※山田慎吾 ~その2~
禿げ頭の中年が厳つい顔を更にしかめ、さながらそれは梅干しのようにも見える。
その中年は書類を凝視しては、ウウムと唸るばかりだが、何時までも目の前でそんな顔をされていては堪らない。
出渕和馬は、中年に仕方ないという様子でため息混じりに声をかけた。
「なんなんすか? さっきから、唸ってばっかで。それ、自殺で片付いたヤツでしょ」
「……おう」
出渕は終わった事件に、いつまでも食いついている先輩の刑事、五十嵐にもういいじゃないかと言わんばかりの声を上げる。
五十嵐が納得していない様子で見ている資料は、最近あったアパートでの自殺未遂事件だった。
事件性があるかもしれないということで出渕と五十嵐が現場に赴いたが、調べてみても、他者が関与した形跡は見つからず、自殺未遂ということでケリがついたはずだった。
一課の刑事は、多くの事件を抱えて走り回っている。こんな自殺未遂の事件にいつまでも時間を割いている暇はないので、出渕は、五十嵐が何をそんなに気にしているのかが理解できなかった。
二人は刑事である。
先日、アパートで男がこん睡状態で倒れていると連絡が入り、すぐに駆け付けたところ、男はなんとか一命をとりとめて、今は病院で寝たきりの状態になっている。
男の名前は、山田慎吾。自室の押し入れに入り込み、隙間をガムテープで目張りして、中で練炭を焚き、睡眠薬まで飲んで自殺を計った。
命は助かったようだが、その意識は深く沈んだままで、病院で治療を受けている最中だ。
「なぁ、出渕よ」
「はぁ」
「この自殺現場、小説が散らばっていたのを覚えてるか」
「ああ、はい。ラノベの一巻ばかりが散らばってましたね」
「ラノベっつーのは、詳しくなかったが、これを機会に俺も色々と調べてみたんだわ」
「は、五十嵐先輩がですか?」
強面の禿げ中年、警部である五十嵐がラノベを読んでいる姿はなんともギャップがあって、想像すると吹き出しそうだった。
出渕はラノベというものがどういうものかは、知識はあるがきちんと目を通したことはない。
本屋で並んでいるのをみたことがあるが、出渕は表紙を見て思わず目をしかめる程だったのだ。
なんというか、個性がないというか、どれを見ても『異世界転生』だとか『チート』だとか『スローライフ』と書いてある。これは全て同じ人物が書いているのかと疑ったが、筆者の名前はそれぞれ違っていた。
つまり、みんながこぞって同じ物を書いている。そういうものがラノベなのだと認識していた。
「この山田慎吾の周りに散らばっていた『異世界転生』モノを見てな、お前どう思った」
「えぇ? だから、そういうのに憧れたんじゃないッスか? 死んだら異世界に転生して、遊んで暮らせる、みたいな」
「……そう思うか」
五十嵐はまた梅干しになった。ううん、と唸っては資料に書いてあるラノベの項目とにらめっこをしていた。
「五十嵐先輩がそんなに、ラノベにハマるとは思わなかったッス」
「俺が気にしてんのは、ラノベじゃねえ。『一巻』だけが転がってるってところだ」
「一巻、だけ?」
「そうだ。例えばこの『異世界転生、チート能力でまったり勇者』。これはもう六巻まで出てる。今も連載は続いてるそうだ。こっちの『異世界に転生したんだが、相棒が可愛すぎる』。これは十巻まで出て、アニメ化もしてる」
「は、はあ」
随分と詳しく調べているな、と出渕は五十嵐の調査に舌を巻いた。
何をそんなに気にしているというのだろう。
「いいか、異世界に憧れていたんなら、『一巻』だけ持ってるってのはおかしいと思わねえか」
「……つまり、異世界に行った後の物語である続巻がない、ってことが変だと?」
「そうだ。一巻だけ。最初だけだ。鑑識に念のためラノベを調べてもらった。そしたら、指紋が後半のページにはついていないことが分かった」
「え、どういうことッスか?」
「つまり、山田慎吾は、一巻の最初だけしか読んでないってことなんだよ」
「…………それが、なんか事件と関係あるんですか?」
五十嵐が抱いた疑問は、出渕も気になった。確かにオカシイとは思うのだが、それがこの自殺にどうつながるというのだろう。
「俺が思うによ。山田慎吾は、プロローグの主人公が死ぬ場面だけを熱心に見ていたんじゃねえか?」
「……死に関心があったってことですか」
声のトーンが落ちる。
「自殺してるのが明白なこともあるし、『死ぬ』っつーことに興味があったのは事実かもな」
「じゃあ、どういう死に方が楽か、とかラノベで調べていた、とか?」
「お前、面白い事を言うな」
特に考えなく呟いた言葉だったが、五十嵐は片眉をぐい、と持ち上げて、ぎょろりと目玉を動かした。なんだかその様子は妖怪にも見える。
「実は俺もそういう意図で、ラノベの死にざまの場面を見て回っていたのかと思ったんだがよ。ここに書いてあるラノベの冒頭、全部に目を通して来たが、イッコもねぇーんだよな」
「……何がッスか?」
「だからよ。練炭で自殺、だよ。どのラノベも、事故で死んでんだ。トラックに轢かれたとか、工事現場で潰されたとか、溺れる子供を助けて自分が死ぬ、とかな」
「じゃあ、山田は『ラノベ』で『死に方』を探していたわけじゃない?」
「そうだろうな。だから、俺はなんで、一巻の冒頭だけを読んだラノベを散らかして、練炭自殺を考えたか、いまいち結びつかねえんだ」
五十嵐が唸っていた理由を知り、出渕もううんと一緒に唸ることになった。確かに言われてみると、何か、妙だった。
山田慎吾が自殺した理由は、調査しなくてはならない。自殺に追い込む何かがあったとしたら、それに刑罰を与える必要もあるからだ。
「自殺未遂だったら、『転生』は出来てないはずッスよね」
「そうかもな。だが医者が言うには、山田慎吾の脳はまるで、起きているかのように反応しているらしい。それこそ別の世界で冒険でもしているように、な」
「じゃあ、異世界に行った夢でも見てるってことですか。呑気な」
少しばかり嫌味な言葉が口から出た。自殺をするような人間が、出渕は好きじゃなかったのだ。死ぬくらいなら、そのフラストレーションを別の形で吐き出せばいいと考えているから、自ら命を絶つ人間は阿呆だと考えている。
「夢の世界で、山田慎吾は一体何をやってやがんだろうな」
「興味、ないです」
「刑事にあるまじき言葉だな。なんにでも興味を持て。世の中お前の常識の外にいるやつらは腐るほどいるぞ」
「そうだとしても、他人の夢の中身なんざ、やっぱり知ったところでオレのプラスになるとは思えないッス」
「……明晰夢って知ってるか」
「ああ、夢を自在に操るってアレですか。夢の中で夢と気が付くと、自分に夢を好きにできる、みたいな」
「ありゃあ、まさに『チートな異世界』だわなぁ」
五十嵐がなにやらぼんやりした口調で言うので、出渕は逆に頭が冷めていった。
やっぱりこんなことに時間を費やしているのは無駄なことに思えてきたのだ。何がチートだ。なにが異世界だ。要するに現実逃避だろう。こっちは社会の汚いところをまざまざと見せつけられる刑事だぞ、オレだって死んで天国にいけるなら、そこでのんびり暮らしたいわ。と心の中で毒吐いた。
「夢の中で夢に気が付く。……それには何かしらの『切っ掛け』があるもんなんだよな」
「まだその話スか、もう行きましょう。その山田慎吾の第一発見者の話」
「ああ、大家と、同僚の女だっけか」
「はい。山田慎吾の職場で調査ですよ。さっさと準備しましょうよ」
やれやれと肩をすくめて出渕は歩き出した。五十嵐は、自分なら夢を見ている時に夢と気が付くだろうか、と考えていた。
例えば、こんな夢だ。
車を運転してる。車を動かすにはアクセルを踏み込む。止めたいときはブレーキだ。だが、自分の中でひとつルールを決めておくのだ。ブレーキを二度連続で踏み込むと、その車は空を飛ぶ、とかだ。
ありえない設定でいい。
そして実際に『今俺は車を運転している』と感じた時。ブレーキを二度、連続で踏み込むわけだ。トトン、という具合だ。
それが合図。
それで空に飛ぶのなら、夢だ。飛ばないならそれは夢かもしれないが、現実の可能性があるからあきらめる。
飛んだ時は、気が付く。ああ、俺は今、夢を見ているぞ。と。
合図があるはずだ。そうでなければ、眠ったまま覚醒状態の脳波を発し続ける山田慎吾の状況は、不可解だ。彼は間違いなく、明晰夢を見ているだろう。
その切っ掛け、夢の中で夢であると、自分に思い込ませる切っ掛けはなんだろうか。
ぺしぺしと、禿げ頭をしばいても、その答えは出てこなかった。
考えるのはここまでにしよう。早くいかなければ出渕がむくれる。
五十嵐はのそのそと立ち上がり、背広を着ると、資料を鞄に突っ込んで歩き出した。
そういや最近、夢なんかみなくなったな、と思いながら――。
詩泥棒と異世界カラオケ店 花井有人 @ALTO
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