第36話 何人でも旅は楽し

 町を出るのが早かったせいで、街道には人一人も見当たらなかった。歩いているのはハーミーズとアルテナだけであった。


 財布が無い、食料が無い、先が見えない、三拍子そろって在るのはお荷物の少女だけ、と彼は肩を落とした。自分の前を飛ぶように歩く彼女に目をやった。彼女も一応自由の身である。日の当る街道を何が嬉しいのか、スキップしながら行く。あれではすぐに疲れ切ってしまうだろうに、と後ろ姿を矯めつ眇めつしていた。


 何やら腑に落ちない部分も多いが、逃げ切れたのだからよかったのだろうと自分に言い聞かせ、ハーミーズは次の街でどうやって金を稼ぐか検討する。とりあえず歩きながら木彫り細工でも作って売ろうと、メルポメーネの家にあった恐らくゴミと思われる木片を勝手に貰ってきて削っている最中だ。


 それからまた砂金が採れる川もあったら二人で採る。あるいは魚を燻製にして食料を調達して、余った分を市場で売るという手もある。最終手段は農家の手伝いをして駄賃を稼げばよい。これからは麦の取り入れ時期だ、どこの農家でも人手は足りないだろう。


「そうだ、アルテナに魔布作ってもらえば少しは旅が楽になるし、売れるかな」

『ハームは金の王者だね』

「王者なら金に苦労はしないはずなんだがなぁ」


 どこから毟ってきたのか、猫じゃらしを片手にアルテナは走ってきた。ずっとにこにこしっぱなしで、顔の筋肉が疲れてしまうのではないかと言うくらいずっと笑っていた。


 ハーミーズは彼女の後ろ姿を見て、同じ髪の色をしたもう一人の少年を思い出す。本来ならば、もう一人笑っている少年がここに居てもよかったはずなのだ。だが彼は朝日に溶けるようにして消えてしまった。子守唄を聞きながら、眠るように消えてしまった。


 その時アルテナが歌った子守唄が、ハーミーズの頭の中で未だに流れ続けている。無意識のうちに鼻歌で歌っていた。


『その子守唄には続きがあるんだよ』

「そうなのか?」

『うん、お父さんが子守唄にメッセージを隠しておいてくれたの。思い出したんだ』


 アルテナはメモ帳に書いた詩を見せた。それはたったの3行しかなかった。


『三角四角五角六角八角形回り回って最後は円へ

 内なる角を約束の数で除するなら

 破片の言葉を君たちに贈ろう』

「どういう意味だ、こりゃ」


 ハーミーズは木を彫るのを中断して、破られたメモを見る。そして歩きながら首を捻った。隣では猫じゃらしを振りながらアルテナがニヤニヤと笑っている。


『ヒント欲しい?』

「いや、いらん。俺はこういうのは自力で解きたい派だ」


 しばらく悩んだハーミーズは、次の瞬間顔を上げて猛然と計算をし始めた。


「つまり、60、90、108、120、135……で、つまり3? で、除す……と」

『分かった?』

「この前の詩を書いてくれ。たぶんこの数の場所の文字を拾っていけば分かる」


 ハーミーズは書かれた詩を受け取り、一文字ずつ丸を付けていく。そしてその作業を終えるとため息を吐いた。これこそ、フォーバスが欲しがっていた一言ではなかったのだろうか。今この場に彼がいればよかったのにと悔やまれる。


「フォーバスも一緒だったらよかったのになぁ……」


 思わず口を衝いて出た言葉に、ハーミーズ自身驚き、そしてアルテナを見る。彼女にこれを言ってしまっては、いけなかった。せっかく笑っているのに、また泣かせてしまうかもしれない。だが予想に反して、振り返った彼女は笑っていた。何かいたずらを企んでいるような笑いだった。


 後ろ向きに歩く彼女が、目を閉じる。目を開ける。


 雰囲気が変わった。少し釣り目になったような、少し生意気な少年のような笑み。あっけに取られてハーミーズは一瞬反応が遅れる。


「お、おい!」


 少年の名を呼ぶ前にアルテナの姿をした者は目を閉じてしまった。次に目を開けた時には、またお転婆な少女の顔に戻っている。


 まだ呆けているハーミーズの目の前で、アルテナは自分の胸を指さした。そして鮮やかに笑う。

どうやらそこに居るらしい。

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無音の歌姫 鳴海てんこ @tenco_narumi

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