最終話
それから一週間、俺の意識は戻った。眼前の真っ白い天井から、ここが病室だと知ったのは、目を覚ましてから数分後。それから、少しずつ状況を理解した。
俺は車と接触事故に会って、吹っ飛んだらしい。その時に、左足と右腕を骨折して、今ギプスが取り付けられている。また、額には包帯もまかれていた。
「あ、起きたのですか」
「!」
病室の入り口から声が聞こえてそちらを向くと、あきれ顔の宮下と悲しいやら不安やらを混ぜた複雑な気持ちを顔に浮かべた智がいた。
「ひ、弘人、大丈夫?」
「う、うん。とりあえず大丈夫だけど……」
俺はこの二人に訊きたいことがあった。それは————
「千鶴は?大丈夫なのか?」
————千鶴の安否だった。
「………」
智は答えない。ただ目を伏せるだけ。
「……千鶴さんは————」
代わりに答えようとするが、口を開いた宮下を制す。
「いや、いい。言わなくてもわかったよ。ありがとう……」
俺は力なく項垂れる。
「いいえ、わかってません」
しかし、宮下は引き下がらない。いつにもなく強気だ。
その態度に、なぜかカチンときた。俺も語気を強めて言い返す。
「いや、わかってるよ!」
「いいえ、わかってません。わかっているつもりのだけです。千鶴さんは、死んだんです!」
ああ、わかっていたよ!
言い返そうと顔を上げ……思わずその言葉を飲み込んだ。
宮下が、泣いていた。大粒の涙をこぼして、まるで子供のように泣いていた。
「み、宮下……」
その様子を見て、俺は欠いていた冷静さを取り戻し、同時に千鶴がすでにこの世にいないという事実を理解した。
「あのね、弘人」
俺の名前を呼んだ智のほうを見ると、彼女も、泣いてはいないものの目に涙を溜めていた。
「千鶴ちゃんがね……これ、弘人に渡しといてって……」
「これって……」
智に手渡されたもの————それは、千鶴のスマホ。
「なんだか動画を見てほしいって言ってたよ」
「では、私たちはここで失礼します」
「ああ。みんなごめんな」
千鶴が死んだことでショックを受けているのは、俺だけじゃない。みんな同じように、悲しい気持ちになっているのだ。
彼女らは部屋を去り、病室は俺一人になった。
これって、実はドッキリで、次の瞬間病室の扉が開いて、ドッキリ大成功!!!なんて千鶴が飛び出してきてくれると願っている。それは多分、まだ心の隅にいる俺が、千鶴が死んだことを否定しているのだ。
宮下や智のいうことを信じていないわけではない。でも、そうでも思っていないと、俺の心は虫食いのされた朽木のように、脆くぼろぼろになって崩れてしまう。
しかし、いつまで待っても、扉の向こうから千鶴は現れないわけで。
俺は、智から手渡された千鶴のスマホを見た。
「確か、動画を見てって言ってたよな」
スマホの電源ボタンを押して、画面の中の『アルバム』と書かれたアプリを起動させた。
アルバムの中には、一つの動画が保存されていた。
俺はその動画をタップする。と。
『あー、撮れてるかな?』
突然、千鶴の声が聞こえた。次に、千鶴の顔が見える。
「千鶴!」
液晶に映った彼女は、カメラのポジションを確認してそれからにへらと笑った。
『ひーくんがこの動画を見ているっていうことは、私は死んじゃったということになるのかな……?』
本人の口から発せられたその言葉は、ちっぽけで根拠のない、ドッキリなんていう願望の可能性を潰し、ゼロパーセントにした。
『言わなくてごめんね。でも、でも……』
そこで、千鶴の感情が曇り始める。さっきまでの明るい声は震えだし、なにかを隠すように俯いた。
『言うのが怖くて言えなかったんだ……。ごめんなさい』
「…………!」
確かに、泣いていた。千鶴は、泣いていたのだ。
下唇を噛み、今にも流れ出しそうな涙をこらえる。
そうだよな。本当につらいのは、つらかったのは、もうすぐ死ぬって知っていて、恐怖も感じていたのに、それを隠して生きていた千鶴なんだよな。
『それでね……一つ、ひーくんに頼みごとがあるの』
「…………?」
俺はその頼みを聞き逃さないように、集中して聞く。
千鶴は目元を腕で拭うと、顔を上げ、紅潮したほうをこちらに晒すと、息を吸って吐いて、落ち着いて、頼みごとを言った。
『私をどう思っているか、言って』
「………っ!?」
千鶴の口から放たれた意外過ぎる頼みごとに、俺は自分の耳を疑った。
と、そこで、千鶴の説明が入る。
『私ね、実はひーくんのことが好きだったの。初めてひーくんのことを見た時から、根拠とかはないし、多分記憶を失った私の気持ちかもしれないけれど、この人は他と違う、私にとって大事な人だって思っていたの。
でもね。ひーくんは今までずっと、付き合ってとかしか言わなかったの。だから………ひーくんが私をどう思っているか、言って。私はもうこの世にはいないけど、でも、聞きたいの』
「……………」
俺は、千鶴のスマホを抱きしめた。抱きしめるべきだと思ったから。 そこには、ないはずのぬくもりがあった。たぶん、気持ち的なものからのぬくもりだったんだろう。しかし、俺はあたかも千鶴を抱きしめているような感触があった。
「ずっと、ずーと、大好きだった!!!」
好きになってもらうためにとか、回りくどいような、そんなやり方は必要なかったんだ。必要なのは、ドストレートな気持ちだけ。
なにか、胸にぽっかりと大穴が空いて、その穴から大事なものが抜け出しているような感覚がある。この穴は、この先、一生もとには戻らないだろう。だから、今の俺にはそれを塞ぐ栓が必要なんだ。
さあ、前に進もう。俺がどれだけ過去を振り返ろうとも、最終的には未来に向かっていくしかないのだから。
記憶喪失の彼女に、俺はもう一度告白する 半井帆一 @532
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