「こ、今度はあたしだって我慢するもん! 鉄の意志でダイエットを成功させるんだから! 絶対にお兄ちゃんを甘やかしたりしないんだからね!」

「おうっ! 頼んだぜ、相棒!」

 こうして俺のダイエット生活が始まった。人生100度目の、これが最後のダイエットだ。



 ダイエットを始めて一週間が経った。

「つらい」

 朝ごはん、食卓に並んでいる食事を見て俺は顔面を押さえた。妹は憐れむような胸を痛めるような顔をしている。

「お兄ちゃん、毎日毎日同じことを言わないで……あたしまで悲しくなっちゃうよ……」

「だって」

 妹の作る朝ごはんはいつだって手が込んでいた。和食、洋食、中華となんでもいける妹だ。山盛りご飯でおいしいおかずを食べるのが毎朝の楽しみだったのに。

 きょう、皿の上に置いてあるのは冷ややっこ、キャベツの千切りサラダ、そしてホウレンソウのスムージーだ。

「つらい」

 もしゃもしゃと食べる。

 大好物のお肉さまは、ここしばらく見ていない。胃が切なげにきゅうと鳴った。

 驚異のBMI17を誇る身長155センチの妹は、人差し指を立てながら語る。

「食事制限はすべてのダイエットの基本だからね。リンゴダイエット、バナナダイエット、サプリダイエット、豆乳ダイエット、スープダイエット……今までいろんなダイエットしてきたけど、結局痩せるためには少なく食べてたくさん運動するしかないんだよ。それが基礎にして奥義なんだよ」

「空手の正拳突きみたいなことを言うな」

「ねえお兄ちゃん、お兄ちゃんはあたしのためにがんばってくれないの……?」

 うるうるとした視線を浴びて、俺はウッと言葉に詰まった。

 少なくとも今までの妹だったら、俺がつらそうにしているだけで翌日は唐揚げパーティーを開いてその後に「お兄ちゃんはがんばったね、がんばったね」って膝枕で耳かきをしてくれるぐらいには甘々だったし、ここで引かないということは本気なのだろう。

 莉緒が本気なら、俺もそれに応えなければならない。それはわかっている。だけどお肉が一週間も食べられないのは思ったよりキツい。

「がんばる、なるべくはがんばる……でもな、莉緒、人間ってつまるところ、一瞬の閃光のようなきらめきなんじゃないかな。夜空に輝く星のように、いつまでもそこにあるわけじゃない。ただ一瞬だけ、生きている痕跡を残すものなんだ。だから太く短く生きるって選択肢もあるんじゃないかな、って」

「あたしの言うことを聞いてくれないなんて、お兄ちゃんはあたしよりあたしの作ったご飯のほうを愛してるんだ……。あたしなんて所詮、ご飯を作る機能がなかったら用済みなんだ……かわいそうなあたし……」

「そんなことないよ莉緒! 俺は世界の誰よりもお前が大切だよ! 愛してる!」

 めそめそと泣き出した莉緒を全力で抱きしめる。すると俺の腕の中でぱぁっと莉緒は顔を輝かせた。

「そうだよね、お兄ちゃんのこと信じてるからねあたし! 世界で一番愛してるあたしのためならがんばれないことなんてなんにもないよね! ずっとそばで応援しているから、ダイエットがんばってねお兄ちゃんっ!」

「ガンバリマス」

 そうだ、妹に応えるのは兄の務めだ。兄はつらい。俺は死人一歩手前さながらにうなずいた。

 莉緒は可憐に微笑んで拳をぎゅっと握る。

「つらいことだって、ふたりで乗り越えていこうね。家族は支え合うものだからね♡」

「はい」

 うちの両親は莉緒が小学三年生の時に交通事故で亡くなった。幸い少なくはない貯金と保険金があったため、莉緒が大学を出るぐらいまでは暮らしていける。

 ふたりきりの家族だ。俺たちの絆は強く結びついていた。

 その証拠に──。

「ねえね、お兄ちゃんいつもがんばってくれているから、きょうはトクベツだよ? 帰ってきたら、唐揚げ作ってあげるからね」

「唐揚げ!?」

 俺の目が輝いた。唐揚げ。パリッパリの皮に包まれた魅惑の鶏肉。子どもから大人までみんな大好きな、おかずにもおやつにもなる完全食。きょう唐揚げが食べられるというだけで、一日がんばれそうなパワーが湧き上がってくるのを感じた。

 さすが莉緒は俺のことをよくわかっている! 莉緒大好き!

「うん。でも余分な脂は使わずに作るから、いつものとはちょっと違う味になるよ。衣も全部剥いじゃうからね」

「衣のついていない唐揚げなんてただの蒸し鶏だろ!」

 そう怒鳴ると、妹はまたしても涙目になった。

 うっ……。

「お兄ちゃん、そんなにあたしを残して死にたいの……?」

「し、死にたくはないけど」

「……お兄ちゃんが嫌なら、もうダイエットやめてもいいよ」

「え? ホントか? どうしたんだ急に」

「あたしもお兄ちゃんのつらい顔は見たくないからね」

「そっかわかった! ごめんな莉緒!」

 こうして俺の百回目のダイエットは失敗で終わるかに思えた。

 しかし着替えて学校に行こうとしていたところで、俺は見てしまった。

 制服姿で一心不乱に包丁を研いでいる莉緒を。

「120キロの成人男性の腕は一本7・8キロ……。足は一本22キロ……。生活習慣病なんかにお兄ちゃんを奪われるぐらいなら、いっそあたしが……」

 こわあ!

 俺は玄関でわざとらしく叫ぶ。

「よし、お兄ちゃんきょうもダイエットがんばっちゃうからな! お昼は水飲むぞ! 水はいくら飲んでも体重が増えない魔法の飲み物! 水最高ー! ちなみに体内で生成できないミネラルやビタミンをサプリやスポーツドリンクで補った場合、理論上俺はなにも食べなくても四ヶ月生き延びられるらしいからな! 一番手っ取り早いダイエット方法かもしれん。さて莉緒も学校遅れるなよ!」

 こちらを見ながら顔を輝かせた莉緒が、うんっ、とうなずく。

 これだから妹に愛される兄はつらいんだよなあ!



「ねえお兄ちゃん」

「ああ」

「なにをしているの」

「あまりの空腹に眠れないから、座禅を組んで心を無にしているんだ」

「そ、そうなんだ」

 ダイエットを始めて一ヶ月が経った。

 俺の体重は順調に落ち、現在は110キロだ。

 一ヶ月で10キロも落ちるというのは凄まじいことのように思えるが、最初だけはちょっぱやで痩せてゆくらしい。これからどんどんとつらくなるんだとか。こわい。

 まあでも俺は挫けないと決めたからな。俺の心は痩せるためだけのモンスターと化した。モンスターは時々食べ物の幻影を見るが、些細なことだ。

 もともとキツかった食事制限をさらに締めつけて、朝は豆腐、夜はブロッコリー、お昼は水で過ごす。ミネラルとビタミンはサプリで摂取することにした。

 無理をしているというのはわかっている。夜中、あまりにお腹がすきすぎて悲しくなって泣き出したこともあった。莉緒が俺の頭をよしよししてくれなかったら精神崩壊していたかもしれない。心が摩耗しているのを感じる。

 だが、諦めるわけにはいかない。すべて妹のためなのだ。俺はこのダイエットをやり遂げると決めたんだ。

「お兄ちゃん、無理しすぎだよ……あたし、心配になっちゃう……ああ、でも、あたしのためにがんばってくれるお兄ちゃん、ホントかっこよすぎ♡ ストイックな顔とか、ジェイソン・ボーンみたい……♡」

「そうだろうそうだろう。ハリウッドデビューしちゃうかもな」

 ンなわけがない。体重110キロのデブだぞ。

 俺はフラフラと立ちあがり、タオルを手にして首にかける。

「どこにいくの、お兄ちゃん? 匂い? 焼肉屋に匂いだけ嗅ぎにいく? そんなのより、あたしの匂い嗅いでもいいんだよ? さっきお風呂入ったばっかりだからいい匂いだよ? おいでおいで」

 両手を広げて俺を誘う莉緒の誘惑は、それはそれで魅力的だったものの。

「いや。眠れないから、外を走ってくる」

「あ、だったらあたしもいくね。着替えてくるからちょっと待ってて」

 莉緒は慌てて部屋に戻っていった。まるで俺ひとりを外に出したら行き倒れるんじゃないかと心配しているかのようだ。

 時刻は夜の22時。星が瞬く夜だ。莉緒は自転車をもってきて、俺と並んで走る。俺は腕を振りながら早歩きでウォーキングをしていた。人気のない公園について、散歩コースをぐるぐると回る。

「わー、そういえば水筒もってくるの忘れちゃった。うっかりさんだー。ごめんお兄ちゃん、ちょっと自販機いってくるね。水はすべての源だもんね」

「ああ、気をつけてな」

 俺は無心で歩く。胃がきゅうきゅうと鳴くのを無視して、手足を動かす。

 夜空の星が食べ物に見えてきた。あれはハンバーグ座。あれはステーキ座。あれはトンカツ座かな? ギリシャの羊飼いもこうやって空を見上げて空腹を我慢していたのかな。

 ンなわけない。まっすぐ前だけを見よう。たまに眩暈がしても、この太い体は安定感があるのでそう簡単には転ばないのだ。

 コースを何周かして、ふと気づく。

 莉緒の戻りが遅い。

 もしかして家に水筒を取りに行っているのだろうか。しかしこんな夜中だ。ひとりでいかせるべきではなかったかもしれない。俺は妙な胸騒ぎを覚えて、公園の出入り口にある自販機へと向かう。

 そこに、ぽっかりと黒い闇があった。

「え?」

 渦巻きのように螺旋を描く闇。夜の暗さよりもずっと暗いそれを見て、俺は瞬きを繰り返す。なんだこれは。

 闇はまるで掃除機のように枯れ葉や砂利を吸い込んでいた。未知のものに対する忌避感が強く働く。

 一刻も早くここを離れたほうがいい。

 そう思い、後ずさりをした俺は見てしまった。

 闇のすぐ近くに、莉緒の乗っていた自転車が倒れていた。

「――」

 俺の頭が一瞬フリーズする。

 まさかとは思うが。俺は莉緒の姿を探す。

 周囲に人影はない。痛いほどの静寂が耳に反響する。俺は生唾を飲み込んだ。叫ぶ。

「莉緒!」

 聞こえた気がした。

 闇の中から「お兄ちゃん」と俺を呼ぶ声が。

 これがどんなに危険なものでも、これがどんなに恐ろしいものでも――莉緒が助けを呼んでいるのならば、俺が動く理由としては十分すぎる。

 兄が妹を助けるのは、守るのは、当然のことだから。

 俺はためらわずに闇の中に飛び込む。今だけは体の重さも忘れたかのように。

 視界が真っ暗に塗り潰されてゆく中、こちらに向かって必死に手を伸ばす莉緒の姿が見えたような気がして。

 こうして──身寄りのないふたりの人間が、地球から姿を消した。



     ***



 小さな女の子が泣きじゃくっている。

 そのそばには痩せた少年が立っていて、彼はどうすればいいかわからない顔をしていた。

 俺の記憶にもっとも強く焼きついている光景。

 両親が交通事故に遭って、すべての事後処理が終わった後に、世界から取り残されたふたりの他人だった。

 蓮城蒼太の母は、彼が生まれた直後に亡くなった。母のいない家庭で育った蓮城蒼太が小学六年生になった頃に父は再婚を決めた。

 相手もすぐに伴侶を亡くしたらしく、同じ境遇にあったふたりは自然と惹かれあっていったのだという。

 新しい母には、小学三年生の連れ子がいた。俺より三つ年下のその子はとても人見知りで、新しくできた兄に敬語で話すような少女だった。

 当時の俺もまた女の子とどう接すればいいかわからず、腫れ物に触るような扱いをしていた。

 けれど家族四人で囲む食卓はにぎやかで、俺はこれから自分が幸せになれるのだと信じて疑わなかった。

 だが――。

 共に暮らし出して一ヶ月後、両親は他界した。

 交差点で信号無視して突っ込んできた車に横合いからぶつけられて、そのまま。

 残された子どもたちはそれぞれ親戚に引き取られることになったが、しかし蓮城蒼太がそれを嫌がった。彼は父の思い出が残る家から離れたくなかったのだ。そして――これは意外なことだったが――少女もそれに強く同意した。なぜだったのか、今でも俺にはわからない。

 子どもたちは最低限、親戚の助けを借り――結局はふたりで暮らし始めた。


 子どもたちの生活は大変だった。

 前からある程度は父と家事を分担していたけれど、ひとりになってみればそれは膨大な量だ。

 とても自炊なんてすることができず、毎日コンビニ弁当で過ごした。ラインナップはすぐに飽きたが、食欲もなかったので気にならなかった。

 さらに、当時の少女は母を亡くしたショックから立ち直れず、ふさぎ込んでいた。おねしょが再発したのも急性ストレス障害が原因で、彼女は学校を休んでカウンセリングに通いながらも具合は一向に良くならなかった。

 必然的に、すべての家事は蓮城蒼太ひとりが担うことになった。

 それでも少年は不平不満ひとつ漏らすことはなかった。

 だって、当然だろう。男は女を守るものだし、年上は年下の面倒を見るものだ。蒼太も苦しかったが、それでも弱音は吐きたくなかった。

 そんな暮らしを続けていった結果――蒼太はさらに痩せていった。やつれていったというほうが正しいかもしれない。

 ある日のことだった。蒼太が学校から帰ってくると、テーブルの上にはべちょべちょのおにぎりとぐちゃぐちゃになった卵焼きが置いてあった。

 誰がやったのか。決まっている、ひとりしかいない。

「あの」

 柱の陰からこちらを見ていたパジャマ姿の少女は、蒼太を見るなり謝った。

「ごめん、なさい。初めて作ったけど、うまくできなかったです……」

「えっと」

 蒼太の頭に浮かんだのは、なぜ? という疑問。

「おなか、減ったの? だったら今、コンビニにいってくるけど」

「ちがうんです。ちがくて、その……」

 言いよどむ少女の言葉を、少年は辛抱強く待った。

「あんまり、ご飯食べていないから、心配で」

「?」

 遅れて、自分のことか、と蒼太は気づいた。

「それでつくって、みたんですけど、うまく、いかなくて……ごめんなさい。あたし、なんにもできなくて……」

「……」

 俺はぼうっとした顔で皿の上のおにぎりと卵焼きを見つめる。

 少女が自分を心配して、自分のためだけに作ってくれた食事。

「どうして」

 改めて問い直す。

 少女はまるで悪さを叱られているかのように怯えながら。

「お兄ちゃん、いつも大変そうですから、せめてなにか、したくて。だって、家族は支え合うものだって、お母さんがいつも言っていて……」

 そうか。

 蒼太はテーブルの上のおにぎりを掴んで、頬張った。

「あ……」

「うん」

 ごっくんと飲み込んで、うなずく。

「うまい。こんなにおいしいおにぎりは初めて食べた」

「でも、うまく炊けなくて……」

「ナイスなスパイスだ」

「炊飯器、うちにあったのと違ってまして、それで……」

「強い個性を感じる。ビビットな味わいだ」

「うううう」

 頭を抱える少女に背を向けて、蒼太はぎゅっと目を瞑っていた。こらえていたが、たまらず涙がこぼれる。

 少女が『お兄ちゃん』と呼んでくれたのだ。すごく自然に。きっと心の中では何度もそう呼んでいたのだろう。たかがそれだけで、蒼太はなにか大事なものを思い出せた気がした。

 尽くすことが当たり前だと思っていた。自分は男で年上なのだから、彼女を守って面倒を見てやらなければならないのだと。

 でも、違ったんだ。家族は支え合うものだったのだ。

 少女――莉緒は、蒼太の妹なのだ。別に蒼太ひとりががんばり続けることはなかったのだ。ただふたりでがんばればよかったのだ。そう頼めば、お願いをすれば、きっと莉緒はいつでも手を貸してくれていたのに。どうして自分はそれに気づかなかったのだろう。

 自分の情けなさと、莉緒のいじらしさに、胸が熱くなった。ごまかすように蒼太は卵焼きを食べ終えた。味はわからなかったけれど、たぶん最高の料理だった。

 蒼太は莉緒――妹を料理担当に任命した。

「おにぎりも卵焼きも絶品だった。莉緒は料理の天才だ。だからお前にはうちの厨房を任せたい。料理大臣に就任だ」

「えっ、ええっ……?」

「買い物は俺に任せてくれ。俺の買ってきた料理を自分好みに味付けして、お前だけの世界を皿の上に築きあげてくれ。味の王国を建国するんだ」

「なにを言っているか、よくわからないんですけど……」

「うん」

 頭の中がぐちゃぐちゃで蒼太自身にもよくわからなかったが、とにかくこの想いを伝えたかったのだ。

「ありがとう、莉緒」

 涙を拭いて正面から伝えると、莉緒は少しビックリして目を丸くして。

 目を逸らし、ほっぺたを真っ赤にした。

「……こっちこそ、おいしいって言ってくれて……ありがと、お兄ちゃん……」

 それから莉緒の容態は少しずつ快方に向かうとともに、料理の腕もグングン上達していった。

 三年経つ頃には、そこらへんのシェフ顔負けのレベルに達し、食事の時間はいつでも楽しみで、莉緒も俺がうまいうまいと食べるとすごく喜んでくれて、なんだか父と暮らしていた頃の幸せな家族の絆が戻ってきたような気がして、そして――。

 ――俺は太った。

 とってもおいしい料理三昧で、めちゃくちゃ太った。

 やばいぐらいに太った。うまいものは脂肪と糖でできているのだ。こないだなんて相撲部屋に入らないかと勧誘された。自信があるのは食べる量だけだ。

 ――光景が暗転する。

 高校一年生になった莉緒が冷徹な目で俺を見下ろしながら、他の男に腕を絡ませている。

『というわけで、約束を破ったあなたはもうお兄ちゃんでもなんでもありませんから。家ですれ違っても話しかけたりしないでくださいね。臭いですし、デブがうつりますんで。いいですか? ――ク ソ 豚 野 郎 』

「あああああああああああああああああ!」

 俺は飛び起きた。

 目覚めたそこは――。

「あ、え?」

 病院でも自宅でもなく。

 ――俺の知らない、異世界だった。




     ***




 俺の周りにはたくさんの大人たちが立っていた。石畳の上に俺は寝かされていて、地面には淡く光る複雑な文様が描かれていた。光源はそれだけ。窓に暗幕の張られた部屋はそう広くなさそうだ。

 これは魔法陣……? なんだろうか、怪しい宗教団体に拉致されたのだろうか。怖気が走る。周囲には俺を取り囲む男たちがいて、俺は今にも邪神に捧げられようとする豚の丸焼きのようだ。

 だが──目を覚ました俺を見るやいなや、男たちは両手を突き上げて歓声をあげた。

「デブだ! デブが来たぞー!」

「やった! 大成功だ! 今度こそ王国の勝利はもらったも同然だ!」

「うおー! 我らが新たなる勇者さまに喝采をー!」

 なんだなんだこれ……。

 痩せこけながらも目だけが爛々と輝く男たちが狂喜乱舞している。

 その中で、ひときわ豪華な布をまとった壮年の男が、しゃがれた声で告げてくる。

「お待ち申し上げておりました、レンジョウ・ソウタさま」

「えっと……、俺たちどこかで会ったことがありましたっけ」

「いいえ、しかしあなた様のことはロッセッラ・リオ・ロンバータ・ヴィテッロさまより伺っております」

「ロッセッラ・リオ……?」

 そのとき、ぼんやりしていた思考が急速に覚醒した。

「まさか、リオって、莉緒のことじゃないよな!? 長い黒髪で、背は俺より頭一つ分ぐらい低くて絶世の美少女で、街を歩いていたら百人中百人が振り返ってきてそのうちの百人は求婚を申し込んでくるほどで、電車なんて乗ったら絶対おかしなやつに狙われるからってどこにいくにも心配で心配で常に俺の目の届くところにいてくれないと不安でご飯も三杯ぐらいしか食べられなくなっちまって……ってなんの話だよ!」

 ひとりボケツッコミをすると、男たちは困惑しているようだ。

「後半はよくわかりませんが……それは、おそらくリオさまのことだと思います。外見的特徴が一致しますし」

「莉緒は今どこにいるんだ!?」

 先ほどまで騒いでいた男たちは、急に押し黙った。

 え……。

 嘘、だろ。

「リオさまは、帝国軍との激しい戦いのさなか……」

 息が止まる。

 誰よりも愛していたたったひとりの家族、莉緒の笑顔がパリーンとひび割れる。

 俺はその場に崩れ落ちた。

「激しい戦いのさなか……過労のため、お倒れになってしまいまして、しばらくはベッドの上で安静にしております」

「ざけんな! 変なところで言葉を区切るんじゃねえよ!」

「も、申し訳ございません」

 そのときである。立っていられなくなるほどの激震が俺の足元を襲った。

 耳が一瞬聞こえなくなるほどの轟音とともに、部屋の上半分が吹き飛び──景色があらわになった。するとそこには信じられないような光景が広がっていた。

 石やレンガで作られた街並みは、日本のものとは思えない。中世の城そのものが街の中心にあり、通りには鎧をまとった騎士然とした者たちが隊列を組んで城壁の外へと向かっていた。これが作りものだとしたらとてつもない完成度だ。漂う空気の味すらも違うのだから。

 ここは街から少し離れた尖塔の上だった。城門の方からときおり断続的な爆発音が響き、そちらのほうから黒い煙が立ち上っている。また、焦げついた匂いもした。なにか大きな争いが起きているのだ。もしそうだとしたら、城塞の中にまで攻め込まれている絶体絶命の状況ってことじゃないか。

 って、なんかまた火の玉がこっちに向かってくるんだけど!

「ソウタさま、危ない!」

 するとだ。その場にいた男たちが集まり、一斉に火の玉に向けて手を突き出した。半透明のドーム状のモヤのようなものが出現し、間一髪のところで火球が弾け飛ぶ。

 俺は夢でも見ているのだろうか。だが、どう考えてもこの臨場感は本物そのものだ。

「ソウタさまはこの王国を救うお方……! こんなところで怪我をしてはなりませぬ!」

 その間も、どこからか砲撃は次々と飛んでくる。

 男たちはあと何発も火球を防げるようには思えない。このままじゃどっちみち死ぬんじゃないのか……?

「ああもう、なんなんだよ! 帝国軍とか魔法とか! 異世界転移ってやつだろこれ! 俺はいったいどうすればいいんだよ! 莉緒に会えないままここで死ぬなんてまっぴらだぞ!」

 そのとき静かに「おお……」というどよめきが巻き起こった。緊張した気配が一気に安堵した空気へと変わる。まるで小火の現場に消防車が到着したかのようなムードだ。

 男たちは代わる代わる「ありがとうございます!」と頭を下げてきた。俺は面食らう。いったいなんなんだ。

 こちらに、と連れられたのは塔の外だ。そこには精悍な男性が待っていた。腰に剣を差した、騎士といった風貌の男性だ。マッチョ的な威圧感に、俺はじゃっかん引く。だが彼の発した言葉はそれ以上の破壊力だった。

「それでは早速ですが、戦場へと向かいます」

「待て待て待て待て、俺はただの高校二年生だぞ! ケンカだってほとんどしたことない! 戦うなんて無理だろ!?」

「は……? ご謙遜ですか? ……そうか、なるほど。魔法使いさまがこれより行うのは一方的な殺戮であり、虐殺……、すなわち戦いになどなるはずがない、と……」

「違う!」

 身震いする騎士に、俺は声を張り上げた。変な勘違いをするな!

「しかし、もはや魔法使いさまの実力は国中の皆が存じ上げております。なんせ、あのリオさまが絶対的な自信をもって信じていらっしゃった方ですから!」

「異世界でどんだけ信頼を勝ち取っているんだ、うちの完璧天才妹は!」

 男が指を鳴らすと、一台の台車が運ばれてきた。スーパーで段ボール箱とかを積むあの台車そっくりなやつだ。なぜ台車。

「こちらにお乗りくださいませ。かつて我が国で最も強く、最も気高き魔法使いが愛用した乗機でございます。ソウタさまにこそ相応しい代物かと」

「お、おう……」

 俺は台車の上で三角座りをした。腹が邪魔で腕が前に回せない。乗り心地は非常に悪かった。

「これから戦場に向かいます。それでは、異界より来たりし英雄よ! 我らが栄華を極めし黄金時代の先駆けとなれ! 栄位栄達の絶魔将、ご出陣!」

『ご出陣!』

 見送りにきた痩せた男たちの声が重なった次の瞬間だ。

「うおおおおおおおお!」

 すると凄まじい速度で台車が押し出された。風を切って走る台車。地面が水平に流れてゆく。人力車は前の人が引いているから行く先がある程度わかるが、この状態だと予期せぬ方向に曲がるのですごいこわいし危ない。

「なあ大丈夫だから! 自分で歩くから!」

「なにをおっしゃいますか! 出陣前の魔法使いには1ミリカロリーとて無駄にしてもらうわけにはまいりません! 指一本動かさず大人しくしていてくださいませ! ふふっ、まさか俺が異界の魔法使いさまの舵取りができるだなんて、実家の婆ちゃんが聞いたら喜んでくれるだろうな!」

「前見て走れ! 前! ぶつかるぞ!」

「この俺の一歩一歩は未来に向かって進んでいる! 美しき王国がいつまでも光り輝く黄金の未来へと! 王様、王女様、俺は今、持てる力のすべてを使って駆け抜けます! このウィニングロードを!」

「急カーブとかやめてええええええ!」

 台車にしがみつく俺。会ったことのない婆ちゃんが川の向こうで手を振っている光景が浮かんだよ。

 土煙を巻き上げながら猛スピードで加速する台車にしがみつくこと10分弱、俺たちは戦場に到着した。フラフラしながら台車から降りる。ここからは歩いてもいいらしい。

「酔った……気持ち悪い……」

「伯爵! 伯爵! 異界の魔法使いさまをお連れいたしました!」

 城門の外にある陣地だ。あちこちになんか焼いたステーキみたいな模様の旗が立っており、いくつかの野営地と、そしてたくさんの鎧をまとった騎士たちが集まっていた。その中からひとり、恰幅のいい男性が前に進み出てくる。

 髭を生やしており、ずんぐりむっくりとした体型は脂肪よりどちらかというと筋肉でできていそうだ。顔に刻まれた傷が彼の人相に一種の凄みを与えていた。

「今回、急遽指揮を任されたターヴォラ伯爵だ。略式ですまないが挨拶をさせてもらおう。そなたが遥か彼方の丸い大地から来た魔法使いソウタ殿か。よろしく頼む」

「あ、いや、えっと……とりあえず水をいっぱいもらえるかな……」

「ソウタ殿にお水を!!」

『ハッ只今!』

 俺の弱り切った声を聞いた伯爵が命令を発すると、その場に並ぶ騎士たちが全員胸の前に拳を置いて敬礼した。すぐに大タルが運ばれてくる。いっぱいほしかったわけじゃなくて、一杯だけほしかったんだ。コップですくって水を飲み、俺は一息つく。

「ふぅ……生き返った……。ところで、なんか莉緒が世話になっているって聞いたんだけど……」

「うむ。だがかの者の力をもってしても、帝国軍を追い返すには至らなかったのだ。奴らは己の血肉を魔力に変える秘術を編み出し、そして周辺国家を恐怖の渦に陥れた。秘術を解析した他国も、次々と魔法武装を始めたが時すでに遅く、もはや我々の手では国防もままならず……」

 伯爵は絞り出すような声で。

「秘術に対抗するためにはこちらも秘術を用いるしかない。我々は苦渋の決断として、無関係の者を巻き込むことを選択した。それが召喚魔法によって呼び出されたそなたたちだったのだ」

 なんかすごい壮大な話だった。俺は黙ったまま伯爵の話を聞く。

「巻き込んでしまい、誠にすまない。だが、もしも力を貸してもらえるならば、我々はそなたに尽くすと誓おう。どうか頼む、ソウタ殿」

 訴えるような伯爵の目に、俺は気圧されたようにしてうなずく。

「まあその、なんだ。まだ死にたくないし。俺にできることなら」

「……ほう」

 伯爵が俺をまるで値踏みするようにうなずいた。

「私も多くの息子や娘がいるが、その年でそこまで肝が据わっている者はそうそう居らぬ。さすがはかの者が選んだ男だ。だが、ゆめゆめ油断召されるなよ。奴ら帝国軍は極めて強大だ。もしたったひとりで戦況を変えることができなければ、そのときは……」

 脅すように言う伯爵は、しかしそこで言葉を切った。

 なんだよ、どうなるんだよ……。って、ロクな未来じゃないんだろうけどさ……。

「助力、感謝する。そなたの勇気と優しさを、王国の全国民がたたえるだろう」

 伯爵はそう言って皮肉げに笑った。激しい戦争に心が擦り切れてしまったかのような笑みだった。なんだか口約束で大変な契約を結んでしまったのではないだろうか。俺は一歩後ずさった。

「大げさだって……」

 騎士たちも皆、声には出さないが感動したような顔つきで俺を眺めている。こんな空気で『で、魔法ってどうやって使うんだ?』と尋ねる勇気は、俺にはなかった。

 しかし、このまま戦場に出ても、俺はきっと無駄死にだろう。莉緒ひとりを残して死ぬわけにはいかない……。

「で、魔法って……」

「ああ、これが魔導書だ。その昔、王国の危機を救った魔法使いが書き残した遺物だが、今のそなたには読めるであろう」

 受け取った。古めかしい装丁をめくる。驚きに目を見張った。なんだこの本……。俺は読める、読めるぞ……。

 それもそのはずだ。日本語で書いてあった。前に召喚されたのも日本人だったのか。

 しかしなるほど。これがあれば、魔法を唱えられるのか。わかった。やろう。

 でも、自信はない……。

「ほら、あの、味方を巻き込むかもしれないし……」

 伯爵は怪訝そうに。

「それほどの大魔法を使うのか。しかしこちらもその準備はできている。ソウタ殿の征戦とともに、全軍を撤退させよう」

「いや、むしろ味方はいてくれたほうがいいかなーって!」

「ではそのように。軍の精鋭たちも、活躍を目近に見られるとあっては感涙に咽び泣くかもしれんな。他にはなにかあるか?」

「いや、あの……とくには……」

 俺に未来を託す人々の想いで胸やけを起こしそうだ。

「ていうか、そもそもみんな、どうして俺が魔法使いだって……?」

「そんなの見ればわかるだろう。そなたはすごく肥えているではないか」

「えっ」

「んっ?」

 太っていることと、魔法使いにどういう関係が……? いや待てよ。何やら魔導書にそんなことが書いてあったような……。

 あった。ひとつの項目を目でなぞる。

『――この世界の魔法使いは、自分の脂肪ルビ:カロリーを消費して魔法を放つ、デブの魔法使いだ』

 俺は天を仰いだ。

 なんじゃ…………そりゃ…………。

 

 ひとりの男が帝国軍と王国軍の境界にゆっくりと向かっていた。

 その男は、上下ともにこの世界では見ない衣装に身を包む。ジャージと呼ばれる戦闘服だ。

 そう、その男こそ異界より現れた魔法使い、蓮城蒼太――この俺である。

「なんだ貴様は!」

 荒野を挟んで、敵軍の騎士が俺に誰何する。膝から下の震えを隠しながら、俺は口の端を吊り上げた。

「風が泣いているかと思えば、お前たちのような奴らが騒いでいたのか」

「その体型……もしや魔法使いか!」

 この世界って本当にそういう認識なのかー……。

 俺は顔の前に手を当ててポーズを取りつつ「いかにも」と返す。

 引っ込みがつかなくなって出てきた俺はもう、やぶれかぶれだった。

「黒焦げになりたくなければすぐに去れ! 俺はそんじょそこらの魔法使いとは違うぞ!」

「た、確かに服の上からでもわかる、そのはちきれんばかりの魔力を内包した凄まじき肉体……。よほど手練れの魔法使いとお見受けする……! いまだこんな男が王国にいたとはな……。退け! お前ら、退け!」

「!?」

 えっ、そんなあっさり帰っていくの!? マジで!? 贅肉の鎧すげえ!

「代わりに石像部隊を前に出せ! あの魔力を使い切らせればこちらの勝利は揺るぎない! 王国陥落用に準備しておいた虎の子だが、出し惜しみはなしだ! 物量で押し込むのだ!」

「えっ」

 騎士たちが下がってゆくととともに、鉛色の雲が迫ってきた。いや、違う。それは――空を埋め尽くすほどに大量の軍勢だった。

 悪魔を模した空飛ぶ動く石像といえば、ひとつしかない。ガーゴイルだ。さすが異世界。普通にモンスターが跋扈しているのか。それらは槍を手にギャアギャアと鳴きながら俺に向かってきた。

 とんでもない数だ。これほどの軍隊をもっていたというのなら、王国なんてひとたまりもない。本当にこいつらを魔法使いひとりでなんとかできるのか? 無理じゃないのか? 自衛隊一個師団でも用意しない限り、追い返せない量だろ。

 これ、俺死ぬんじゃないの……?

「くっ、ソウタさま!」

「助勢いたします!」

 すると後ろからふたりの男がやってきた。ふたりともなかなか首回りが太く、二の腕がたぷたぷしてそうで、少し運動すれば汗をかくような体型の……早い話デブだ。

 ということは魔法使いなのだろう。俺も呑み込みが早くなったもんだ。

 彼らはそれぞれポーズを取ると、腕を空に突き上げた。傍から見ればなにやってんだ……って感じの格好だが。

「炎よ! 鉄槌となれ!」

「雷よ! 吹き荒べ!」

 彼らが叫んだ直後、その体が凄まじく膨れ上がった――ように見えた。しかしそれは実際の体ではなく、不定形の霧のようなものだった。霧は天にも届くほど巨大化してガーゴイルの群れに到達すると、爆炎が巻き起こる。さらに二点を結ぶような稲妻が走った。

 初めて見る超常現象を前に、俺は度肝を抜かれた。

「す、すごい」

 思わずため息を漏らす。天に咲いた花は広がり、数十数百のガーゴイルを焼き焦がした。密集していたガーゴイルは互いにぶつかり合いながら地面に落下し、砕け散った。稲妻も同じように、大量のガーゴイルをごっそりと削り取る。

 魔法使いがなぜ畏れられるかが、十二分にわかる光景だ。人間が素手であんなことができるのだ。そりゃデブも敬われるわ。

「すごい、すごいじゃないか! これだったら別に俺がいなくても――」

 ――そこには、スリムな体型をしたふたりのイケメンが立っていた。

「なんで!?」

 彼らは苦々しく顔をしかめる。

「たった一発で脂肪を使い切ってしまうとは……やはり付け焼き刃のカロリーではこの程度のものか……」

「申し訳ございません、ソウタさま……やはり我らでは力量不足だったようです……せめてソウタさまのように、もう少し質の高い肉体を作れていたら……」

「どういうことなの!?」

 もしかして『血肉を魔力に変える』ってそういうことなの!? だからデブなの!?

 俺の中で線が一本に繋がってゆく。なるほど、なるほど莉緒! だから俺なんだな! わかったよ! 心の中の内燃機関がガンガンと駆動を始める。

 今にも急降下攻撃を仕掛けてきそうなガーゴイルを見上げ、力尽きてその場にしゃがみ込む魔法使いたちを背に、俺は堂々と指を突きつけた。

「見ていろよ、ガーゴイルども! この背に莉緒や姫様たちがいる以上、俺は逃げも隠れもしない! 俺を信じてくれている奴らのために、俺はやるぜ! この脂肪を燃やし尽くし、真っ向からお前たちを打ち砕いてやるのさ! 食らえ!」

 イメージするのだ。俺の、俺だけの魔法を。

 魔導書を眺めながら、手順を一工程ずつ順守せよ。

 レッスンワン、腹に力を込める。レッスンツー、イマジネーションを広げろ。レッスンスリー、俺に魔法適性があると信じて。レッスンフォー、莉緒のために!

 そしてなによりも――。

 ――俺が、俺自身が、あのつらくて厳しくて長くて泣きそうになるようなダイエットの日々を、今ここで終わらせるために!!

 脂肪を消費して魔法を使う世界。それは言い換えれば、魔法を使えば痩せる世界! なんて素晴らしいんだ!

 俺の全身が膨れ上がってゆく感覚がした。膨張した意識はガーゴイルにまで手が届く。雲の上まで伸びてゆく。これがあの霧の正体だと本能的に直感する。広がってゆくのは俺の全能感だ。この空間の中ではどんな奇跡でも起こせるのだと妄信することこそが肝要。伸びた俺の腕がガーゴイルを握り砕く。

 放つのだ、今。

 発動の言葉はなんだっていいと書いてあった。

 だから今、思いの丈を。

 叫ぼう。数多の羽ばたく怪物たちへ。

「星砕く終焉の滅拳カル・ビハラ・ミ・タン――!」

 それはとてつもなくまばゆい光だった。

 空と大地の狭間で弾けた輝きは、周囲すべてのガーゴイルを飲み込んでゆく。あっという間に見えなくなってゆく大群たち。かつて空を埋め尽くしたリョコウバトが絶滅するまでに要した百年の時間を刹那に縮め、光は収束した。地上を舐めるような衝撃波が過ぎ去ったあとに残るのは雲すらもなく、ただの青。

 大歓声が王城のほうからあがった。圧倒的なパワーを目にした帝国軍は転進を始める。俺をたたえる声は止むことなく、ずっと続いていた。

 俺は気だるげに息をはく。魔力の残光は手のひらから儚くかき消えていった。この身が繰り出した大破壊を目の当たりにしながら、驚きは意外なほどに少ない。莉緒ができるって言い放ったんだから、これぐらいはできて当然だ。あくまでも堂々と、俺は戦場に背を向ける。歩み出す俺を見た王国軍は再び歓喜の叫びをあげた。


 そして――。

 俺の体型は……元のまま、だった……。

 あれええええええええええええええええええええ!?


……次回は10月10日(火)更新予定です。乞うご期待ください!

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