東京都庁の魔竜使い
めたるぞんび
東京都庁の魔竜使い
「この度は、大変申し訳ございませんでした」
ある晴れた爽やかな週明けの月曜日。
万年課長・
「この失態は、いったいどう取り繕うつもりかね?」
「今後のプロジェクト成功に、誠心誠意尽くさせていただきます」
「そういうことを聞いているんじゃないんだよ!」
門かぶりの松の下。閑静な住宅街に響く怒鳴り声。
ここは取引先の社長宅。世田谷区の高級住宅街に鎮座する大豪邸である。
二人の部下を引き連れて、柴崎らはここへ謝罪に訪れていた。
「ただ謝って済むと思っているのか!」
「申し訳ございません」
高身長を縮こませると、柴崎は再び黒縁眼鏡の頭を下げた。
後ろに控える二人の部下――若手女性社員の秋山らもそれに倣って続く。
「私だってね、暇じゃあないんだ。この仕事はなかったことにしてもいいんだよ!」
「申し訳ございません」
手土産にと持参した高級菓子折で、柴崎の下げた頭をぽんぽんと叩く。
叩かれながら柴崎は、頭を下げたまま気付かれぬよう後ろ手で部下を制す。秋山の隣で頭を下げる倉本の、小さな舌打ちを耳聡く捉えたからだ。
ここで社長の機嫌を損ねては、今まで積み上げてきた仕事が水泡に帰しかねない。
「この話は会長にも伝えさせて貰うから。覚悟するんだね!」
会長とは、グループ企業の持ち株会社会長のことだろう。
それは誰しもが知る日本有数の大企業――部下たちは震えあがった。
「あの……申し訳ございませんでした……」
原因となるミスを犯した秋山が、自ら進み出て頭を下げた。
謝罪する声は震え、今にも泣きだしそうなほどにか細い。
「……フン、こんなヒヨッコに任すとは!」
「す、すみませんでした……」
「我が社も舐められたもんだよ、まったく!」
そう言い捨てると、社長は怒り心頭の様子で戸を閉める。
残された柴崎ら三人の足元には、くしゃくしゃになった高級菓子折が転がっていた。
「課長、申し訳ありませんでした……」
生真面目な秋山は、今日で何度目かの頭を柴崎に下げた。
柴崎は菓子折を拾い上げると、秋山に頭を上げるよう促す。
「秋山君、気にするな」
「でも……」
「頭を下げるのは、上司である私の仕事だ」
秋山の気落ちした肩を、柴崎は優しく叩いて励ます。
「君に任せたのは私だ。だからその責を私が負うのは当然だ」
入社三年目の秋山が、初めて任されたプロジェクト。意気込んで臨んだ上での大失敗だった。相当悔しかったのだろう。その瞳には堪え切れなかった涙がうっすらと浮かぶ。じっと項垂れたまま。唇を噛みしめて、それ以上は何も声にならない様子だった。
三人は無言のまま社長宅の敷地を出ると、トボトボと公道を歩き出す。
「でもさ、腹が立ちますよ」
そこで倉本が、への字に結んでいた口をやっと開いた。
「些細なミスだし、最終確認をしたのは部長たちなのにさ」
ぶつぶつとそう言って、不満げに口を尖らせる。
倉本は普段からいちいちとっぽい男だが、その言は尤もだった。
「だがミスはミスだ。その点は反省しよう」
憤慨する倉本を、柴崎は落ち着いた口調で取り成す。
秋山の失敗――その発端は、ほんの些細なものだった。初動で気付けば、リカバリーも十分可能だったに違いない。だが最終的に指示と確認を怠った部長たちが傷口を広げ、クライアント側にはそのミスを針小棒大に取り上げられているに違いない。
「部長と次長からは、今後一切のミスは許さないと怒鳴られました」
すっかり項垂れた秋山は、部長室へ呼び出された内容を柴崎へ告白した
部長の隣に立つのは次長。二人掛かりで相当キツくどやされたのだろう。そのことを思い出した秋山は、瞳に浮かべていた涙を堪え切れずに頬へと零れ落とした。
「絶対にミスをしないよう、次は気を付けます……」
「それは無理な話だ」
秋山の意見を、柴崎はあっさりと否定した。
「
「はい……」
「ならば全員で改善策を考える方が、何よりも建設的だろう」
頑張り屋で、大学でも優秀な成績を収めてきた彼女だ。じっくりと育てるべき貴重な人材を、使い潰すだけのような真似だけは、柴崎にできない。責任を一人に負わるのではなく、全員でカバーすることが彼にとっては自然だった。
「その方法を一緒に考えよう」
「……はいっ」
昨日から暗い表情を見せていた秋山が、少しだけ明るい表情を見せた。
「何かあったら、私がまた頭を下げるさ」
「あー、謝り慣れてますもんね、課長は」
そう憎まれ口を叩いた倉本も、一緒になって笑顔を見せた。協調性のまるでない彼が、なんだかんだと柴崎にだけついていく理由の一つは、このあたりにあるようだ。
社内では、いつも貧乏くじを引く万年課長――それが柴崎航太郎だった。
おかげで付いたあだ名は、謝罪専門部部長。皮肉だけは課長職よりも上職である。
出世を狙う同僚で、柴崎へ近づこうとする者は、誰一人としていない。だが彼についてくる物好きか変わり者な部下からの、その人望は誰よりも厚い男である。
「うぉ、すっげぇ……初めて見た!」
その時、いつの間にかぶらぶらと先頭を歩いていた倉本が、唐突に素っ頓狂な声を上げた。その目線の先を追うと、高級そうな黒塗りの外車がこちらへ向かってくる。
「そうなのか?」
「あの外車、一千万円は下らないッスよ」
「ふむ、趣味が車なだけあって詳しいな」
車には興味の薄い柴崎が、感心したように立ち止まった。何気なしに上司が立ち止まったのを見て、倉本と秋山もそれに合わせて自然と立ち止まる。
すると、どうしたことだろうか。
猛然と走り抜けると思われた黒塗りの高級外車が、目の前で急停車するではないか。そうして開いたドアから降り立ったのは、瀟洒な金髪碧眼を持つ女性である。
倉本らは、その姿に思わず目を奪われて息を呑んだ。
その女性は、絶世の――美女とも美少女ともいえる完璧な容姿であったからだ。
初雪の降り積もったような白皙の肌。そして勝気に吊り目がちの碧眼に銀縁の眼鏡は、やや童顔である彼女の輪郭を隠すかのようだ。
ひとつに纏め上げる金髪は、街路樹の木漏れ陽を受けてきらきらと煌く。そのボリュームからすると、解けば相当な長髪であることが窺えた。
純白のブラウスに、紺色のタイトスカート。そこからすらりと伸びるは、若木のような長い脚。黒ストッキングに包まれたつま先には、鋭い黒のハイヒール。
そのハイヒールをかつかつと甲高く鳴らせ、こちらへと歩いてくるではないか。
「柴崎様っ!」
「どうしたのかね、エリス君」
赤い紅引く形の良い口唇から零れるは、上司の名前。突然の予想だにしない展開に、二人の部下は思わず「ええっ!?」と驚きの声を合わせてしまった。
まさかまさか、うだつの上がらない万年課長とこの美女が知り合いとは――しかも絶世の美女が、さも恭し気にうちの上司と接する姿など、今の今まで思いも寄らぬ光景である。
「柴崎様、いくら携帯電話を鳴らせても御出になりませんので」
「ああ、取引先へ出ていたものでね。電源を切っていた」
柴崎は懐からスマートフォンを取り出すと、おもむろに電源を入れる。
「今さら電源を入れても遅いです」
「確かに……すまなかった」
「急いでください」
「うむ、分かった」
そう会話を交わすと、柴崎は高級外車の助手席へと乗り込んだ。
否、その一歩手前で足を止めると、二人の部下へと振り返る。
「倉本君。社長宅訪問の件は、議事録に纏めておいてくれ」
「は、はいっ」
そう言い残すと黒塗りの高級外車は、爆音とともに走り去ってしまった。
あとに残されたのは、ポカンとした表情の二人の部下のみ。
「ええと、柴崎課長って……何者なんです?」
「それは……オレも知らないよ」
「でも課長……あの美人さんにも謝ってましたね……」
そう言って顔を見合わせた後、二人は走り去る車を茫然と見送る他なかった。
◆
柴崎を乗せた高級外車は、新宿の公園通り入り口から地下へと滑り込む。
そこは東京都庁の第一本庁舎にある、巨大な地下駐車施設である。
「資料は一通り、車の中で見させて貰ったがね」
「ええ……今回も例の事件に関連していると思われます」
エリス――そう呼んだ美少女と共に柴崎は降車すると、会話を交わしつつ関係者以外立ち入り禁止のエレベータへと乗り込む。
「周辺では、関係者三名の死亡が既に確認されています」
「いずれも係わりのない変死……そう見せ掛けている、と」
「はい。調査の結果、我々はそう考えています」
淡々と受け答えを交わしつつ、エレベータは更に地下へと潜ってゆく。
そこは一部しか知る者のいない、東京都所属の秘密部署であった。
「柴崎課長、お待ちしておりました」
すれ違う職員らは、畏怖と敬意をこめて彼と挨拶を交わす。
そんなサラリーマン・柴崎航太郎には、もう一つの顔がある。
それは、東京都庁の非常勤職員であることだ。
「ふむ……先方とのアポイントメントは?」
「既にとっており、本日十七時を予定しております」
この職務は、都庁に調査依頼申請のあった特別な
そんな副業を持つ航太郎には、彼しか持たない特殊技能に因るところが大きい。
「ではもう一人、アポを取る必要があるな」
「もう一人……ですか?」
首を傾げるエリスに構わず、ひとり課内の奥にある厳重に鍵の掛かったドアを開く。エリスが慌てて航太郎の後を追うと、その額に一滴の水滴が落ちた。
「相変わらずここは雨漏りが酷いな」
バブルの好景気に約千六百億円を投資して建設した新宿の東京都庁舎は、旧東京都庁舎と同様に日本人建築家である丹下健三氏の設計によるものである。
正八角形をモチーフとしたデザインは元より、風水学的に優れた建築物であると称されるが、今では各所に漏水が生じ、改修費用は建築費の半額以上ともされる。
有楽町駅前にある現・東京国際フォーラムの場所に旧都庁はあったが、旧都庁時代でも漏水は酷く、食堂の値段は安いがカビ臭さが絶えなかったという。
だからゆっくり食えたもんじゃなかった――と、航太郎は先代から漏れ伝え聞いている。
「柴崎様……ああ、航太郎様! お待ちください!」
追いかけて呼び止めるエリスに構うことなく、航太郎は二重、三重と厳重にロックされたドアを解除しつつ、地下へ地下へと続く無機質な階段を足早に駆け降りる。
たどり着いたそこは、東京都庁の最下層――その一室は、暗闇に包まれた空間に緑光色に輝く何か――数々の幾何学模様を組み合わせた光り輝く不可思議な何かが、壁一面に刻まれていた。
これらは全て、日本各地に点在しているあるものをかき集めた、東京都の所有物である。
「さて、早速試してみるとしようか」
航太郎は黒縁眼鏡を引き上げると、スーツの懐から取り出した手帳に何やら記入する。
その紙を一枚破ると半分に折り、また半分に折って緑光色の模様へ向けて飛ばす。するとどうしたことか、その紙は光の中へ吸い込まれるようにして、消えた。
エリスが航太郎の待つ最下層へと追いついた頃。それら全てを終えた航太郎は、依頼主の待つ周辺一帯の地図をスマートフォンで確認しているところであった。
「まずは、私ひとりで出る」
「でも……」
やっと追いついたところでそう告げられたエリスは、実に不満そうな顔を見せた。さも自分もついて行きたそうな表情をしている彼女に、航太郎はこともなげに告げる。
「君は後から『彼女』を連れて来てくれ」
「またそんなこと言って、もう……『マリュー』が拗ねますよ?」
素っ気ない航太郎に、エリスはややオーバーに首をすくめて溜息をついた。
「あとは先方がどう出るか……私たちは粛々と準備を進めるとしよう」
「はい、航太郎様。了解いたしました」
航太郎の仕事運びには、これまでに一点の曇りもない。
そのことに納得しているエリスは、ただ小気味よい返事を返すしかなかった。
◆
予定の時刻――ここは角松ホールディングス会長、角松家の邸宅である。
戦後の財閥解体後も日本の経済界は元より、世界的に大きな影響力を持つ。江戸幕府の開闢以来ずっと新宿区に居を構え、今もなお巨大な土地と邸宅を所有する。
「お前さんが東京都から派遣された御使いかね」
「ええ、宜しくお願いいたします」
角松老人は用心深く、値踏みするような眼で航太郎を睨め付ける。これは長らく経済界でトップに君臨してきた男の、クセのようなものだろうか。
航太郎はそんな仕草に憶する様子もなく、ずり上げた黒縁眼鏡の奥に表情を隠す。
「まぁいい……どれ、上がるがいい」
会長に促された航太郎は、靴を揃えて邸宅の中へと上がり込む。
そうして城のように重厚な和風建築の邸内は、広い日本庭園を望む渡り廊下を中ほどまで通り過ぎた時だった。
「あそこにある小さな
そう言って老人が指さす先――手入れの行き届いた広い庭園を越えた向こう側。そこにはうっそうと茂る雑木林と古いトタン屋根の木造建築があった。
そこは長年放置されてしまった空き家である。そう角松会長は告げた。
空き家問題は少子化により減少する人口と、所有者が亡くなったのちの複雑な権利関係を孕む。雇用の密集する都市部といえどその問題は深刻で、承継人不明の空き家数は、増加の一途を辿るといわれている。
「最近その空き家を、何らかの伝手で買い取った企業があってな。その代理人を語る男から、件の土地を安値で購入するように薦められている」
「つまり、それは地価と比べて不当に破格な値段であると?」
「うむ……値段そのものはどうということはないがね。だが私も商売人だ。市場価格とかけ離れた法外な取引をする気にはなれんのだよ」
つまり奇妙な誘いを是とはせず、断固拒否し続けたわけだ。
「すると今年に入って社の重役を始め、幾つかの不審死が相次ぎおった」
警察の調査によると、その状況に事件性は見当たらなかったという。
だが彼らに関連することは、件の土地購入に関して交渉した者、反対した者、またはそれに類する者たちであった。暗にメッセージを残すかのような死に、角松会長は段々とあの空き家の存在が空恐ろしくなってきた。
「高値ではなく安値で買えという点も……どうにも得心がいかぬ」
「そこで今回、東京都に相談を持ち掛けたということですね」
「政経界は元より、都庁内にも目を掛けてやったモンは数多いからな」
倨傲な放言をさらりと聞き流すと、航太郎は単刀直入に訊ねた。
「では、その売買を持ち掛けた企業の名前は?」
「ガイアフレックス社の社長、恩田という男じゃ」
気分を害したように、角松老人は鼻白んだ様子で吐き棄てた。
そこで航太郎は、唐突に奇妙なことを口にする。
「おや、どうやら来客があるようです」
「来客?」
当然、来客の気配などはない。角松氏が不審そうに聞き返すのは、無理もないことだった。ところが航太郎は、さも何事もなかったかの如く続けて言い放つ。
「ここへ来る前にお呼び立てしておいたのです」
「その来客とは、いったい何者なのだ?」
「どれ、私が迎えに参りましょう」
航太郎はおもむろに立ち上がると、玄関より外へと出て行った。
角松邸の長い塀を右手にしつつ、ぐるりと裏手の方へと回る。
「何の権限で当社の土地へ踏み込むのかね」
すると航太郎は、一人の男に後ろから声を掛けられた
ここは角松老人の指さした一軒家のある敷地内――足元には野放図に雑草が生い茂り、長年に渡り手入れのされなかった雑木林は影を生み、黒い闇を作り出す。
男はそんな闇の中、まるで亡霊のように音ひとつ立てることなく佇んでいた。
「都条例です。既に許可は得ていますよ、恩田社長」
すっかり準備を整えていた航太郎は、この人物を知っている。
角松老人のいうガイアフレックス株式会社の社長、恩田その人であった。
「都条例だと……さては、呼び出したのはお前か」
「この条例は一般へ公開されておりませんがね。当然ご存知でしょう?」
「……いいや、存じませんなぁ」
恩田氏はニヒルな表情を浮かべると、如何にもとぼけた顔を作る。
「では君は、都職員か何かかね」
「ええまぁ……こちらは本職ではありませんがね」
航太郎は首から下げていた認識証カードを見せる。
「非常勤ですが、準国家公務員準拠の職員です」
「こんな紙切れ一枚で呼び寄せるなど、不敬だよ君」
そう言うと恩田氏は、懐から一枚の書類を取り出してひらひらとなびかせる。その書面の表には「都条例異種間交渉申入書」と書かれていた。
「東京は雑然とした街でしてな。あらゆるモノが流通し、あらゆるモノが集約する」
「……唐突に何が言いたいのかね、君は」
イライラとした様子で恩田が聞き返すが、航太郎は意にも介さない。
「当然、地の理や天の理とも異なるモノも顕現する」
「ほう、君はそれを何とお考えなのかね?」
「別世界より現れし異質なるモノ……例えば、
思わぬ言葉に、恩田社長は大声で笑いだした。
「ハハハ! そんなモノ、まさか実在せんでしょう!」
「では社長、これは殺してしまって構いませんな?」
「さて……これとは?」
航太郎の黒縁眼鏡の奥が光った。
「龍脈に潜んでいる、そいつですよ……社長」
恩田社長がふと気付くと、先ほど懐から出して手にしていたはずの都条例の書類は、いつの間にかメモ帳の切れ端となっていた。いや――元からそれは、航太郎が都庁舎の地下で破いたメモ帳の切れ端であったのだ。
航太郎の仕掛けた魔術から解放されたメモ帳の切れ端は、見る間に小鳥へと変化して空高く飛び去ってしまった。
「うわっ……なっ!?」
「貴殿がその書類を読めたのならば……つまりそういうことです」
恩田社長は、悔し気に舌打ちを打つ。
きっとおびき出されたことに気が付いたのだろう。何故ならば、ある特定のモノへと宛てた手紙では、その特異なモノにしか読むことはできないのだから。
「此度の一件で、三人の犠牲者を出した犯人は貴殿ですね、恩田社長」
「…………」
「ここは龍脈より霊気溢れる龍穴の一種だ……逆の意味でね」
龍脈とは――大地の中を流れる偉大な霊気の道筋を指して、そう呼ばれている。
風水で霊気は水と同じく高きから低きへと流れるとされ、霊気の湧きだす始点より最も低き最終地点を『
その湧き水の如く気の溢れ出す『龍穴』に屋敷を造れば、子々孫々と一族に繁栄と幸福をもたらすとされる。
「だがこの地は鬼門にあたり、角松家の潤沢な霊気を外部へと押し出そうとする」
そこでこの地を角松家へ引き入れることにより、龍脈の移動を『許可』された魔獣は、その力を大いに発揮することができる。
「そうして生まれたエーテル流は、角松家に強力な呪詛を与える……つまり龍脈に潜ませたそいつを使って、日本経済の要を凋落させようと画策したわけだ」
そこで言葉を区切った航太郎は、ゆっくりと懐へ手を差し入れた。
「では都条例により、そいつを駆除させていただきます」
「チィィッ、出ませい! 我が魔獣よ!」
恩田社長の判断は迅速であった。的確な推理を見せた航太郎には、誤魔化しが効かない。そうと判じた以上、先手を打つことに迷いがなかったのだろう。
大地の一部がゆらりと歪むと、そこから稲妻を身に纏う巨大な魔獣が姿を現した。
「ふむ……これは
様々な文献によりその姿は異なるが、これは猿面に虎の胴、蛇の尾を持ち蟹か蜘蛛を思わせる鋭い爪を持つ。
まさに魔獣であり、
「本来は深山に住まうが、江戸開幕を機に地下へ潜るようになったようだな」
「どうにも詳しいじゃないかね、たかが都職員の分際で!」
恩田が鵺に命じると、地を這うような稲光が航太郎へと襲い掛かった。
航太郎は恩田の雑言を気にする様子もなく、身を翻すと事も無げに雷撃を躱す。だがそれは常人に容易く躱せる攻撃ではない。
「む……雷撃除けの護符か? それとも……」
その姿を目にした恩田が、眉をひそめる。
只者ではあるまいと感じていたが、まさかこれほどとは。
「航太郎様、ご無事ですか!?」
そこへ爆音を轟かせて到着するのは、黒塗りの高級外車。
高い塀の上をひらり飛び乗り、ひとり降り立つ姿はエリスである。
「やれやれ、穏便に済めば善しと思っていたが、残念なことだ」
「それがお仕事です、航太郎様」
碧眼の光ひとつ揺らすことなく、冷厳にエリスが答える。
「現実も幻想も、なかなか上手くいかんね、エリス君……実にやりにくい世の中だ」
航太郎はそう言って苦笑すると、エリスの前へと立つ。
「エリス君、
「もちろんです、航太郎様」
航太郎のいう
「貴様ら、一体何者だ!!」
恫喝する恩田を前に、エリスは妖艶な笑みを見せる。
「貴殿にはきっと、隠す必要はないでしょうね」
エリスが固く複雑に纏めた金髪を解くと、瀟洒な長髪がたなびいた。
それと同時に鋭く尖った長い耳が現れる――彼女の種族名は、エルフ。
「貴様らッ……やはり異世界の者であったか!」
それを見た、恩田が――いや、恩田を名乗る男が叫ぶ。すると見る間に目の白色部分が黒く濁り、瞳が赤く輝き始めた。
恐らく本物の恩田社長は、この世に存在していないのだろう。
「そういう貴殿は、どうやら魔族のようですな」
「さては、貴様も同類であろうが!」
「残念だが、私は正しく日本人で……まぁ、渡航経験はありますがね」
航太郎のいう渡航先とは、この世と理を異なる世界――即ち異世界である。
「さてエリス君、準備は整ったようだね」
閃光眩く顕現するは、蒼穹色に光を放つ魔法陣。
最高の召喚士であるエリスの、最も得意とする魔術である。
その魔法陣の中心点より、ゆっくりと『彼女』が姿を現した。
「なっ、な、なななな、なんだとぉぉッ?!」
それを見た恩田が、悲鳴に近い絶叫をするも無理はなかった。
何しろ魔法陣から現われしは、千年巨樹の如し
「ま、ま、まさか……貴様は『龍脈を渡る者』……!」
「そして二百四十の種族と十二の竜種が頂点――『彼女』の名は『マリュー』」
朗々とエリスが顕現せし
「その『彼女』が、私の相棒ですよ」
「い、異世界と唯一、契約を交わした日本人とはまさか……!」
航太郎は黒縁眼鏡を外すと、ネクタイを少々緩める。
「まさか貴様が、我が眷属の数々を屠りし男……!!」
「竜種の頂点を操りし者――それが『魔竜使い』だ」
いくら鵺がアムールトラを上回る巨躯を誇るとはいえ、その体躯を頭部だけで優に上回るエンシェントドラゴンとは、比べるべくもない。
魔法陣より半身を乗り出せば、それだけで千年の巨樹をも凌ぐサイズとなった。
「ええい、怯むな! 雷撃を放てッ!!」
雷獣である鵺は主人の命に従って、しかし慄きつつも最後に残ったひと欠片の野獣を剥き出しにして、天然の雷光をも凌駕する最大最高の雷撃を放つ。咆哮と共に雷撃より生み出された爆風が、あっという間に航太郎たちを巻き込んだ。
巨大なエネルギーを受け、爆発的に巻き起こった土煙が濛々と辺りに立ち込める。
何もかもを包み込む朝靄のように深い爆煙が収まり始めると、その向こう側からゆっくりと魔竜が姿を現した。
「む……無傷、だと……!」
目が眩むほどの雷撃をその身に受けれども、魔竜の巨体にはひとつの傷もなし。何事も生じていなかったが如く、平然とその場に佇んでいた。
「反撃だ、マリュー」
航太郎の命令一下、魔竜が小さく息を吐き出すと光線が一閃される。いわゆる竜が口から吐き出すという最強の炎、
その光線は恩田と雷獣の足元を軽くなぞっただけであったが、ダイナマイトの如き爆発力を持って、彼らの身をオーブンで焼き上げるように焦がした。
「その威力は当社比で、約三倍!」
「ぐおおっ……当社比だと!? もっと分かり易く!!」
どうやら航太郎は上手にプレゼンができていないようだ。
再び掛けた黒縁眼鏡を押し上げると、首だけを傾げてエリスに振り返る。
「さて、エリス君?」
「はい。計算によると貴様の雷獣と比して、およそ十六倍です」
「だ、そうだよ」
航太郎の戯言に、歯軋りをした恩田は息巻いた。
「おのれぇぇぇ……ッ!!」
恩田は両手をハンマー状に組むと、振りかぶって航太郎へ殴りかかる。
だが航太郎は落ち着いて巧みに躱すと、左腕でかち上げて鳩尾に肘を打ち込んだ。
「ば、莫迦な……我が種族が素手で人間に打ち負けるなど……ッ!!」
続けざまに打ち込んだ拳が、深く抉るように恩田の下顎へと突き立つ。
魔獣と魔竜、魔獣使いと魔竜使いの双方で、決着を見る時が――来た。
「な、ぜ……だぁーッ!!」
「何故か、その答えを聞きたいかね」
「御社のお考えを、今後の参考までに是非……!!」
雷獣・鵺は、マリューの
猛火に眩い光を背にしつつ、黒縁眼鏡を押し上げると航太郎は答えた。
「何故ならば私は、鍛えているからだよ」
「それ、だけ……かはッ!」
鼻血と胃液を吐き散らかしながら悶絶し、恩田は仰向けに倒れた。
「容疑者を速やかに異世界へと収容いたします」
「うむ。宜しく頼むよ、エリス君」
「では……『アイヴィー・バインド』」
エリスがそう呪文を唱えると、巻き上がった幾多もの蔦植物が恩田の身体を絡め捕り、魔法陣の中へと吸い込んでしまった。
それを見届けた航太郎は、背広の襟を正して身嗜みを整える。廃墟と化して老朽化した門をくぐり、様子を見に訪れた角松会長を出迎えるためである。
「こ、こ、これはいったい……!」
角松会長はマリューの巨体を仰ぎ見て、呻くように呟いた。
「彼女は、東京都所属の職員であり備品のひとつです、会長」
「こ、この私とて噂は耳にすれど、本物の魔竜を仰ぎ見るのは初めてだ……!」
日本はおろか世界の経済界に名を馳せた彼ですら、その目にしたことはない。
それは、東京都庁の守り神と云い伝えられる魔竜の姿。
政経裏に潜んだ秘中の秘だが、脈々と受け継がれる噂話には聞いていた。
「だが、まさかこれほどの神格であるとは……」
「コータロー」
「おおっ、魔竜が喋った!」
思わぬことに角松老人が驚いて唸った。
高位の竜種ともすれば、人類を凌ぐ高度な知能を有する。
「まりゅー、がんばった。えらい?」
「うむ、偉いぞマリュー」
「えへー」
航太郎が鼻先を撫でると、魔竜が目を細めて喜んだ。
巨体といえど、彼女は竜種の中ではまだ幼い部類に入る。
「今宵は世話になった。是非お名前を聞かせてくれまいか」
横柄だった角松会長が、謝辞を述べ頭を下げた。
東京都庁の守護神を前にして、魂より感じ入ったようだ。
「私はただのサラリーマン。名乗る程の者ではありません」
「では、せめて名刺交換を……」
角松会長が懐から名刺ケースを取り出した。
それを見るや、柴崎航太郎の黒縁眼鏡の奥が光る。
「それはお断りできませんな……謹んでお受けいたします」
柴崎航太郎――何故ならば彼の本職は、サラリーマンだからである。
「コータロー」
「なんだ?」
「おそら、とびたい」
唐突なマリューの我が儘に、エリスは彼女を窘める。
「東京のお空は飛んじゃダメって、あれほど言ったでしょ!」
「ふむ……まぁ、いいだろう」
「えっ、ええっ? こっ、航太郎様っ!?」
「エリス君、
まさかの魔竜使いから発せられた許可に、エリスは困惑する他ない。
「あの……宜しいのですか?」
「たまには構わんだろう。それに今日のマリューはよくやってくれた」
「えへー」
世にも珍しい相好を崩して喜ぶ、
「それともエリス君は、私とのタンデムはお嫌いかね」
「そ、そんなっ……あの、よ……喜んで……」
金色に輝く髪を持つ麗しのエルフは、その白皙の頬を紅色に染めて答えた。
航太郎を敬愛する彼女に、その申し出を断れるわけがあろうか。いや、ない。
「それでは、失礼いたします」
角松会長に別れの挨拶を告げると、航太郎とエリスの二人を乗せて翼を広げたドラゴンは、東京の空へと舞い上がる。
混沌とした闇雲広がる東京の空。眼下に広がるは、眩いばかりの新宿のネオン。
その闇夜を突き破りし天翔ける竜――もしもその姿を見かけたならば。
それは、それこそは、東京都庁の魔竜使いである。
◆
翌日も、よく晴れた爽やかな朝。
柴崎航太郎の朝は、頭を下げる仕事から始まる。
「昨日の今日ですから、気が重いですね……」
「そうだな。だが行かないわけにはいくまい」
躊躇うことなく呼び鈴を押すと、昨日と同様に門かぶりの松をくぐる。
今日もしがない万年課長のご出勤が幕を開けた――かと思われた。だが昨日とはまるで異なった状況が、そこには存在していた。
「柴崎様! 柴崎様!」
門前払いだった社長が、手を振ってにこやかに走り寄ってきたのだ。
「おや、如何しましたか、社長」
「いやいや、まさか角松会長とお知り合いとは、実にお人が悪いですぞぉ!」
まるで態度を一変させて、今朝は揉み手でお出迎えされてしまった。
どうやら昨日の捨て台詞通り、我が社のミスをグループ企業の会長にもお伝えした結果らしい。
「いやぁ、どうも存じませんで、失礼をば!」
「いえ、当社のミスであることには違いありませんので」
「まぁまぁ、そんな些細なことは、お気になさらず!」
昨朝の態度とは打って変わって何処へやら。
手のひらを返すその姿には、生理的な気持ち悪ささえ漂う。
「さ、さ、どうぞ上がってください、さぁ! さぁ!」
目を白黒させる秋山と倉本を余所に、柴崎は屋敷の奥へ案内される。
その背中を見つめつつ、二人は顔を見合わせる他なかった。
「本当に課長って……」
「何者なのっ!?」
それは――純粋な無辜の都民は、誰も知らない。知る由もない。
東京都内の闇を斬る、東京都庁の魔竜使いの物語である。
東京都庁の魔竜使い めたるぞんび @METAZONE
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