そのさん(おわりのはなし)

「俺に勝てる奴なんかいないだろ!」


 そんな騒がしい声でチコリーは目を覚まします。

 辺りを見回して、何かがおかしいことに気付きました。公園にいることは確かなのですが先ほどとは様子が違います。


 目の前には透明なプレートのようなものがあり、それはチコリーの四方八方を囲んでいました。甘い香りがするのでそちらを振り返るとゼリーが一つ。


「変な虫捕まえた!」

 そう言って男の子がこちらを覗き込んでいました。

 チコリーは虫かごに閉じ込められていたのです。


 ようやく状況を理解した妖精は、虫かごをどんどん叩いたり足で蹴ったりしてみますが、びくともしません。


 そうこうしているうちに、虫かごは大きく揺れ、チコリーを小学校三、四年生の男の子たちが覗きます。


「変な虫!」

 みんなそう言って笑います。

「虫じゃなーい!」

 チコリーは毛を逆立てる勢いで怒りますが、男の子達は「変なの!」とか「怒ってる!」と笑うだけ。


 好奇心たっぷりの瞳に見つめられ、恐怖を感じました。今から何が始まるのでしょう。スイーツ食べ放題ではないことは確かです。


 すると、ガタイの良い男の子が虫かごを覗きながら言います。

「こんなのが俺のカマキリに勝てるわけないじゃん!」

 ガタイの良い男の子はそう言うと、ボスと名がついていそうな大きなカマキリをこちらに見せつけてきました。


「決闘させてみないと分からないだろ!」

 虫かごの持ち主らしき男の子が反論。『決闘』という言葉にチコリーは嫌な予感がして、さらに暴れ出します。


 その時、視界の隅に何かを発見。よくよく見てみると地面に倒れ、ぐったりとして動かないカマキリでした。


 そこでチコリーは次の決闘の相手は自分で、そして敗北したカマキリの二の舞になるのかもしれないと悟りました。全身から嫌な汗がぶわっと吹き出します。


 ボスは口でカマを丁寧に手入れをしていて余裕そう。


 がたがたとチコリーの体が震え、恐怖の荒波に飲まれそうになります。

 ふにゃりと顔が歪みかけたので、頬をぱちんと両手で叩きます。

 今は泣いている場合ではありません。


 チコリーは歯を食いしばって怖さをかみ砕き、ここから無事に逃げる方法を必死で考えます。

 大きくなる魔法は物にしかかけることができません。それ以外で自分の武器になるもの。


 自分しかできないこと。

 そこでチコリーは閃きました。


 対戦する時は虫かごから出されるので、その隙に飛んでしまえば良いのです。

 カマキリが追いかけてきたら話し合いをすればいいし、話ができない奴なら逃げるしかありません。


 そして、チコリーは妖精に代々伝わる『早く飛ぶおまじない』を試してみることにしました。

 気休めかもしれませんが、ないよりはマシだとチコリーは考えたのです。


「じゃあ、虫カゴから出して」

 その声に、無意識のうちに昆虫ゼリーに手を伸ばしかけていたチコリーの体がつかまれます。


 男の子が地面にチコリーをおろすと「試合開始!」と掛け声。

 その声を合図にするかのように、勢いよく彼女は上へ飛び出します。

 

 無我夢中で羽を動かし、とにかく高い場所を目指しました。

 気を紛らわせるために、早く飛べるおまじないを唱えてみます。

 

「変な虫が逃げた!」「捕まえろ!」と男の子達が騒いでいますが、逃げることに夢中なチコリーの耳には届きません。カマキリも追ってこないようです。


 そして、男の子たちの手の届かないところまで来た、その瞬間。

 体が急に重くなりました。


 何が起こったのか分からず、チコリーは周囲を見回しますが敵はいません。

 すると、再び体が重くなります。


 胸の辺りに特に重みを感じ、チコリーはハッとして胸に手を当ててみました。

 なんとブローチが元の大きさに戻り始めたではありませんか。


 実はさきほどチコリーが唱えていたのは、遠い記憶の彼方で聞いたおまじないではなく、『物を大きくする呪文』だったのです。

 頭がパニックになって、使い慣れている魔法の呪文を唱えてしまったのでしょう。


 少しずつ、そして確実にブローチは人間用のサイズに戻ろうとしていました。

 チコリーはその重みでゆっくりと落ちていきます。

 体が重くて体も羽も動かせません。


 仰向けの姿勢のままゆっくりと落下していくのを止めることができず、なんとか頭をフル回転させます。

 しかし、何も名案は思い浮かばず公園が近づいてきます。

 男の子達の声が再び近くに聞こえてきました。


「戻ってきたぞ!」

 そんな声と共に伸ばされる手を避けることすらできません。

 とうとうチコリーは死を覚悟しました。


 健太、ママ、いつも出張ばかりだけどたまに帰ってくると美味しいお菓子をお土産にくれるパパ、ヒジキ、君香、碧。


 そして故郷の家族。


 チコリーの頭の中で、大事な人の顔が走馬灯のように浮かびました。


 男の子の爪の先に妖精の七色の羽が触れた時。

 ふわりとチコリーの体が浮かんだかと思うと、一気に急上昇。

 男の子達が、公園が、どんどん小さくなっていきます。

 

 チコリーを助けてくれたのはカラスでした。

 カラスはご機嫌でブローチをくわえ、優雅に空を飛んでいます。


「もしかして、このブローチ目当て?」

 チコリーの問いに、カラスはこくりと頷きます。

「それじゃあ」

 チコリーは軽くなった体と空いた両手で、呪文を唱えてから唱えてからとんとん、と二回叩きます。

 するとブローチは途端に小さくなり、カラスの口ばしからするりと抜けてしまいました。


 落下するチコリーが羽を動かそうとすると、カラスは背中に乗せてくれました。

「優しいね! はっ?! まさか私を食べようって気じゃあ……」

『俺は虫しか食わない主義でね。ちっこい人間みたいなあんたなんかに興味はないよ』

 カラスはそう言うとかぁーと笑いました。


「良かったあ。じゃあ、約束通りブローチあげるねっ!」

『タダでくれるのか?』

「うん。あなたは私の命の恩人だからね」

 チコリーはそう言ってから自分の任務を思い出してこう付け加えます。

「あ! でも一つだけお願い。第二中学校までの道を教えてほしいんだ」

『第二中学校か。それならこれから行くカラス集会への通り道だ。送るよ』

 カラスはそう言うと、ふわりと風に乗りました。 


 カラスの背中に乗っていたら、あっという間に中学校に着きました。

 チコリーはブローチをカラスに渡し、何度もお礼を言って、決め顔を見せてあげます。

 お守りは、最後まできちんと役目をはたしてくれました。



 さて、とうとう中学校の前までたどり着きました。

 校門をくぐろうとしたところで、健太の姿を発見。


 もう下校の時間なのでしょう。

 潜入失敗。

 チコリーはがっくりとうな垂れつつも、健太を呼び止めるべく口を開こうとしました。


「三橋君!」

 そう言って健太を追いかけてきたのは、橘碧たちばなあおい。君香の妹です。

 碧の様子がいつもと違う気がして、チコリーは校門のそばの鉢植えの後ろに隠れました。


 立ち止まる健太に、碧は息を整えてからこう言います。


「あの! 昨日は傘を貸してくれてありがとう! それで、お礼にクッキー焼いたの! あの、えっと……食べて!」


 碧は緊張したように言うと、クッキーの入った袋を健太に押し付け、走り去っていきました。


 チコリーは見逃しませんでしたよ。走り去って行った碧の顔が真っ赤だったことを。


「やるねー、健太ー」

 チコリーはふわりと飛んで健太の肩に飛び乗りました。

「うわっ! チコリー?! なんで?! 一人?!」

 健太は驚いてクッキーを落としそうになり、慌ててそれをカバンにしまいます。


 チコリーは彼の顔をじっと見てみました。

 健太は碧が去った方をにまにまと眺めてから、今度はカバンに視線を向け、緩んだ表情のままため息をついています。


「これで一件落着!」

 チコリーが決め顔を見せると、健太は遠慮がちに口を開きます。

「あの、ずっと言いたかったんだけど、その決め顔、あんまりかわいくないよ」

「……えっ?!」

 チコリーは驚いて、両手を大きく広げたポーズのまま固まってしまいました。

 


 家に帰るまでの間、健太に今日のことをたくさん話しました。

 

「それでねっ、えいやーとおって、カマキリを叩いたら『チコリーさんすみません』ってカマキリが泣いて謝ってきたんだ! すごいでしょ!」

 チコリーは身振り手振りを添え、そして話もちょっぴり盛って、大冒険を彼に聞かせてあげます。


 健太が心から笑っているところを久々に見た妖精は、うれしくてうれしくて、やっぱりいつもの決め顔をしてしまうのでした。



<おわり>

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はじめてのせんにゅう。 花 千世子 @hanachoco

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