手に入れたもの

 かの魔法使いのもとを訪ねれば、幸せになれるらしい。

 というのは近隣の村々における、うわさ話であった。

 世界の果てというほどの遠い地にその魔法使いはいる。その人は訪れた者の願いを叶えてくれるのだと、そのような話が行商人たちの口から語られた。娯楽の少ない農村においてそのうわさ話は瞬く間に広まった。だが、そんな夢のような話を真にうける者は皆無だった。私以外を除いて。


「だからあなたはここに来たのかい?」

「ああ、そうだ」


 私は尋ねてくる魔法使いの女にそう返した。


「まただ。ここにはそんな魔法使いはいない。そのうわさ話のせいか、たまにあなたのような夢見がちな馬鹿がやってくる。たまったものではない」

「では君は件の魔法使いではないのか?」

「そうだね」

「では本当のその人はどこに?」

「そんな奴はこの世の何処にもいない」


 魔法使いは一つ嘆息をつくと、立ち上がり、私に向かって諭すように語りかけてきた。


「なぜなら、幸せなんてものが、この世界のどこにも存在しないからだ」

「そうか、薄々感づいてはいたが、やはりそんな結果だったか。ありがとう、お嬢さん」


 私は魔法使いに礼を言うと、満足して踵を返した。その私を彼女が引きとめる。


「いやに聞き分けがいいね、あなたは怒鳴り散らして暴れたりはしないのかい?」

「他のものはそうだったのか?」

「みんな似たようなものだったよ」


 魔法使いは心底、呆れたように語る。悲嘆にくれ泣き叫ぶ者、激昂し彼女に襲いかかる者、そんな奴ばかりであったらしい。


「気持ちはわかるがね」

「ならあなたはどうして、そんなに平然としてられるのかい」

「旅の途中で、確かなものを手に入れたからかな」

「わからないね。ここにくるまで決して楽な道のりではなかっただろう。そんないいものが手に入るはずもない。少し話しておくれよ、興味がある」

「そうだね――」


 そこから私は魔法使いの勧めるままに座席につき、温かい一杯のミルクをいただきながら、道中について語ることにした。彼女は魔法使いというだけあって、理知的で、静かにそれでいて私が話をしやすいように場を整えてくれる。私は調子よく話を始めた。


 まずは旅立ちの日について語った。母が心配そうに見送ってくれたことを覚えている。農村の民には不釣り合いなほどの支度まで整えてくれた。何も疑問を覚えなかった当時の自分を恥ずかしく思う。私は周りの良く見えていない若造だった。未来への希望だけがその胸にはあった。だが、その希望も旅立ちと同時に消える。乗合馬車で街道を進んでいたところ、盗賊にでくわしたのだ。私は旅の支度の一切を奪われた。今思えば命があっただけ良かったというべきものを、私は絶望の淵に立たされた気がした。

 続いて山道を行くときの話をした。路銀も何もないため、山の恵みをいただきながら何とかやっていた。頂上付近まで登ると、そこで素晴らしい景色にであった。周囲を遮るものがない眺望。雄大な自然という神秘さに魅了され、私は足を滑らした。私はいつもそうだった。調子にのると失敗する。急傾斜を滑落し、瀕死の重体となった私はそのまま物言わぬ屍になるのだと覚悟した。

 しかしそんな私を救ってくれた者がいた。一体のユニコーンである。彼は私の体を魔法の力で癒してくれた。私は彼に礼をすべく、山の恵みを狩り、彼にさしだした。そうすると彼は嬉しそうにひと鳴きして、私にすりよってきた。ユニコーンは非常に賢い動物であるという。私は唯一無二の友を得た気持ちになった。そして彼と別れ、山のふもとの村にて彼に命を救われた話をした。村人たちは目の色を変えて私の話を聞いてくれるものだから、調子よく大勢に話してしまった。翌日のこと、村の中央にて人だかりができていた。そこには友の首が晒されていた。ユニコーンの角は優秀な薬となる。人々が我先にと角を得るために金を突き出す光景を見て、私は耐え切れなくなって村を出た。

 そんな私が報われる話も一つした。砂漠でのことだ。私は荒野の砂嵐の中、オアシスにたどり着いた。そこに二人の母娘がいた。二人は非常に衰弱していた。特に幼い娘の方は、重い病にかかっているようで、息も絶え絶えである。当然、看病したのであるが、どうにも具合が良くない。そのとき母親が唐突に砂嵐の中へ出ていこうとする。私は慌てて止めた。自殺行為だからだ。だが母親は「遠い町にユニコーンの角が出回っていると聞いた、それを持ってくる」と話を聞かないのだ。そのなりふり構わない様子を見て、私は折れた。懐から一粒の欠片を取り出す。それは、心無い人々に渡してなるものかと、できうる限りをつくして手に入れた友の形見だった。娘はその欠片の力により一命をとりとめる。母親は泣いて喜び、感謝の意を示してくれた。私はそんな彼女の様子に故郷の母の姿を思い出した。

 そうしてたどり着いたのは、かの魔法使いの住処の直近の町である。私はそこで行商人から一つの手紙を受け取ることになった。その内容は「母、危篤」という極めて簡素な内容だけである。私は衝撃に打ちひしがれた。しかし今から故郷へ帰ろうにもどれほどの時間がかかるというのだろう。よしんば持ちこたえてくれたとしても、状況を解決できるだろう友の形見は、もうない。私は一縷の望みをもって、魔法使いの住処へと足を向けた。


「だから私はここまで来た。どうだい幸せな旅だったと思うかい?」


 語り終えた私は魔法使いの彼女にそう問いかけた。手の中にあるミルクの杯はもう冷たくなっている。


「まったく思わないね」

「それでも私は、この旅路をまったく後悔はしていないんだ。むしろ誇りにすら思う」

「どうして?」

「旅立つ前から謎だったんだ。幸せとは何かとね。こんなに不確かなものはない。それを知るために旅立ったと言ってもいい。だから、ないと言われてスッキリした」

「そう。それで、あなたが手に入れた確かなものとは、いったい何だったのかい。聞いた限り、あなたは何一つとして得たものないと思うけれど?」


 魔法使いが核心を問うてくる。私は形にならないそれらを、なんとか言葉にまとめると、口を開いた。


「もしもだ、旅の中で何かを一つだけやり返すことができるとしても、私は何も選ばない。すべて繋がっている。得たものがあって失ったものがある。この旅路は私にとってはかけがえがない。どれ一つでも欠けてはいけない。この気持ちはいったい何だろうか。幸せではない。しかし、それこそが私の手に入れた確かなものだ」


 あやふやなこと、この上ない返答だ。だがその気持ちだけは揺るぎない。旅の結果、親不孝を成してしまったとしても、その気持ちを裏切ることだけはしてはいけない気がした。

 魔法使いは「そうか」と一言そう呟くと、私の空になった杯を取り上げて席を立った。そのまま奥へと入り込んでいき、姿が見えなくなる。私もそれで話は終いだと悟り、失礼しようと立ち上がる。それを遮るように彼女の声が聞こえてきた。


「ところであなたの話している魔法使いだけれども、何でも願いをかなえるなどできないし、ましてや人を幸せにするなんてことはできないよ」

「そうだろうね。すまない」

「けれど、遠い地へと早く移動することはできるし、場合によっては重病の母親を治すことぐらいは、できるかもしれない。何でもその魔法使いには、姉と病をもった姪がいて、近々、その病気を治療するために訪れるのを待っていたらしい。もしそんな彼女らを救ってくれた人がいたのならば、きっとお礼の一つぐらいはするだろうね」


 そう聞こえてきたと同時に、魔法使いが現れた。その姿は明らかに旅装である。私は彼女の意図に気づいて、深い感謝を示した。


「いや、あなたの話を聞いて、私も旅に出たくなったのさ。やはり、ずっと立ち止まっていてはいけないね、訪ねてくるのは馬鹿ばかりだ。そして私はあなたの旅路を聞いて、一つ、伝えておきたいことがある」


 魔法使いの彼女は、破顔して告げる。


「――あなたが一番の馬鹿だったよ」


 それをみて私は思った。

 幸せなんてどこにもない。

 だがその笑顔は、幸せなんてものよりも、ずっと尊いもののような気がした。

 長い旅路の果てに、私はそれを手に入れることができたのだ。

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七つのショートショート 久保良文 @k-yoshihumi

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