第35話 七十二歳の処世術

 二つの通行証を渡し、ヤヘカはピンと一本指を立てる。


「まずはアルテナ」


 呼ばれた彼女は何も答えず、少し手を挙げる。顔は少し緊張していて、まだ一昨日打ちのめされたことが尾を引いているように見えた。


「喋らないこと」

『え?』

「そう、そのメモ帳で会話すること」


 提示されたメモを指さしながら、ヤヘカはニヤリと笑った。それくらいなら、なんなく出来てしまうことだ。それが通行料なら、実験体暮らしから逃げ出すアルテナにとっては安いものだ。


「やっぱり魔術が制御出来ないのはよくないからね」

『そんだけ?』

「あと無暗に魔術を使わないことくらいかな。何でも魔術で解決しちゃダメ、魔術以外で解決することを学んでほしいの。約束出来る?」

『出来る』


 大きく頷いたアルテナに、ヤヘカは満足そうに頷いた。そしてもう一人の脱走者に顔を向ける。


「次、ハームちゃん」

「ハイなんで、しょうか」

「覚悟を決めたら、ちゃんと中将に会うこと」


 腰に手を当てて、ヤヘカは幾分か偉そうに言った。だが拍子抜けしたのは言われた方だ。どんな難題を突き付けられるのやらと怖々としていた表情が一瞬で。まるで祭りの面のようになってしまった。


「そんな事か?」

「そんなことって言うけど、今すぐ会えって言ったら逃げるでしょ?」

「そりゃあ、なあ」


 拍子抜けした顔のまま、ハーミーズは頭を掻いた。今ここで、今の今まで嫌っていた父親と会えと言われればそれは無理だ。だが少し日を置いて、何とか心の整理を付けてからなら、何とかなるかもしれない。


「中将には何とか僕から言っておくよ。大丈夫だと思うよー意外に子煩悩な御方だから」


 父親に対して厳格な印象しか持ち合わせのないハーミーズは首を傾げたが、ヤヘカが言うならたぶんそうなのだろうと思う。子供の自分よりも親をよく把握しているというのは、いささか不思議な気分であった。


「他に何かある?」

「ケーロスの件はお前に任せる」

「分かったよー。出来ればこれから旅はどっち方向に行くかくらいは教えといて。それからお土産よろしく、これ絶対ね」


 やっと覚醒してきた顔をしながらヤヘカは言う。狐に抓まれた気分で、ハーミーズは街道を北に行くことを伝えて大通りを出た。足早に裏路地から遠ざかって行った。


「どうして、逃がしたんですか! これは軍法会議ものですよ!」


 やっと痛みが魔術の幻覚だと気付いて立ち上がったプラトが、冷静な彼女には似合わないヒステリックな声で叫んだ。かなり大きな声で、まだ起き始めていない町には騒音でしかない。ヤヘカは人差し指を一本立てて静かにするように言いながら、路地裏を婆の家へと戻り始めた。その後ろから肩を怒らせてプラトはついてくる。


「プラト君は、実験体暮らしをしたことが無いでしょ」

「もちろんありませんが、それが何か!」

「あれは、酷く苦痛なんだ。自分がモノのように扱われることがどれほどしんどいか、多分それは扱われた人しか分からない。理由はそれだけだよ」


 ヤヘカはまた眠そうな顔をして欠伸をした。欠伸をしただけだったが、ヤヘカはそれ以上の質問を受け付けないような雰囲気を纏っている。


 プラトはヤヘカの過去をよく知らない。だが先天性魔術師として最初の軍人になるべく、孤島に隔離されて教育されたらしいことは知っていた。軍人とは聞こえのいい表現であって、実質的には戦闘訓練を積まされていた、いわゆる人間兵器である。


 そのため隔絶された世界の中から出て、初めて人間として扱ってもらったディエウス中将のためならば、ヤヘカは何でもやった。命さえも惜しまないというのは、伊達や酔狂ではない。狂信者だと噂する者もいた。


「しかし、ハーミーズ様は都に戻られるべきなのでは? もちろんアルテナだって、一緒に暮らすことくらい可能かもしれませんよ」


 尚食らいつくプラトを、いかにも面倒くさそうに振り返ったヤヘカは軽く睨みつけた。それからいかにもめんどくさそうな顔になって口を開く。


「三年前のハームちゃん家出騒動の前後にね、変なことがあったんだよ。ハームちゃんに、高等学校を卒業後に軍への配属の内定が無理やり出されていたんだ。内定というより召集に近かった」

「それなのに家出って、それ処罰ものですよ?」

「うん、行かなきゃ処罰されるよね。でもハームちゃんは行かずに行方をくらましたの。だから都の警邏が出入りの人の出入り監視を強めた時期があったんだけど、ハームちゃんはその中から一人で飛び出して家出して行った」


 今にもベッドに飛び込みたそうな顔をして、ヤヘカは大きく首を横に振った。その態度に、さしものプラトも不思議に思ったようで、口をきゅっと締める。


「確かにとびっきり頭が良くって中央高等学校の首席。とはいえ一介の学生が、強化された都の警邏に全く引っかからずに都から出られると思う? ましてや逃げる側は補助的な魔術すらも使えないんだよ?」

「それは、……そうですが」

「そして僕は捜索隊には参加してない。ハームちゃんがいなくなる直前に別の都市の任務に行けって中将直々に言われてたんだ。ハームちゃんの行動を一番よく知る僕を含まない捜索隊に、意味なんてあったのかな」


 大きくため息を吐いたヤヘカはまだ裏路地を歩き始めた。後ろからさっきまでの勢いを失くしたプラトがついてくる。腕を組み、思案顔で首を傾げている。


「つまり、国や軍から逃がす目的だったと?」

「さぁーね、僕知らなーい。でも先天性魔術師より珍しい抗魔体質がいると分かったら、どうしたって研究したがるやつはいるだろうね」

「なるほど……」


 頷きながら、それでも納得出来ない様子でプラトはため息を吐いた。全くもって、板挟みとはこういうことかもしれない。軍務を優先させれば、義理人情が立たなくなる。ため息を吐く他に、下っ端の軍人には出来ることが無さそうだ。そんな彼女の横顔を見て、ヤヘカが眠たそうにつぶやく。


「要は、最低限大事なものだけは貫き通す覚悟と、言い訳のバリエーションさえあれば大体大丈夫ってこと」

「そんなもんですか」

「そんなもんそんなもん」


 小さな体で七十二年も生きてきた魔術師はめんどくさそうに手をひらひらを振りつつ、大あくびをした。

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