二十四.二月十一日到十三日。タコ金のボンボンが投降してきた。

超訳

 タコ金軍が造営中だった木組みの土山はずいぶんゴツい建築物だった。おかげで、あの激戦から一夜明けた今日、二月十一日の昼になっても、火はまだ消えていない。


「兄貴、やっぱりタコ金の連中、消火しに来ましたよ」


 タコ金軍は、燃えている箇所にせっせと土を掛けている。いくらか鎮火した部分もあるけど、消し終わる前に夜が来て、タコ金軍は撤退していった。


 オレたちは兄貴の命令を受けて、夜半にもう一回、土山に火を点けてきた。見たところ、まだ燃え切っていない木材が残っているから、炎は明日もこんな感じだろう。


 翌十二日、タコ金軍はまたやって来て消火活動に勤しんでいる。兄貴は志願兵を募って二千人を集めると、濠の外に出撃させて、消火活動をするタコ金軍を射撃した。


 依然として火が消えない上にを射掛けられて邪魔されたタコ金軍は、とうとう、土山の全体を保つことをあきらめた。木牌を使って無事なあたりの土山を防護して、火が広がるのを遮断する。


 そんな様子を見ていた兄貴は、趙家軍の出撃を決めた。


「行くぞ、阿萬。タコ金軍の士気は低い。打って出れば必ず勝てる」

「ラジャー!」


 オレたちはタコ金軍と数ターンに渡って戦って、ついには退却させた。それから速攻で、タコ金軍が大事に取り分けた無傷の土山の中に、油の染みた干し草を突っ込んだ。


「さあ、豪快に燃えろ!」


 炎上する土山。弩兵部隊に睨まれて近寄れないタコ金軍。ざまぁ。


 土山の火は何日も消えなかった。消えたときには、すべてが灰になっていた。この一件が完璧にタコ金軍の気力をへし折ったらしい。誰の目にも明らかに、連中は元気がなくなった。土山も、もう修築するつもりがないようだ。


 兄貴がふと言った。


「終わりが見え始めたかもしれん」

「タコ金軍が撤退するってことっすか?」

「まあ、まだあと一押しする必要はあるがな。一連の流れを振り返るに、タコ金軍が攻城を仕掛けてくるたび、俺たちは必ず連中を撃破している。スパイが探ってきたところによると、タコ金軍は俺たちを恐れて攻城を嫌がっているらしい」

「それは朗報。連中を蹴散らすために毎回苦労してきた甲斐がありますよ」


「ああ、本当にそうだ。タコ金軍の兵の士気はすでに低く、やる気があるのは大将やその側近たちだけだ」

「戦の箭面に立つのはそいつらじゃねぇから。でも、兵士が嫌がってんなら、ちっとはいたわってやりゃいいのに。何が何でも功績を立てたいって腹なんでしょうかね?」


 オレ、タコ金軍の平の兵士じゃなくてよかった。


 兄貴はそれから、タコ金軍宛ての看板を造った。悪い知らせもいい知らせもありのままに書いて、タコ金軍に「投降せよ」と説得する看板だ。それをタコ金軍の基地へと射込んだ。


 さてどうなることやら、と話していたその夜、すげぇたくさん流れ星が降っていた。噂によると、その中の一個がタコ金軍の基地に堕ちたらしい。これ、タコ金的には運勢最悪のサインじゃねぇの?


 その翌日、つまり二月十三日。


「兄貴、変なやつが来た! タコ金の貴族で、のうごうどうそうとかいう男で」(*1)

「道僧? 仏教の坊主か?」

「違う違う、道僧ってのが本名だって。まあ、タコ金の貴族ってんだから仏教徒だろうけど(*2)。昨日の看板の効果で、訓武校尉って称号でぼうこくの地位にあるそいつが、タコ金軍右翼副統の印章を身分証明書にして投降してきたんですよ(*3)」

「ほう。話を聞いてみるか」


 道僧はけっこう若い男だ。キッチリ剃った頭に女真族の武装ってのが強烈な印象。けっこうな肩書き持ちなのに投降してきたのは、その思い詰めた表情から察するに、深刻な事情があるんだろう。


「お初にお目に掛かります、趙都統。まずはお礼を申し上げます。私を縄することなく対談の席を設けてくださり、ありがとうございます」

「武器は押収させてもらった。男は生まれながらにすべて武人であるという女真族にとっては、それだけで十分な屈辱だろう」


「この程度、大したこともありません。萬山の基地でずっと抱え続けた精神的苦痛に比べれば、まったく些細なことです。我が金軍の兵士の多くは非常に疲れ、もう降伏してしまいたいと言っています」

「金軍の士気の低さはこちらにも伝わってくるが、一体何が起こっている?」


「私の父は、廣威将軍にしてばんのうごうと申します。金国の軍制は宋国の皆さんにはわかりにくいでしょうが、父の階級は、品位で言えば正五品の上です(*4)」

「正五品か。近衛兵団の騎兵や歩兵の指揮官あたりが正五品だが、いずれにしてもそんな貴族的な階級や称号は、俺たち地方軍閥には無縁でな」


「さようですか。我が納合家は金国貴族の一門です。ゆえに父は軍の中枢部と親しい間柄にあります。私は、父を介すれば兵士らの言葉を中枢部に届けられると考え、父に説きました。兵士らは度重なる攻城の失敗によって心身に傷を負っている、攻城は断念してほしい、と」

「説得の結果は?」


 道僧は複雑な表情で笑った。


「父は怒りました。腑抜け、役立たず、臆病者、家門の恥だと罵って、私を殺そうとしました」

「だから、身分を明かして投降してきたというわけか。今の話、誓って真実だな?」

「誓って真実です。せっせんしてもいいし、証文を書いてもいい、仏の名に誓ってもいいほどに、私には恥ずべきところはありません(*5)。兵を慈しまない指揮官に失望し、私自身には兵を救う力もなく、他に道を見出せずに投降を決意しました」

「なるほど。今一度確認するが、金軍の兵士は心身ともに疲れ切っているんだな?」


「はい。私が知るのは萬山一帯に駐屯する者たちだけですが、これ以上は戦えません。そもそも異国の地での行軍であることに加え、水場での戦闘にはまったくの不慣れです。それが三ヶ月近くにも及んでいます」

「そのありがたい情報を得た俺が何を考えるか、推察できるだろう?」

「萬山に攻勢をかけますか?」

「ああ。期日を切って、水陸両方から進撃し、金軍を根絶やしにする」


 道僧はまっすぐ兄貴の目を見つめたまま、何も言い返さずに唇を噛んだ。


 兄貴はそれとなく総攻撃の期日を城外に漏らした。オレたちは戦いの準備を進めたけど、兄貴の狙いは、戦うことにはなかった。


 ほどなくして、タコ金軍が総攻撃の噂をつかんだという知らせが入った。兄貴の狙いは当たった。すっかり客人状態の道僧に、兄貴はホッとした顔で告げた。


「萬山に駐屯していた金軍は、俺たちを迎え撃てるほどの余裕がなかったらしい。総攻撃の噂をつかんだ翌日、基地を焼いて漢江を北へ渡って逃げた」

「そうですか……帰っていきましたか」

「おまえさんは取り残されちまったな」

「かまいません。投降すると決めたとき、故国に帰れないことはもちろん、命を奪われることさえ覚悟していましたから」


 タイミングがよかった、と思う。タコ金軍との戦闘が予断を許さないくらいの緊張状態だったら、名乗らせる間もなく道僧をぶっ殺したかもしれない。


 この日、一連の勝利報告を添えた上申書を朝廷へ送った。徳安とか隋州とか、どんな状態だろう? あっちも勝ってりゃいいな。



――――――――――



(*1)

納合道僧


 彼本人の伝は『金史』に存在せず、ざっと調べたところでは父親など係累も見出せなかった。


 完顔匡の伝で、戦後処理の一幕として「納合道僧」の名が登場する。


「並將侂胄首函送、及管押・李全家口一併發還。」


 A級戦犯の筆頭であるかんたくちゅうの首を送り、宋軍の捕虜となっている者を返せ、という一文。


 実は「道僧」は普通名詞として「出家人」の意味があるので、本当に女真語の固有名詞と解釈してよいのか、最初は非常に迷った。が、上記の完顔匡の伝の記述があり、『金史』に別の「道僧」の伝も発見したので、きっと固有名詞でよいのだろうと判断した。


 女真語の辞書がほしい。『襄陽守城録』のノベライズである『守城のタクティクス』では、できれば原音に近いカタカナで女真族の人名を書きたかった。


 というかタクティクス版の道僧たち、乏しい女真族資料を補うために、数百年後の後継である満州族や同時代の周辺諸民族からの類推で描写している部分が多々ある。論文でも教科書でもなく、あれは小説だから許せ、道僧。



(*2)

仏教徒


 金代には仏教や道教が盛んだった。高校世界史の資料集や参考書レベルでも書かれていることだと思う。


 ただし、金朝を建てた女真族はもともと自然崇拝のシャーマニズムの民だ。ゆえに、中国仏教史の流れの中に金朝を安易に組み込むのはいかがなものか。


 という着眼点の論文を発見し、面白かったのでご紹介。


今井秀周「金代女真の信仰 : 仏教の受容について」(東海女子短期大学紀要、一九八三年)

https://ci.nii.ac.jp/naid/110000055429/


 この論文、ダウンロードしてみたらページの並び順が逆だった。下から上へスクロールして読む。ご愛嬌。



(*3)

訓武校尉、右翼副統


 訓武校尉という肩書は『金史』中に発見できず。右翼・左翼の都統は完顔匡の伝にも名前が出てくるが、副統はちょっとよくわからず。


 金の国営軍の制度なら『金史』に掲載されているが、それより小さくて期間限定の軍となると、わからないことが多々出てくる。


 肩書は身分が高そうな印象だが、道僧自身は軍内のトップ陣と直接話せる立場にない様子なので、実はさほど実権を持っていなかったのでは。



(*4)

正五品の上


『金史』巻五十五、志第三十六、百官一に、

「正五品上曰廣威將軍。」



(*5)

折箭


 趣味丸出しで恐縮ながら、『元史』巻一百二十八、列傳第十五のアリハイヤ伝に掲載された南宋モンゴル戦争の襄陽籠城戦のラスト(一二七三年)の「矢を折りて之と誓う」シーンが好きすぎて、ここにも突っ込んでしまった。


 南宋末の襄陽籠城戦はマイヒーローりょぶんかんを守将とする戦いで、一二六八年秋から一二七三年春にかけての四年半ほど。三ヶ月の攻防でも大変そうな趙萬年たちと比較すると、気が遠くなるほど長い。


 ウイグル出身のアリハイヤはモンゴル軍のナンバー3くらいの地位で、智将といった印象。新型投石機の回回砲マンジャニークを導入して、まずはんじょうを落とし、次いで襄陽を砲撃した。これが決定打となって、ついに襄陽の籠城が破られることとなる。


 襄陽に煮え湯を飲まされ続けてきたモンゴル軍ナンバー2の漢族武将、劉整は、砲撃によって襄陽を全壊させ、呂文煥をいたぶってやろうとノリノリだったが、アリハイヤは反対する。モンゴル帝国皇帝のクビライが呂文煥を高く評価しているためだ。


 先にも書いたが、モンゴル帝国は敵対勢力ブルカをも呑み込んで仲間イルにすることで急速な拡大を遂げた。クビライは、四年半もの籠城を可能にした有能な武将である呂文煥をみすみす殺したくなかったようだ。


 アリハイヤは単身、襄陽城下に出向いて呂文煥と言葉を交わし、投降の説得を試みる。


「あなたは宋国からの援助も得られないまま、数年に渡って襄陽を守り続けてきた。我らが大カァンはあなたの宋国への忠誠心に深く感じ入り、これを評価している。もう十分でしょう? 我らに投降してくだされば、あなたの地位と身分を保証します。決してあなたを殺したりなどしません」


 ここでアリハイヤは矢を折ることで誠意を示す。


 この「矢を折る」ことに誠実・協調の意味を持たせることの由来は『魏書』所載のよくこん族のひょうのエピソードらしい。これはいわゆる「三本の矢」の説話。元ネタは息子の数が二十人と、非常に多いが。息子の数だけ矢を束ねたら、そりゃ折れないだろう。


 吐谷渾族は三世紀から七世紀に青海のあたりにいた民族で、阿豹は五世紀の人。『魏書』巻一百一、列傳第八十九に見える。


「阿豺有子二十人、緯代、長子也。阿豺又謂曰:「汝等各奉吾、折之地下。」俄而命母弟慕利延曰:「汝取一隻箭折之。」慕利延。又曰:「汝取。」延。阿豺曰:「汝曹知否? 、然後社稷可固。」言終而死。兄子慕璝立。


 ついでに、せっかくなので、アリハイヤ伝の引用。このエピソードをラストとする小説を書きたいがために資料をあさる中で出会ったのが、趙萬年の『襄陽守城録』だった。


阿里海牙既破樊、移其攻具以向襄陽。一砲中其譙樓、聲如雷霆、震城中。城中洶洶、諸將多逾城降者。劉整欲立碎其城執文煥、以快其意。

阿里海牙獨不欲攻、乃身至城下、與文煥語曰:「君以孤軍城守者數年、今飛鳥路絕、主上深嘉汝忠。若降、則尊官厚祿可必得、決不殺汝也。」

文煥狐疑未決。又折矢與之誓、如是者數四、文煥感而出降。遂與入朝。


ハイ、既にはんを破り、其の攻具を移して以て襄陽に向く。一たび砲して其の譙樓にあたれば、聲、雷霆の如く、城中を震はす。城中洶洶たり、諸將、城よりげて降る者多し。劉整、立ちどころに其の城をくだきて文煥を執らんことを欲し、以て其の意を快とす。

阿里海牙、獨り攻むるを欲せず、乃ち身づから城下に至り、文煥と語りて曰く、「君、孤軍を以て城守する者數年、今や飛鳥の路すら絕ゆるに、主上、深く汝が忠をよみす。し降れば、則ち尊官厚祿、必ず得べし。決して汝を殺さざるなり。」

文煥、狐り疑ひて未だ決せず。又、矢を折りてこれと誓ひ、是くの如き者、數ふること四たびし、文煥、感じて出降す。遂にともに入朝す。


 そしてこの本編である襄陽籠城戦があまりにハードだったので、呂文煥をあきら、アリハイヤをさとかいという二十一世紀の高校生にしてハッピーエンドを描いた現代ファンタジーの二次創作をした。俺得。


 なお、軍閥を不良グループに置き換えたり、煥の高校が襄陽学園だったり、クビライがヒラさんになったり、てんたくあまさわさんになったりしている。呂文煥の兄のりょぶんとくはそのままふみのりで(そろそろやめろ)。


LONELY GUARDIAN―守り人は孤独と愛を歌う―

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881602112


PRINCESS SWORD―姫のツルギは恋を貫く―

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881697781


LOGICAL PURENESS―秀才は初恋を理論する―

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886513075


DISTOPIA EMPEROR―絶対王者は破滅を命ず―

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886513190


 もはや注釈でも何でもない大暴走。失礼しました。

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