原文
五日、捷書至、及間探人張宏報「虜人聞王宏兵入鄧境、遂抽光化虜兵數千、自青泥回去救援」
當夜、又遣旅世雄・裴顯並將官邵世忠從水路分劫虜賊。旅世雄・裴顯於渲馬灘劫中、虜賊退走、奪渡船四隻・竹簰筏一坐。邵世忠部弩手於灘磧上下並射、虜賊入水甚多、餘皆狼狽敗走。
又遣將官孟保・張德・劉彥部敢勇軍千人經萬山入伏龍、掩襲其後。虜賊奔走、多溺死。焚毀所造攻城器具三百餘件。又於洞山寺前得二丐者、俱言番軍有相顧泣語者云「被南軍殺了駙馬、如何歸得」不知駙馬果何人、豈非貴戚為頭目者。
五日、
當夜、又、旅世雄・
又、將官孟保・張德・劉彥を遣はして敢勇軍千人を部し、萬山を經て伏龍に入り、其の後を掩襲す。虜賊、奔走し、多く溺死す。造る所の攻城器具三百餘件を
六日、探知虜賊欲來燒濠外鹿角、遂潛伏官軍於鹿角之裏以備之。果有數人徑來放火。有官兵王才以槍殺一人、斫到首級、並奪到旗槍弓刀。
又令王才硬探至萬山下、有虜賊三人在彼舉號火。王才擒殺一人、取到首級。公喜其勇、升為擁隊。
六日、虜賊の
又、王才をして硬探して萬山下に至らしむれば、虜賊三人、彼れに在りて號火を舉ぐる有り(*8)。王才、一人を
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(*1)
回去
「まわってさる」のではなく「かえっていく」である。
現代中国語でも同じく、「回」は「かえる」、「去」は「いく」として使われるので、日本人には地味に理解しづらい。が、両方とも日常的に頻出する表現でもある。
(*2)
竹簰筏
竹簰は大きな竹筏のこと。金軍は以前、浮き橋を造ろうとしていたが、それに類する「足場」だろう。
(*3)
丐者
物乞い。
(*4)
駙馬
皇帝の娘婿。必ず駙馬都尉(皇帝に近侍し、護衛する兵団の長)の任に就いたことから。ただし、実態として、ボディガードのリーダーになれるほど強い者も皇帝に近付ける者もさほど多くなかった。
在学中、「自分は某教授の娘婿であるから駙馬だ」と自称する御仁に少々いじめられた。短編のネタにさせていただいたが。ちなみに勝海舟教授のユーラシア史研究室のモデルは筆者の出身ゼミである。
『京都チョコレート協奏曲』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882531169
(*5)
殺了
絶妙に書き下しにくい。「殺了」は「ころしおわる」と読むより、現代中国語の文法解説を借りてくるほうが解釈しやすい。「了 le」は完了や実現のニュアンスを表す助詞。過去形や完了形として日本語訳される文章が多い。
また「歸得」も若干書き下しにくいが、現代中国語の「得 de」は動詞の後に続いて様態や程度などを表す補語を導く助詞であり、ネイティヴ以外がニュアンスをつかむのに苦労する表現なので、この「歸得」も似たようなものだろうかと思った。
歸得很糟(帰るのはヤバい)/射得必中(射れば必ず中る)
ところで、筆者が現代中国語を作文する場合、漢文のエッセンスを多分に含んでしまうため、えらく古風な言い回しになるらしい。日本語で例えれば、普段からサムライのごとく「今般之
(*6)
豈 あに~せんや。反語。
どうして貴戚であり頭目たる者ではないだろうか。いや、その者である。
(*7)
到
単に「いたる」という意味ではなく、動詞の後に補語として置き、「やってやったぜ」的なニュアンスを出しているように感じる。おそらく口語的表現。
(*8)
號火
狼煙。狼の糞を燃やすと、煙がまっすぐ上がったらしい。家畜等の糞を燃料にすることは、遊牧民は日常的におこなっている。
一二七〇年代の記録では、夜間の軍事行動の合図として「流星火」を使っている(『万暦襄陽府志』巻三十六、張順・張貴伝など)。火薬を用いた信号弾だろうか。
(*9)
升
昇進。
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