五.十一月十七日。敵の大将はタコ金のお偉いさんだった。

超訳(一)

 十一月十七日、急報が入った。


 タコ金軍がはくこうで大量の船やいかだを結んで浮き橋を造り、川を渡ろうとしている。


「兄貴、白河口って目と鼻の先じゃないっすか! 十里と離れてないっすよ!

(*1)」

「ああ。この城のすぐ東、白河が漢江に流れ込む地点だ。川や泊、港を奪われるのは、かなりまずいぞ」


 漢江は襄陽を守る盾であり壁であるのと同時に、襄陽と外とをつなぐ道でもある。タコ金軍が水の道に侵入するのは、ひどく薄気味悪いことだ。


「連中、そんなにいい船は持ってないはずですよね? 襄陽の地元の水夫や漁師は、水上に出れば、そんじょそこらの武人より強い。華南の戦術を知らねぇタコ金軍がおいそれと太刀打ちできるもんじゃねぇとは思うんですけど」

「俺も襄陽の水軍には信頼を置いている。しかし、敵の陣容がどうなっているのか、情報が足りねぇな。ちょっと行ってくるか」


「はい? 行ってくる? 兄貴が自分で?」

「人づてに聞くより自分の目で確かめるのが手っ取り早いだろう。馬の脚なら一っ走りの距離だ。すぐ戻る」

「待ってください、オレも行きますよ!」


 突っ走ったら止まらない兄貴に、オレも慌ててくっ付いていく。


 襄陽を出て白河口へと向かう途中、ヒラの兵士には見えない男と出くわした。男は声を張り上げた。


「趙都統とお見受けします! 私は金軍よりの使者、統領のとうちょうちんと申します。趙都統に伝言がございます!」

「使者? 伝言とはいえ何だ?」

「白河口に到着すれば、川を隔てて、金軍が声を上げているのをお耳に入れるでしょう。我らが総司令、完顔ワンヤン大臣が襄陽軍に降伏と恭順、そして対話を求めている、と」


 完顔ってのは、タコ金の王族の姓だ。今回の侵攻は兵員の数が凄まじいだけじゃなくて、がんくびそろえた面子もヤバいってことかよ。


 兄貴はアッサリしたものだった。


「そうか。董統領、ご苦労」


 言うが早いか、再び馬を駆って走り出す。


「待てってば、兄貴!」


 オレはとにかく追い掛けるよりほかない。


 追い付いたのは、兄貴が馬の手綱を締めて立ち止まったときだった。白河口の水のほとりだ。つまりは目的地で、情報どおりの光景が目の前に広がっていた。


「たいした軍勢だな。壮観だ」

「んな呑気な言い方してる場合っすか?」

「あれが完顔ワンヤン何某なんちゃらどのかな。ずいぶん派手な演出を好むようだが」


 川を隔てた向こう側にいるってのに、どれが完顔何某なのか、ハッキリわかった。お付きの者どもをわんさか引き連れた男がいる。オーラというか、何かそんな感じのものが見て取れるんだ。


 兄貴は馬から降りた。このへんの警備に当たっていたとおぼしき兵士に手綱を預けると、スタスタと水面のほうへ歩き出す。兄貴の目指す先には小さな桟橋があって、そこに船が係留されている。


「えっと、兄貴、何するつもりなんすか?」

「そこに中洲があるだろう。連中と話をするのにおあつらえむけの舞台装置じゃねぇか」

「マジで?」

「完顔何某は俺と話をしたがってんだ。俺も一度は連中と話してみたいと思っていたしな」


「いやあの待って兄貴、マジで、本気で、あの大軍を背負った敵の総大将と話をするってんですか?」

「そのとおりだ。さっきの董統領の伝言によれば、完顔何某は今のところ、襄陽を抱き込みたいと考えているらしい。そうだろう?」


「嘘かもしれませんよ。てか、敵の言うこといちいち素直に信じてどうするんすか!(*2)」

「嘘か本当かは、本人に訊くのがいちばん早い」

「無茶はやめてください! 兄貴が万一殺されでもしたら、オレら、どうしようもないんですよ!」


 兄貴は子どもに言い聞かせるように、オレの目を見て告げた。


「あのな、阿萬。俺は、こんなしょうもない国でも、やっぱり宋という国を信奉しちまってる。宋に生まれた丈夫おとことして、我が血脈をはぐくむ家である宋への恩はこんぱくに刻み込まれ、恩に報いるべくこの命を使わねばと覚悟している」


「兄貴?」

「まあ、要するに、俺はこの戦で死ぬ覚悟もとっくにできてるわけだ。そういう信条なんだよ。ってことで、行ってくる。すまんが、誰か船を出してくれ」


 唖然とするヤツ、慌てるヤツ、なおも兄貴を止めるヤツ、いろいろいる中で案外冷静なヤツもいて、船の支度はすぐに整った。抜け目のない印象の水夫が漕ぎ出そうとする船へ、オレも飛び乗る。


「勝手に一人で行かないでくださいよ。オレだって、兄貴と命運をともにする覚悟なら、とっくにできてんだ」


 兄貴は少し目を見張って、それから、嬉しそうに笑った。


 中洲の反対側でリアクションがあった。兄貴が話をしようとしている、その意図が伝わったみたいだ。


 完顔何某がお供を大勢引き連れて、中洲を目指して船を進めてくる。向こうのほうが中洲までの距離が近かったから、先に上陸した。


 やがてオレたちも中洲にたどり着く。完顔何某との距離は四、五十歩ってところか(*3)。


「派手なオッサンだな」


 オレは思わずこぼした。


 完顔何某はデカい男だ。年は五十の坂を越えているだろう。身にまとった鎧は、漢族風の札甲だ。びっしりと編みつなげられた鱗状の金属片は上等な鏡みたいに磨かれて、日の光を浴びてキラキラしている(*4)。


 側近が仰々しい紫傘を完顔何某に差し掛けている(*5)。お供の連中は整然と居並んで、完顔何某を幾重にも取り巻いている。


 兄貴はお気軽そうに笑った。


「こりゃあ、迫力負けしちまうな。こっちは少人数だし、小道具も演出も足りてねえ」


 ひっそりと付き従う水夫が、何か長いものを取り出した。


「貴人用の紫傘でしたら、こちらに」

「何でそんなもん持ってんすか?」

「使うこともあろうかと」


 ねぇよ、普通。


 とにかく、なぜか調達できてしまった傘で一軍の大将らしい演出をすることにして、兄貴を先頭に、オレたちは中洲に足を踏み出した。



――――――――――



(*1)

十里


 約五.六キロメートル。


 清代に成立した歴史地理書『讀史方輿紀要』巻七十九、襄陽府によると、白河口は白河が漢江に流れ込むところで、襄陽の東にあり、別名を三洲口という。また、襄陽から南に三里(約一.七キロメートル)ほどのところにある虎頭山から白河口を見晴らせるという。


 現在の地図を見ると、襄陽の真東に、漢江の流れの内に中洲が点在する地点がある。「三つの洲」を別名に持つならば、白河口はここではないのか。白河(もしくは唐河と白河が合した唐白河)の合流地点ではないが、時を経るうちに川の流れが変化したのだろうか。


 なお「はくがこう」とお読みいただきたい。「しらかわぐち」と読むと、戊辰戦争になる。


 戊辰戦争の白河口の戦いは、一八六八年閏四月、現在の福島県白河市において会津連合軍と新政府軍との間に繰り広げられた。


 会津連合軍は、斎藤一率いる新撰組の活躍もあって緒戦には勝利したものの、本格的に戦端が開かれると、新式大砲と速攻および陽動の戦術を巧みに使う薩摩のまさはるの前に、三倍近い兵力差をも引っ繰り返されて惨敗した。



(*2)


 宋人がそれを言うなよ、とツッコミと入れたい。


 北宋代の一一二〇年代、宋の北に国を構える契丹族の遼の領内から、女真族の金が建った。遼が目障りだった宋は金と同盟を結び、遼を撃破したが、金との盟約を破って、北方の火薬庫、燕雲十六州の領有を主張。宋と金との間に埋めがたい溝ができた結果、一一二六年の靖康の変によって宋は華北から追い出された。


 また、趙萬年より十数年後の一二三〇年代、宋は新興勢力のモンゴルと同盟を結んで金を撃破したが、またしても盟約を破り、モンゴルの隙を突いて中原に進出してここを制覇。激怒したモンゴルの返り討ちに遭い、大打撃を被りながら再び中原を手放すこととなった。


 宋の文人は、漢族の文化や学問の水準は至高であるとし、異民族を人間扱いしないきらいがある。盟約違反は、異民族国家に対して嘘をついたのではなく、そもそも初めから対等に話をすべき相手だと思っていなかったからだろう。


 一二三〇年代、モンゴルとじかに接触した武人、もうきょうは、朝廷の背信行為を制止したが、いかに功績があろうとも武人は武人。文人優遇の政治の中で孟珙の声は圧殺された。この孟珙という男もドラマティックな戦を経験しており、人間味があって面白い。



(*3)

四、五十歩。


 歩は長さの単位。四十歩は約六十二.四メートル、五十歩は七十八メートル。対話するには遠くないか?



(*4)

札甲


 ラメラー・アーマー。春秋戦国時代にはすでに出現していた。秦の始皇帝陵から出土した武人像も身に付けている。「鱗状の金属片」の形は時代ごとに変化し、細かく分ければ多様な種類がある。



(*5)

紫傘


 非常に古い資料になるが、始皇帝陵から出土した「一号銅車馬」が傘を差している。もうちょっと新しい例が見たかったが、うまく検索に引っ掛けられず。


 豊臣秀吉が朱色のだてがさを好んだ、という資料を見付けた。また、秀吉が中国攻めの総大将に選ばれた際、陣中で最も位が高い者だけが差す朱傘の使用を信長から認められ、大変喜んだという。室町時代にはすでに中国から貴人用の朱傘が伝わっていたらしい。


 しかし、ここの傘の色は紫。根拠を見付けられない。たぶん調べ方が浅い。正史の「輿服志」と「儀衛志」を徹底的に当たれば、身分ごとの正式の軍装がわかるはずだ。


 とはいっても、ヴィジュアル資料を伴わない漢字情報からそれを読み取っていくのは非常に困難だ。読み取ったところで、ヴィジュアルに起こせるだけの技量もない。


 pixivで検索すると、意外なほどマニアックな服飾解説がヒットする。詳説はそちらに委ねたい。なお、そうした絵師が「日本語で読める中で最もお手頃」として紹介していたのが、華梅『中国服装史―五千年の歴史を検証する』(白帝社、二〇〇三年)だった。

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