(2)
みつきが誇らしげに自分を見上げる視線が少し照れくさく、けれどかなり嬉しくて、一成はその不思議と温かな気持ちに戸惑っていた。しかし、その春風のように心地よい感情は、不意にかけられた洋平の声に悉く打ち崩れた。
「いやあ、僕、感動しちゃったよ、カズ」
「洋…平…」
一成にとっては最悪のタイミングでの洋平の登場に、その思考が一瞬凍りついた。するとその間隙を逃さず洋平はちゃっかりとみつきに握手を求め手を差し伸べていた。
「はじめまして、みつきちゃん?僕、カズの友達の菱谷洋平、よろしくね」
いつのまにみつきの名前をチェックしていたのか、一成は洋平がみつきの名を口にした事に青ざめながら、無防備なみつきの手が洋平に触れる一瞬前にその肩を引き寄せた。
「みつきっ、触るんじゃないっ……洋平、向こうで話すからあっちに行けっ」
「えぇ、カズひど…」
どちらともつかない抗議の声を無視して、一成は二人を無理やり引き離しかなりの距離を取ってから洋平の肩をつかんで詰め寄った。
「洋平、みつきには触るな。俺が良太さんに怒られる」
「なんで~、ちょっと触るくらいいいじゃん」
「ダメだっ」
「ダメって…カズのじゃないでしょ」
いつに無く真剣に表情を強張らせる一成をおもしろそうに見つめながら、洋平はその耳元に唇を寄せて囁いた。
「まさか…もうやっちゃった?」
「違うっ、みつきはそんなんじゃないっ」
間髪入れない一成の怒声に洋平は大げさに顔をしかめると、青ざめて強張った一成の目の前に片手を差し出し微笑んだ。
「じゃあいいじゃん、カズが手を出してないなら僕にちょうだい」
「だめだ、絶対ダメっ」
まるで飴玉でも頂戴というように差し出された洋平の手を、一成は容赦なく叩き落とした。
「いいじゃんちょっとくらい」
「お前だけはダメだっ」
洋平がちぇっとすねたそぶりをみせながら、自分をからからっているのは一成にもよく分かっている。けれど不意をつかれた形での洋平の登場に、一成はダメの一点張り以外うまい対処の仕方が思い浮かばない。するとそんな一成の焦燥に、浩一郎が驚きを隠せない様子で一成をとりなした。
「カズ、それじゃ洋平の思う壺だぞ?とりあえず落ち着いて訳を話せ。あの子は誰だ?」
一成は冷静な浩一郎に諭されるとようやく大きく息をつき、そしてすぐに浩一郎にすがるような視線を向けながら口を開いた。
「あいつ…いや、みつきは良太さんの姪なんだ」
「良太さんって…たしかマイスナのオーナーだったな?あのサーフィンの…?」
浩一郎に確かめるようにされて一成は小さくうなずいた。
「そうだ。ずっと世話になってる良太さんに頼まれたんだ。洋平の毒牙にかかったら俺はもう良太さんに顔向けできなくなる。だから…」
そこまで言うと一成は一歩もみつきに近づけさせないと決意をのせて洋平を睨みつけた。
「お前だけは絶対ダメだっ」
洋平は一成が自分をあからさまに警戒していることがいっそ潔く、数々の侮蔑の言葉にも肩をすくめるばかりだ。
「あのねぇ、ずいぶんな言われようだけど、僕だってカズの知り合いならいつもより大事にするくらいの常識は持ち合わせてるよ?」
「洋平はダメだ、俺が許さない。お前に不用意に近づくと女は大抵痛い目を見る」
「うわ、カズひど…まるで僕がいつもやり逃げしてるみたいに言わないでよね」
「当たらずとも遠からずだろ?」
「自分のこと棚上げしてよく言うよ。だいたいね、僕はカズと違ってあんな幼顔は好みじゃないよ」
「あんなってなんだよ」
みつきを侮った洋平の言葉に一成が青筋だった鋭い声音で洋平を睨みつけると、洋平はそんな一成の口調もものともせず吐息混じりに冷笑を浮かべた。
「ふ~ん、やっぱカズの彼女なんじゃん?」
「だから違うって言ってんだろっ」
「今さらそんな事いっても遅いよ?ちょっと幼いって言っただけでむっとしちゃってさ、カズの彼女じゃないんなら、そんな目くじら立てなくてもいいじゃん」
「べ、別に目くじらなんて立ててねぇっ、お前があんまりわかんねぇことばっかり言うから悪いんだろっ」
「なにそれ、僕のせいにしないでよ。もとをただせばカズが悪いんじゃん」
「お前がみつきにちょっかい出すから悪いんだろっ」
「ちょっかいって…だからさ、なにそんなに必死になってあの子守ってんの?彼女じゃないってんなら、もっと分かるように言ってみなよ」
「だからさっきっから言ってんだろっ、みつきは俺のっ…」
「俺の?」
俺の…なんだ?一成は洋平の詰問にとうとう押し黙ると、洋平の問いかけに即答できない自分に自分で驚いていた。そして同時に時おりみつきが見せる父親への思慕の念と、みつきが自分に寄せる無条件な信頼に自ずと答えようとしていることにその時ようやく気がついた。
「みつきは俺の…娘…か?」
「はぁっ?娘っ?言うに事欠いて、娘っ?」
洋平の驚きは一成への侮蔑を載せて辺りに響き渡った。そしてばつが悪そうに佇む一成をひとしきり観察した後、洋平は肩をすくめて首をかしげた。
「カズいつから子持ちになったわけ?まさか、隠し子?」
「ばっ、ちがっ…そうじゃなくてっ…」
洋平の冷たい声音に一成は慌てふためきながら言葉を取り繕おうとしたけれど、洋平はそんな一成の言葉に更にしらけた声でそれを遮った。
「あのねぇ、そんな真剣になんなくても分かってるよ。さすがのカズでも1歳で子供孕ませられるわけないじゃん」
「と、とにかくっ、洋平はみつきに近づくなっ、分かったかっ」
一成は洋平の呆れきった声音と態度に、どんどんと墓穴を掘っているのを感じて悔し紛れに声を荒げるしかない。しかし一成の怒声にも洋平の侮りは止むことはなく、むしろそれを愉しむように洋平はその口角を引き上げた。
「そうだねぇ、今の僕に触ったら孕んじゃうかもしれないもんねぇ?あの子見たまんま経験なさそうだし…ってことは、処女懐妊って事になるのかな?」
「なっ…」
意味ありげな洋平の視線がみつきの姿に向けられた事に一成が言葉を失っていると、洋平は追い討ちをかけるようにその瞳を歪めて一成の焦燥を煽り立てた。
「カズ、なに青ざめっちゃってんの?あ、そか、カズもバカじゃないもんねぇ。子供ってどうやっったら出来るかくらい知ってるか」
洋平は事も無げにそう言い切ると、ふふっと一成に向かって冷笑を浮かべて見せた。一成はそれが洋平の挑発だと分かっていながら、体中の血が逆流していくのを止めることができない。一成は頭で考えるより早く洋平の胸倉を力任せに捻りあげようと腕を伸ばしていた。
「カズっ、やめろっ。洋平っ、お前も言いすぎだっ」
浩一郎は今にも飛び掛りそうな一成の腕をすんでのところで掴み上げると、唸りを上げる一成を力任せに引き剥がした。
「洋平、お前はぜってぇみつきに触んなっ」
浩一郎に引き剥がされてもそれでも暫く洋平を睨みつける一成に、洋平は顔色を変えることなく言い放った。
「カズ、安心しなって。僕はカズのおさがりはいらないし、彼女は僕の好みじゃない。そんなに必死にならなくても手ぇ出さないよ」
洋平は口端に少し笑みを称えながら首をこきこきと軽く鳴らし、浩一郎は飄々としたそぶりの洋平といきり立つ一成に深いため息をついた。
「まったくお前らには手が焼ける」
浩一郎は一成の背中をポンッと押しやり、溜め息交じりに口を開いた。一成は浩一郎に諌められ、洋平に軽口であしらわれてようやく肩の力を抜いて息をついた。
「だから落ち着けって言っただろ、まんまと洋平にのせられてお前らしくない」
「ああ…悪いな、浩…」
一成が浩一郎から解き放たれ小さくうなだれながら謝罪の意を表すると、それに浩一郎は肩をすくめて眉尻を下げた。
「まったく…俺はほんとにお前があの子の父親かと思ったぞ」
浩一郎が重く沈みこんだ空気を払拭しようと軽い口調で言い放った言葉に応えたのは、一成でもましてや洋平でもなく、思いのほか近くからかけられた舌足らずな幼い声だった。
寝ぐせ姫~いつも一緒に~ 古堂 蟻屋(こどうありや) @ariya-code
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