第2話 面白さは読者の中にある
前回の話では主に以上のような結論を出しました。
1物語は空想+技術。
2空想と技術は相互関係。
3物語は技術より空想の方が重要(あくまで基本的には)
4空想を辿ると願望に行き着く。
5願望は満たされないときに発生する。
6空想とは願望である。
今回はこれらを前提に話を進めていこうと思うのですが、ここにもう一つ新たな前提を付け加えたいと思います。
それは『面白さは読者の中にある」ということです。
我々は面白さについて考える時、作品そのものが面白いのであって、自分達の内面、言い換えるなら好みなどと言ったものを軽視しがちです。
しかしよくよく考えると面白さというのは感情の一種です。自分達の内側に沸くものです。ですから当然、『面白さは読者の中にある」と考えた方が自然なのです。作品というのはその面白さを押すスイッチみたいなもの、と考えた方がいいでしょう。
それでは上記のことから推論をはじめたいと思います。
まず、「物語は空想+技術」ということから読者は作者の加工された空想を読んでいるということになります。
しかし「物語は技術より空想の方が重要」ということから技術的な部分は一旦切り捨て、「物語は作者の空想」ということにしておきます。
そうすると我々は作者の空想を読んでいるということになります。
しかし空想は願望を満たすための道具、つまり「空想を辿ると願望に行き着く」ですから我々は作品を読む時、作者の願望を読んでいるということになります。
この時、もし読者が作者と同じ願望を抱えていたらどうでしょう。空想は願望を満たすための道具ですから、読者は少なからず願望を満たされた感覚がします。
人間は自分の要求が満たされた時、快の感情を感じます。この快の感覚が面白さの正体の一つなのではないのでしょうか。
もちろん、これは面白さを感じる時の一例です。これで面白さの全てを説明できるとは思ってませんし、他にも面白さの法則のようなものはいくつか存在していると思います。
しかし、面白さとは読者の願望を満たしてくれるもの、という考えも僕の中では一つの法則なのです。
これは個人の考えであって科学的なものではないですし、もし納得できなければバッサリ切り捨ててください。
まとめ
1物語は作者の空想で出来ている。
2空想は願望を満たすための道具
3読者はそれを見て面白いと感じている。
4だから作者の空想を見て面白いと感じる時は読者の願望が満たされている。
5つまり作者と読者の願望が一致したとき面白い物語が生まれる。
6だから面白さには物語と同じくらい読者も関係している。
追記
この理論は空想性のみを重視し、技術的な部分はバッサリ切り捨てているので、物語としては未熟なのになぜか面白い、売れている、そういう作品に当てはまると思います。特に作者の心情をそのままぶちまけたような物語などはこの理論を適用しやすいと思います。
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物語について、心理的な部分と構造的な部分から 羊山 羊 @hitujiyama
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