第2話 転生天使と派遣事務。

 ☆ ★


 蝉が鳴いていた。

 壊れたエアコンは効かず古い扇風機がガタガタと音を立てて首を振っていた。

 夏の日差しはカーテンを突き抜け部屋を暖める。


 ボールペンを口にくわえデスクの前で考え込むセーラー服の少女。

 壁の予定表には【14時面接予定】と赤字で書かれている。


太刀光流たち みつる……くんか。なんか強そうな名前」

 久しぶりの応募者の名前をグルグルっとペンで囲み椅子に腰掛け背もたれで伸びをする。


 夏休みなのに全然忙しくない。つまらなさそうにショートボブの黒髪を指先でもてあそぶ少女。

 事務として雇われているのに掃除くらいしかやることがない。その掃除すら終わらせてしまい、今はただ暇を持て余すだけだった。


「やっほー! こんにちはー!」


 うとうとし始めた時、玄関の方から元気いっぱいの声が聞こえてきた。

 背もたれで反り返ったまんま少女は眠たげな目を声の方に向けた。

 少女の瞳に逆さまに映ったのは、純白の翼と頭上に光輪を浮かばせた絶世の美女だった。


「あー、ミカさんだー。やっほー」

 少女は気だるそうに答えて、「よいしょ」と姿勢を直した。

「久しぶりーっ! 天使のミカちゃんよー。どー? 元気にしてたー?」

 対してハイテンションの金髪美女。青い瞳を輝かせるモデル体型の色白美人はそのスラリと長い脚を少女の元へ運んだ。


「あれあれー? 凛子ちゃん、あなたまだ高校卒業してなかったんだっけ?」

「いや、だから何度言わせんの。私、高校通ってないから。これは私服。高校通ってなくても可愛い制服は着たいから通販で買ってんの」

「ああ、そうだったわね。メンゴメンゴ」

「メンゴって最近聞かないよ」

 冷めた口調で否定し、来客用の麦茶を汲みに立ち上がる。


「それにしても、ちょっと見ないうちにまた綺麗になったんじゃなーい?」

「いやいや、ノーメイクでそれだけ綺麗なミカさんに言われても嫌味にしか聞こえないよ」

「それは仕方ないでしょー。天使なんだもん。でも、逆にー、天使ってイメチェンとか出来ないからすっごく不満。たまには人間の女の子みたいに髪型変えたりツケマしたりカラコン入れたり、日サロとか行ってみたいー」

「黒ギャル天使なんて嫌だよ。一部の変な性癖の人にしか刺さんないよそれ」

 冷静に突っ込みながら、麦茶をお盆に乗せる。


「どーぞ」冷えた麦茶をミカの前に出し、再び椅子に座った。

「それにしても天界は今忙しいんじゃないの? 人気だもんねー。《異世界転生》」


 幸運堂やその他の勇者派遣会社が軒並み赤字になっているのは、最近ブームの異世界転生のせいだった。


「そーなのよ。交通事故とか自殺とかの若者が出るたびに、いろんな世界から『うちの世界に転生させてくれ』『チート能力つけるからうちへ優先的に転生させてくれ』って、もー大変。今の若者達も自分の世界に未練が無いのか、全然抵抗無く『いーっすよー、異世界行きますよー』ってなもんよ。特に日本人がヤバいわ。すぐ飛びつくの異世界転生に。なんなの? 日本てそんなに生きづらいの?」


「まあ、隣の芝は青く見えるっていうやつじゃない?……知らんけど。で、なんの用なの?」

「凛子ちゃんもなんだか擦れて来たわね。それでね、久しぶりに来たのはコレ。派遣のお仕事を持ってきたの。私たちは転生で手いっぱいだから、久しぶりに幸運堂さんに依頼しようと思って」


「おお、それはありがたい! でも、いま登録者が激減してて、すぐに動ける人いないのよねぇ」

 頭の中で稼働可能な登録者を思い浮かべようとしたが、すでに異世界に行っている小太りな少年しか浮かばずにため息をついた。


「そうなんだ。ま、受けてくれそうなら連絡してね。あら、メールだ。あん。またトラックで轢かれた高校生がいるみたい。行かなくちゃ」

「大変だねー」慌しい天使を見つめて言う。

「いつものことよ」と馴染みの天使は疲れも見せず笑顔で去って行った。

 


 ☆ ★  



「……うーむ。さてどうしたものか」

 腕を組んで悩んでいると眩い光が部屋を包み込んだ。


「あ、帰ってきた」

 光が収まり現れたのは目つきの悪い白い髪の青年だった。

 幸運堂の代表、細波仁である。


「おかえり仁さん。拓真クンどーだったの?」

「ったく。報酬二〇%カットだよ。凛子、新しい登録者に稼がせねえとヤバイぞって、それなんだ?」


 凛子の前に置かれた封筒を見つけて仁が聞く。

「ミカさんが今来てね。仕事くれたの」

「おお! ナイス! 仕事も登録者もゲットとなりゃ、こりゃ今月のピンチは脱出できるぞ!」


「楽観的だなぁ」凛子が呆れながら呟いたちょうど、その時、来客を知らせるチャイムが鳴った。

「……来たんじゃねえか? 応募者!」

「はいはい、見てきますよ」興奮気味の仁を押しのけて玄関に向かう。

 扉を開けると、この馬鹿暑いのに学ランを着た純朴そうな顔つきの少年が立っていた。


「あ、あの、昨日お電話した者ですが……」

 緊張してる。ずいぶん真面目そうな子がきたな、と第一ボタンまで締めている少年を見て、凛子は思った。


 ……しかし。


太刀光流たちみつるです。高校一年生です。よろしくお願いします!」


 勢いよく頭を下げた少年は、勢い余ってデスクに頭を打ち、フラフラっとのけぞって書類の山を盛大に崩し、慌てて拾おうとして、デスクに再び頭をぶつけて倒れた。その間、わずか3秒。


「お、おうよろしく」その様子を見て仁の表情が若干引きつる。

 少年は頭を押さえながら起き上がり、ばつが悪そうに苦笑すると席に着いた。


「えっと、俺がこの幸運堂の代表の細波仁。で、こいつが助手の凛子」

 顎をシャクって凛子に挨拶を促す。

「目黒崎凛子です。よろしくー」

「えーっとミツル君はどこで幸運堂を知ったんだ?」


 今の自損事故は何も見なかったことにして、仁は話を切り出した。


「はい、電信柱の裏に貼ってあったチラシです」

「おお、【異世界勇者募集】ってやつ? 病院の近くの? よく見つけたねぇ。あれで電話かけてくる人って中々いないから見込みあるかもな」


「はい、たまたま止まってる車に頭をぶつけてしまい、携帯電話を落としてしまって、それを拾おうとしたら電信柱に頭をぶつけて、うずくまってたら、ふと目に入ってきたんです」


「はぁ……。ま、そんなこともあるんだな」


 言いながら仁はくるっと凛子の方を向いて、こいつ大丈夫かな、と視線を送った。判断しかねた凛子も首をかしげて見せる。

 真面目そうに見えて結構なドジっ子なのかもしれない。


「それにしても、チラシには『異世界で活躍する勇者大募集』って書いてありましたけど、本当なんですか?」


 ビラの内容に興味津々なのだろう。ミツルは身を乗り出してくる。


「全部本当だ。ま、突然言われても信じられないだろうがな。幸運堂は異世界派遣業を営んでる。様々な異世界から仕事をもらって、適性にあった者をその世界に派遣するっていう仕事だ。で、派遣できる勇者は多いに越したことがないから、派遣する人間を募集してるってことだ。わかるか?」


「僕は派遣勇者の候補ってことですね……。僕、喧嘩とかしたことないんですけど、大丈夫でしょうか?」


「あー、そういうのは関係ないから大丈夫だ。この世界での腕力とか異世界では全く関係ねえからな。レベルが低いうちは簡単な仕事からやってもらうし」


 それを聞いて少年はホッとしたようだ。


「とりあえず、まずは適性検査として軽く異世界に送る。俺の言ってることが本当かどうかはそれで判断してくれ」

「わかりました。危険じゃないですよね?」

「大丈夫だ。ま、目をつぶってくれ。それだけでいい。すぐ終わる」


「はい……」ちょっと疑問を感じていそうだが、それでも素直にミツルは目を閉じた。

 固く瞑った瞳から緊張感が伝わってくる。しっかり目が閉じられているのを確認した仁はミツルの顔の前で『パンっ』と手を合わせた。

 すると、ガクンっとミツルの首が垂れ、脱力したまま動かなくなった。


「よし、転送完了っと」

 心だけ違う世界に行った少年を見下ろす。


「……どうだろうね、この子」

 意識を失ったミツルを見つめ凛子が言う。


「読めねえな。てか、さっきの盛大なずっこけはなんだ。天然なのかこいつは。特技は頭をぶつけること、か?」


 少年のせいで散らかったままの書類に目を落として仁も首をかしげる。

「うーん。異世界に行きたいとか言う人だから、ちょっと変な人なんだろうけど」

 身も蓋もないことを言う。

「まあ普通は気味が悪くて電話なんかしようとは思わねえわな」

「ましてや、のこのこ来るなんてねぇ……」

 二人は少年の顔を覗き込む。幼い顔の少年。


「さて。待ってるだけでやることはないし、こいつが寝てる間にその仕事の内容でも確認すっか」

 仁は一つ背伸びをしてミカが持ってきた封筒を開けた。中に入っている求人票を手に取り目を通す。


「……うーん。なるほどな」

「どんな依頼?」

 凛子が仁から求人票を受け取り内容を読み上げた。


【勇者募集案件 政略結婚を回避するための異世界勇者を募集】


「えっと……、軍事国家アルタルスの王子からの依頼ね。最愛の妹が隣国ジェラルダの王子と政略結婚させられそうになっている。相手との縁談を破談にするために、お見合いの席をめちゃくちゃにしてくれる勇者を募集する……って、なにこれ」


「こいつにうってつけの仕事かも。ど天然だろ、こいつ。真面目な顔してバカっぽいし」

 すやすや眠るミツルを指さして仁は嬉しそうだ。

「寝てるからってボロクソ言うね。でも、アルタルスのお見合いってヤバいんじゃないの?」

「なんとかなるだろ。こっちだって切羽詰まってんだ。ミカに連絡して新しい登録者の適性検査が終わり次第すぐにアルタルスに派遣するって言ってくれ」


「うーん。大丈夫かなぁ」

 言われるままにミカへ連絡を入れるが、軍事国家アルタルスの伝統のお見合いというのは死者も出るような危険な儀式と聞いたことがある。初めての異世界派遣にしてはちょっと危険だ。


 仁さんてば、今月の支払いのために無理矢理丸め込むつもりだな、と何も知らずに眠る年下の男の子見て思った。



 しばらくすると、ぶるっと身震いしてミツルは目を覚ました。

「おお、戻ったか。で、どうだった?」

 目覚めたミツルはキョロキョロと辺りを見渡して驚いている。

「ぼ、僕、一面に原っぱが続く世界に行ってましたよ!?」

「ああ。で、どうだった?」

「は、はい。草原の真ん中にある小屋におじいちゃんがいて、なんか色々話しました。……何をしゃべったかは覚えてないんですけど」


 興奮した様子がその口調からもわかる。

「オッケーオッケー。小屋にたどり着けりゃ合格だ。よーし、じゃあ仕事を紹介すっぞ」

「……本当に異世界ってあるんだ」ミツルは上の空で、自分の頬をペタペタと触っている。


「その前にさ。そもそもミツルくんはなんで異世界に興味持ったの?」


 凛子が二人の間に割って入った。

 余計なことを聞くな、と仁が視線で訴えるが無視をする。

 こっちの都合だけでどんどん話を進めるのは良くない。ゼロには近いけど死の危険だってあるのが異世界派遣だ。真面目に取り組まない人だったら困る。そう凛子が思ったのも当然であった。


「僕、その……あんまり友達がいないんです。学校も楽しくなくて、不登校で。でもこれじゃダメだと思って頑張ってレストランでバイトとかもしてみたんですけど、食器は割るわ料理落とすわで、すぐにクビになっちゃいまして……。何をやってもうまくいかなくて、それでもう生きてても仕方ないし自殺しようかな、なんて思ったんです。でも、そんな時に幸運堂さんの張り紙を見て……自分を変える何かのきっかけになればって、思って……」


 弱々しい声でつぶやき俯く。

「そっか。まあ人間誰しも失敗もするし、うまくいかないこともあるわ。あんまり気にしないでいいと思う」

 凛子が力強い口調で答える。


「はい……」少年の興奮はすっかり冷めてしまっている。

「まあ、これも何かの縁だ。自分を変えるチャンスかもな。何せ常識が通用しない異世界だからな」

 仁が努めて明るい声で言うとミツルは黙ったまま小さく頷いた。

「ほら、気を取り直して最初の仕事だ」


 目の前に書類を差し出す。緊張した面持ちで読み始めたミツルが読み終わる頃には首を傾げていた。


「……なんですか、これ。お見合い?」

「そうだ。お見合いだ。なーんも難しい仕事じゃないだろ? 縁談をぶち壊すだけだからな。簡単簡単」


 仁のわざとらしい口調を聞いた凛子は耐えられず目を逸らした。確かに文面から判断すると大した仕事には思えない。お見合いをめちゃくちゃにするなんて、コメディードラマかお笑いコントだ。

 しかし、わざわざ異世界の勇者に依頼するくらいなのだから普通のお見合いではないことくらい考えれば気づきそうなものなのだが、それを幸運堂の代表はミツルには言わない。


「……そんなに難しそうじゃないですね。勇者なんていうから、魔物と戦ったりするのかと思ってました」

 安心しきった間抜け面でミツルは胸をなでおろしている。その様子を見た仁の瞳が怪しく光った。


「そうだろ?な、簡単そうだろう。じゃあ、そういうことで早速行こう! 軍事国家アルタルスへ!」

 有無を言わさず仁はミツルの腕をむんずと掴んだ。

「え? 今すぐですか?」驚くミツル。

「そうだよ! 善は急げ!だ」


 怯えるミツルの腕を掴んだまま、仁は目を閉じブツブツと何かを念じ始めた。

 相変わらず強引だなぁ、と凛子は麦茶を飲みながら思った。


「ちょっと、待ってくださいって! 心の準備が……」

 ミツルの言葉は無視して詠唱を続ける仁。すると二人の体が光り始めた。

「わわわ。何ですかこれー」

 慌てるミツルが凛子に助けを求める。


「ごめんね。仁さんがいれば命の心配はないからさ、とりあえず頑張ってみて」

 苦笑しながら手を振る。


「そんなー!!」情けない声を出すミツル。

 バチンッと弾けるようにして閃光が走ると、次の瞬間には二人の体は消えていた。


「相変わらず強引なんだから。ま、気にしたって仕方ないか」

 再び一人きりになった事務所で凛子は呑気にあくびをした。



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