第3話 デブの魔法使い、痩せたい2(仮)
数日ぶりに顔を見せた莉緒は両手を広げて俺に抱きついてくるかと思えば、その手前でぴたりと止まり、顎に手を当てて難しい顔で俺の体を上から下までたっぷりと眺めた後に衝撃の一言を放った。
「お兄ちゃん、もしかして太ったんじゃない?」
「……………………」
俺は莉緒を抱きとめる姿勢をぎこちなく解除すると、ソファーに腰を下ろして顔の前で腕を組んだ。深いため息をつく。
「……やはりか……」
「うん、今のお兄ちゃんってこんな感じかな。ちょっと待ってて!」
莉緒は俺の前でスケッチブックみたいなものを広げると、さらさらとペンを走らせた。
「できたっ、ほらどう? どう? これが今のお兄ちゃんだよ!」
見せつけられた紙には、もはや膨張しきって楕円そのものになってしまった哀れな人間の姿が切り取られていた。これが写実的に描かれた俺だとしたら、体重320キロは下らないだろう。かつての莉緒の予言が的中してしまった。破滅だ。
「そうか、こんなに太ったか、俺は……。お前の目からはこう見えているんだな、参ったな、やばいな、もうダメかもしれないな……」
「でも太ったって言ってもちょっとだよ、ちょっと。大丈夫大丈夫、お兄ちゃんも異世界にやってきてちょっと気が緩んじゃったんだよね? ね、ね、ここからがんばろっ!」
ちょっとどころじゃない絵を眼前に突きつけられて、俺が落ち込んでいるとだ。ルッツが横からやってきた。
「お久しぶりにロッセッラさまと再会したことですし、ここはおひとつどうぞです? はい、美味しいケーキですよ。あーん、お兄さま」
ケーキを見た莉緒の顔が青くなる。俺は慌ててルッツのもつ皿を押し返す。
ダメだ、やばい。莉緒にケーキを見られるのだけはまずい。
「いや、今はいい」
「あら、珍しいですね。もし食欲が無いのでしたら、ミィルを呼んで膝枕と耳かきのセットにしますです? あるいはレァナがお兄さまに甘えたそうにしていましたから、そちらの相手でも」
「大丈夫だ」
「ちょちょちょちょちょっと待って! 大丈夫じゃない、ゼンゼン大丈夫じゃないよー!? 今、看過できないことがたっくさんあったよ! たっくさん! え? なにどうしたの? って顔しないでよお兄ちゃん! 大問題だよ!」
「はあ」
「まず『お兄さま』ってなに!? その人はメイドさんだよね!?」
「なに言ってるんだ莉緒。人の妹を指差してメイドさんってことはないだろ。ルッツもれっきとした俺の妹だよ。どうしちまったんだ」
「えっ、ちょっ、えっ、えっ?」
莉緒はルッツを五度見ぐらいした。
「しかもこいつは俺のために太らないけど腹にたまる食べ物を作ってくれたしさ。ふわふわのケー……じゃなくて、ドーナツみたいで、甘くて美味しいんだよ。いやあ異世界はいいな、太らない食べ物がいくらでもあって。俺ずっと異世界にいたら痩せられそう」
困惑したように莉緒は顔を押さえた。
なぜか莉緒はものすごく申し訳なさそうな声で。
「えっと……お兄ちゃん、それは嘘だと思うよ……」
「え?」
「うん……」
「でも、ルッツが」
「そんな都合のいいもの、ありません……」
「嘘だ! だってルッツが! 俺の妹がそう言ってくれたのに! 俺の妹が俺に嘘つくなんてそんな、そんなの嘘だ……。だって俺と妹は信頼関係で結ばれていて……うう、嘘だ……嘘だよ、莉緒……そんな……だって……」
「な、泣かないでお兄ちゃん……よしよし、よしよし……。ね、お兄ちゃんの妹はここにいるから……あたしがお兄ちゃんの莉緒だよ……」
莉緒にギュッと抱きしめられると、ようやくじんわり落ち着いてきた。
そうだ、俺はいったいなにを言っていたんだ。メイドたちは最初から妹でもなんでもなかったんだ……。裏切られるどころか、信頼されてさえいなかった……。
「しかも、たぶんだけど」
莉緒がささやいてくる。
「ここのメイドさんたち、王宮に雇われているから、お兄ちゃんを太らせるために派遣されているんだよ……。お兄ちゃんが妹に弱いって話も出てたから、それで妹を装っているんだと思う……」
「うっ、うう……」
「ああっ、お兄ちゃん泣かないで泣かないで。ほ、ほら、本物の妹ちゃんだよー。お兄ちゃんが大好きで大好きでもうラブラブチュッチュ愛してるーのあたしだよー。ね、ほら、ほっぺたにちゅってするから、元気になってー。ほら、ちゅ♡ ちゅ♡ ね、ね?」
「うん、うん……ありがとう、莉緒……」
「よかった。よしよし、ちゃんと泣き止んで偉いね、お兄ちゃん。偉い偉い。強くてカッコイイお兄ちゃんがすっごくがんばっていること、あたし知っているんだから。負けないでちゃんとダイエット成功させようね。愛するあたしのために……ね?」
「がんばるぅ……」
莉緒は俺の頭を抱いて全身でよしよしをしてくれたあと、手を振って帰っていった。気づかなかったが、送り迎えを担当する騎士が外でずっと待っていたらしい。すっかり公人だ。大変そう。
あとに残されたスケッチを広げる。これを支えにがんばって……いやこれは無理だわ。裏返しにして机の端に置く。
さて、と。
莉緒が帰った後だ。部屋の中には緊張感が走る。
この世界は脂肪が魔力に変わるのだ。魔法使いを太らせようとするのは当然のことだろう。しかし俺は最初に『ダイエット中だ』と宣言した。それなのに嘘をついてまで食べさせてこようとは……。
「おいルッツ」
「なんでしょう、お兄さま。私はこの後も少しお仕事が残っておりますので、遊び相手ならレァナを呼びつけますが?」
少しも悪びれず、ルッツはいつも通りのすまし顔でやってきた。目の前のソファーを指してここに座れと言いつける。
「俺は少し腹が立っている」
「それはなにかつらいことがあったんですね、お兄さま。ではこのチョコレートブラウニーバナナクリームフラペチーノなどいかがです? 甘くておいしいですよ。嫌なことを忘れられるかもしれません」
「そういうとこだよそういうとこ! こんな糖質の暴力みたいな塊、何カロリー入ってんだよ! これ一杯で牛丼並じゃね!? お前、ずっと俺を太らせようとしていやがったんだな! 兄に嘘をついてまで!」
「それは」
ルッツは目を逸らした。
その無表情が崩れ、わずかに悲しそうな顔が垣間見える。
「こんな言い方は卑怯かもしれませんが、私もやりたくてやっていたわけではないのです。お兄さま、それだけは信じてください」
「ルッツ……」
胸がチクリと痛んだ。
そうか、妹を信じられなかったのは、俺の方だ。
彼女だってなにか事情があったに違いない。だってただの雇われメイドなんだぞ。なのにその背景を顧みないで、一方的にルッツを怒鳴りつけてしまった。これじゃ兄貴失格じゃないか。俺はいったいなにをしているんだ、くそっ。
「すまない、ルッツ。俺は心の弱い人間だ」
ルッツは儚げな笑みを浮かべる。
「いいんです、お兄さま。悪いのは私ですから」
「違う! 俺がもっと!」
「お兄さまが食べた分に応じて、私たちにボーナスが入る仕組みになっておりまして。私はただもっともっと楽にお金がほしかっただけですから、気にしないでくださいです」
「そうか! わかった! お前が悪いな!?」
俺はルッツの両頬をむにーっと引っ張る。
「いもふとに暴力をふるふのはどうかと思いますれす」
「うるせえ! さんざん俺にメシを食わせやがって! 一キロ痩せるためにどれだけ努力しなきゃいけないと思ってんだ! 俺がどんな気持ちで莉緒のご飯を我慢して毎日ウォーキングしていたと思ってんだよ! ああ!?」
「妹のためにたくさん食べてたくさんがんばるお兄さま、素敵です」
「お前なんて妹でもなんでもねえよ! ただの金のために働くメイドだろ!」
そう言うと、ルッツは面食らったように目を丸くした。
「……そうですね、確かに、その通りです。出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ございませんでした、ご主人さま」
頭を下げるルッツを見て、なんだかもやっとしたものを感じながらも、俺は「おう」とうなずいた。
ルッツは瞳を揺らしながら。
「嘘をついたことは、謝りますです。申し訳ございませんです」
「……ああ。反省しているなら、これからは」
「ご主人さまひとりの面倒を三人で見る、こんなチョロいお仕事を捨てたくありませんです。申し訳ございませんでした。今後もご主人さまのおそばに仕えさせていただけるようにお願いいたしますです」
「正直すぎるんだよなあ! もういいよ! 出てけよ! お前なんてクビだ、クビ!」
「お言葉ながら、私はソウタさまに雇われているわけではなく、上司の命令でソウタさまのおそばにおりますのです。なのでワガママ言わず甘んじてご奉仕を受け入れてくださいです」
「お前の言うご奉仕って俺を太らせることだろ!?」
俺たちが言い合っていると、レァナが柱の陰から半泣きの顔でこちらを覗いていた。その目は子犬のようにつぶらで、まるで両親のケンカに出くわした娘みたいである。なんとなく気勢が削がれてしまう。
「もういい、メシだ、メシ」
「はい、きょうも山盛りのごはんを用意いたしますです。ご主人さま」
「残すけどね!?」
宣言通りだけど食べ物を残すことにめっちゃ罪悪感を覚えつつ、その日俺は寝床についた。そして翌日、決意とともに俺は目覚める。やられっぱなしというのは、気が済まないからな。
早速ミィルを呼ぼう。
パタパタと小走りでやってきた小さな妹メイドは、無邪気に愛くるしい笑顔を浮かべる。
「おはようございますぅ、お兄さまぁ」
「ああミィル。朝早くからで悪いんだがなにかルッツの弱点を知らないか? 少し、懲らしめてやろうと思ってな。俺に嘘をついていた罰だ」
「嘘、ですかぁ?」
ひょっとして知らないんだろうか。事情を説明すると「ふぇぇ」と驚いていた。
「ボーナスがもらえるなんて、ミィ知りませんでしたぁ。ごはんも全部お姉ちゃんが作ってましたし……でもごめんなさいぃお兄さまぁ。姉が無礼を働いてしまいましてぇ」
ミィルは深々と頭を下げた。いやいや。
「別に謝ってほしくて来てもらったわけじゃないんだよ。ミィルはなにも悪いことしてないし」
「でも……お姉ちゃんはいつもミィの失敗をかばって叱られてくれましたからぁ……今度はミィの番ですぅ」
「それは姉だからだろ。いいんだよ、妹は別にそういうの気にしなくても。俺だってミィルがなんか失敗したら進んで謝るよ。それは当たり前のことだし」
「お兄さまぁ……」
ミィルの目がとろんととろける。俺は照れ隠しに両手を振った。
「いや、にしてもルッツもそういう姉っぽいところちゃんとあるんだな、って。ちょっと意外に思ったっつーか……まあなんだ、それでルッツの弱点なんだけどさ」
「お姉ちゃんの弱点、お姉ちゃんの弱点……あっ、美人すぎるところ、とかどうですかぁ?」
ニッコニコと告げてくるミィルに、さてはこいつアホの子かな、と気づきつつ。
「それで仕返しするのはけっこう厳しいな……。他にないか?」
「うーん、お仕事が完璧で、スピーディーで、頭がとってもよくて、お料理が上手で……隙がなさすぎるところが隙でしょうかぁ!?」
「苦手なものとか!」
ミィルは腕を組んで精いっぱいのしかめっ面で考える。
「魔法使いが苦手だと言ったことがありますぅ。障壁を張られると、剣士には魔力が尽きるまで打ち破る手段がないから……とかぁ」
「別に力ずくで懲らしめたいわけじゃないんだよな……。なんかもうちょっと手頃なのがありゃいいんだが……」
「う~ん、う~ん……あっ、そうだぁ。お姉ちゃん、人に裸を見られるのが嫌みたいですよぉ。前にミィとお風呂入ろうとしたときも、一緒に入ってくれませんでしたしぃ」
「ふむ……人に裸を見られるのが嫌、か」
いや、でも待てよ。そういえば初めて会ったときにはその場で脱ぎますか? みたいなことを言ってなかったか。見られるのが嫌なのに、どうしてだ?
あれは俺が本気で服を脱がせてこようとするような勇気がないと思っていたから、タカをくくっていたのではないだろうか。そう考えると、さらに苛立ちが増してきた。
くそ、いいじゃないか、やってやる、やってやるよ。ここは異世界で、俺は最強の魔法使いなんだ。やってやれないことはない。
「わかった、ミィルありがとう。お前のおかげで目にものを見せてやれそうだ」
「はいぃ……でも、あんまり乱暴な真似はしないでくださいねぇ」
「もちろんだ。ちょっとおどかすだけさ」
俺はミィルの頭を撫でた。
「
「はいっ」
ミィルは俺の顔を眩しそうに見つめ、安心しきった笑顔を浮かべたのだった。
ま、ルッツを悲しませるような真似はしてやるんだけどな!
「じゃあ風呂に入りたいから、準備してくれ、ルッツ」
「かしこまりましたです、ご主人さま」
この屋敷には日本式のお風呂が備えつけられている。水汲みも必要なく、蛇口をひねるとお湯が出るタイプのものだ。なにやら魔法的な技術が応用されているらしいが、俺にはよくわからず、ただ便利だなーとだけ思っていた。
昼風呂を楽しもうとする俺についてきたルッツは、着替えやらバスタオルの準備やらを整えてくれるのだが、そこで俺は言ってやった。
「じゃあルッツ、ついでに背中を流してくれ。いいだろ?」
「承知いたしましたです、ご主人さま」
頭を下げるルッツは、メイド服の袖や裾をめくっていたけれど。
「なにをしているんだルッツ。それじゃメイド服が濡れるだろ。お前もそこに用意した水着に着替えるんだよ」
ぴたりとルッツの動きが止まった。
「用意した水着……ですか?」
「ああ、そうだよ。レァナに頼んで用意させたのがあるから、それに着替えてくれよな。あれれ、どうしたんだ? 前に『どんなことでも命じていただければ即座にやります』って言ってたよなあ? まさかご主人さまの命令が聞けないってことはないよなぁ?」
そこでごめんなさいと言われたら許してやろうかなという気にもなったのだが、硬直していたルッツはじろりと俺に目を向けると、いつものようなすまし顔を取り繕ってうなずいた。
「いえ、問題はありませんです。メイドとして、着替えてお背中お流しいたしますです」
俺の狙いに気づいてあくまでも引かない態度。この女、やはりとてつもない負けず嫌いである。まあそれならそれでもいい。当初の計画を完遂するまでだ。
「そうかそうか、じゃあ俺は先に風呂に入っているから、あんまり待たせるなよ」
「…………はい、です」
俺は軽く体を流して湯船に浸かる。さっきのルッツはほんの少しだけだが、屈辱に耐えるように顔をうつむかせていた。なんだったらその顔が見れただけで嘘をついたことへのお仕置きは完了したも同然だ。実に気分がいい。
ガチャリと浴室のドアが開いた。
「ずいぶんと時間がかかったじゃないか……ってうおう……」
レァナに用意させた水着は、どうやら少々サイズが小さかったようだ。いわゆるマイクロビキニと呼ばれるサイズで、胸の先端や下半身の秘部を申し訳程度に覆い隠している。
あのルッツがメイド服の中に包み隠したむちむちの肉体を晒して、顔を真っ赤にしている姿は、割と溜飲が下がるものがあった、けれど。
しかし。
「ルッツ、お前」
「…………お背中、お流しいたしますです。お仕事ですから」
ルッツの肌には、あちこちに傷跡のようなものが刻まれていた。上は首元から、下は足先まで。
俺から顔をそむけながら、ルッツは少しでも傷跡を隠そうと、みじろぎをする。
「……ご主人さま、お座りくださいです」
俺は湯船から出ると、ルッツに頭を下げた。
「ごめんな、ルッツ」
「……なんですか? ご主人さま」
「いや、女の子なのに、見られたくなかったんだろうなってさ。俺が悪かった」
「ご主人さまは、ご主人さまですから……。私の感情など、お気になさらないでくださいです」
「そういうわけにはいかない」
ルッツは命令通り、石鹸を泡立てたタオルで俺の背中をごしごしとこすってくれる。
「やっぱ、この世界って戦争をしているんだよな」
「もちろんそうです」
「戦って傷つく人がいるんだよな」
「当たり前です」
「その中で、ようやく幸せな仕事を掴み取ったんだったら、できるだけ手放したくはないよな」
ルッツは答えなかったが、その沈黙がなによりも雄弁に物語っていた。
「うん、やっぱごめん。俺はルッツの気持ちを考えてなかった。情けないな」
「そんな、ご主人さまは悪くありませんです。無礼を働いたのは、私ですから。メイドにそんな風に頭を下げるご主人さまなんて、聞いたことありませんですよ」
「他のやつらがどうとかは関係ないさ。お前は俺にとって短い間でも妹だったんだ。妹のわがままならなんだって受け入れてやりたかったんだが、俺も修業が足りないな」
ため息をつき、ぶっきらぼうに告げる。
「だからこれからも気にせず、お前はお前のやりたいようにしてくれ。妹に応えるのは兄の役目だからな」
後ろからフフッと笑い声が聞こえてきた。
「私も未熟ですから、これからもうんと困らせてしまうかもしれませんですよ」
「そんときはそんときだ。度量の広さを見せつけてやるよ。でかいのは腹だけじゃないってな」
「期待しています、お兄さま」
と、そこでルッツは今度の俺の前に回ってきた。まるでマイクロビキニを着せられた腹いせだとでも言うように、その目は妖しく輝いている。嫌な予感がした。
「あの、ルッツさん?」
「さ、今度は前を洗わせていただきますです、お兄さま。そのタオルはとってくださいです。さあ、さあさあ」
「え、ちょ、待って」
「いえ待ちません。私は私のやりたいようにしていいと言ったのはお兄さまですからね。恥ずかしい思いをさせられたお返しです。お兄さまもたっぷりと恥ずかしい思いをしてくださいです」
「もう十分恥ずかしいから! ちょ、やめろ、タオル返せ! おいこら!」
ルッツはうずくまる俺を眺めながら、ほんの少し頬を赤らめて。
「お兄さま、大きいのはお腹だけではなかったんですね。……あ、それとも私の前だから、そんな風になっているんです? 妹を情欲の対象として見るのは、なんだかとても罪深いことのように思えますけれどその辺りはお兄さまにとっていかがです?」
「出てけ!」
こうして俺はルッツと認め合い、俺たちは真の意味での信頼関係を築くことができた。
順調な異世界ダイエットの第一歩を、ようやく踏みしめられたってわけだ。
──と、思っていたのだが。
後日。
「ではお兄さま、本日のお食事ですが……。どうかいたしましたです? なにか気に入らないところがあるという顔をしているようですが」
「当たり前だよ! なんで普通に今まで通りのごはんを作っているんだよ! 減らせって言ったよな!? 小盛りでいいってさあ!」
「ふふふ、お兄さま」
ルッツは妹らしく微笑むと、俺の額をツンと指で突いて。
「お兄さまは、妹のわがままを受け入れてくださるものですよ」
「前よりタチ悪くなっただけじゃねえか!」
傷跡を見られ、もう隠すものはないと思ったのか、硬軟併せ持つ妹に進化してしまったルッツを前に、俺は思わず叫ぶ。そのやり取りを見たレァナが相変わらず「ケンカ? ケンカなの……?」とぷるぷると震えていたりした。
なお、この一件以来、たびたびきわどい水着を着たルッツが背中を流しに来てくれるようになったのだが──それに関しては、絶対に莉緒には言えないな……。
***
この日の昼過ぎ、俺はひとりで王城内の食堂までやってきた。
家ではあまりにも食事の誘惑が多すぎるので、これからは食堂に通って生きていこう。そうしよう。
中は現代の学生食堂とあまり変わらない雰囲気だ。時間を昼休憩とずらしてやってきたため、人はまばらである。
「すいません、あの」
「はいよっ」
厨房の中にいた女の子が顔を出してきた。
赤毛をポニーテールにまとめて、元気ハツラツな笑顔を浮かべている。
八重歯がチャームポイントな彼女は、小柄だがエプロンの中にオレンジのような胸がたわわに実っていた。ひだまりの香りがしそうな雰囲気だ。
「お兄さん見ない顔だね! しかもずいぶんとおなか減ってそうだ! 24時間どこでもおなかが減っている人の元には駆けつけちゃうボクが、お兄さんのお腹をぽんぽこにしちゃうよっ。あっ、でも今の時間はきょうの売れ残りミックスメニュー・ココノちゃんスペシャルになっちゃうけど、それでもいいかなっ?」
「ああ、そういう感じなのか」
現代と違って、大量消費の大量廃棄というわけにはいかないのだろう。もちろんそれで構わない。嫌いなものなんてないからな。
横目でメニューを眺めると、そこにはカレー、ラーメン、牛丼、生姜焼き定食などなど、どこでも見るような定番メニューが並んでいる。違和感がなさすぎることが違和感だ。異世界なのに。これが莉緒の開発したってやつか。
材料がなにもかもあったわけじゃないだろうから、創意工夫して現代の味に近づけたに違いない。並々ならぬ食への努力だな……。
「それともリクエストがあれば、ボクがご要望に応えちゃうよっ! お兄さん、ご飯いっぱい食べそうだし、腕の振るいがいがあるなあ。あ、材料が余ってたらだけどねっ!」
と、そこで俺は厨房の籠にブロッコリーみたいな野菜が詰まっていることに気づいた。明日の仕込みの最中だろうか。ちょうどいい。
「じゃあ、それくれ」
「え?」
鼻歌を歌いながら包丁を手にした女の子がぴたりと止まった。
指差した方向を確認し、そして俺を二度見する。
「えっと……ブッコロリー? なにお兄さん、ブッコロリ―好きなの? あ、だったら腕によりをかけてブッコロリ―料理作ってあげるから――」
「いや、それだけでいい。あとそんなに量もいらない。お茶碗一杯ぐらいで」
「ふぇっ!? ど、どうしてそんな……あっ、ここはお金かからないよ!? 国が出してくれるから! 好きなものを好きなだけ食べてもいいんだよ!?」
「貧乏で食費を削っているわけじゃない。減量中なんだ」
「減量中!?」
女の子は幽霊に出会ったような顔で茫然と俺を見つめる。
この世界の人たちはリアクションがでかいなあ。
「そんな、減量中だなんて……そんな、おかしいよ、そんなにいい体してるのに……! いっぱい、いっぱい食べてくれそうな顔してるのに……! どうしたのっ!? あっ、誰かの呪いでブッコロリ―しか食べられない悲しきモンスターに変貌しちゃったのっ!?」
「誰が悲しきモンスターだ。とにかく頼みたいんだが、ええと、ここはそういうのをやってないのか……?」
女の子の目がギランと輝いた気がした。
「そそそそんなことないよっ! お客さんの注文に応えるのが、この食堂を任されたココノ料理長の使命っ! 待っててお兄さん! 今、世界で一番おいしいブッコロリー料理をこしらえてあげるからっ!」
「あ、でもあんまり手は加えないでくれよ。変に凝った料理にされると、糖質とか脂質とかマシマシになっちゃうから。ちぎったブッコロリーとやらに薄めの味付けでいい」
「ふぁぁぁぁ! 料理人のアイデンティティを崩壊させられそうな注文っ! はぁ、はぁ、いいよ! いいともっ! その挑戦、受けて立つよっ! なんとしてでもお兄さんにおいしいって言わせてみせるからねっ!」
「いやブッコロリーもふつうに好きだから、おいしいって言うけど……」
ココノ料理長の目は燃えていた。
なんだか嫌な予感がしつつも、俺は適当な椅子に座る。
メニューを眺めながら待つ。毎日通ったって制覇しきれないぐらい豊富なメニューだ。ダイエットをしていなければ、さぞかし楽しめただろう。
待っていると「おまちっ」と女の子がわざわざ料理を運んできてくれた。
「あ、すまん、ありがと……う……」
俺の言葉が途切れる。お盆の上には熱せられた鉄板。そしてその上にジュウジュウと音を立てる厚切りのステーキが乗っていた。ステーキの上のバターが熱気で溶け、なめらかに滑り落ちてゆく。
ステーキの下には肉の油を吸う絨毯のようにガーリックライスが敷かれている。多少の焦げ目がついているところを見ると、炒め加減も上等だ。苦味がギリギリつかない程度のカリカリなお焦げが楽しめるだろう。
肉とご飯のコンビは、この世界でもっともおいしいもののひとつである。舞い上がる湯気を見て、食堂にいた客たちも「おー……」と感嘆の声を漏らした。
ココノが得意げな顔をして、目の前でステーキをカットしてくれる。ナイフが入ると肉はとろけるような柔らかさでぷつんと千切れた。よほどいい肉なのだろう。断面はほんのり赤く、油でてらてらに輝いていた。
そしてそのステーキ&ガーリックライスの横に、申し訳程度の量のブッコロリーが付け合わせで乗っかっていた。
……おい。
「はい、あーん♪」
ココノが肉の一切れをフォークで差し出してくる。俺は静かにフォークを掴んで付け合わせのブッコロリーを口に運んだ。強烈な肉の匂いで、味なんてほとんどわからなかった。ごっくんと飲み込む。
「ごちそうさまでした」
「まって! どゆこと!?」
俺の太い手首を掴むココノに怒鳴り返す。
「それはこっちの台詞なんだが!? なんでブッコロリー料理頼んでステーキが来るんだよ!」
「だってブッコロリーが最高においしい料理ってこれじゃんっ! めちゃくちゃ食欲をそそるでしょっ!?」
「ブッコロリー以外の部分がな!?」
「素材の味を活かしまして! ほらほら、早く食べないと冷めちゃうよ!」
「食わねえよ! 減量中だって言ってんだろうが!」
「え~~~~~~~~っ!」
ココノはガーンと落ち込む。
「そんな、ボクの料理を食べてもらえないなんて……こんなの目の前にしたら誰でもケダモノになって本能のまま貪り食うに決まってるのに……うう、そんなぁ~……こんな気持ち、生まれて初めてだよぉ……」
う……。
すごく悪いことをしたような気分だ。
いやいや。そう言ってもココノが勝手に作ったんだしな。別に胸も痛くなかった。
「こんな屈辱は初めて……はぁ、はぁ……初めて、だよぉ……ハァ……」
しかもなんか様子がおかしいぞ。
ココノは内股をすり合わせるようにしてもじもじし始めていた。
「……これはボクへの挑戦……? 天がボクへと授けた試練……? だったらボクは負けないよ……ああっ、食べてほしい……ボクの料理をいっぱいいっぱい食べてほしい……そのおっきなお口で、ボクのを……いっぱい、いっぱいボクのを食べてほしい……」
ココノは官能的な光を浮かべた瞳で、俺を上目づかいに見上げる。
「なんかっ、すっごい気分が昂ってきちゃったよぉ……はぁ、はぁ、お兄さん、ボクお兄さんにいっぱい食べてほしいから、死力を尽くすねっ……これはもう、ボクとお兄さんの勝負……ボクの料理長としてのプライドをかけた、聖戦っ……はぁ、こんな気分初めて……っ……なんかすっごく体が熱くなってきちゃう……っ」
「なんで息を荒らげてんの!?」
頬に赤みが差し、額に汗をかいた女の子は、体をくねらせながらフラフラと厨房に向かってゆく。
「まっててね、お兄さん……っ……今、ボクが、見ただけで口からヨダレがどばどばあふれて、胃がきゅーっと切なく泣いて、口の中に入れてもぐもぐしなきゃ気が済まなくなって、おなかぽんぽこになるまでやめられない止まらないもうだめもうだめ死んじゃうおなか壊れちゃうよぉ~~……ってなっちゃう魔性の料理を作ってあげるからね……あははははははは……」
薄々気づいてはいたが、こいつもしかしてやばいやつなんじゃないか。
「あの、帰ります」
「あははははははははははははははは」
俺は告げて、こっそりと食堂を出た。
この食堂……もう使えないな。
***
「疲れた」
俺はぐったりとソファーに横たわっていた。どこいってもどいつもこいつも俺にメシを食わせてこようとしやがる。俺の安住の地は何処にあるんだ……。
近くを掃き掃除していたルッツが、澄まし顔で小首を傾げる。
「お疲れですか? お兄さま。私が蜂蜜とクリームたっぷりのミルクをお作りしますです? 疲労回復にとっても効果があると地元でも評判ですよ」
「気持ちだけで結構。なにを言われようが、その手は食わないからな」
「そうですか。ではボーナスをあげてもいいよという気分になったら言ってくださいです。私はいつでもその準備はできておりますので」
「いくら妹でも自分で働いているやつに小遣いはやらねえよ。あーあ、レァナとポンポポランでもやってこようかな」
「それはあの子も喜ぶと思いますが、その前にお兄さま、お手紙が届いておりますです」
「ん、俺に?」
「ええ、アリーチェ・ビスチェ侯爵より、会食会のお誘いが」
「会食会……。いかにもものを食わせられそうな集まりだな……」
ルッツが差し出した封蝋の施された手紙を見て、俺はまたなにか厄介事に巻き込まれるような予感をヒシヒシと感じていた。
……次回は10月24日(火)更新予定です。乞うご期待ください!
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