十四.十二月七日到十四日。焼き払ったハシゴ車、合計千二百を超えていた。

超訳

 大河は大地を削りながら流れる。気が遠くなるほどの歳月をかけて、少しずつ。


 そのことを、襄陽からちょっと離れてあたりの地形を見渡すたびに実感する。漢江は断崖絶壁の下を流れている。こんなもん、どうやったら渡れる?


 つくづく、襄陽とはんじょうは唯一絶対のロケーションにあるよなって思う。漢江は城壁のすぐ下にある。歩いて川岸に寄れる場所がちょいちょいあって、浅瀬や中洲伝いに対岸に渡りやすい場所もあって、襄陽や樊城からそれらを見張れる。


 十二月七日の夜、趙家軍が出陣。将官の王横がリーダーとなって、郭旺たち三十数人を引き連れて、タコ金軍が攻城用に準備していたうんていや草牛なんかを焼き払った。その数、五百を超えているってんだから恐れ入る。


「材料も工費も人手も、あるところにはあるんだな。こちとらカツカツだっての」


 夜通しの城壁警備と、夜の暗がりに身を潜める奇襲。宵っ張りの仕事がしょっちゅう入るもんだから体がつらい。シフトを組んで要領よく回しているつもりでも、オレたちは母数が多くない。全員、結構な長時間労働が続いている。


 王横隊の出陣はタイミングがよかった。ちょうどタコ金軍が地名海子のあたりをうろうろしていたんだ(*1)。


 郭旺たちはすかさず打って出て追い回して、銅鑼を一面、奪い取った。どうせ奪うなら武器とか軍旗とかにしろよ。銅鑼取ってきましたって報告、ほかに聞いたことないぞ。


 八日には、タコ金軍がしつこく漢江の北岸から南岸へ渡ってこようとしている、との情報が入った。渡河の最中は襲撃の狙い目だ。敵が悠々とこっち岸に渡ってくる前に、連中の行動が制約された水上で叩いてやりたい。


 兄貴がシフト表を見ながら、少し難しげな顔をした。


「なあ、阿萬。趙家軍と敢勇軍の混成部隊って、どう思う?」

「どうにでもなるんじゃないすか? お互い仲もいいし長所を認め合ってるし、腕の立つリーダーの顔はどっちの軍の兵士も覚えたところだし、訛りがそう違うわけでもないから意思疎通は問題ないし(*2)」


「趙家軍にも敢勇軍にも付いて回っているおまえがそう言うなら、間違いないな。今回は混成部隊で行ってもらう」

「おお、新展開。なんかおもしれえ」


 敢勇軍のはいけんが、新編成した部隊のリーダーに任命された。裴顕の戦船には趙家軍が乗り込んで、渡河するタコ金軍めがけて出陣する。


 裴顕は少しも気負っていなかった。趙家軍は敢勇軍に比べて操船技術や水上戦術がちょっと弱いけど、そのへんを悪く言ったりもしない。


「船酔いして使い物にならねえってわけじゃあねぇんだ。しかも、よく訓練されていて、指示に対して正確に戦える。どこに不足があるってんだ?」


 オレたちは船でタコ金軍に接近し、弩で攻撃を仕掛けた。裴顕の指示に従って船を操り、射撃に角度を付けて、タコ金軍を浅瀬から早瀬へと追い詰める。カナヅチどもは勝手に慌てて溺れて、どんどん数を減らしていく。


 名人芸の水上戦術を初めて体験する趙家軍はテンションが上がりっぱなしだ。そんな趙家軍の前で、裴顕は事もなげに言った。


「襄陽育ちの俺らにとっちゃ、川は平原、船は戦車だ。タコ金の連中は水に慣れてねぇから、川は障壁か地獄だろう。ここを自由自在に駆け回るなんざ、想像もつかねぇんだ。だから、ちょっと揺さぶりをかけるだけで、ああして混乱して自滅しちまうのさ」


 ヤベェ、敢勇軍カッコいい。

 なんてな。趙家軍だって負けていない。


 九日には趙家軍所属の将官の王横と教頭の過徳が部下四十四人を率いて濠を渡り、タコ金軍が城壁に臨んで据え置いたうんていを百台以上と、ついでに草牛やのうなんかの諸々の道具や兵器も燃やしてやった(*3)。雲梯はハシゴ車だ。攻城戦の必須アイテムといえる。


 十日には撥発官の楊建合と千人の魏仲が趙家軍兵士二十五人を率いて、雲梯と草牛を合計二百台以上、焼却した(*4)。


 その夜、日付が変わって四更、つまり草木も眠る丑三つ時に、タコ金軍が小舟六艘で上流から忍び寄ってきて、せんで襄陽北門の下に停泊してあった客船を燃やそうとした(*5)。


 城壁警備に当たっていた将官の呂興は、タコ金軍の船団が声を上げるのを聞き付け、即座に待機中の弩兵部隊に指示を飛ばした。


「起きろ、敵襲だ! 北門外に敵船あり! 火箭を使っているから連中の姿は丸見えだ。迎撃しろ!」


 迅速な対応が功を奏した。襄陽にさほどの損害を与えもせず、タコ金軍は逃げ去った。


 夜が明けて、十一日もまたせっせとオレたちはタコ金軍の兵器を破壊する。撥発官の樊興と教頭の江清が趙家軍兵士二十四人を連れ、漢江を渡ってタコ金軍の寨に押し入って、雲梯を百五十台余りと草牛などを焼き払った。


 十二日にも同じように、王横と趙家軍兵士十四人で漢江を渡って、雲梯を七十台余り焼いた。


 てか、タコ金の連中、どんだけハシゴ車が好きなんだよ? 七日から十二日までで千台近く燃やしてんだけど。ハシゴ車そろえるだけじゃなくて、濠をどうにかしようとか船での奇襲に備えようとか、ほかに考えることねぇの?


 十四日、撥発官の方溥、教頭の許亮、擁隊の孫孝忠が三十人余りを率いて渡河、お約束どおり雲梯を百台余り焼いた。


 この日は敢勇軍との混成部隊も出動。茶商の路世忠と張聚、教頭の徐貴が筆頭となり、趙家軍五十九人を率いて萬山一帯に攻め込むと、雲梯を二百台余りと木牌を百面余り、それから竹木や草牛を山ほど焼いた(*6)。


「こんだけ毎日、攻城兵器を燃やしてやったんだ。そろそろ品切れになるころじゃないか?」


 出陣してタコ金軍の寨を見てきた皆はそんなふうに口をそろえる。


「兵器が尽きて、ついでに敵の戦意も尽きりゃ、こっちはありがたいんだが」


 兄貴は趙家軍と敢勇軍を平等にねぎらいながら、苦笑交じりでつぶやいた。



――――――――――



(*1)

地名海子


 最初にお断りしておくと、よくわかりません。

※追記:河東竹緒さんの解釈により解決しました。詳細は本文の応援コメントをご覧ください。


 海子は「水がたくさんある場所」を意味する方言的な言い方ではないかと推測する。


 現代でも一部地域の方言として「海子」が使われている。例えば、山東省徳州市では、清代までに築かれたクリークが「海子」と呼ばれる。語源はモンゴル語にあるという。モンゴル語では「海」と「大きな水場」の違いがない模様。


 そして、地名の比定に関してこんなに不安になったことはないのだが、「地名」という地名がある。ようだ。と思う。


 いろいろ調べてドツボにハマった。調べた結果、スパッとそれらしい答えが出ればよかったが、ギブアップ。


『万暦襄陽府志』と『讀史方輿紀要』巻七十九と『欽定大清一統志』巻二百七十などから「地名」という地名として読める記述を探したが、いずれも「襄陽からちょっと行ってくる」距離ではない。


 そしてだんだんゲシュタルト崩壊みたいな状態になってきて「そもそも地名ってどういう意味だ?」と辞書を引き始める。


 例えば、唐代に成立した百科事典の『通典』巻一百七十七、州郡七、古荊河州に、

「南漳漢臨沮縣。有荊山、禹貢曰「荊及衡陽惟荊州」、即此山、卞和得玉之處。有柤中、吳朱然屯處。」


 このは「地名柤中がある」なのか「柤中なる地名の場所がある」なのか「地名と書いた箇所に本来は別の固有名詞が来るが、テキストの状況が悪くて判読できないので仮にと置いている」なのか、本気でわからなくなった。


 気付いたら、半日ずっと調べていた。午前二時。フミキリに望遠鏡を担いでいって現実逃避の天体観測をしたくなった。嗚呼……。



(*2)

訛り


 中国語の話し言葉は各地で非常に違いが大きい。現代中国人の多くは共通語である普通話(おおよそ北京語)を理解できるが、それでも方言の壁があるため、テレビや映画には必ず字幕が付いている。


『襄陽守城録』でも、訛りを表現するために日本語の方言を活用するというアイディアがあった。例えば、金軍のしゃべる漢語を九州弁で書くとか。ただ、しっくりくる組み合わせが思い付かず、すべて標準語になっている。


 余談ながら、オフラインで書いたモンゴル帝国の話では、幕末風の方言を活用した。中立的な視野を持ち、海の向こうに憧れる商人のマルコ・ポーロは土佐弁。籠城の守将で、「賊軍」と貶められた旧勢力出身の武将、呂文煥は会津弁。非常に楽しかった。



(*3)

教頭


 役職名。軍隊の中で武芸を教練する官。



(*4)

千人


 役職名だが、詳細は調べられなかった。千人隊の隊長、のような語源を持つと思われる。現時点で未詳の役職については、相応の辞書を使える機会にまとめて調べます。



(*5)

四更


 夜間(午後七時ごろから午前五時ごろ)を初更から五更までの五つの時間帯に区切ったうちの四番目。おおよそ午前二時ごろプラスマイナス一時間。季節によって夜の長さが変わるので、きっちり「何時から何時まで」とは言えない。



(*6)

木牌


 木製の盾。


 先日登場した天使のアイテムとしては「木製の盾」より「木製の割符、もしくは身分証明書」のほうがスッキリする感じもあったが、この段以降に登場する「木牌」は明らかに「木製の盾」である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る