カツレツ丼
絹糸
谷崎潤一郎風味
私はその女が料理をするところを見てみたいと思った。女は、長い手を外から見ても美し
いとわかる胸の下で組んで私の顔を覗き込む。
「旦那さん、注文は」
「君がおまんまを作るのかい」
「エエ、今は私しか作れる人がいないのよ」
「カツレツ丼はあるかい」
「あるわよ。カツレツ丼でいいの」
「そう、頼むよ。君の手で作っておくれ」
「変な人ね、オホホ」
女は、尻を妖艶に振りながら、厨房の陰に隠れた。その隙から、私は上に貼ってあるメニューを見るふりをして、女の長い手足が艶めかしく動くのを見ていた。
今頃、女は卵の黄身の薄い皮を割って音を立てて液になるまでかき混ぜているのだろう。怯えたように泣くカツレツの上に容赦なく巻き散らかして、熱く包み込ませる。卵と喘ぐカツレツが我慢ならないようにたれをひたひたと流して、上気した真っ白い飯の上に寝かされて、私の前に躍り出た。
「お待たせ、旦那さん」
私は、箸を割りながら目の前でせわしく動く女とカツレツを見比べる。
箸を入れると、ふるりと震えた卵が白飯に添えられて私の口に入り込む。カツレツの味を覚えた卵は自らのことを忘れたようにカツレツのたれを私の舌にも覚えこませる。
中心に、ぐったりと横たわるカツレツを持ち上げると、まだ足りないのかたれがカツレツを伝ってぼたぼた落ちる。
苦しそうに待つカツレツを横に据え置き、下の溢れたたれを吸い込んだ白飯を口に運ぶ。私の口の中はたれの味ばかりになった。こうやって白飯が旨いと、さぞかしカツレツは旨いに違いない。
そう思えば思うほど、白飯が止まらなくなった。白飯を椀の内まで箸を沿わせて舐めとると、卵に絡まれたカツレツがビチョビチョとたれを自らに留めて固まっている。
私はカツレツの切れ目にそっと箸を入れ、中を覗く。カツレツは素直に受け入れて裂かれる。外に出すぎてしまった潤いのせいで中は少し渇いていた。少し残念に思いながら徐に口に含むと汁がこれでもかと溢れてきた。
私はカツレツの暴挙に夢中になり仕切りに噛んではカツレツを含んだ。たれとカツレツ自身の汁が混ざって舌が絶頂を迎えそうになる。カツレツをむさぼり食って、卵の一欠けを口に含んだ時、丼には何一つ残っていなかった。
「良い食べっぷりですのね、オホホ」
カツレツの女が締めの茶を置いた。女はそのまままたせわしく長い手足を動かして、今度は私のではないカツレツ丼を作っていた。
私は、なぜかカツレツの女の味をしめた気がして、そのカツレツ丼が他の口に入るのを見るのがとても億劫に感じた。
しかし、茶を飲み干して店を出てまたおいでなすって、と言われた時誰かに入っていくカツレツ丼を眺めるのも悪くなかったかもしれないと思った。
カツレツ丼 絹糸 @silk_thread
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