チョコレート・カリントウ戦争
森村直也
チョコレート・カリントウ戦争
学校祭は全員参加が原則である。
*
クラス委員の荒木信子は担任に代わり教壇に立った。
背後からリズミカルな音が聞こえ、教室は徐々に静まっていく。
「案が却下されたのは伝えた通り。時間ないからこっちで考えてみた」
『研究発表付き喫茶店』
同じくクラス委員の新谷礼次郎がチョークから手を離すと、ひそひそ声が聞こえ始めた。寝ている者、内職者、心が宙に溶けている者。空席も教壇からはよく見えた。
荒木は大きく息を吸う。
「せっかく和菓子屋とチョコ屋がいるんだから、利用させてもらおうよ」
「洋菓子店と言って!」
チョコレートケーキの種類が多い洋菓子店の湯川チヨミが訂正する。和菓子屋と呼ばれた吉備東吾が自分の顔を指でさした。
「和菓子の種類、歴史、地域差を調べても良い。創作菓子も有りでしょ」
吉備はまんざらでもなさそうに頷いた。ちょっとっ。湯川は小柄な身体で被さるように主張する。
「カカオの産地、味、違い! チョコレートの方がカビの生えた和菓子より面白いわ!」
「カビとか言うな! それならこっちはカリントウだ! ミーハーな舶来菓子とはわけが違う」
かつこつかつ。板書の音が静寂に染みる。
「……ミーハーですって?」
低い湯川の声だった。
「バレンタインやら土産物やら」
吐き捨てるように吉備は続ける。
「ミーハーと言わずしてなんという」
「駄菓子に言われたくないわ!」
二人は同時に自分の机の端を掴んだ。
「この、チョコレー党が!」「カリン党風情がっ!」
あっという間に隙間を空けて向きも変え、真正面から睨み合う。
「花梨ちゃん、チョコレートの良さを知らしめてやるわよ! 相田くん、参考書どけて手伝って!」
「貫井、何とか言ってやれ! なべさん、寝てるな!」
お互い周囲へ、巻き込むように声をかける。
佐藤花梨は頷いて参戦する。相田正喜はキョトンとした後、吉備へと机の向きを変えた。貫井佳央はさらに横へと声をかけ、渡辺和宣は三度瞬きしてから巨体の向きをおもむろに変えた。
かくして決戦の火蓋は切られた。
クラス中の机の向きが変えられた。時折、『陣地』を移る姿もある。
『中立地帯』で荒木はそれを満足げに。新谷は冷めた目で。見守っていた。
*
金山里香は俯いていた。賑やかな会話は別の世界の物語だ。いつもの通り、変わりなく。
「チョコレートには壮大な歴史があるわ」
女王の声は良く通る。そうだそうだと取り巻きの歓声が続く。
「カリントウは文化だ!」
職人集団の頭領が吠える。そうだそうだと声が追う。
「貴族の飲物だったのよ」
「庶民の味を馬鹿にするな!」
女王が言えば頭領が返す。言葉で互いを切りつけ合う。金山の頭の中は革命の予感に満ちている。
「庶民の味だからこそ、地域に根ざした味がある!」
――そうだったろうか。
ふと、視線を感じて顔を上げた。中立地帯から女教皇がじっと金山を見つめている。
――カリントウは。
金山の脳裏に文が浮かんだ。
「金山さん?」
女王だった。白い貌が目の前にあり。
かっと頬が熱くなって、慌てて金山は横を向く。
「何か知っているのね?」
肩に手が置かれた。女王が金山を見つめてくる。赤い唇がそっと言葉を紡ぎ出す。
「さあ、金山さん。あなたはきっと、チョコレー党の救世主になるのだわ!」
魅入られたように立ち上がった。さぁ。赤い唇が命令する。そう。女教皇が頷いた。
「……カリントウは日本発祥じゃないって説があるの。もともとは高級菓子。庶民に広がったのはずっと後で、チョコレートと大差ないと思う」
ここではない物語で、そんな説を。
「なっ」
革命を目指した頭領は王族の一員だったのだ――。
動揺はさざ波のように広がって。王城へと人が流れていく。
「凄いわ金山さん。さぁ、一緒に戦いましょう!」
一緒に。金山は目を瞬いた。顔を上げた先で、女王は一つ頷いた。
「すごいじゃん!」「ヨロシクね!」
転じてみれば、王城も女王も街も頭領もなく。
「かくなる上は!」
野太い声が悔し紛れの声をあげる。
「まさか!?」
威厳も何も無い少女の声が響き渡る。
「田村、うちから『例の物』を!」
低い声に、陸上部エースが教室の扉を開ける。
――ただの級友達がいた。
*
宗田良則は大あくびすると、薄い鞄を持ち上げてソリの入った頭をかいた。踵を踏んだ上履きで、間抜けな音を響かせる。教室に辿りついたなら、付き合いのように扉に手をかけた。
「宗田君!」
後ろからだった。携帯電話を片手に小柄な姿が近寄ってくる。話したこともないお嬢さん、湯川だった。
「チョコレートよね?」
怪訝な視線で見下ろした。湯川はひるむ気配も無い。
「チョコレート、好きよね?」
「まぁ……」
華が咲いたようだった。
不覚にも顔が熱くなって、宗田は慌てて明後日を見る。湯川は宗田の脇へ潜り込み、教室の扉を引き開けた。
「宗田君はチョコレー党よ!」
「……なんだそれは?」
腕を引かれた。いいからいいから。華奢な手が宗田を誘う。
「なんだと!」
「見損なったぞ!」
飛んできた声に逆に凄んだ。腕を取り戻し手近な椅子に腰掛ける。出席さえ取ってもらえばそれで良かった。
「宗田がそっちなら」
ばらばらと『子分』が移動してきた。見れば教室が二分されている。境の始点、黒板の前ではクラス委員がニヤニヤしていた。
「ふふふ。宗田君は貰ったわ。ワルぶってる人の心も溶かす事ができるのがチョコレートよ」
湯川が自信満々、声を上げる。湯川の尻を追ってばかりの吉備が悔しそうに顔を歪めた。
――面倒くせぇ。
思った時だった。
「よし君!」
甲高い声だった。学校で、決して聞くことのなかった、少年の。
「嘘なんて、よし君らしくないよ!」
教室の『向こう側』、小柄眼鏡の結城健太が立ち上がった。その両足は震えている。
「ぼ、僕は知ってるよ。よし君の大好物はおばあちゃんのカリントウだって事を!」
あに言ってんだ? 飛ぶ野次を蒼白な顔でじっと耐え。結城は宗田を見つめてくる。
――よし君、よし君。
――おばあちゃんのカリントウ、ずっと一緒に食べようね。
十年も前の夏の。黒糖の記憶と共に懐かしさが沁みだした。
「……けん、ちゃん」
思わず立ち上がっていた。結城の顔が泣きそうに歪む。
「すまんな、湯川。オレはばあちゃんのカリントウが大好きなんだ!」
境を二歩で渡りきった。更に二歩で結城の隣に腰を下ろす。
うおーっ! 鬨の声にも似た声がカリン党から上がった。
*
惰性のようにゲーム画面に向かっていた引山完司は、母親から突然受話器を渡された。
「久しぶり。クラス委員の荒木よ」
「何の用」
声はつい、険しくなった。
学校から。思うだけで心臓が音を立てた。制服を見ると頭痛がし、家を出ると尿意便意が襲ってくる。仕方なしに自室へ戻れば嘘のように治まってしまう。
――サボりたいわけじゃない。
「引山君の意見を聞きたくて」
背景音はうるさくとも荒木の声は明瞭だった。学校祭、喫茶店、チョコレート、カリントウ。要領よく語っていく。
「……チョコレート、かな」
視線を投げれば、小さな包みがあちらこちらに散っている。
「ありがとう。……ね。今、パティスリーYUKAWAの最高級チョコレートと和菓子吉備の最上級カリントウが届いたんだけど、食べに来ない? 私服で良いから」
「最高級?」
食べたい。素直に思う。しかし。
学校までのたった五分が、果てしなく遠い……。
「引山!」
声が変わった。野太い男の声は、確か駅前の和菓子屋の。
「ウチのカリントウを食ってみろ! チョコなんて目じゃねーから!」
電話を切った引山は、息を一つ飲み込んだ。制服を睨んだ末に、私服のままで部屋を出た。
引山が扉を開けると視線が一斉に飛んできた。後ずされば、宗田の巨体が影を作る。引山は無意識に腹を押さえた。
「おい……!」
「は、はい!」
怒鳴られるか殴られるか、それとも。身構えた引山へ柔く甘い香りが届く。でこぼこの表面を光沢ある茶色で覆ったカリントウと、ほんわりと白い今にも溶けそうなトリュフが、並んで差し出されていた。
「お前の分だ」
「え」
「みんな受け取った?」
引山は慌ててつまみ上げた。どきどきと匂いを嗅ぎ、焼き付けるようにじっと見る。
どんな味がするのだろう? 引山は腹痛など、もう感じていなかった。
*
「決着をつけようじゃないの」
中立地帯の新谷の目の前で党首二人は手を伸ばす。チョコレー党・湯川はトリュフへ、カリン党・吉備はカリントウへ。
それを合図に、党員たちはそれぞれの菓子を手に取った。
「おいしい!」
「うまいっ!」
歓声が教室を満たした。新谷の横で荒木も頬張り、幸せそうな顔を見せた。
そしていよいよ、本番である。
湯川はカリントウを見つめている。
吉備も口を引き結び、トリュフをじっと睨んでいる。
ふと新谷は視線に気付いた。
――食べないの?
荒木の無言の問いかけに新谷はただ苦笑を返した。
かさり。こつり。僅かな音が聞こえてきた。
さくり。ぱきり。静寂の中で確かに響く。
「……おい、しい」
金山は呟いた。
「とけちまった」
宗田は呻くように。
「これが……!」
引山は粉を飛ばして。
「委員長!」「信ちゃん!」
吉備と湯川は、同時に叫んだ。
「チョコレートだ!」「カリントウよ!」
そして党首は視線を交わし。
教室中が凍り付いた。
*
すっかり入れ替わった教室を見渡し、荒木は思わず教卓を叩いた。
「あーもぅ」
級友が一人、また一人と振り返る。顔にはもれなく邪魔をするなと書いてある。
「両方やろう!」
一瞬の静寂。そして。
「……両方?」
吉備がキョトンと呟く。
「かけたり、混ぜたり……!」
湯川が目を輝かせた。
「いいね!」「いいんじゃないか!」
声は揃った。
「合わせたら?」
「原料から作ってみたい!」
「レシピのコンペとか?」
荒木はにやりと笑みを浮かべた。吉備の後にはソリを見せた宗田の姿、宗田の横には私服の引山。金山は首を縦に横にと忙しい。空席はない。
新谷は板書を止めて企画書を書き上げる。溜息と共に顔を上げた。
「……砂糖と油の塊がそんなに美味いのかね」
荒木には新谷の頬にうんざりだ、と字が見える。
「新谷君……」
思わず漏れた荒木の苦笑は。
「新谷! もう一度言ってご覧なさいよ!」
「くっ、お前、何党のものだ!」
激しい声にかき消された。
高圧的な湯川へ、机の上に乗り出した吉備へ、新谷は不機嫌顔を隠しもしない。
「オレは、塩せんべい党だ!」
遠いチャイムに荒木は教室を抜け出した。隣のクラスの近藤一馬とちょうど顔を合わせると、二人並んで歩き始める。
「お前らのクラス、うるせぇよ」
荒木は企画書を振って見せる。知らず笑顔を浮かべていた。
「張り切ってんのよ。諦めて!」
角を曲がり、階段へ足をかけ。
まだ、馬鹿騒ぎが聞こえていた。
*
学校祭は全員参加が理想である。
チョコレート・カリントウ戦争 森村直也 @hpjhal
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