炎色
群青更紗
第1話
始業式は喪に服した。夏休み中に同級生が死んだ。校長は淡々と紹介したが、噂は夏休みの間に回ってきていた。
「あいつホモだったらしいぜ。それで告白された後輩にフラれて自殺したんだってさ」
塾の夏期講習で連れ合いが興奮して話していた。自殺した彼と僕と僕とは面識は全くなかった。一学年三百人のマンモス校では、そんな関係はザラである。
「カマっぽいとは思ってたんだよな。何かナヨナヨしてるっていうかさ」
教室に戻ってホームルームを終えると、早速クラスメイトたちが噂話を始めた。
「後輩、今日来てねーってよ。そりゃそうだよな、可哀想に」
「とんだ被害者だよね。オカマだかオナベだか知らないけど、ホモから告られるってだけでもショックなのに、その上自殺されるなんてさ。もらい事故もいいとこだよね」
とりわけ口さがない男女グループが、声高にさえずる。その語気には嘲笑が聞き取れた。誰もそれを咎めなかったし、むしろそれが当たり前の空気だった。
僕もその一人だった。男が男を好きになるなんて気持ち悪い。考えただけでもおぞましい。興奮を増す噂話は、やがて男性同士の激しい愛し合い方についての下品な描写にまで発展していった。僕は辟易しつつ教室を後にした。廊下に出ると、他のクラスも似た噂でもちきりのようだった。
「フラれたくらいで自殺するような豆腐メンタルの奴が告白なんかするんじゃねーよなー」
夏の熱気の残る中、浮かされたようにそんな雑言が飛び交っていた。
僕は知らなかった。自殺した同級生が、姉の恋人の弟だということを。
だから何の気なしに言ったのだ。「同級生にホモがいて、失恋して自殺したらしい」と。両親が帰宅する前のリビングで、世間話のつもりだった。姉は静かに「知ってる」といい、だがすぐ続けて「でもそれは真実じゃない」と言った。僕は思わず姉を見た。姉は真っ直ぐに僕を見ていた。
「たか君が後輩に告白したのは事実。振られたのも事実。でも自殺じゃない。何があったのかはまだ誰にも分かっていない。仮に自殺だったとしても、それは振られたからじゃない。たか君がゲイだということを、後輩が暴露したからよ」
アウティングという言葉を僕ははじめて聞いた。カミングアウトの対義語で、当人の意に反してセクシャルマイノリティを暴露することを指すという。たか君と呼ばれた同級生は、後輩のアウティングによって心身を崩し、部活にも殆ど出られなくなっていたという。
「事件の前から知ってるし、事件のあとも知ってる。事故のことも知ってる。たか君は自殺したんじゃない、アウティングに殺されたのよ」
ここまで淡々と話したあと、姉はひと呼吸置いて言った。
「清彦は今まで、誰かを好きになるとき、自分の意志で決めた?」
「え?」
姉と恋愛の話など一度もしたことがない。それだけでも戸惑ったのに、姉は僕の心を見透かしたように続けた。
「清彦は、自分の好きになる人さえ自分で決められないのに、他人が好きになる人を自分が決められると思っているの?」
望んでセクシャルマイノリティになる人間などいない。特に今のこの国では、根強い偏見の目がある。それでも信じた、愛する人に打ち明けて、なのに意志に反して噂を広げられ、偏見あるいは偏見に晒されることへの恐怖に包まれた――それが想像出来る?
自殺したとされている彼・高峰君は、部活の顧問にもスクールカウンセラーにも相談していたそうだ。けれど「お前が我慢すればいい」「頑張っていればいいこともあるよ」、果てに性同一性障害専門クリニックを勧められたという。最初それのどこがいけないのかと思ってしまったが、「身体と心の性の不一致と、性的嗜好は全く違うのよ」と質問するより先に一蹴されてしまった。高峰君の遺族は現在、学校側に説明を求めているが、彼らは拒否してきたという。まるで、臭いものに蓋でもするように。
高峰君の残した記録を元に弁護士を立て、訴訟も辞さない覚悟だそうだ。姉も出来る限り協力するつもりだという。
姉の言葉に、僕は打ちのめされていた。それは、姉が思っている以上に僕を打ちのめしていた。僕は夕飯も食べずに自室へ引きこもった。ベッドに突っ伏しながら、僕はずっとひた隠しにしてきた、心の蓋を開けた。
そうだよ。僕は姉さんが好きなんだ。そしてそれは、僕の意志ではどうにもならないんだ。
(了)
炎色 群青更紗 @gunjyo_sarasa
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