四.十一月十一日。隣組を作って火事対策をした。

超訳

 十一月十一日、タコ金軍がはんじょうに姿を見せた。


 樊城は、すでにもぬけの殻だ。利用されそうな資材も何もかも、襄陽に運ぶか燃やすかしちまった。


 タコ金軍は肩透かしを食らっただろうが、勢いを緩めたりはしなかった。三方面に分かれて進撃してきた軍勢をついに一つにまとめて、大挙して漢江のほとりに押し寄せた。


 オレたちは城壁に上って、タコ金の大軍を見ていた。


「ヤベえ……」


 それ以外、言葉がない。

 商人らしい風体の男がオレの腕にすがり付いた。


「どうにかしてくださいよ、ねえ」

「ああ……今すぐ蹴散らしに行きてぇのはやまやまだけどな」


 対岸にひしめく大軍をこの城壁から一掃できるような凄まじい兵器があればいいのに。現実には、そんなものはない。どんなに性能のいい投石機でも、漢江の向こうまでは決して砲弾を飛ばせやしないんだ(*1)。


 男は今にも泣き出しそうな顔をしている。


そうようも光化もやられて、樊城もあんな有り様で、中央から来た役人はさっさと逃げ出してしまった。でも、私のような民草や下っ端の役人は、襄陽を離れたらどこにも行く当てがないんです。こうして肝を潰すことしかできない」

「心をしっかり持ってろよ。オレたちはそう簡単にやられねぇよ」

「怖いんです。あんな大軍を見たのは初めてで……怖いんですよ!」


 励ましになることを言ってやりたい。けれど、言葉を探しても、何も出てこない。


 城内を見渡せば、パニックを起こしそうなほど怯え切った人たちがいて、暴動にまで発展しないようにと、趙家軍の仲間が一生懸命になだめている(*2)。


 どうすれば、戦えない彼らを守れるんだろう? タコ金軍の物理的な攻撃から守るってだけじゃなくて、明日には命がないんじゃないかっていう恐怖から、その精神を守ってやらなきゃならない。


 怖い怖いと訴える人に言葉を掛けてやれないのは、オレが大事な何かを持っていないからだと思う。


 兄貴はその何かを持っている。兄貴が実の弟で路分内機のちょうこうと話すのを聞いた(*3)。兄貴と趙内機は静かな声で確かめ合っていた。


「趙家の誇りを忘れるな。趙家は代々、宋という国に忠誠を捧げてきた。俺たちが生まれるより前、河陽で陣頭に立った趙家の皆は戦に敗れ、守るべき地を奪われ、一族郎党、金賊に殺されてしまった(*4)。生き延びたのは父上だけだ」

「ああ。趙家の誇りと、そして恨みは、片時も忘れてはいない」


「俺が襄陽の陣頭に立ち、金賊の侵攻と対峙する今、此度こそは、この命を賭して襄陽を守り抜き、祖先が貫いた忠誠の義を我らも国の前に示す。誓って、成し遂げてみせる」

「私の思いも同じだ、兄上」


 兄貴は、本当はちゃんとした家の出身なんだろう。まともな教育を受けて、でも苦労して生きてきたんだろう。


 忠誠とか国恩とか唱えるヤツがいたら、オレはけっこう鼻で笑っちまうんだけど、兄貴の言葉は本物だと感じた。本物だから、兄貴の言葉には力があるんだと思う。


 タコ金が姿を見せた日、オレたちはただビビッていただけじゃなかった。

 兄貴は早々に手を打ち始めている。


「まずは城内の民衆の生活を安定させてやらねぇとな。襄陽に残った役人連中にも、徹底的に説教しておいた。死んでも忠節の心を忘れるな、民衆の生活を守る仕事に勤しめ、民衆を脅かしてはならねえ、とな」

「避難してきた人たち、かなりの人数ですもんね。行政の管理が機能しなけりゃ、手に負えなくなる」


「籠城で最も恐れるべきは、内側から崩れちまうことだ。スパイや暗殺者が紛れ込んだり、守ってやるはずの民衆が軍に対して暴動を起こしたり。そんな事態は絶対に避けなけりゃならねえ」

「だから、保伍の法の隣組をキッチリ作り直してそれぞれに住民番号を給付した、というわけですね(*5)」


「隣組のメンバー同士で見張らせて、おかしなことがあれば、すぐ報告してもらう。おかしなことがないならそれが一番で、目を掛け合い、声を掛け合える相手が身近にいることが、城内の民衆の精神的な支えになるだろう」


 保伍の「保」は十軒の家、「伍」は五軒の家という意味だ。


 もともと庶民の生活には、保甲の法が敷かれている(*6)。保甲の法は、民兵育成を兼ねた隣組制度だ。保の中で互いに見張りをする。保から犯罪者が出れば、連帯責任を負う。保を単位とした簡単な軍事訓練も実施される。


 というシステムが四十年近く前から始まりはしたものの、文面どおりキッチリやっているところがどれくらいあるものやら。


 でも、今こうして切羽詰まってみたら、保や伍の隣組はとてつもなく有効で便利だ。


 城内の数万人の生活の状況を、兄貴は何らかの方法で把握しなけりゃならない。非常事態の中で、全員に必ずルールを守らせなきゃならない。そして、弱い者を独りにしちゃならない。


 兄貴が城内の生活ルールとして敷き直したのは、保伍の法だけじゃなかった。火の用心の徹底も、生き延びるための絶対のルールだ。


 役人に巡回させて火付盗賊を改めさせるのは当然のこと。城内から発生する火事も怖いが、さらに警戒したいのは、やっぱりタコ金に火炮を使われた場合だ(*7)。


 城壁付近の建物のうち、かやや竹をいた屋根は火が点きやすいし、倉庫がピッタリくっ付いた建物は延焼しやすいから危険で、全部撤去した。


 居住区から火消し用に水を張った桶を掻き集めてきて、飛んでくるせんを防ぐ用意をした。


 それから、官有の倉庫である庫務から酒用のおおがめを十いくつか持ち出して、水を貯めて居住区に並べて、城内のエリアを仕切って管轄を決めた。


「何か、すげえ。あっという間に、まちが出来上がってく。兄貴、実は政治家とか向いてんじゃないすか?」

「まさか。俺はあくまで、一軍閥ヤクザのカシラに過ぎねぇよ。科挙なんか通るほどの学もねぇしな(*8)」


 科挙に通るエリートは、ずば抜けて頭がいい。でも、その頭のよさって、本当に政治の役に立つんだろうか。二千年だか三千年だか昔の儒学の教科書を丸暗記してみても、今この非常事態の襄陽で役に立つ知識は一つもないんじゃねぇのか?


 兄貴は、エリートじゃなくても本物だよ。兄貴だけじゃなくて、前線で生き残っている武人のリーダーは、たいてい本物だ。


 文人優遇主義の朝廷からは、武人ってだけで見下されるけどさ。



――――――――――



(*1)

漢江の向こうまで


 趙萬年のころの投石機では、濠と城壁を備える襄陽を正面から落とすことは不可能だった。ましてや、川幅が五百メートルを優に超える漢江をまたいで砲弾を飛ばせる投石機など存在するはずがない。


 という常識が、六十年ほど後の襄陽籠城戦の折に覆される。


 南宋攻略に本腰を入れたモンゴル軍は、ウイグル人武将アリハイヤによって導入された回回砲マンジャニークという新型投石機を使って、樊城から襄陽を砲撃。これによって襄陽は降伏し、足掛け五年の籠城を終えることとなる。このときの襄陽守将がマイヒーローの呂文煥で、この戦についてオフラインで書いている小説が今いちばんの本命。


 中国の投石機は、梃子の原理で砲弾を飛ばすタイプ。動力は人力。腕木の片方には砲弾を装填したスリング、もう片方には数十本の引き縄が付いており、呼吸を合わせて引き縄を引いて梃子を動かす。


 回回砲はトレビュシェットと呼ばれる型。クレーン車に似た長い腕木を持ち、重りを用いた落下エネルギーと腕木を振り回す遠心力を利用して、従来型よりはるかに遠くまで砲弾を飛ばすことができる。重りの大きさで射程や狙いを調整可能。人力で引っ張る操作法ではないため、圧倒的に大型化することができる。


 この回回砲関連のことは語り出すと止まらないというか、すでに十八万字を超える原稿が手元にあるくらい全力で語ってしまえる話題なので、このへんで自重したいと思う。


 と言いつつ、もう一点だけ語るけれども。


「まさかの射程からの砲撃によって籠城を破られて降伏した、時代の激変を象徴する戦」というストーリーは、モンゴル南宋戦争における襄陽と戊辰戦争における会津藩とで共通している。


 筆者にとって、戊辰戦争より襄陽のほうが先に自分の中にあった。斎藤一やまつだいらかたもりを好きなのは、呂文煥と重なるところがあるからかもしれない。いや、単にそういう類型(敗戦を背負いつつ、次の時代を生きる人物像)が好きなのか。


 会津戦争を描いた『幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―』の戦場の描写には、趙萬年の『襄陽守城録』をベースにしたところが多々ある。『襄陽守城録』の戦が本格化したら「ああ、なるほど」と思っていただけるはずだ。


 と言ってみたものの、『士魂の城』読了者は多くないから「ああ、なるほど」勢はきわめて少数派である。悔しいのでリンクを貼っておく。

『幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883328694



(*2)

趙家軍


 岳飛の軍勢が岳家軍と呼ばれるのにちなんで、趙淳の軍勢を趙家軍と呼ぶことにする。



(*3)

路分内機


 官職名だが、よくわからない。


「路」は道という意味ではなく、国土を分けたブロックのこと。襄陽は京西南路というブロックに所属する。現在で言うところの「省」に当たる。


 大学の図書館に行けば、中国史の官職に特化した事典や宋代特有の言葉を集めた詞典があるので、わからない官職については機会を作って調べに行きたい。



(*4)

河陽


 固有名詞としては、現在の河南省焦作市にある孟州市。より広い意味合いでは、黄河の北側。


「陽」は、日の当たる側という意味。山陽と山陰では、山の南側の斜面には日が当たるので山陽、北側は当たらないので山陰。大河の場合は土地が谷状であるため、陽と陰は山脈と逆だ。大河の北側には日が当たるので河陽、南側には当たらないので河陰となる。


 趙淳が言う「河陽の戦」はいつの時期のことなのだろう?


 一一二〇年代に中原から宋が追い出されたときとするなら、趙淳の父の年齢は八十歳以上になる。あり得なくはないが、年齢の点でより現実的なのは、一一四〇年の岳飛の北伐か、一一六四年に和議が結ばれる直前の紛争か。


 きちんと資料に当たればヒントがあるかもしれないが、なかったら都合よくプロフィールを捏造するのが歴史小説の手口である。


 もしも『襄陽守城録』を小説としてリライトするなら、趙淳の先祖は中原のきちんとした家柄かもしれないという推測に加えて、趙という姓は宋の皇室の姓と同じであるから、「実は皇族である趙淳の貴種流離譚」という要素をガッツリ入れ込む。


 相手と場面に応じて、趙淳の口調が普段のべらんめえ風味ではなくなるのは、貴種流離譚のアイディアが脳内暴走した結果である。



(*5)

保伍の法


 会津藩の武家には「じゅう」という隣組システムがある。ということを条件反射的に思い出した。


 新撰組と戊辰戦争がちょいちょい出てくるのは、そういう仕様である。もっと言えば、紀元前から十九世紀まで割と自由に行き来するのがデフォルトなので、日常の会話においても、筆者が歴史の話を始めると「今、何世紀のどこにいる?」という確認が入る。



(*6)

保甲の法


 北宋のころ、政治家の王安石による改革の一環。神宗の熙寧年間(一〇六八‐一〇七七年)には、王安石率いる新法党と司馬光の旧法党が政治抗争を繰り広げ、その混乱が北宋弱体化の一因となった。


 グダグダの内政にメスを入れる王安石の新法は革新的で胸のすくものだが、理想論に過ぎない部分も多く、足を引っ張る旧法党の影響もあり、残念な結果に終わる。


 構図のわかりやすい対立なので、宮廷の権力闘争や王国運営を描くファンタジー作品の資料として活用し得るネタだと思う。



(*7)

火炮


 黒色火薬を仕込んだ砲弾に火を点け、投石機で飛ばす。弩(クロスボウ)を用いて火薬搭載の火箭を飛ばすのと同じやり方。まだ大砲や銃は登場しない。


 なお、投石機の使い方としては、敵陣に死体や汚物を投げ込むケースもあったらしい。これをやられると、ただの嫌がらせには終わらず、衛生環境の悪化から疫病が発生してしまう。



(*8)

科挙


 中国に隋代から存在する官僚登用制度。モンゴル時代に廃止された時期を除き、基本的に清代までずっと施行されている。


 ただし、南宋の朝廷を引っ掻き回した悪徳大臣の中には科挙によらずに地位を得た者が複数いる。お気に入りの寵姫におねだりされた皇帝が「弟が官僚を目指しておりまして」という彼女のおねだりを聞き入れ、文字通りの問答無用で高級官僚に登用したのだ。


 そうした腐敗を容認してしまう流れは、南宋朝廷の力をどんどん低下させていった。正史の列伝には「かんしん」というコーナーがあり、悪名を轟かせた政治家の中でも特にひどい部類が集められている。キャラが立った「あかん政治家」どもは創作のネタになる。


 科挙に関する書籍としては宮崎市定『科挙―中国の試験地獄』(中公新書、一九六三年)が面白い。大学に入りたてで専攻を決めていなかった時期に読んだが、非常にわかりやすくて、興味深く楽しめた。

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