第34話 でこぼこな再脱走
海から押し寄せる朝霧に紛れて、路地裏から抜け出す二人組の姿があった。片方は背が高く荷物を背負っており、もう片方は背が低い金髪の女の子に見えた。
周囲を警戒する動きはあからさますぎるほど不審者然としていた。周りの気配を探りながら、誰もいない路地裏を縫うように歩いて行く。誰かに追われているようにも見受けられた。
「本当にあの二人から逃げられんの?」
「おいこら喋るな、メモ帳を使え。お前が喋るとどんな魔術が発動するか分かんないんだからな」
ハーミーズは慌ててグローブをはめた大きな手でアルテナの口を塞ぐ。そして周囲を見回して何も浮遊したり点滅したりしていないことを確認して口を塞いでいた手を離した。
『大丈夫だよ。だってハームが触れば、どんな魔術も無効化されるんだから』
「あのな、俺の身にもなれよ。燃えている物は触れないだろ?」
がんばれっと声に出さずにアルテナは言って、また歩き出した。
昨日、一人の軍人と一人の子供を連れてきたこの二人組は、荷づくりをしてくる言い残して一日ほどメルポメーネの家に厄介になっていた。この二人、もちろんのことながら、アルテナは研究所に戻されることになっていたし、ハーミーズに至っては都まで強制連行の段取りが既に付いていた。
彼のエスコートという名の連行はもちろんあの子供戦車が行う予定であった。双方の処遇は、その旨を手紙飛行機の速達で、昨日のお昼前に送っている。手紙は昨日の夜半にも都に着いているだろう。
そろりそろりと歩くハーミーズは、何としてでもこの窮地を脱して、元の家出旅に戻りたかった。だからこそ、アルテナが寝ているうちに行動を起こしたのだ。しかし彼女はまるで体内に感知器でも持っているかの正確さで、彼が起きると同時に付いてきた。彼女いわく旅は道連れ世は情けというところだった。
「くそぉ。俺一人なら、ヤヘカたちから逃げ遂せる策くらい持ってたのに、二人じゃどうにもならないじゃないか」
『魔術で出来ることなら助けるよ!』
「だったら金出してくれ。あのばあさん、俺の財布の中身全部飲んじまったらしいんだ。おかげで荷物しかない」
『それは無理。昔から、金と美女と頭だけは魔術でもどうにも出来ないの。でもハームはそのうち二つは持ってるんだからいいじゃない』
そうこう言って書いている間に、町の大通りに出ようとしていた。この通りに出てしまえば、街道まではもうすぐ、目と鼻の先である。
「後方よーし、気付かれなかったらしいな」
自分たちの後ろを指さし確認したハーミーズは、アルテナの手をとって大通りに出ようとした。だが、手を持たれた少女の方は、それを振り払いメモ帳に何事か書きつけている。
「おい、何書いてんだよ! 早くしろ!」
「ハーミーズ様……」
声がした途端、呼ばれた本人は振り返った。その後ろではアルテナが『前方に敵影あり』のメモを振っている。その表情は、ちょっと遅かったなあ、と言っていた。
「逃げ出そうなどと、そんなことは出来ませんよ」
腕組みをしたプラトは大通りへの細い路地を塞いだ。彼女の後ろから瞼が半分も開いていないヤヘカが顔を覗かせる。大きく欠伸を一つした。
「邪魔しないでくれ、誰が研究所なんかに戻りたがるか。それに俺はまだ家出中!」
「理由はお聞きしておりません。事実、魔術の制御が未完成なアルテナは非常に危険な存在です。それにあなたは将軍の御子息です。いつなん時どこから危険が及ぶか、そのために中将がご決断出来ない場合は国の大事に至ります」
プラトの言っていることが正論なのは火を見るより明らかである。例え彼女が軍務で言っているにしても、本来なら従うべき言なのは間違いない。
だがハーミーズは歯を食い縛って後ろへ後退した。どうしてもまだ、家には帰りたくなかった。どんな顔をして、今まで逆らい続けた父親に会えと言うのだろう。会ってみようかとは思った、だが決意するまでには至っていない。
それに何より、世間を知らないアルテナに、旅をしていろいろと見せてやりたいとも思った。彼女だってまた実験体暮らしをしたいとは思ってはいないだろう。
「大尉も何か言ってください。ここでハーミーズ様に逃げられたら、中将に何と言ってお詫びすればよいか」
「別に……旅続けても、いーんじゃない……の……」
「寝ぼけないでください!」
「プラト君うっさい」
ヤヘカは大きな欠伸をしながら、プラトの足を蹴飛ばした。
「もげろ」
朝の静かな路地裏にプラトの絶叫が木霊する。蹴られた足を手で掴み、足が足がと叫びながら転げ回っている。どうやら蹴った一瞬で幻覚作用の魔術でも掛けたらしい。そんな彼女を尻目に、ヤヘカは逃げ出す気満々の二人を見比べる。
「はい、通行証。一昨日の事件以来軍が封鎖してるのに、どうやって通行証無し一般人が町の門を通ろうって言うんだよ」
「ああ、そうだな……ありがとう」
素直に二枚分の通行証を受け取り、眺める。印もあり、ヤヘカのサインも入っている。どうやら本物らしい。
「ほーら、鬼ごっこの鬼が痛がっている間に逃げなきゃ。ぐずぐずしてると捕まっちゃうんだよ、習わなかった?」
ハーミーズは困惑しつつ、足を抱えて転がるプラトを見る。哀れな鬼役はまだ自分の足が無事であることに気付いていない。
「……これで、いいのか?」
「何が?」
ヤヘカの行動に疑いの眼差しを向けながら、ハーミーズは呟いた。その後ろで、アルテナも同じように眉をひそめる。その光景を微笑ましそうにヤヘカは笑う。いつもの子どもっぽさを脱ぎ捨てて、数十は歳を食った大人の表情をして含みのある笑い方をした。
「もちろん、通行料は払ってもらうよ」
ごくりと生唾を飲み込む音が、二人から聞こえた。
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