異世界まではあと何㎞?  ~魔法少女逃走中~

ピクルズジンジャー

第1話

 裸を見せる仕事をしていた。好きでやっていたからそれはいい。


 大勢の前で性行為まがいのこともした。それなりにプライドをもって取り組んでいたこともありそこも全然構わない。

 

 これはやばいぞ死ぬんじゃないかって目に遭ったことも何度かある。でもそういう時は体をタダで元どおりにしてくれたのでまあよしということにしよう。幸い心身の後遺症もなく元気で生活できてるし。


 ただ、人がそうやって稼いだお金の大半を「積み立て」って名目でピンハネしまくるのは違うんじゃない? 最初に説明してくれた諸経費って名目とは違う別のお金をだよ? やっぱ違うじゃんそれは。


 私の心の底からの問いに対する社長の答はこれだった。

「おまえ何年この仕事やってんだよ、わかんだろそういう理屈ってのがさあ、なあ」


 知るかバカ。わかんねーから聞いてんだ。そういう時は嘘でもいいから「これこれこういう名目でお借りしました。何日までに耳をそろえて必ずお返しします」っておためごかして甘い食いもんとかキラキラした見栄えのいい服とか靴とかカバンとかネイルとかホテルのいい部屋で機嫌とるもんだろバカ。だからおまえは出世しねえでこんなとこでガキ取りまとめる仕事しか回されねえんだバカ。気づけこのガールスカウトバカ。


 というわけで殺した。

 

 ステッキから放たれる魔法のビームで焼き尽くされたバカとその側近は網の上でこんがり焼かれすぎたたたために誰からも箸をつけられなくなったカルビのような最期を遂げた。


 目の前にいる者が地球を侵略しにくるバケモノと対抗できる魔法の力を持つ者じゃなく、エロ映像に出演する女優としてしか見られなくなったのがこのバカの死因である。サボテンの生えてる砂漠の掘立小屋で中米の麻薬カルテルの親分に銃を突きつけられてるレベルのヤバイ状況にいるってことがわからなかったバカが悪い。私はちっとも悪くない。私は数年かけて必死で働いて稼いだお金を使い込まれた可哀想な被害者である。


 その殺害現場を目撃した同僚一人を連れて、私は今逃亡中の身の上だ。


 世間ではお盆と呼ばれるシーズンであることをすっかり忘れていた。逃走中に立ち寄った高速道路のサービスエリアは家族連れやなんやらでごった返している。こんな状況でなければ気にも留めたことが無い公衆電話で私は知人に電話をかける。使っていたスマホはSNSのアカウントを全部削除してからもったいないが水没させて壊した。連中の手元に渡ってはなにかと面倒なので手元にはあるけれど今じゃ物言わぬ板である。バイバイわたしのの思い出、数万フォロワーがいたアカウント。保存していたメッセージ。


『……あんたなんかやらかしたみたいじゃない。お昼のニュースになっていたわよ。映像制作会社ハニードリームの社長他数名が焼死体で発見、事件と事故の両方の線で調べを進めるって』

「私もそれさっき見たばっかりだよ。つうかそっちからハニードリームの連中の動き観測できない? 無理?」

『ネットじゃ早速ハニードリームの黒い噂とか、専属魔法少女と揉めててた過去のまとめとか晒してtweetされたりし始めてるけど? 犯人は専属の誰かだろって噂も出始めてるよね、当然ながら。あんたの名前もとっくに出てるわね。最後のtweetが‶裏切られた″だし。アカウント消したみたいだけどスクショ撮られてRTされまくってるわよ』

「そこは諦めてるよ。で、ハニードリームの連中の動きは?」

『私にわかるわけないでしょう? まあでも黙ってるわけはないでしょうね』

「そんな子供でもわかるようなことが聞きたいんじゃないってわかってるでしょ、元女騎士のミネルヴァさんとしてはぁ?」

 

 コインを追加するついでに、隣にいる同僚を見る。さっき買ってやったソフトクリームを舐めながら、土産物を買い求める客と軽食で小腹を満たそうとする客でごった返すサービスエリアの様子を物珍しそうに眺めていた。キッカの格好はここでは目立ちすぎるので、その辺にいる十四~五の女の子が着てもおかしくないような服が似合う姿に変身させている。わたしも同様だ。


『人に訊きたいことがあるなら相応の態度と誠意を見せたらどうかしら? 元魔法少女のアサクラサクラさん?』

 電話の向こう側で知り合いがむっとしている。こいつは学がある分結構プライドが高いのだ。電話の料金ももったいないので手身近にたのむことにした。


「あんたが前に所属していた団体、賽の山トンネルの向こう側にもある?」

 

 それだけで知人はすべてを把握してくれたみたいだ。


『支部ならあるわ。あなた達みたいな女の子がまず行くところはああいうエリアだもの』

「わたしみたいなのでも保護してもらえる?」

『一時的には受け入れざるを得ないでしょうね。‶悪しき幻想の被害にあったすべての女性を守る団体″ですから、門前払いは理念に反します。たとえあなたのような人でも。その期間が延長されるかどうかはあなたの素行次第ですけど』

「一時的でもしばらく保護してもらえるならそれでいいよ。ありがとね。あと適当にハニードリームのやつらバッシングしつつ遠回しにあそこにいた女の子は相当ブラックな仕事を強いられてたってあんたのアカウントで発言して世間の同情を煽っといて。あんたの発言だとみんな信じてくれるだろうから。それから……」 


 ピーピーと電話がアラームが鳴ったのであわってて「やっぱいいわ、じゃあね」といって受話器を置く。

 ふうっと息をつく。あのヒトはそっちにいるって本当なのかと一番聞きたかったことは聞けなかった。悔いが少し胸に残ったが、頭を切り替えた。とりあえず目指すべきは賽の山トンネルだ。

 

「サクラさん、来ました」

 ソフトクリームを片手に同僚が告げた。みると、私たちをここまで運んでくれた男の子が顔を引きつらせながら近づいてくる。

 やばいなテレビのニュースでも見て感づいたかな、道中はスマホに触らせずに車の中では音楽ばかりかけさせてたけど、トイレに行ってる最中にチェックしちゃったかな。舌をうちたくなったけど、まあどうせそのうちバレることだしと開き直って私は庇護欲をそそるであろう不安げな笑みを浮かべた。


「お、お待たせサクラちゃん……」

 夜明け前、私たちを車に拾った時の緊張しつつも「冒険が目の前に開けてるぞ」というワクワクを隠し切れない笑顔とは真逆のおびえきった表情だ。やっぱ感づいたな。

一成かずなりくん、遅かったね。トイレ混んでた?」

 今逃がすワケにはいかないので、庇護欲オーラを出しながら男の子の前に立った。逃げようとすればヤツの来ている黒Tシャツの裾がつかめる距離である。彼が反射的に半歩後ずさったのを察知した同僚が、ソフトクリームを持ったままそっと背後に回った。勘が良くて助かる。

「う、うん、混んでたわけじゃないけど……」

「トイレ休憩も終わったんならもうここから出ようか」

「えーと、俺、腹減ったから何か食べたいかなあって……。ここのSA、カレーが美味いらしくて……」

「ごめんね、あたし達モタモタしてられないんだ。パンかお弁当にしてもらえないかな? ね?」

「サクラさん、あたし適当にパンかおにぎりか何か買ってきます」

 ソフトクリームを舐め終わった同僚がさっと駈け出した。

「ありがとう、キッカちゃん。一成君の好きなおにぎりは明太子だから~。あと外の露店でメンチカツバーガーでも買おうか」

「了解です」

 同僚はさっと駈け出し、お土産を売ってる売店コーナーの客に混ざった。


 朝からずっとテンションが高かった彼は急に無言になり、そしてそおっと私のそばから逃げようとしたが、そこは私が彼の黒Tシャツの裾をつかめる間合いのことである。逃げられるか。

「どこへ行くのかな?」

 彼は引きつった表情を浮かべた。お盆のサービスエリアにふさわしくない表情だ。

「もっと楽しそうな顔をしてくれなきゃ困るよ。周りにいる人たちが不審がるじゃん」

「楽しそうな顔って、そんな、無理だよ。さっきニュースで……ネットでも……」

「この旅行中、ネット断ちしてねってあたし朝にお願いしなかったっけ?」

 彼の顔がさーっと青ざめてゆく。どういう形でも彼は私と交わした約束を破ったのだ。悪いが付け込ませてもらう。

 私は思い切り悲しそうな表情を作った。

「ひどい、一成君はあたしとの約束破るんだ……。社長と同じように破っちゃうんだ……」

 ニュースを聞いた彼には「社長と同じよう」には結構効果があったらしい。さすがそこそこ偏差値の高い大学に籍を置いているだけのことはある。話が早くて助かる。



 一成君は私のファンである。SNSのアイコンも私を描いた自作のイラストだ。

 

 「裏切られた」とtweetした直後に「何かあったの?」と反応したファンの中からそんなにキモくなくて善良そうでお勉強が得意そうで車の運転ができる男の子を選んでDMを送った。朝に童貞卒業の手伝いをし、昼までは「憧れの魔法少女が突然僕の下に降り立った」という落ちものラブコメ主人公の気分が味わえた上に世の中そんな美味い話は転がってないだぞってことを学習できたんだから、その分の働きはしてもらう。

 

 私たちの行き先が賽の山トンネルだと聞いて彼は案の定ビビッてみせた。

「あ、えーと、あれだよね。リアル修羅の国に通じていて通行するなら特別にトラックの運転手さんにも武装許可がおりるってあのトンネルだよね……?」

「うん、そう」

「向こう側から帰ってくる車は大抵ハチの巣になってるか屋根はぎとられてるかどっちかだっていう」

「さっすが一成くん、詳しいね」

「……あの、この車家族名義なんだけど」

「だから来る前にレンタカーにしてって頼まなかったっけ? ま、運が良ければ日帰りできる距離だよ。大丈夫大丈夫」

 

 

 異世界との交流が始まっておおよそ二十年、普通はショッピングモールやアミューズメントパークに用意されたスポットを通ってあちらとこちらの世界を楽しく安全に行き来するのが今でも普通。

 でも異世界交流も盛んになって貿易やら入植やら資源の運搬やらで大量の物を運ぶような場面が増え、そんな街中にある人間サイズのスポットじゃあ間に合わないって話になり、異世界道という名目で既存の高速道路をちょこっと延ばす形で作られたのが大型スポット。それは大抵、山の中腹に突っ込んで出口がないトンネルの形をしている。見えないトンネルの出口は異世界にあるという訳だ。そういう高速道路に据えられた大型スポットは大抵その山の名前をとって‶〇〇山トンネル″と呼ばれている。


 賽の山トンネルはいくつかあるトンネルのうちでも一番危険だという噂のスポットだ。なんせその向こう側はつい最近までどったんばったんな内戦をしていたらしく米軍だとか自衛隊だとかがガンガン行き来してたようなところで、ちょっと前まで民間人は立ち寄りや通行を制限されていたくらいである(異世界の戦争にこっち側の国が首突っ込んで何をやってたのかは知らない。多分新聞とか調べればわかるので気になる人は勝手にやって。私は興味がないので)。

 制限が解除された今でも通常の高速道から賽の山トンネルへ通じる異世界道は特殊な結界で覆われているらしいし、出入りする車は明らかにカタギでない車ばっかりだと聞く。賽の山トンネルへ表ざたにしてはいけない物資を運ぶトラックの運転手さんのお仕事の様子はそれだけでバイオレンス映画やノワール小説の題材になるくらいだ。


 一成くんが運転する車はバイオレンスでもノワールでもない普通ののんきなファミリーカーだ。おんなじ車種を今日だけで何台も見かけた。


 賽の山トンネルへ通じる第四異世界道までの入り口を示す標識が見えた。私は一成くんが気づくように後部座席から運転席を軽くける。サービスエリアまでは助手席に座ってあげていたけど、今の彼は運転手さんとして働いてもらわなければならない。


「あの、バカなことを聞くけど、なんでサクラちゃんは賽の山トンネルになんか行きたいのかなあ……?」

「本当にバカなことを訊くんだね」

「いやその、罪をつぐなったらどうかなって思っただけで……。話を聞いたらサクラちゃんにも犯行に及ぶまっとうな理由があるみたいだし。情状酌量とかがつくんじゃないかなあ……?」」

「ハニードリームの母体はどっかのタチの悪い妖精の国だからね、私がこっちの刑務所で罪を償いながらおとなしく縫製作業している所をマジカルパワーで八つ裂きにするくらいは余裕だよ? 奴らにしてみればこっち側の魔法なんてウホウホ言ってる原始人レベルだから。だとしたらいい子にしてたら損じゃん」

「それじゃあ異世界に行っても事情はおんなじじゃないかなあ……っ?」


「そうでもないです。こちらにい続けると確実に詰みますが、あちら側にはハニードリームには敵対する勢力がうじゃうじゃあります。そちらと手を組めばサクラさんの生存率は格段に上がります」

 

 私の隣で同僚――魔法少女キリサキキッカは言った。キッカには一成君のスマホから世間ではどういった動きがあるかを監視させている。

 ショートカットで小柄で胸も尻もボリュームが不足していて中学に上がったばかりのようなガキガキしたガキだが、キッカはあどけない声で的確に分析してくれる。こいつを連れて逃げたのは我ながら正解だったなと思う。前々から餌付けしていた自分も褒めたい。


 キッカは私みたいにハニードリームの連中に魔法の力を授けられた即席型の魔法少女ではない。天然の魔法の力を持つ生粋の異世界出身魔法少女だ。その証拠に頭の両脇から子犬みたいな耳が生えている。しかも噂では賽の山トンネルの向こう側から命からがら逃れてきた難民だっていう。

 ハニードリームの映像事業はおおむね二つに分かれている。私の所属するのはエロ部門でキッカが所属するのは魔法少女たちがガチで命を取り合う様を見世物にするスナッフ部門だ。スナッフ部門の担当者が「あれは相当の掘り出し物ですよ」と評価した新人がキッカだとわかってから私は目をつけてこっそり可愛がっていた。

 キッカが踏んでいるであろう場数の過酷さはそれまでの動作で確認済みだし、私にとっては心強い人材だ。仕事終わりに焼肉食わせただけで子犬みたいになついてくれたのも安上がりで助かる。



「一成くん、あと2㎞で第四異世界道入り口だって。はい準備しててね~」

 

 歩いているとやたら長い2㎞の道のりも車だとすぐだ。私が後ろからステッキでほっぺたをピタピタすると彼はおとなしく第四異世界道へ入ってくれた。

 ジャンクションをぐるぐる回り、ETCをくぐる。外見ではそれまでの通っていた高速道路とは全く変わらずのんきでのどかな夏の田んぼと山々に挟まれた第四異世界道は、ほとんど車も見えずガラガラだった。お盆の帰省ラッシュなんてそれこそ異世界の話なのだろう。


 

 キッカの手からスマホを奪って一成くんのアカウントごしにネットの様子を把握する。彼の個人的なお友達、ニュースサイト、タレントや文化人などの著名人などのtweetに交じってハニードリーム関係者のtweetも流れてくる。元女騎士でフェミニスト論客のアマノミネルヴァが不当な条件で契約され魔物退治とポルノ映像に従事させられる魔法少女の待遇のひどさやハニードリーム含む異世界悪質なプロダクションに対する批判的な持論を語り賛否を集めつつRTされまくっている。グッジョブ。


 そんな中で一つのtweetが目を引いた。有名な浮世絵の蛸の顔をアップにした聖オクトパスさんのアイコンが目に飛び込んできて、私の心臓ががらにもなく跳ねた。オクトパスさんは一言「ニュースを見て驚いた」とだけtweetしている。相変わらずTwitter上ではシンプルでそっけない。でもそこがいい。


 

「サクラさん、聖オクトパスが好きなんですか?」

「聖オクトパス‶さん″だろ」

 そのtweetだけをじっと見つめる私をいてキッカが尋ねた。それにしてもあの偉大なスターを呼び捨てにするとはどういう了見だこの小童め。

 さっきまでビビりまくっていた一成くんまできょどった声で聞いてくる。噂に聞いていた賽の山トンネルへの道中が案外のどかなので気を抜いているのかもしれない。

「え、本当に好きなの聖オクトパスのこと? 頻繁にやりとりしてるなあとは思ってたけど……」

「だから ‶さん″をつけろって言ってるじゃん」

 猫を被るのを忘れてしまった。

「え、でもだって、あの人……あの人って言っていいのかどうかわからいけど触手だよ、触手?」

「そうだよ、世界で一番優しくて格好良くてダンディーな生命体だよ、だから‶さん″をつけろってば」


 

 聖オクトパスさんは異世界出身の大スターである。今は引退されてさる活動に従事されているがその昔は十八禁系魔法少女・変身ヒロインものを好む青少年とその映像出演者には知らぬもののいない偉大な存在だ。

 赤黒くぬめぬめとした表皮、幾本もの触手、人の頭ほどある巨大な単眼(シチュエーションによっては増やすことも出来る)、その上で輝く琥珀のような宝石(唯一にして至高のおしゃれである)。ずりずりと地べたをはいずったり壁や天井から伝い下りては、敵であるヒラヒラのコスチュームを着た女の子の体をその粘液したたたる触手だ拘束し、思い切り恥ずかしいポーズを取らせたり、感じやすい部分を擦ったり撫でまわしたり、穴という穴に触手を突っ込んで見せたりする仕事が抜群に上手だったお方である。私も何度か「正義の魔法少女が異世界からやってきた悪しき触手を退治しようとして返り討ちに遭い敗北する」という定番のストーリーで仕事をさせていただいたこともある。


 初めて共演をしたときはそりゃあ驚いた。触手と仕事をしたことは何度もあったが痛いし雑だしいちいち説明しないと穴の区別もつかないような連中ばっかりと組み合って触手なんてこんなものかと割り切ってきたときに、痛くないかとさりげなく気遣いできればヒロインが最高にエロくみえるカメラワークも計算でき、カメラが回っていないときはキャストやスタッフの悩み相談にものるというという完璧な触手ひとに出会ったのである。本人は嫌がっていたが芸名の「聖」の字は伊達ではない。大げさでなく人生観と触手観が激変した。 

 ポルノスターをつとめながら持ち前の知性で文筆家としてサブカル誌をメインに活躍し小説を数本発表された後、聖オクトパスさんは引退してどこかの異世界で隠居されていた。それでもSNSを通じてクスッと笑えるようなtweetを発表されておられた。私はそれを読むのが好きだった。現役の時はめったに話しかけられなかったが、引退されてからは甘えるようによく絡んだ。あの触手ひとはそれを許してくれたっけ……。


 と思わず甘い思い出にふけっている場合ではなかった。私は一成くんのTLを上下してあることに気づく。妙だ。ハニードリーム関係者が妙に静かだ。

 流れてきたハニードリーム社長他数名焼死事件の続報へのリンクから記事を読み、そして唖然とした。


 ハニードリーム社長他数名の死因はガス管から洩れたガスにたばこの火が引火した結果、つまりは不幸な事故だと警察が発表したらしい。文字通り目を疑った。


 ニュース映像で雑居ビルに入ったハニードリーム事務所の映像は何度も映されている。窓ガラス一枚割れていない現場の映像を流しといて何が「ガス爆発」か。誰がどう見ても現場は「殺られた」ものだっただろうに。警察はなんでこんなヘタな誤魔化しを……と考えた結果、すぐにハニードリームの連中のたくらみが読めた。


「やられた」

「えっなに?」

  

 私の呟きに一成君が反応する。が、答えてられない。隣にいるキッカが頭から生えた犬耳をぴくっとさせたあと鋭く叫ぶ。

「サクラさん伏せてっ」

 もちろんそうする。ハンドルを握っている一成くんだけはそうするわけにもいかず、えっ何何? と泣きそうな声を上げていた。


 ガアッ、と音がして私が座っている側の車線に一台の車が追い越しにかかったような気配があった後、車に何かがぶつかって激しく揺れた。バラバラと頭上にガラスのようなものが降り注いだ気配がしたのちそして大量の風が車内に吹き込む。恐怖と驚きと焦りからか一成くんがハンドル操作を誤り車が大きく蛇行した。


「失礼します!」

 キッカが私の背中に覆いかぶさるようにした後、魔法の銃弾を隣の車にぶちかます。金属に穴が穿たれる音が連続し、タイヤが擦れた匂いが一瞬強く立ち込めた。

「やった?」

「まだです!」

 

 キッカが並走する車を攻撃しているらしい衝撃が、ドっドっと体越しに伝わる。その後にタイヤが擦れるような悲鳴みたいな音と何かに激しくぶつかる音がする。その下で私は一成くんのスマホから流れてきたtweetをチェックした。ミツバチの着ぐるみを被った子熊のようなアイコンがうざったいハニードリーム公式アカウントのtweetが流れてきたからだ、このタイミングで。


「重大発表があるよ! ハニードリームファンは今すぐチェック」


 平時ならスパムを疑う怪しさ満点のtweetにはリンクが張られている。URLから判断するにどこかの動画サイトだ。だがいちいちチェックしている暇はない。車が車線をそれて防音壁にぶつかって停まったからだ。ったく何やってんだよとイラつきつつもゆっくり頭を上げたら、車の天井当たりがナイフか何かで切断されたようにすっぱりなくなっていた。運転席にいた一成くんの頭は座席の一部ごと行方不明。


 一成くんの首の切断面から血がまだ噴き出していた。どおりで何か雨みたいなものがビシャビシャ降ってくると思ったら。

 私の体の上から降りたキッカが素早く助手席に潜り込むと何かを拾う。それは一成君の頭だった。すぐ見つかってよかった。

「サクラさん、どうします? あたし蘇生魔法の心得があるんでくっつけましょうか?」

「マジか。助かる。まだ車運転してもらいたいから」

 了解です、といってキッカは一成君の頭を首にくっつけ、空中に私の知らない魔法の文字を指でするすると書いてゆく。いやあいい拾い物をした……と自分に感心してる場合ではない。

 

 少し後ろを見やると、もうもうと派手な煙と炎を上げて炎上しているバンをバックに、かつての同僚――私と同じハニードリーム専属魔法少女――のアヤメがいた。青い髪をポニーテールにし、水色のへそを出したドレスを着て、両手に皮の張られていないタンバリンを持って立っていた。表情は私によく見せるあきれ顔だった。


「ハイ、アヤメ。元気?」

 同僚ではわりと仲のいい関係だったこともあって笑顔を向けると。いかにもしっかりものの優等生という態度ではあっとため息をつく。

「サクラさあ……、前にも言ったことがあるよね。あんたのその短気が身を亡ぼすよって」

 アヤメの背後、炎上した車から孵化したばかりの虫のようにわらわらと無数の妖精が飛び出してくる。やたら目が目立つ昆虫のような妖精たちは視たものを即時にネットに流すカメラの人工妖精だ。カメラたちはアヤメや私たちの周囲を自由に飛び交う。

 職業病で私はついカメラの前で魔法少女アサクラサクラとしての仮面をかぶってしまう。

「もうっ、アヤメちゃんってば攻撃してくるなんてどういうつもりよっ。びっくりしたじゃない」

「その辺のことはボスが説明してくれるから」


 プライベートとカメラ前でキャラのギャップがないアヤメの背後から、ぴょこんと仕草だけは愛らしくボスが現れた。身長はざっと20センチ。ミツバチの着ぐるみを着た子熊のぬいぐるみにしか見えない妖精だ。


「やあサクラ、とんでもないことをしてくれたね」

 アニメのマスコットキャラみたいな声でボスは言う。

「まあでも彼は普段の行いが悪かったから、いずれどうにかしようとは思ってたところだったんだよね。だから君が直接手を下してくれて感謝する気持もないわけじゃないんだ」

 そんじゃあピンハネしてるのが分かった段階でなんとかしてくれよなあ、という思いを一切表には出さない。カメラがあるから。

「警察を黙らせたのはボスからのご褒美ですかあ?」

「まあそうとも言えるかもね。今からやる企画の邪魔されたくないし」


『はあい、全世界のハニードリームレーベルファンの皆さんこんにちはあ!』


 突然上からキャンキャンした甲高い声が降ってきた。見上げればホウキにまたがりシルクハットをかぶったバニーガールみたいないでたちの同僚が、マイク片手にうるさく実況を始めた。同僚のダリアだ。


『今から特別生配信が始まっちゃうよお! 場所はここいろんな意味で有名な‶賽の山トンネル″につながる第四異世界道上空。あそこにいるのは昨日までうちの看板魔法少女の一人だったけど今はいろんな意味で話題のアサクラサクラちゃん、永遠の十四歳だよっ』


 カメラがこっちを映してきた。ぶすったれた表情をしたただの中学生に擬態した姿で放送されるのは私のプライドが許さないので、いつものようにステッキを掲げて変身する。

 ピンクのサイドテールにイラストは描けるが服飾のセンスがない人間にロリータ服とは何ぞやと尋ねて描かせたようなだっさいフリフリのドレスに背中にはアホみたいな天使の羽根型オブジェを背負った魔法少女アサクラサクラ姿としての正装になり、いつものようにポーズをとって見せた。


「平和な日常はあたしが守る! 魔法少女アサクラサクラ 呼ばれて飛び出て即参上☆ みんなっ、サクラを応援してねっ」


 名乗りを上げてる時に攻撃をしかけないのは業界の仁義である。


『っていうことではいっ、サクラちゃんの変身もすんだところで今企画の趣旨をはっぴょうしまーす! ジャジャンっ』


 上空のダリアが自分の持ってるマイク型ロッドを振ると、空に文字が浮かんだ。

 どこかの糞みたいなバラエティー番組風のフォントで、そこにはこう書かれていた。ダリアもそれに合わせて能天気に読み上げる。


 『ハニードリーム専属魔法少女バトルロイヤルぅ~、サクラちゃんを倒したら願い事一つ叶えちゃうよSP~。趣旨はそのまんま、今からうちの元看板魔法少女サクラちゃんを倒すために次々本気で襲いかかってきま~す。サクラちゃんを倒した魔法少女にはどんな願い事でもボスが一つだけ叶えてくれま~す。そんな欲にかられた元同僚を全員ぶっ倒してトンネルの向こう側に無事たどり着けたらサクラちゃんの勝ちで~す。そうしたら昨日のことは生涯不問にしま~す。そういう企画で~す。ボスってば太っ腹~』


「最近うちの専属魔法少女が増えてきたからリストラもしたかったんだよね」

 カメラに拾われない程度の声でボスは呟いた。

「そしたら君がちょうどこんな騒ぎをおこした上にどうやら賽の山トンネルに向かってるみたいだし、じゃあってことでこの企画実行してみたんだけど、気に入った?」

「なんであたしの行き先が分かっちゃったんですかあ?」

「君にあげたそのステッキ、元々うちのだよ? 探知機能がついてないとでも思った?」

「知ってますよお、念のために聞いただけですよお。やだあボスったらもうっ」

 

 遅かれ早かれこういう事態になるとは思っていたけれど悪趣味なことを考えつきやがって。

 要は単なる公開処刑ショーじゃないか、相変わらずあくどいことを次々思い付きなさるよなあうちのボスはさあ……という思いも絶対表には出さない。アップを撮りに来たカメラにはにこっと笑って手を振って見せる。


 上空のダリアは相変わらずペラペラとしゃべっており、私が勝つか、それともほかの魔法少女が勝つかアンケートを答えてくれた人のうち抽選で数名に特別プレゼントがあるとかくだらない説明をする。


『以上、実況はわたくし魔法少女ヒダマリダリアでした~! というわけでえっ!』


 ダリアがかぶっていたシルクハットを逆さに振ると中からバラバラとボール状の何かが零れ落ちてきた、もちろん私たちを狙っている。ほらきたほいきた。


『逝っちゃってえ、サクラちゃん!』

「うるせえ、てめえが逝ってこい」


 ダリアがそれを聞いていたかどうかはわからない。上から落とした爆弾がさく裂するより先に高速で跳躍した私がダリアの後頭部めがけてステッキを思いっきりスイングしたからだ。ガッ、と手ごたえがあったと同時に地上では爆弾が無数の火柱を上げた。ホウキからお落ちたダリアはなすすべもなくその炎の中に墜落する。


 もうもうと舞い上がる煙と炎の隙間から、半壊している車と一成くんの蘇生作業にいそしむキッカたちが見ええた。私はその近くに着地する。

  

 ハニードリームのエロ部門の魔法少女舐めんな。与えられた魔法の力は地球への侵略者崩れとガチで戦えて、あれやこれやな目にあっても損壊しない程度には肉体は頑丈だ。シナリオの都合で大抵敗けることになってるけど、ガチでやりあったらいい勝負はするんだぞ。


 無事胴体と頭がくっついたらしい一成くんは、爆炎の上から舞い降りた私を見てひいっと悲鳴を上げた。

「サクラさんお帰りです!」

 キッカはそういうと、後部座席に移動する。手のひらをヒラヒラ舞わすと無数の魔法陣が浮かび、そこから偉くバカでかい銃を取り出し、どうどうと音をたててそれらを打ち込みだした。見ると爆炎のかなたからわらわらと色とりどりのドレスや衣装を着こんだ魔法少女たちがやってくるのが見えた。

「趣旨は理解したっ⁉」

「ダリアさんの説明を聞いてたんで大体はっ」


 上半分が削れた車の中に入り、私はまだ状況が読めてないしおそらく自分が死んでたことにも気づいて無さそうな一成君の座っている運転席を蹴る。

「車動く? 出せる?」

「え、えーと……」

 ファミリーカーとは大したもので、上がすっぱり削り取られても動かせたらしい。その時シャンシャンという快い音に合わせて、水色の円形の光線が弧を描きながら飛んで来た。奇跡的に無事なタイヤが傷つけられてはたまらないので車全体を魔法のシールドで覆う。


 水色の光の刃を放ってきたのは案の定アヤメ、魔法少女アヤカシアヤメだ。空中を舞うように滑りながらついてきて、シールドの魔力が切れるとすかさず魔法のタンバリンを叩いて刃を打ち込んでくる。キッカはそれを魔法の銃で撃ち落とそうとするが、タンバリンで華麗に魔法の銃弾を捌く。


「アヤメちゃーん、あたしあなたと戦いたくないよぉ、お願いっ引き返して」

 カメラがあるのを見越してそうお願いしてみたけど、目の色が本気のアヤメは聞いていない。

「悪いけどそれは無理っ! あんたを倒して願いをかなえる!」

 アヤメの悲願は幼いころ両親を殺した犯人を捕まえてその手でぶちのめすことだと付き合いの長い私は知っていたが、だからといって殺されるわけにはいかないのである。

 シールドが切れるタイミングでキッカを下がらせ、私がアヤメに向き合った。アヤメはまっすぐ私の首をめがけて刃を打ち込む。いつもながら迷いがない。アヤメのこういうブレない、嘘をつかないところが私は結構好きだった。

 好きだったからなるべく優しくしてやりたかった。アヤメの放った刃をギリギリで交わし、さらに追撃しようと近づいたアヤメの目の前でステッキを弓矢の形に変形させる。ブロッサムアローというベタな名前がついているこれは本来人と魔法少女に向けて撃ってはいけないやつである。


「ばいばい、アヤメ」

 餞を一言口にして、矢の形にした魔力を放った。撃たれたアヤメはピンク色の輝きに飲まれて体ごと蒸発する。


 かろうじて動く車を運転しながらあはははと笑う一成くんへ、私は言う。

「一成くん、賽の山トンネルまであと20㎞だって」

 看板にそうでていたのだ。



 首から胴体が離れたという経験をしてしまったせいか、一成くんは多少タガが外れてしまったらしい。法定速度をぶっちぎったスピードを出しながら、強風にじかにあおられつつ何事かわめく。


「どうしようこれ親の車なのに、保険使えるかなあっっ?」

「保険より個人情報の流出を心配した方がいいような事態になってますねっ」

 

 キッカが一成くんのスマホの様子を適宜紹介する。確かにそこにあった私たちの実況動画には私たちの乗っている半壊ファミリーカーのナンバープレートがしっかり映っていた。これじゃあ彼の親御さんの個人情報はとっくにほりつくされていることだろう。

 襲いかかってくる同僚魔法少女を魔法の大砲や魔法の銃で撃ち落とすキッカのその表情は実にけろっとしたあどけないもので、コイツの踏んできた場数の地獄っぷりに脅えずにはいられない。キッカはあたしとは違い見た目通り十四~五年しか生きていない筈だが、どのような育ち方をしたらボールを的に当てるような感覚で人を撃ち落とせるようになるのか。まあ私も大した育ち方はしてないわけだけど。


 ダリア、アヤメの他にも次々と魔法少女はやってくる。ホウキに乗ったの、先端にハートのついた吸って気を振りかざしたのといった定番もいれば、バイクに乗ったメタリックな鎧姿だとか身長十メートル近い巨人の姿でやってくる、魔法少女というにはジャンルの違うだろって女子もやってくる。襲いかかる魔法少女をわたしとキッカは全力で返り討ちにする。魔法少女たちは炎や光や水しぶきをあびせにかかる、中には直接刃物で切り付けようとしたり鈍器を振り下ろそうとしたものもいる。私は魔法のビームを打ちまくる。キッカは魔法の機関銃を乱射する。私たちの通った後には火柱と死骸が転がっている。


 タガの外れた一成君の暴走運転のおかげか、ほどなくして賽の山トンネルの入り口が見えてきた。きれいなピラミッド型の山の中腹にほられたトンネルがそれだ。やったあ! と思わず歓声をあげてしまった。意外とちょろかったなって感想も漏れる。あのトンネルの向こう側にたどり着ければ私の勝ちだ。


 魔法少女たちも数がつきたのか、その瞬間にポロンと音がした。一成くんのスマホからだ。SNS経由でDMが届いたという通知だ。この種の連絡はさっきから一成くんの知り合いや身内からひっきりなしに届くので今回も無視しようとしていたところ、そのアカウント名を見て慌てて気を変えた。


 聖オクトパスさんからメッセージが届きました、とそこにはあったのだ。慌てて開くと簡潔な文章が記されている。


「突然ごめんね。サクラさんの乗ってる車を運転してる君のアカウントだっていうからDMを送らせてもらった」

「悪いけど、サクラさんと連絡させてもらえるかな。彼女には今直接連絡できないようだから」


 もちろん喜んで、私は随伴しているカメラに手を振る。おそらく聖オクトパスさんは実況動画をみてくださってるのだ。


「すいません。ご無沙汰してます。アサクラサクラです」

「お恥ずかしいことになっちゃって」


 キッカが私の手元をのぞきこんだ。まあ見ててもいいか。


「久しぶり、サクラさん。派手に暴れまわっていたね」

「さっき、連絡があったよ。どうやら僕らのいる団体に保護してほしいって本当?」


 それを読んだ瞬間、小躍りしそうになった。やっぱり聖オクトパスさんは元女騎士のミネルヴァが以前いた「悪しき幻想の被害者になったすべての女性を守る団体」に参加されていたのだ。

 表向き静かに異世界で隠居していることになっている聖オクトパスさんだが、実はハニードリームのような悪い妖精の国につかまってアダルト産業に従事させられている女子供を救う活動をされているという噂は事実だった模様。今まで世話になった業界への義理もあって公表されておられないため真偽がはっきりしなかったけれど、これで事実だとはっきりわかった。


「厚かましいけれど、本当です」

「私はハニードリームに報酬を不当に使い込まれていました。仕事は納得ずくでやっていましたが、稼いで得たお金は私の物です。それを横取りされたのは許せません」

「もちろん保護する資格なしと判断されればすぐに出てゆきます」


 文字を打っている間に車は賽の山トンネルの中に入っていた。赤い光に包まれる。ここまでくればあともう少しだ。


「わかった。とりあえず僕が君を迎えにいくよ。今どうやらトンネルに入ったみたいだね」

「実況みてくれてるんですね」

「まあね。ところで隣にいる子は誰? サクラさんの後輩」

「ですです。キリサキキッカってい言います。うちのスナッフ部門の期待の新人ですよ」


 

「サクラさん、気楽にしていていいんですか?」

 ニタニタしながらメッセージをやりとりしてるとキッカが突然割り込んでくる。お陰で我に戻った。トンネルの壁をはい回りながら進んでくる魔法少女がいたのだ。魔法少女というより都市伝説って外見の黒髪と白いワンピース姿のやつだった。慌ててビームで撃ち落とす。



 トンネルの中ほど、出口まであと数十メートルというところまでやってきた。トンネルの出口はゆらゆらと蜃気楼のようにゆらいでいるのでよく見えない。


「やった……、やっとここまで来たんだ……!」

 

 一成くんは車を停めて、ハンドルに突っ伏した。生きてここまでたどり着けたことに感激しているらしい。一度死んでいることに気づいているだろうか。ともあれ一刻も早く引き返したそうにしている彼が可哀そうなので、私とキッカはオープンカーになってしまったボロボロのファミリーカーから降りた。離れてみればつくづくよくぞここまでたどり着けたなってあきれる程の壊れっぷりだった。

 一応今までのお礼を込めて唇にキスをしてあげたが、ひいっと悲鳴を上げただけだった。まあ彼のそばで何人も魔法少女たちを殺してきたのでそうなってしまうのも無理はない。


 車から降り立つと、目の前の地面がむっくり膨れ上がったのが見えた。赤黒い表皮、大きな単眼、その上の琥珀、世界で一番チャーミングな肉塊、聖オクトパスさんだ。


(サクラさん、迎えに来たよ)


 聖オクトパスさんには口がないので会話は思念で行う。声に変換したらきっと低くて渋くてとてつもなく素敵だろうなと思わせる思念だ。

 抑えがきかなくて私は駈け出し、聖オクトパスさんのぬめぬめした体に抱き着く。高級な牛肉のような甘い聖オクトパスさんの香りにつつまれる。


(こらこらやめなさい、魔法少女は触手を軽蔑しなきゃあダメでしょう。特にカメラの前では)

「いいんです、今だけですっ!」

 口が無い聖オクトパスさんへどこに愛情と謝意をぶつけていいかわからず、とりあえず大きな単眼のとなりにそっと唇をつけた。


 

「あっ」


 何故か一成くんの声が聞こえた。なんだよアイツまだいたのかよ、とあきれた瞬間、体が地べたに投げ出されている。

 思考が追い付かない私の視界で、聖オクトパスさんはどうっとゆっくり地べたに倒れた。そこにゆっくり近づく影が一つ。もちろん一成くんなどではない。


「騎士道精神ですか。柄にもないものを見せつけないでくださいよ。テンタクラート」


 キッカだった。

 魔法陣を出現させ、キッカは無数の銃を出現させると至近距離の聖オクトパスさんに弾を打ち込む。なすすべもなく聖オクトパスさんは肉塊になる。


 地べたに転がっていた私は叫んでアスファルトの上を走り、キッカに向けてステッキを振り下ろそうとする。キッカはただ犬耳を反応させただけでこちらを見ることなく新たな魔法陣を出現させて銃を打ち込んできただけだった。


 撃たれて倒れる、こっちをちらとも見やしない。


「おやおや、サクラを殺さなくていいの? キリサキキッカ」

 痛みに呻く私の目の前に、ハニードリームのボスがあのふざけた格好で現れる。

「今キミがサクラをここで殺せば、僕が君の願いを一つ叶えてあげるんだけど」


「結構です、あたしの願いはもうかないましたんで」

 

 ぐちゃぐちゃになった聖オクトパスさんの肉片から、キッカはあの琥珀を拾い上げた。


「サクラさんにはいろいろとお世話になったんで、できれば殺したくないんです」

「でもさっきはサクラの体ごと聖オクトパスを撃とうとしたよね?」

「カメラの向こうで皆さんヒヤっとなさったんじゃないですか? そういうのって演出ってんでしょ? そちらさんのおかげであたしそういうの勉強したんです」


 キッカは琥珀についた血しぶきや肉片を服で拭った。その表情はいたって静かだ。


 撃たれた箇所に回復魔法をセルフ出かけながら、私はキッカへ向けてステッキをつきつけた。


「ちょっと……どういうことか説明しろよ、キッカぁ……」

 我ながら情けないようなボロボロの声しか出ない。

「動かない方がいいですよ、サクラさん。手加減しましたけど内臓ちょっとふっとばさせてもらいましたし」

「説明しろっつってんだろうが!」


 内臓が吹っ飛んでるというのは本当らしい、大声出そうにも腹に力が入らない。

 キッカはふと何かを考えるように黒目勝ちの大きな目をしばたたかせた。


「そうですね。今のままではあんまりですし。じゃあ手短にお話しさせていただきますけど、このテンタクラート――サクラさんたちが聖オクトパスって呼んでたこれは、あたしの国を滅ぼした仇なんですよ。あたしこう見えて昔は魔法の国の王女だったんです」

 

 キッカは琥珀を自分の額に取り付けた。すると琥珀はとろりとした黄金の輝きを放ちキッカの体を包み込む。

 光に満ちたキッカの体はすくすくと成長し、ショートカットの髪が伸びる。子犬のようだった垂れた耳もピンと立ちあがる。


 体の線が浮き上がる白い衣をまとったすがたになったキッカは、黒目がちなところだけは変わらない大きな目であたしを見下ろした。きょとんとしたような、感情が読み解けない表情だ。


「あたしたちの国はこのトンネルの向こうにあった小さい魔法の国だったんですけどね、ある日突然、こいつらに侵略されちゃったんです。正確に言うとこいつらを使役するどっかのろくでもない国のやつらになんですけどねもう酷いのなんの。ちびっ子だたったあたしの目の前で大量虐殺の限りでしたよ」

 つんつんと、自分の額の琥珀をつついて見せた。

「この琥珀は王家の秘宝で、王位継承者が代々受け継ぐきまりになってるんですけど、今さっき死んだテンタクラートがあたしの母様の額からむしり取った所を目撃しちゃったりもしたんですからその後数年地獄でしたよ。目えつぶればその時の光景が蘇っちゃったりで」

 

 キッカはつま先で聖オクトパスさんの肉体を踏みにじる。衣が汚れるのも靴が汚れるのも考慮しない。


「みなしごになっちゃったあたしはそこから人買いに売られて戦闘魔法しこまれていっぱしの少年兵になって、まあ紆余曲折があってハニードリームさんのお世話になったんですが、びっくりしましたよぉ。あたしの国を滅ぼしたやつらがエロ映像の俳優やってんだから。しかもあの琥珀勝手につけてるし。なんのつもりだったんですかね、あれ」


「一種の贖罪だったのかもねえ。彼は女ことどもに大変優しかったから。琥珀を目立つところにつけたのも君に見つけて殺してもらいたかったからかもしれないよ」

 ボスが知った風な口をたたくと、その時初めてキッカは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

「悪い冗談ですね。こいつらはただのバケモノの傭兵ですよ」


 なけなしの魔力を込めたステッキをわたしはふるった。へろへろのビームはキッカにやけどだってつけられなかった。


「サクラさん、だから大人しく寝ててくださいって。治るものも治りませんから」

「うるさい。そのひとをバカにするなっ……」

「悔しいですか? あたしはサクラさんたちやこいつのやりとりをネットごしに見ててずっとそんな気持ちでしたよ。うちの国をめちゃくちゃにしたくせに、人格者みたいな評価もらってのんきに平和にくらしてんじゃないよって。しかも女子供救う団体にいたってどういう冗談ですか。触手の分際で」


 それを聞いて、私はキッカが私になついた、なついたようにみせていた理由を理解した。

 仇敵になれなれしくしている私に目を付け、いつか利用しようと目論んでいたに違いない。それに気づかず、私はキッカが自然になついてくれてるものとばかり思い込んでいた。

 バカじゃん、私。バカすぎて悔しくて、ひいひいみっともなく泣いた。


「泣かないでくださいよ、サクラさん。あたしあなたの口が悪くて気の強いところが好きだったんです。本当ですよ」

「うるさいっ」

 

 癇癪をおこしたようになって私はさらにひいひい泣いた。カメラの気配は感じたけれどみっともなくても泣き続けた。ハニードリームのボスがあきれたようにふうっとため息をつく。


「やれやれ、これはずいぶんみっともない幕切れだ。せっかっくうちの稼ぎ頭だったサクラにふさわしい華々しいイベントになるかと思ったのに。このままじゃあしまらないから、サクラに引導を渡してあげてくれないかな、キッカ」

「そうですね、たしかに締まりません」

 

 キッカの左手がさっと閃いた。魔法陣が出現し撃ちぬいたのは私ではない。ハニードリームのボスだった。ミツバチの着ぐるみを着た子熊というふざけた姿の妖精は一発の魔法の銃弾で粉々に砕けた。


「イベント主催者の死亡、なかなか盛り上がる幕切れではありませんか? 加えて――」


 トンネルの内側がぼこぼこ、わらわらと盛り上がる。それらはトンネル内壁に擬態した異形の妖精たちだ。ボスの護衛だったのだろう。しかし彼らはキッカの手の一振りで次々に火の粉をまき散らして破裂してゆく。まるで仕掛け花火をみるような荘厳な光景ではあった。

 火花をあびてキッカは宣言する。


「滅ぼされた魔法の王国の復活を玉座を取りもどした女王が宣言する、これに勝る華々しさはあると思えません」


 キッカの頭上に冠が載り、手には王錫が握られる。確かにそれは荘厳といえる光景だったのに、本人はちっとも笑っていなかった。きょとんとした表情で、確かに女王らしく膝を追って恭しく一礼し、一人キッカはトンネルの向こうへ歩いてゆく。


「どこへ行くんだよっ……」

 まだ地べたから立ち上がれない私はキッカの背中に呼びかけた。そうるしかいなかった。

「トンネルの向こう側です~、まずはあたしの国土の奪還ですね。そこから建国作業に入らねばなりませんし。やることだらけで大変なんですよお」

  

 立ち止まることなくキッカは振り向いた。


「サクラさんもご一緒しません? 今なら大臣のポストがご用意できますよ? 国防大臣とかどうです?」

「冗談……!」

「うーん、結構本気なんですけどね」


 そこでキッカは初めて微笑み、ばいばいというように手を振って、ゆらめく蜃気楼のようなトンネルの向こう側へ消えていった。動けない、みっともない私は地べたにうずくらるしかなかった。手を伸ばした先には初めて好きになった人の遺骸があった。

 



「‶各国が独立を認めない中、魔狼王国建国二周年祝賀祭が盛大に行われた。″か……」

 

 久しぶりに会った元女騎士アマノミネルヴァがカウンターに広げた新聞の記事を読み上げる。トンネルの向こう側は夏休みだってことで子連れでこっちへ遊びにきたついでに立ち寄ったのだ。こちらはトンネルの近くなので地球の新聞が取り寄せられるのだ。

 

 私はカウンターの中でコーヒーを淹れてムカつく知人に出してやる。

「あんまりその名前聞きたくないから」

「でもまあ実際やりての女王様よね。失われた国を取り戻した上に治安をよくして、観光業に力をいれますってアピールするところなんてさ。たった二年でよくやるわよ。もはや全世界のヒロインじゃない、元キリサキキッカちゃん」

「だから聞きたくないって言ってるから!」

「聞こえてるわよ、だから言ってるのよ。……何このコーヒー、まっず」


 

 キッカが女王様になり、わたしがトンネルで這いつくばった様子が生配信されてから二年経った。

 なんとか腹に空いた穴が塞がって、ボロボロでズタズタの状態で歩きながらたどり着いた向こう側は、アスファルトで舗装された道が地の果てまで続いてるようななんてことのない荒野だった。そこで聖オクトパスさんの帰りが遅いのを不審に思った団体の人間に保護された。地球時間でひと月ほど世話になったが、エロに関わるものごとすべてを憎むそこの理念とやっぱり折り合いがつけられなかったので出て行った(元女騎士がそこと袂をわかったのも同じ理由である)。


 ボスが殺されたことで、妖精の国ハニードリームは消失した。

 でもってハニードリームと契約した魔法少女も(生き残っていたものは)全員強制解雇という形になってしまい、望まぬタイミングで「普通の女の子」というものにさせられてしまった。魔法少女になった十四歳の時から体の成長を停められていた私の肉体はいま十六歳相当である。十六歳では仕事はさせられないと、どこのアダルト映像会社の法務部は断ってくる。お陰でもうちょっとホワイトな妖精の国と契約しなおして魔法少女として復帰するというわたしの目論見は全部パアになってしまった。仕方なしにトンネルのそばで食堂なんぞを始めて食いつないでいる。全く、しっぶい世の中になったものだ。


「あなたの体は美しいからあと二年すればうちの会社と契約してあげるわよ。それまでがんばりなさい」

 と、女性も楽しめるアダルト映像会社なんぞをというしゃらくさいものを立ち上げているミネルヴァは余裕たっぷりに微笑んでからオークの夫とその間にできた子供とにこやかに去っていった。死んでもこいつの世話にだけはなりたくはない。


 入れ替わりにトラックを運転してきた一成くんが入ってきて定食を注文する。キッカによってアンデッドになった彼は一般社会に復帰しようとして失敗した後に危険地帯に物資を運ぶ会社に職を得てわりと稼いでいる。私のウエイトレス姿にニヤニヤするのでちょっとキモイ。


 二年も経てば、地下に眠るレアメタル鉱脈目当てに聖オクトパスさん達を雇ってキッカの国を滅亡に追い込んだ国や組織がどこだったかはわかってくるものだけど、だからといって私の生活がどうなりもしない。


 

 私の腹にはまだ傷があり、私の舌は好きだったヒトの肉片の味を覚えている。

 それだけで今は十分だ。今はね。

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異世界まではあと何㎞?  ~魔法少女逃走中~ ピクルズジンジャー @amenotou

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