原文

十一日、虜至樊城、見已清野、竟無所得、合三路之眾、往來馳騁江上。吏民驚駭、官屬有相繼而去者。


公謂弟路分內機淏曰「吾家世受國恩、先祖帥河陽、舉家為虜所殺、獨吾父得免。吾今帥襄陽、值虜入寇、誓當死守報國」內機曰「淏志亦然」


公每語官屬、必勉以盡忠死節、存撫居民、無得驚惶。公慮城中或有奸細、命索之、嚴保伍之法、民旅皆給號記。


委屬官巡警火盜。又恐虜人臨城必有火炮、凡近城茅竹屋並附倉庫者、悉撒去。仍取市井潛火水桶、上以防火箭。卻於庫務取酒甕十餘、貯水列置市井、分畫既定。



十一日、虜、はんじやうに至り、すでに清野し、つひに得る所無かるを見て、三路のしうを合し、往來して江上にていす。吏民、驚駭し、官屬、あひぎて去る者有り(*1)。


公、弟の路分內機こうに謂ひて曰はく「吾が家、世々、國恩を受け、先祖、河陽をひきゐるに、舉家、虜の殺す所と為り、獨り吾が父のみまぬかるるを(*2)。吾、今、襄陽を帥ゐ、虜、入寇するにたり、まさに死守して國に報ゆべしと誓ふ(*3)」內機、曰はく、「淏の志もまたしかり」


公、つねに官屬に語るに、必ず勉めて以て死節をじんちうし、居民を存撫し、驚惶を得ること無からしむ。公、城中、あるひは奸細有るをおもんぱかり、命じて之をもとめ、保伍の法を嚴し、民旅、皆、號記を給す(*4)。


屬官に委ねて火盜を巡警せしむ。又、恐らく虜人、城に臨みて必ず火炮有るに、およそ近城の茅竹の屋並びに倉庫を附する者、ことごとく撒去す。りて市井の潛火の水桶を取り、上、以て火箭を防ぐ。かへりて庫務より酒甕十餘を取り、貯水して市井に列置し、分畫、既に定まる。



――――――――――



(*1)

吏、官


 どちらも役人という意味だが、吏は庶民が就く下級の役人、官はエリートが就く中上級の役人。江戸の町方奉行で強引に例えるなら、武家の中でも下級の者が任命される同心が吏で、その上司となる与力あたりから官と呼べるだろうか。


 江戸の同心は、武士ではない階級の御用聞き(岡っ引き)を手先として使っていたが、これを襄陽に当てはめると、武装したローカル自警団の敢勇軍が近い立ち位置かもしれない。敢勇軍は後の章で結成される。


 兄貴こと趙淳の軍は、朝廷の命令を受けて襄陽に派遣されたので、官寄りの立ち位置だろう。「官軍」という表現が後の章に出てくるが、これは趙淳たち朝命を受けた軍閥の勢力のことだと思われる。少なくとも、朝廷が養成した国軍ではない。



(*2)

為虜所殺 受動。動作主に~される。


 虜の殺す所と為る、と読む。


 ちなみに、「所」は基本的に、すぐ下に付いた動詞から返って読む。『襄陽守城録』では「所部兵(部する所の兵)」という表現が頻出する。



(*3)

當 まさに~すべし。「當」は「当」の旧字。


 文脈によって、意味合いは異なる。「~すべきである」「~だろう」「~できる」など。



(*4)

民旅


「旅」の意味の解釈に、やや迷いあり。「旅」の原義では軍隊や集団を意味し、そこから転じて、たびという意味が派生した。


「民旅」の古典中の用例を調べてみたが、民の集団であったり、民の集団移動であったり、民の移動であったり、その時々で使われ方のニュアンスが違う。何より、ウェブ検索では「みんたび」とかいう旅行プランが邪魔をするので大いに困る。


 超訳文では「民の集団」とした。


『襄陽守城録』中に「商旅」という言葉も出てくるが、これはキャラバン(つまり商人の集団)を意味し、商人の旅ではない。


 また、旅は軍隊をも表し得るが、趙萬年においては、軍隊のことは必ず「軍」と書き、「軍属と一般人」は「軍民」と表現している。


 それらの用例から、趙萬年が使用する「旅」は「集団」であると推測する。合っているかどうかは、本人に訊かないとわからない。化けて出ろ。


※追記

「商人集団」であろう、とのご指摘をいただきました。ありがとうございます。

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