学会発表しなくっちゃ!

武田正三郎

黒じゃないよ…

 化学の実験と言えば、試験管に入った色とりどりの液体を思い浮かべる人も多いだろう。白衣を着たメガネきらーんのお兄さんが、ビーカーから何やら液体を注ぐと、ぱっと色が変わるというあれだ。

 

 でも、ちーちゃんが喜々として眺めているマンガン酸リチウムは、はた目から見たら、使い古した鍋の底にこびりついたお焦げのような地味な黒い粉だ。


 実験台の薬品棚には、マンガン酸リチウムが入ったガラスのサンプル瓶がずらりと並んでいる。さながらスパイス棚のようだ。ひとつひとつの瓶に入手先や日時などサンプルの素性が記入されたラベルが貼ってある。十何種類あるだろうか。その全てがマンガン酸リチウムである。


 研究室に入り浸っているちーちゃんのところに、友達のともちゃんが遊びに来た。新しく手に入れたマンガン酸リチウムのサンプル瓶にラベルを貼っているちーちゃんを見て、ともちゃんは、


「ちーちゃんも変わってるね、そんな黒い粉のどこが面白いの?」


と、訊ねた。


「黒じゃないよ!」


ともちゃんから見て黒い粉でも、ちーちゃんには色とりどりの粉に見えるのである。


「ほら、こっちのは赤っぽいでしょ、こっちのは青っぽいでしょ」


でも、ともちゃんには、やっぱり黒にしか見えないのである。


「そうかなあ」


 と訝しむともちゃんを尻目に、ちーちゃんは、サンプル瓶のひとつを取り上げ、うっとりとした目つきで眺め、その瓶を傾けたり振ったりしながら呟いた。


「この色、絶対、性能でると思う」


 マンガン酸リチウムは、電気自動車に搭載されるリチウム電池の材料だ。より高性能な電池を目指して世界中で研究開発が進められている。

 もっともちーちゃんは、より高性能なリチウム電池を研究しようと思って、ここに来たわけじゃない。ちーちゃんは、工学系のクラスの数少ない女子の中でも、ちょっと浮いていて、居場所を探し求めているうちに、この研究室に辿り着いて、居ついたのである。リチウム電池と出会ったのは、そのあとだ。


「ねー、実験のレポート終わった?」


 ともちゃんに促されて、ちーちゃんもようやく思い出したようだ。少なくともともちゃんから見たら真っ黒なだけのマンガン酸リチウムからやっと目を離して、振り返った。


「あ、忘れてた!〆切いつだっけ?」


「明日だよ、だいじょうぶ?」


 マンガン酸リチウムに夢中になって、まったく実験のレポートに手をつけてなかったことに気づいたちーちゃんは、慌てて白衣を脱いだ。


「これから、いっしょに図書館行かない?」


 ふたりは、研究室を出て、図書館に向かった。


 ちーちゃんは、学生実験より、研究の方が楽しかった。手順通りにやって、うまくできたねと、教授に褒められることより、どんな結果が出るかわからない実験の方がずっとわくわくした。しかも文章が書くのが苦手だったちーちゃんは、実験のレポートも苦手だった。しかも何度も書きなおしさせられる再レポには、ほとほとうんざりしていた。


 ちーちゃんは、図書館につくとバックパックからレポート用紙を取り出した。そして、ともちゃんのレポートを申し訳程度に語尾を変えた、ほぼ丸写しのレポートを書き始めた。ワープロでコピペすれば早いのに。でも担当教員からワープロは禁止されている。同じグループで手順も結果も共有しているのだから、違うレポートになる方が変だなあと、ちーちゃんは思うのだった。でもここは我慢して単位取らないと。ちーちゃんは、お世辞にも優秀とは言えない自分の成績表を思い浮かべた。


 ともちゃんと学生食堂で夕飯を食べたあと、ひとりで研究室に戻ったちーちゃんは、もう一度マンガン酸リチウムのサンプル瓶を取り上げた。わずかに青みがかって見える。どうしてともちゃんは黒って言うのかなあ。


 やっぱり、黒じゃないよ、と思った。

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学会発表しなくっちゃ! 武田正三郎 @shozaburo_takeda

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